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怪奇小説 カテゴリーの記事一覧 - 𝑅𝑒𝓁𝒶𝓍 𝒮𝓉𝑜𝓇𝒾𝑒𝓈𝒯𝒱朗読動画専用ブログ
ひとつ目は、「おいてけ堀」、田中貢太郎作です。田中貢太郎は、多岐にわたるジャンルで活躍した作家で、彼の作品は伝記、紀行文、随想集、情話もの、怪談・奇談など、幅広いテーマを扱っています。特に、怪談ものの蒐集と再執筆に努め、約五百編の怪談を著しました。彼の作品は、その時代の社会や人々の生活を生き生きと描き出し、多くの読者から愛されました。
ふたつ目の作品は、「あじさい:佐藤春夫作」です。佐藤春夫の怪談作品は、その独特の雰囲気と描写力で知られています。彼の怪談作品の中でも、「あじさい」は特に有名です。佐藤春夫の怪談作品は、その緻密な描写と独特の雰囲気作り、そして人間の心理を巧みに描き出すことで、読者を引き込む力があります。
三つ目の怪奇小説『海坊主』は特定の作者がいるわけではなく、日本の民間伝承や妖怪話の一部として語られています。
おいてけ堀
田中貢太郎作
本所のお竹蔵(おたけぐら)から東四つ目通り、今の被服工場の跡の納骨堂のあるあたりに大きな池がありました。それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」でした。その池にはフナやナマズがたくさんいて、釣りに行く者がいましたが、一日釣って帰ろうとすると、どこからか、
「おいてけ、おいてけ」
という声がします。気の弱い者は、釣った魚を魚籠から出して逃げてきますが、気の強い者は、風か何かの具合でそんな音がするだろうと思って、平気で帰ろうとします。しかし、三つ目小僧が出たり一つ目小僧が出たり、時には轆轤首、時には一本足の唐傘のお化けが出て道を塞ぐので、気の強い者も、それには震え上がって、魚は元より魚籠も釣竿も放り出して逃げてきます。
金太という釣り好きの若者がいました。金太はおいてけ堀にフナが多いと聞いて釣りに行きました。両国橋(りょうごくばし)を渡ったところで、知り合いの老人に会いました。
「おや、金公か、釣りに行くのか、どこだ?」
「お竹蔵の池さ、今年はフナが多いと言うじゃないか」
「あそこは、フナでも、ナマズでも、たくさんいるだろうが、行かない方がいいぞ、あそこには、怪物がいるぞ」
金太もおいてけ堀の怪しい話は聞いていました。
「いたら、ついでに、それも釣ってくるさ。今時、唐傘のお化けでも釣れば、いい金になるぞ」
「金になるより、頭から吸われたら、どうするのだ。行くなら、他へ行きなよ、あんな縁起でもない場所へ行くものじゃないよ」
「何、大丈夫ってことよ、俺には、神田明神がついてるのだ」
「それじゃ、まあ、行ってきな。その代わり、暗くなるまでいてはいけないぞ」
「魚が釣れるなら、今晩は月があるよ」
「本当だよ、年寄りの言うことは聞くものだぞ」
「ああ、それじゃ、気をつけて行ってくる」
金太は笑いながら老人に別れを告げて池へ向かった。池の周りには新しく出た葦の葉が昼の微風に揺れていた。金太は最初はお化けのことを頭に置いていたが、フナが次から次へと釣れるので、他のことはすっかり忘れて一心に釣りに集中した。そして、近くの寺から響いてくる鐘に気がついて顔を上げた。十日ほど前の月が池の西側の葦の葉の上にあった。
金太はそこで三本の釣竿を上げて、糸を巻きつけ、それから水中に浸けていた魚籠を上げた。魚籠には一貫匁(いっかんもんめ)ほどの魚が入っていた。
「重いな」
金太は一方の手に釣竿を持ち、一方の手に魚籠を持った。すると、どこからか人の声のようなものが聞こえてきた。
「おいてけ、おいてけ」
金太は歩こうとした足を止めた。
「おいてけ、おいてけ」
金太はすぐに、あざけりの色を浮かべた。
「何を言ってるんだ、ふざけるな、糞でも食えだ」
金太はさっさと歩いた。すると、また、
「おいてけ」の声が聞こえてきた。
「まだ言ってる、何を言ってるんだ、こんな美味しいフナを置いてって我慢できるものか、ふざけるな。狸か、狐か、悔しいなら、一本足の唐傘にでもなって出てこい」
金太は気分が悪いので足を止めなかった。すると、目の前に突然何かが出てきた。それは人の姿だったので一本足の唐傘ではなかった。
