坊っちゃん
坊っちゃん・夏目漱石:現代版
現代語訳:Relax Stories TV
🍚『坊っちゃん』の概要
夏目漱石の『坊っちゃん』は、1906年に発表された長編小説です。物語は、無鉄砲で正義感の強い主人公「坊っちゃん」が、四国の中学校で教師として奮闘する様子を描いています。坊っちゃんは、理不尽なことを許せない性格で、学校の教師たちと衝突しながらも、自分の信念を貫き通します。
🍙登場人物
坊っちゃん: 主人公。無鉄砲で正義感が強い。
清(きよ): 坊っちゃんの家で働いている使用人。坊っちゃんを深く愛し、支える存在。
赤シャツ: 教頭。卑怯者で、坊っちゃんと対立する。
山嵐: 数学の教師。初めは坊っちゃんと敵対していたが、後に仲良くなる。
うらなり: 内気で気が弱い性格。婚約者のマドンナを赤シャツに奪われる。
マドンナ: うらなりの婚約者だったが、赤シャツと交際するようになる。
人生に役立つ教訓
『坊っちゃん』から得られる教訓は以下の通りです
正義を貫く勇気
坊っちゃんは、理不尽なことに対して立ち向かい、自分の信念を貫き通します。これは、どんな困難な状況でも正義を守る勇気を持つことの重要性を教えてくれます。
誠実さと真っ直ぐな心
坊っちゃんの無鉄砲な性格は、時にトラブルを引き起こしますが、その誠実さと真っ直ぐな心は周囲の人々に影響を与えます。誠実であることの大切さを学ぶことができます。
愛と支えの力
坊っちゃんと清の関係は、血の繋がりを超えた深い愛と支えの力を示しています。困難な時に支えてくれる存在の重要性を感じることができます。
『坊っちゃん』は、ユーモアと痛快さを交えながらも、深い教訓を含んだ作品です。ぜひ読んでみてください!
🍚一、
親から受け継いだ無謀さで、子供の頃からトラブルばかり起こしている。小学生の時、学校の二階から飛び降りて、一週間ほど腰を痛めたことがある。なぜそんな無謀なことをしたのか、人々は疑問に思うかもしれない。特別な理由はない。新築の二階から顔を出していたら、クラスメイトの一人が冗談で、「どんなに自慢しても、そこから飛び降りることはできないだろう。弱虫だね」とからかったからだ。家政婦に支えられて帰ってきた時、父は驚いて、「二階から飛び降りて腰を痛めるなんて、誰がそんなことをするんだ」と言った。それに対して、「次は痛めずに飛んでみせます」と答えた。
親戚からもらった西洋製のナイフを、日光に反射させて友達に見せていたら、一人が「光ることは光るけど、切れそうにないね」と言った。切れないわけがない、何でも切ってみせると挑んだ。そこで、「じゃあ、君の指を切ってみて」と頼まれたので、「何だ、指ぐらい、見てろ」と言って、右手の親指の甲を切り込んだ。幸いにもナイフが小さく、親指の骨が硬かったので、今でも親指は元の場所にある。しかし、傷跡は一生消えないだろう。
庭を東に20歩進むと、南向きの小さな菜園があり、真ん中に栗の木が一本立っている。これは命よりも大切な栗の木だ。実が熟す時期には、朝早くに裏門から出て、落ちた栗を拾ってきて、学校で食べる。菜園の西側は、山城屋という質屋の庭が続いていて、この質屋には勘太郎という13、4歳の息子がいた。勘太郎はもちろん弱虫だ。弱虫なのに、垣根を乗り越えて、栗を盗みに来る。ある日の夕方、折り戸の陰に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえた。その時、勘太郎は逃げ道を失って、必死に飛びかかってきた。向こうは2つほど年上だ。弱虫だが力は強い。頭を突き出して、こっちの胸に押し付けてきた瞬間に、勘太郎の頭が滑って、私の袖の中に入ってしまった。邪魔で手が使えなくなったので、手を振り回したら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左に揺れ動いた。最後に苦しそうに袖の中から、私の二の腕に噛み付いた。痛かったので、勘太郎を垣根に押し付けて、足掛けをかけて倒した。山城屋の地面は菜園よりも6尺低い。勘太郎は垣根を半分壊して、自分の領地に真っ逆さまに落ちて、「うー」と言った。勘太郎が落ちる時に、私の袖がもげて、急に手が自由になった。その晩、母が山城屋に謝りに行ったついでに、袖も取り返してきた。
他にもいたずらはたくさんやった。大工の兼公と魚屋の角を連れて、茂作の人参畑を荒らしたことがある。人参の芽がまだ出揃わない場所には、藁が一面に敷かれていたので、その上で3人で半日相撲を取り続けたら、人参はみんな踏みつぶされてしまった。古川の田んぼの井戸を埋めて、尻を持ち込まれたこともある。太い竹の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、周りの稲に水がかかる仕掛けだった。その時はどんな仕掛けか知らなかったので、石や棒の切れ端を井戸の中に詰め込んで、水が出なくなったのを確認してから、家に帰ってご飯を食べていたら、古川が真っ赤になって怒鳴り込んできた。確か罰金を払って済ませたようだ。
父は全く僕を可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄は肌が白くて、演劇の真似をして女役になるのが好きだった。
僕を見る度に「こいつはどうせろくなものにはならない」と、父が言った。乱暴で乱暴で行く先が心配だと母が言った。なるほどろくなものにはならない。ご覧の通りの結果だ。行く先が心配だったのも無理はない。ただ刑務所に行かないで生きているだけだ。
母が病気で死ぬ数日前、台所でバク転をしてへつつの角で肋骨を打って大いに痛かった。母が大いに怒って、「あなたのようなものの顔は見たくない」と言うから、親戚へ泊まりに行っていた。するととうとう死んだという知らせが来た。そんなに早く死ぬとは思わなかった。そんなに重い病気なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰ってきた。そうしたら例の兄が僕を親不孝だ、僕のせいで、母さんが早く死んだんだと言った。悔しかったから、兄の頬を張って大いに叱られた。
