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 日記帳

 日記帳:江戸川乱歩

現代語訳:Relax Stories TV

 

それはちょうど一週間前の夜のことでした。私は亡くなった弟のホームオフィスに入り、彼が残した書類やメモを見て、一人で思いにふけっていました。

まだ夜も更けていないのに、家中は涙で湿って、静かになっていました。何となくドラマチックな雰囲気が漂っていましたが、遠くからは、物売りの声が、なんとも悲しげな調子で響いて来ました。私は長い間忘れていた、子供の頃の、しみじみとした感情に戻り、ふと、そこにあった弟の日記帳を開いて見ました。

この日記帳を見ると、私は、おそらく恋を知らずにこの世を去った、20歳の弟を哀れに思わずにはいられませんでした。

内向的で、友達も少なかった弟は、自然とホームオフィスにこもる時間が多かったのです。細いペンで濃く書かれた日記帳からだけでも、彼の性格は十分に伺うことができます。そこには、人生に対する疑問や、信仰に関する苦悩、彼の年齢の誰もが経験するであろう、いわゆる青春の悩みについて、幼稚ではありますが、非常に真剣な文章が書かれていました。

私は自分自身の過去を振り返るような気持ちで、一ページ一ページとめくっていきました。それらのページには至る所で、そこに書かれた文章の奥から、あの弟の鳩のような臆病な目が、じっと私を見つめているのです。

そして、3月9日のところまで読んでいた時に、感慨に沈んでいた私が、思わず小さな声を上げたほど、私の目を引いたものがありました。それは、純粋なその日記の文章の中に、初めて、華やかな女性の名前が現れたのです。そして「送信欄」と印刷された場所に「北川雪枝(メッセージ)」と書かれていた、その雪枝さんは、私もよく知っている、私たちとは遠い親戚の、若く美しい女性だったのです。

それでは弟は雪枝さんを愛していたのかもしれない。私はふとそんな気がしました。そこで私は、一種の淡い戦慄を覚えながら、さらにその先を、読み進めてみましたが、私の期待に反して、日記の本文には、雪枝さんの名前は一度も出てきませんでした。ただ、その翌日の受信欄に、「北川雪枝(メッセージ)」とあるのを始めに数日の間をおいては、受信欄と送信欄の両方に雪枝さんの名前が記されているだけでした。そして、それも送信の方は3月9日から5月21日まで、受信の方も同じ時期に始まって5月17日まで、両方とも3月に足らぬ短い期間続いているだけで、それ以後には、弟の病状が進んで筆をとることも出来なくなった10月中旬に至るまで、その彼の最後のページにすら、一度も雪枝さんの名前は出ていなかったのでした。 



彼からのメッセージは8回、雪枝さんからのメッセージは10回だけで、どちらのメッセージにも「メッセージ」と記されています。それらのメッセージには、他人に見られることを恐れるような内容が書かれていたとは思えません。そして、日記全体の調子から察するに、実際にはそれ以上の事実があったのを、彼がわざと書かなかったのかもしれません。

私は安心とも失望ともつかぬ感じで、日記を閉じました。そして、弟はやはり恋を知らずに亡くなったのかと、寂しい気持ちになりました。

やがて、ふと目を上げて、デスクの上を見た私は、そこに、弟の遺品である小型のロッカーが置かれているのに気づきました。彼が生前、一番大切にしていたものを収納していたらしい、その古風なロッカーの中には、私の寂しい心を癒してくれる何かが隠されているのではないかと思いました。そんな好奇心から、私は何気なくそのロッカーを開けてみました。

すると、その中には、この話に関係のない様々な書類などが入っていましたが、その一番底の方から、ああ、やっぱりそうだったのか。とても大切そうに白紙に包まれた、11枚のメッセージが、雪枝さんからのメッセージが出てきました。恋人から送られたものでなくて、誰がこんなに大切そうにロッカーの底に隠しておくでしょうか。