「何だ」
鈍い月の光に目も鼻もない白っぽい顔を見せた。
「私だよ、金太さん」
金太はびっくりしたが、まだどこかに確かな気持ちがあった。金太は魚籠と釣竿を落とさないようにしっかり握って走った。後からまた「おいてけ」の声が聞こえてきた。
「何を言ってるんだ」
金太はどんどん走って池の縁から離れました。来る時には気がつかなかったが、そこに一軒の茶店がありました。金太はそれを見るとほっとしました。金太はさっさと店に入りました。
「おい、お茶を一杯ください」
行灯のような薄暗い灯のある土間の隅から老人がひょいと顔を出しました。
「さあ、さあ、どうぞおかけください」
金太は入口に釣竿を立てかけて、土間の横に座り、手にした魚籠を足元に置きました。老人は金太をじっと見ました。
「釣りから帰ってきたのですか」
「そうだよ、そこの池に釣りに行ったんだが、おじいさん、変なものを見たよ」
「変なものと言いますと」
「お化けだよ、目も鼻もない、のっぺらぼうだよ」
「へえー、目も鼻もないのっぺらぼう。それなら、こんなので」
老人がそう言って片手でさっと顔を撫でました。すると、その顔は目も鼻もないのっぺらぼうになっていました。金太は悲鳴を上げて逃げました。魚籠も釣竿もそのままにして。
あじさい:佐藤春夫作
現代語訳:Relax Stories TV
あの人があんな風に突然死んでしまわなかったら、もし長い病気の後で亡くなったとしても、きっとあなたと私のことを、良いとか、絶対にダメとか、何かしら明確に言い残してくれたでしょう。でも、あなたがあれから七年も経つのに今日まで一人でいる理由、また私が時々お説教を聞きに行くような気持ちになる理由、その原因をあの人は口に出しては言わなかったけれど、ちゃんと知っていたんですよね。だからこそ、私をより優しくしてくれたのでしょう。そのことを考えると、私はどうすればいいのか迷ってしまいます。そして、私たちがこんな話をしていることも、こんなことを考えてみることも、何となく気が引けてしまいます。
そう、さっき涙を目に溜めながら女性が言った言葉を、男性は心の中で何度も繰り返してみました。そして、女性がどういう理由でそんなことを言うのか、その気持ちが男性にも理解できるように思えました。それにもかかわらず、あの時から言おうか言わないかと迷っていることを、今も女性に打ち明けようかどうか考えています。それは、全く、私はあの後何度もあの男性が死んでくれたらと思ったことがあるかもしれません。あなたの夫があんな風に溺れて死んだその瞬間にも、私は遠くで何も知らずに、それを強く思っていたかもしれません。実際、私は何度もそのことを思ったのです。男性が言おうか言わないかとしている言葉というのは、それだけのことです。
六畳の仏壇の間に、青白くやつれた病気の子供、六歳になる女の子の枕元から少し離れたところに女性は座っています。さっきからとても静かに三味線を弾きながら、目を畳の上に固定しています。その同じ畳の上を見つめて男性も、今言ったようなことを考え続けていましたが、そんな神経質な考え方を突然放棄しようとして、目を上げて女性の横顔をじっと見ました。肘枕をしている男性の目には、女性の顔が少し赤くなってきたように見えました。
その時、部屋の中が少し明るくなったと思うと、障子の腰に薄れ日が射した。
「あら、日が当たってきたわ。」
一人言のように女は言いながら、身を起こして障子を引いた。雲に切れ間があって、さみだれの晴れ間だ。女は空を見上げてから、意味もなく男の方を見返した。少し不自然に歪んでいる笑顔だった。まだ乾ききらない今のさっきの涙と笑いで、女の目は輝いていた。今まで女の横顔を盗み見ていた男の目は、女のそのまなざしをまぶしがるように避けて、視線は庭の方へ向けられた。軒から雨だれが光って滴っている。
「紫陽花があってもいい街ですね。」
男はつまらないことを言った。
女は答える――
「いやですよ、紫陽花などは。あれは病人の絶えない花だというじゃありませんか。」
「そう。そんなことも言いますね……」
女は再び三味線を取り上げた。
男は急に肘枕から起きて坐り直した――彼は、縁側に人が来ると思ったからだ。