母が死んでからは、父と兄と三人で暮らしていた。父は何もしない男で、人の顔さえ見れば「お前はだめだ、だめだ」と口癖のように言っていた。何がだめなのか今になっても分からない。不思議な父だった。兄は実業家になると言ってしきりに英語を勉強していた。元々女性的な性格で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一回ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋を指したら卑怯な待ち駒をして、人が困ると嬉しそうにからかった。あまりにも腹が立ったから、手にあった飛車を眉間に投げつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄が父に言いつけた。父が僕を勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の言う通り勘当されるつもりでいたら、十年来雇っている清という家政婦が、泣きながら父に謝って、ようやく父の怒りが解けた。それにもかかわらずあまり父を怖いとは思わなかった。むしろこの清という家政婦に気の毒であった。この家政婦は元々由緒ある家のものだったそうだが、家が崩壊した時に貧しくなって、ついには家政婦までやるようになったのだと聞いている。だからおばあさんである。このおばあさんがどういう因縁か、僕を非常に可愛がってくれた。不思議なものだ。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――父も年中持て余している――街内では乱暴者の悪太郎とからかわれる――この僕を無暗に珍重してくれた。
僕は到底人に好かれる性格でないと諦めていたから、他人から端材のように扱われるのは何とも思わない、むしろこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に思った。清は時々台所で人のいない時に「あなたは真っ直ぐでいい性格だ」と褒めることが時々あった。しかし僕には清の言う意味が分からなかった。いい性格なら清以外の人も、もう少しよくしてくれるだろうと思った。清がこんなことを言う度に僕はお世辞は嫌いだと答えるのが常だった。するとおばあさんはそれだからいい性格なんですと言っては、嬉しそうに僕の顔を見つめている。自分の力で僕を作り上げて誇っているように見える。少々気味が悪かった。
母が亡くなってから、清はますます僕を可愛がった。時々、子供心になぜあんなに可愛がるのかと不思議に思った。つまらない、放っておけばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。
時々は自分のお小遣いで金鍔や紅梅焼きを買ってくれる。寒い夜などはこっそりと蕎麦粉を仕入れておいて、寝ている僕の枕元に蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼きうどんさえ買ってくれた。ただ食べ物ばかりではない。靴下ももらった。鉛筆ももらった、ノートももらった。
これはずっと後のことだが、金を三円ばかり貸してくれたことさえある。何も貸せと言ったわけではない。向こうから部屋に持って来て、「お小遣いがなくて困っているでしょう、使ってください」と言ってくれたんだ。僕はもちろん断ったが、是非使ってと言うから、借りておいた。実はとても嬉しかった。
その三円を財布に入れて、ポケットに入れたままトイレに行ったら、うっかりと便器の中に落としてしまった。仕方がないから、出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清はすぐに竹の棒を探しに行って、「取って上げます」と言った。しばらくすると水道の蛇口でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先に財布の紐を引っ掛けたのを水で洗っていた。
それから口を開けて一円札を見たら茶色になって模様が消えかかっていた。清はストーブで乾かして、「これでいいでしょう」と出した。ちょっと嗅いでみて臭いと言ったら、「それなら返してください、取り替えて来てあげますから」と、どこでどうごまかしたか札の代わりに硬貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと言ったきり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ず父も兄もいない時に限る。僕は何が嫌いだと言って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。
兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清からお菓子や色鉛筆をもらいたくはない。なぜ、僕一人にくれて、兄にはやらないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので兄は父が買ってあげるから大丈夫と言う。これは不公平である。父は頑固だけれども、そんな贔屓はしない男だ。しかし清の目から見るとそう見えるのだろう。
全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のないおばあさんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔屓目は恐ろしいものだ。清は僕をもって将来成功して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人で決めてしまった。
こんなおばあさんに会っては叶わない。自分の好きなものは必ず偉い人物になって、嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じている。僕はその時から別段何になると言う了見もなかった。しかし清がなるなると言うものだから、やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。
ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ車に乗って、立派な玄関のある家を建てるに違いないと言った。
それから清は僕が家を持って独立したら、一緒になる気でいた。どうか置いて下さいと何度も繰り返して頼んだ。僕も何だか家が持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭にブランコを設置して遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を一人で並べていた。