私は、突然の胸騒ぎを感じながら、その11枚のメッセージを、次から次へと調べていきました。ある感動のためにメッセージを持った私の手は、不自然に震えてさえいました。

しかし、どうしたことでしょう。それらのメッセージには、どの文面からも、あるいはその文面のどの行間からさえも、恋文らしい感じは一切見つけることができませんでした。

それでは、弟は、彼の臆病な性格から、心の中を打ち明けることさえしないで、ただ愛しい人から送られた、何の意味もないこの数通のメッセージを、お守りのように大切に保存して、哀れにそれを心の支えにしていたのでしょうか。そして、報われない思いを抱いたままこの世を去ってしまったのでしょうか。

 

私は雪枝さんからのメッセージを前にして、それからそれへと、様々な思いにふけっていました。しかし、これはどういうわけなのでしょう。やがて私は、そのことに気づきました。弟の日記には雪枝さんからの受信は10回しか記されていないのに(それはさっき数えて確認しました)今ここには11通のメッセージがあるではありませんか。最後のものは5月25日の日付になっています。確かにその日の日記には、受信欄に雪枝さんの名前はなかったようです。そこで、私は再び日記を取り上げて、その5月25日の所を開いて見ることにしました。

すると、私は大変な見落としをしていたことに気づきました。確かにその日の受信欄は空白のまま残されていましたが、本文の中に、次のような文句が書かれていました。

「最後の通信に対してYからメッセージが来る。失望。僕はあまりにも臆病すぎた。今になってはもう取り返しがつかない。ああ」

Yというのは雪枝さんのイニシャルに違いありません。他に同じ頭文字の知り合いはいないはずです。しかし、この文句は一体何を意味するのでしょう。日記によれば、彼は雪枝さんにメッセージを送っているだけです。まさかメッセージに恋文を書いたわけではありません。では、この日記には記されていない、封書を(それがいわゆる最後の通信かもしれません)送ったことでもあるのでしょうか。そして、それに対する返事として、この無意味なメッセージが返ってきたとでもいうのでしょうか。確かに、それ以降彼からも雪枝さんからも交信が途絶えているのを見ると、そう考えることもできます。

しかし、それにしては、この雪枝さんからの最後のメッセージの文面は、たとえ拒絶の意味を含んでいたとしても、あまりにも奇妙です。なぜなら、そこには、(もうその時点から弟は病床についていたのです)病気見舞いの言葉が、美しい筆跡で書かれているだけなのですから。そして、またこんなに詳細に発信と受信を記録していた弟が、8通のメッセージの外に封書を送ったとすれば、それを記録していないはずはありません。では、この失望という文句は一体何を意味するのでしょうか。そんな風に色々と考えてみますと、そこには、どうも辻褄が合わない部分があり、表面に現れている事実だけでは解釈できない秘密が、あるように思われます。 

 

これは、亡くなった弟が残した一つの謎として、静かにそのままにしておくべき事柄だったかもしれません。しかし、何の因果か私には、少しでも疑わしい事実に遭遇すると、まるで探偵が犯罪の痕跡を調査するように、その真相を突き止めないではいられない性質がありました。しかも、この場合は、その謎が本人によって永遠に解かれる機会がないという事情があったばかりでなく、その事の真偽は私自身の人生にも大きな関係を持っていたのですから、持前の探偵癖が一層の力強さをもって私を捉えたのです。

 

私はもう、弟の死を悼むことなど忘れてしまったかのように、その謎を解くのに夢中になりました。日記も何度も読み返しました。弟の他の書き物なども、すべて探し出して調べました。しかし、そこには、恋の記録らしいものは、何一つ発見することができないのです。考えてみれば、弟は非常に内気で、この上なく慎重な性格でしたから、どれだけ探しても、そういうものが残っているはずもないのでした。

 

でも、私は夜が更けるのも忘れて、このどう考えても解けそうにない謎を解くことに没頭していました。長い時間でした。

 

やがて、種々様々な無駄な努力の末、ふと私は、弟がメッセージを送った日付に疑問を抱きました。日記の記録によれば、それは次のような順序なのです。

 

三月 9日、12日、15日、22日、

四月 5日、25日、

五月 15日、21日、

 