「ばあやがもう帰ったのかしら」
女もそう言った。
眠っていた子供が、突然、その時、けたたましく泣き立てた。母親は今取り上げたばかりの三味線をそこに置くと、子供の枕元へにじり寄った。
「お父さん! お父さん! お父さん! ……」
子供は母の顔を見ようともせずにそう叫びつづけた。
「どうしたの。どうしたの。――夢を見たのね……」
女は憐みを乞うように男の方を見やりながら、初めは子供にそうしてだんだんと男に言った。
「……本当にへんな子ですよ。今になってお父さんばかり恋しがるのよ。それにここでなきゃ――仏壇の間でなきゃ寝ようとしないの。」
男はそれには答えようともしなかった。心臓が不思議に早く打って、耳鳴がするのに気がついた……
女はふと自分の背後をふりかえって見なければならなかった。そこにはしかし、もとより何もなかった。ただ病み疲れた子供は、痩せおとろえて一そう大きく一そう透明になった黒い瞳をぱっちりと見開いて、母の肩ごしに、空間を、部屋の一隅をいつまでも凝視した――。
海坊主:田中貢太郎作
現代語訳:Relax Stories TV
これは、小説家の泉鏡花氏の話です。
房州の海岸に一人の若い漁師が住んでいた。ある日、その漁師の妻が赤ちゃんの世話をしながら夕食の準備をしていると、外からどこからともなく汚れた僧侶が来て、家の中をじっと覗き込んだ。妻はそれを見て、飯でももらいに来たのだろうと思って、すぐにおにぎりを作って持って行って、
「これを」
と言って差し出したが、僧侶は横目でちらっと見ただけで手を出さなかった。妻は優しかった。それではお金が欲しいのだろうと思って、今度はお金を持って出て、
「それでは、これを」
と言ったが、僧侶はそれにも見向きもしなかった。妻は怖くなって、お金を持ったまま後ずさりして台所の方へ引っ込んで行ったが、怖くて背筋から水でもかけられたようにぞくぞくして来たので、早く夫が帰って来ればと思いながら震えていた。そのうちに四方がすっかり暗くなって、荒れ模様になった海がすぐ家の前でざわざわと波を立て始めた。僧侶はと見ると最初の場所に突っ立ったまま身動きもしない。その影のような真っ黒い僧侶の姿を見ると、妻はもう立ってもいられないので、そっと裏口から隣へ逃げ出そうとした。と、そこへ近くの若い漁師たちがはしゃぎながら船から上がって来た。それを見て妻は駆け出して行って、
「誰か来てください」
と言って事情を話した。皆血気の多い連中のことだから、
「それは怪しい、やっつけよう」
と言って、僧侶を取り囲んでさんざんに殴り、倒れるところを引きずって行って、波打ち際へ投げ出した。
まもなく夫の漁師が帰って来たので、妻はその話をすると、漁師は何かしら気になるとみえて、飯の後で磯へ出てみたが、そこには暗い海が白い牙をむいて猛り狂っているだけで、それらしいものは見えなかった。
漁師はそれから間もなく寝たが、夜が更けて行くにつれて外はますます荒れ、物凄い波の音が小さな漁師の家を揺り動かすように響いた。そして、一時すぎと思う頃どこからともなく、
「おうい、おうい」
というような悲痛な呼び声が聞こえて来た。眠っていた漁師ははっとして目を開けた。悲痛な人声はまた聞こえて来た。
「あ、難船だ」
漁師は飛び起きて妻の止めるのも聞かず、裏口から飛び出して磯の方へ走った。と、すぐ目の前の岩の上に一人の僧侶が立っていた。それを見ると漁師は思わず、
「やあ、何をしてるのだ」
と言った。すると僧侶は、びしょ濡れの法衣の中から手を出して、黙ったままで漁師の家の方へ指をさした。
「何だ」
漁師が突っかかるようにすると、僧侶はまた黙って家の方へ指をさした。漁師が不思議に思って振り返ったところで、自分の家の方から火のつくような赤ちゃんの泣き声が聞こえ、それに交じって妻の悲鳴が聞こえて来た。漁師は夢中になって、
「何をしやがる」
と言って、いきなり僧侶につかみかかろうとした。と、僧侶は白い歯を見せてにっこりと笑ったが、そのまま海の中へ飛び込んで見えなくなった。そこで漁師は自分の家へ駆け込んだ。家の中では妻が冷たくなった赤ちゃんを膝にして、顔色を変え目を引きつっていた。
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