その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建築も全く不要だったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲が少なくて、心が綺麗だと言ってまた褒めた。清は何と言っても褒めてくれる。
母が亡くなってから5、6年の間はこの状態で暮らしていた。
父には叱られる。兄とは喧嘩をする。清にはお菓子をもらう、時々褒められる。別に望みもない。これで十分だと思っていた。他の子供も一概にこんなものだろうと思っていた。
ただ清が何かにつけて、「あなたはお可哀想だ、不幸だ」と無闇に言うものだから、それじゃ可哀想で不幸なんだろうと思った。その他に苦になることは少しもなかった。ただ父がお小遣いをくれないのは困った。
母が死んでから6年目の正月に父も脳卒中で亡くなった。その年の4月に僕はある私立の中学校を卒業する。6月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならない。僕は東京でまだ学問をしなければならない。
兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると言い出した。僕はどうでもいいと返事をした。どうせ兄の面倒になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向こうでも何とか言い出すに決まっている。半端な保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食べていけると覚悟をした。
兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々のガラクタを二束三文に売った。家屋敷はある人の仲介である金持ちに譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らない。僕は一ヶ月前から、しばらく前途の方向が決まるまで神田の小川町へ下宿していた。
清は十何年も居た家が他人の手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕方がなかった。「あなたがもう少し年をとっていれば、ここが相続できますものを」としきりに口説いていた。もう少し年をとって相続できるものなら、今でも相続できるはずだ。おばあさんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄と僕はこうして別れたが、困ったのは清の行く先である。
兄はもちろん連れて行ける身分ではなく、清も兄の後を追って九州まで出かける気は全くない、と言ってこの時の僕は四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わなければならない状況だ。どうすることもできない。
清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと聞いたらあなたが家を持って、奥さんをもらうまでは、仕方がないから、甥の面倒を見ましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には困らないくらい暮らしていたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとえ下女奉公をしても年来住み慣れた家の方がいいと言って応じなかった。しかし今の状況では知らない家に奉公に行くより、甥の面倒を見る方がましだと思ったのだろう。
それにしても早く家を持ての、妻をもらえの、来て世話をするのと言う。親身の甥よりも他人の僕の方が好きなのだろう。
九州へ出発する二日前、兄が下宿に来て金を六百円出してこれを資本にして商売をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも自由に使うがいい、その代わりあとは構わないと言った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらいもらわなくても困らないと思ったが、例によらぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を言ってもらっておいた。
兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと言ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の駅で別れたきり、兄にはその後一度も会わない。
僕は六百円の使い道について寝ながら考えた。
商売をしたって面倒くさくてうまくできるものじゃない、それに六百円の金で商売らしい商売ができるわけでもないだろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前で教育を受けたと自慢できないから結局損になるばかりだ。
資本などはどうでもいいから、これを学費にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生懸命にやれば何かできる。
それからどこの学校に入ろうかと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。特に語学や文学などというものはまっぴらだ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分からない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じことだと思ったが、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無謀さから起こった失策だ。
三年間まあ人並みに勉強はしたが別段優れた方でもないから、席順はいつでも下から数える方が便利だった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でもおかしいと思ったが苦情を言うわけもないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が必要だ。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。僕は三年間学問はしたが実を言うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようという目標もなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即座に返事をした。これも親譲りの無謀さが祟ったのだ。