この日付は、恋する人の心理に反していないでしょうか、たとえ恋文でなくとも、恋する人へのメッセージが、後になるほど減っているのは、どうやら変ではないでしょうか。これを雪枝さんからのメッセージの日付と比較してみると、なおさらその変わったことが目立ちます。

 

三月 10日、13日、17日、23日、

四月 6日、14日、18日、26日、

五月 3日、17日、25日、

 

これを見ると、雪枝さんは弟のメッセージに対して(それらは皆何の意味もない文面ではありましたけれど)それぞれ返事を出している外に、四月の14日、18日、五月の3日と、少なくともこの三回は、彼女の方から積極的にメッセージを送っているのですが、もし弟が彼女を愛していたとすれば、なぜこの三回のメッセージに対して返事をしなかったのでしょう。それは、あの日記の文句と考え合わせて、非常に不自然ではないでしょうか。日記によれば、当時弟は旅行をしていたわけでもなければ、あるいはまた、筆をとることもできないほどの病気を患っていたわけでもないのです。それからも一つは、雪枝さんの、無意味な文面だとはいえ、この頻繁なメッセージは、相手が若い男性であるだけに、おかしく考えれば考えられないこともありません。それが、双方ともいい合わせたように、五月二十五日以後はふっきりとメッセージが途絶えているのは、一体どうしたわけなのでしょう。

 

以下のように誤りを修正しました:

 

そのように考えて、弟が送ったはがきの日付を見ると、何か意味があるように思えます。もしかしたら彼は暗号化された恋文を書いたのかもしれません。そして、このはがきの日付がその暗号文を形成しているのかもしれません。これは、弟が秘密を好む性格だったことから推測して、全くあり得ないことではないのです。

 

そこで、私は日付の数字が「いろは」、「アイウエオ」、「ABC」のいずれかの文字の順序を示すものではないかと一つ一つ試してみました。幸いなことに、私は暗号解読について少し経験がありました。

 

すると、どうでしょう。3月の9日はアルファベットの9番目のI、同じく12日は12番目のL、そういう風に当てはめていくと、この8つの日付は、なんと、I LOVE YOUと解読できるではありませんか。ああ、何という子供らしい、同時に、世にも忍耐強い恋文だったでしょう。彼はこの「私はあなたを愛している」というたった一言を伝えるために、たっぷり3ヶ月の時間を費やしたのです。本当に信じられない話です。でも、弟の異常な性格をよく知っていた私には、これが偶然の一致だとは、どうしても思えなかったのです。

 

このように推測すれば全てが明らかになります。「失望」という意味も理解できます。彼が最後のUに当たるはがきを出したにもかかわらず、雪枝さんは相変わらず意味のない絵はがきを返したのです。しかも、それはちょうど、弟が医者からあの恐ろしい病気を告げられた時期でした。かわいそうな彼は、この二重の打撃に耐えられず、もはや再び恋文を書く気になれなかったのでしょう。そして、誰にも打ち明けず、本当の恋人にさえ、打ち明けはしたけれど、その意志が通じなかった悲しい思いを抱いて、亡くなったのです。

 

私は言葉にできない暗い気持ちに襲われて、じっとそこに座ったまま立ち上がることもできませんでした。そして、前にあった雪枝さんからの絵はがきを、弟が手帳の底深く隠していたそれらの絵はがきを、何の理由もなくぼんやりと見つめていました。

 

それにしても、これは何という驚きの事実でしょう。無駄な好奇心よ、呪われてしまえ。私は全てを知らないでいた方が、どれほど良かったことか。この雪枝さんからの絵はがきの表には、美しい文字で弟の宛名が書かれた隣に、一つの例外もなく、切手が斜めに貼られているではありませんか。わざとでなければできないように、きちんと礼儀正しく、斜めに貼られているではありませんか。それは決して偶然のミスなどではないのです。

 