引き受けた以上は赴任しなければならない。この三年間は四畳半に引きこもって、誰からも小言を言われることは一度もなかった。喧嘩もしなかった。僕の人生の中では比較的気楽な時期だった。しかし、こうなると四畳半も引き払わなければならない。生まれてから東京以外に出たのは、同級生と一緒に鎌倉へ遠足に行った時だけだ。今度は鎌倉どころではない。とても遠いところへ行かなければならない。地図で見ると海岸で針の先ほど小さく見える。どうせろくなところではないだろう。どんな町で、どんな人が住んでいるのか分からない。分からなくても困らない。心配にはならない。ただ行くだけだ。ただし、少々面倒くさい。 家を片付けてからも清のところへは時々行った。清の甥というのは意外とまともな人だった。僕が行くたびに、いるだけで、何でも歓待してくれた。清は僕を前に置いて、いろいろと僕の自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺りに家を買って役所へ通うのだなどと吹聴したこともある。一人で決めて一人でしゃべるから、こっちは困って顔を赤くした。それも一度や二度ではない。時々僕が小さい時におねしょをしたことまで持ち出すとは閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分からない。ただ清は昔風の女だから、自分と僕の関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に違いないと思っていたようだ。甥こそいい顔の皮だ。
いよいよ約束が決まって、もう出発するという三日前に清を訪ねたら、北向きの三畳の部屋で風邪を引いて寝ていた。
僕が来たのを見てすぐに起き上がり、「坊っちゃん、いつ家を持つんですか」と聞いた。卒業さえすればお金が自然とポケットの中に湧いてくると思っている。そんなに偉い人を前にして、まだ坊っちゃんと呼ぶのは本当に馬鹿げている。
僕は単純に当分は家を持たない。田舎へ行くんだと言ったら、非常に失望した様子で、胡麻塩の髪の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行くことは行くがすぐに帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも変な顔をしているから「何を見て喜ぶか買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と言った。越後の笹飴なんて聞いたこともない。第一方角が違う。「僕の行く田舎には笹飴はなさそうだ」と言って聞かせたら「そんなら、どっちの方角ですか」と聞き返した。「西の方だよ」と言うと「箱根は先ですか手前ですか」と問う。随分困った。
出発の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中で雑貨屋で買ってきた歯ブラシと綿棒とハンカチをリュックの革鞄に入れてくれた。そんなものは入らないと言ってもなかなか納得しない。
車を並べて駅に着いて、プラットフォームの上に出た時、車に乗り込んだ僕の顔をじっと見て「もうお別れになるかもしれません。随分ご機嫌よう」と小さな声で言った。目に涙がいっぱいたまっている。僕は泣かなかった。しかしもう少しで泣くところだった。電車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だかとても小さく見えた。
🍚二、
「ぶう」と汽船が停まると、艀が岸を離れ、こちらに向かってきた。船頭は真っ裸に赤いふんどしを締めている。野蛮な所だが、この暑さでは服を着ることもできないだろう。日が照りつけ、水面が眩しく光る。じっと見つめていると、目がくらむ。事務員に聞いてみると、ここで降りることになっていると言われた。見る限り、大森ほどの漁村のようだ。人を馬鹿にしている、こんな所に我慢できるものかと思ったが、仕方がない。僕は元気よく一番に飛び込んだ。続いて五六人が乗っただろう。大きな荷物を四つばかり積み込んだ赤いふんどしの船頭は、岸へ漕ぎ戻ってきた。
陸に着いた時も、いの一番に飛び上がり、いきなり磯に立っていた鼻たれ小僧をつかまえて、中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、「知らんがな」と言った。気が利かない田舎者だ。猫の額ほどの街内に、中学校の場所も知らない奴がいるものか。しかし、妙な筒状の服を着た男が来て、こっちへ来いと言うから、ついて行ったら、港屋という宿屋へ連れて来た。嫌な女が声を揃えて「お上がりなさい」と言うので、上がるのが嫌になった。門口に立ったまま中学校を教えろと言ったら、中学校はこれから電車で二里ばかり行かなくちゃいけないと聞いて、なおさら上がるのが嫌になった。僕は、筒状の服を着た男から、革鞄を二つ引き取って、そのまま歩き出した。宿屋の者は変な顔をしていた。
駅はすぐに分かった。切符もすんなり買った。乗り込んでみると、マッチ箱のような電車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三十円だ。それからタクシーを雇って、中学校へ来たら、もう放課後で誰もいない。宿直はちょっと用事で出ていたと用務員が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、疲れ果てていたから、タクシーに乗って宿屋へ連れて行けと運転手に言い付けた。運転手は元気よく山城屋という宿屋へ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだから、ちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段のはしごの下の暗い部屋へ案内された。熱くて居られやしない。こんな部屋はいやだと言ったら、「あいにくみんな塞がっておりますから」と言いながら、革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中に入って、汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと言うから、ざぶりと飛び込んで、すぐに上がった。帰りがけに覗いてみると、涼しそうな部屋がたくさん空いている。失礼な奴だ。嘘をつきやがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱かったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。