私はずっと前、多分小学生の頃だったと思います。ある文学雑誌に切手の貼り方によって秘密通信をする方法が書かれていたのを、その頃から好奇心が強かった私は、よく覚えていました。中でも、「恋を表すには切手を斜めに貼れば良い」という部分は、実際に一度試してみたほどで、決して忘れません。この方法は当時の若者たちの間で、かなり流行したものです。しかし、そんな古い時代の流行を、今の若い女性が知っているはずはありませんが、ちょうど雪枝さんと弟との文通が行われた時期に、宇野浩二の「二人の青木愛三郎」という小説が出版され、その中にこの方法が詳しく書かれていたのです。当時私たちの間で話題になったほどですから、弟も雪枝さんも、それをよく知っていたはずです。

 

では、弟はその方法を知っていながら、雪枝さんが3月も同じことを繰り返し、ついには失望してしまうまで、彼女の気持ちを理解することができなかったのはどういう理由なのでしょう。その点は私にもわからない。もしかしたら忘れてしまっていたのかもしれません。それとも、切手の貼り方などには気づかないほど、頭が混乱していたのかもしれません。いずれにせよ、「失望」と書かれていることから、彼がそれに気づいていなかったことは確かです。 

 

それにしても、今の世にこんなに古風な恋があるとは思いませんでした。もし私の推測が間違っていなければ、彼らは互いに恋をしていながら、その恋を告白しあってさえいながら、しかし双方とも相手の心を全く理解せず、一人は傷を負ったままこの世を去り、一人は悲しい失恋の思いを抱いて長い生涯を過ごさなければならないとは。

 

それはあまりにも臆病すぎた恋でした。雪枝さんは若い女性ですからまだ無理な点もありますが、弟の手段に至っては、臆病というよりはむしろ卑怯に近いものでした。それでも、私は亡くなった弟のやり方を少しも責める気はありません。それどころか、私は、彼のこの一種異様な性癖を世にも愛おしく思うのです。

 

生まれつき非常に内気で、臆病者で、それでいてかなり自尊心の強かった彼は、恋をする場合にも、まず拒絶された時の恥ずかしさを想像したに違いありません。それは、弟のような気質の男にとっては、常人には到底考えも及ばないほどひどい苦痛なのです。彼の兄である私には、それがよく分かります。

 

彼はこの拒絶の恥を予防するためにどれほど苦心したことでしょう。恋を告白せずにはいられない。しかし、もし告白して拒まれたら、その恥ずかしさ、気まずさ、それは相手がこの世に生きている間、ずっとずっと続くのです。何とかして、もし拒まれた場合には、それは恋文ではなかったと言い逃れるような方法がないものだろうか。彼はそう考えたに違いありません。

 

その昔、大宮人は、どちらにでも意味が取れるような「恋歌」という巧みな方法によって、あからさまな拒絶の苦痛を和らげようとしました。彼の場合はちょうどそれなのです。ただ、彼のは日頃愛読する探偵小説から思いついた暗号通信によって、その目的を達成しようとしたのですが、それが、不幸にも、彼のあまりに深い用心のために、あのような難解なものになってしまったのです。

 

それにしても、彼は自分自身の暗号を考え出した綿密さにも似合わず、相手の暗号を解くのに、どうしてこんなにも鈍感だったのでしょう。自己過剰なために飛んだ失敗を演じる例は、世にままあることですが、これはまた自己評価の低さ過ぎたための悲劇です。何という本意ないことでしょう。

 

ああ、私は弟の日記帳を開いたばかりに、取り返しのつかない事実に触れてしまったのです。私はその時の気持ちを、どんな言葉で表現しましょう。それが、ただ若い二人の気の毒な失敗を悲しむばかりであったなら、まだしもよかったのです。しかし、私にはもう一つの、もっと自己中心的な感情がありました。そして、その感情が私の心を狂わせるほどにかき乱したのです。

 

私は熱した頭を冬の夜の冷たい風に当てるために、そこにあった庭の下駄を履いて、ふらふらと庭へ下りました。そして乱れた心そのままに、木立の間を、ぐるぐると果てしなく歩き回るのでした。

 

弟が亡くなる二ヶ月ほど前に決まった、私と雪枝さんとの、取り返しのつかない婚約のことを考えながら。

 

江戸川乱歩:日記帳

 

6,827文字