給仕をしながら下女が「どちらからおいでになりましたか」と聞くから、東京から来たと答えた。すると下女は「東京はよい所でございましょう」と言ったから、当たり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へ行った時分、大きな笑い声が聞こえた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒がしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら、清きの夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと言うと、「いえ、この笹がお薬でございます」と言って、旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら、眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変わらず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代を払うものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな狭くて暗い部屋へ押し込められるのも、茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げているからだろう。田舎者の癖に人を見下したな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほど残っている。みんなやったって、これからは月給を貰うんだから構わない。
田舎者はしみったれだから五円もやれば驚いて眼を廻すに極まっている。どうするか見ろと済まして顔を洗って、部屋へ帰って待っていると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、にやにや笑っている。失礼な奴だ。顔の中をお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面つらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと言ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済まして、すぐに学校へ出かけた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日、車で乗りつけたから、大体の見当はついている。四つ角を二、三度曲がったら、すぐに門の前へ出た。門から玄関までは石で敷き詰められている。昨日、この敷石の上を車でがらがらと通った時は、無闇に大きな音が響いて、少し驚いた。途中から制服を着た生徒にたくさん会ったが、みんなこの門を入って行く。中には、僕より背が高くて強そうな奴もいる。あんな奴を教えるのかと思ったら、何だか気味が悪くなった。名刺を出すと、校長室へ通された。校長は薄い髭を生やし、肌の色が黒く、大きな目を持つ狸のような男だ。やたらと大げさだった。まあ、頑張って勉強してくれと言って、恭しく大きな印を押した辞令を渡された。この辞令は、東京へ帰るときに丸めて海の中へ投げ込んでしまった。校長は「今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだ」と言って聞かせた。余計な手間だ。そんな面倒なことをするより、この辞令を三日間職員室に掲示しておく方がましだ。
教員が休憩室に集まるには、一時間目のチャイムが鳴らなくてはならない。まだ大分時間がある。校長は時計を取り出して見て、追々ゆっくりと話すつもりだが、まず大体のことを理解しておいてもらおうと言って、それから教育の精神について長いお話を聞かせた。僕は無論適当に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の言うことは到底実行できそうにない。僕のような無謀な者を前にして、生徒の模範になれ、一校の師aC範として尊敬されなくてはいけない、学問以外に個人の道徳を広めなくては教育者になれない、と無闇に法外な注文をする。
そんな偉い人が月給四十円で、わざわざこんな田舎に来るとは思えない。人間は大概似たようなものだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思っていたが、この様子じゃめったに口も聞けないし、散歩もできない。そんな難しい役なら、雇う前にこれこれだと話すがいい。僕は嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、騙されて来たのだと諦めて、思い切ってここで断って帰ろうと決心した。宿屋へ五千円やったから、財布の中には九千円しかない。
九千円じゃ東京までは帰れない。チップなんかやらなければよかった。惜しいことをした。しかし、九千円だって、どうにかならないことはない。旅費は足りなくても、嘘をつくよりましだと思って、「到底あなたのおっしゃる通りにはできません。この辞令は返します」と言ったら、校長は狸のような目をぱちつかせて僕の顔を見ていた。やがて、「今のはただの希望だ。あなたが希望通りできないのはよく知っているから、心配しなくてもいい」と笑った。そのくらいよく知っているなら、始めから威嚇しなければいいのに。
そう、こうする内にアラームが鳴った。教室の方が急に騒がしくなる。もう教員も休憩室へ揃ったのだろうか。校長について教員休憩室に入ると、広い細長い部屋の周囲に机が並べられ、みんな腰をかけていた。僕が入ったのを見て、みんな申し合わせたように僕の顔を見た。まるで見世物のようだ。それから指示された通り、一人一人の前へ行って辞令を出し、挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりだったが、中には差し出した辞令を確認し、丁寧に返す者もいた。まるで宮廷劇の真似だ。
十五人目に体育の教師へと回って来た時、同じ事を何度も繰り返すので少々じれったくなった。向こうは一度で済むのに、こっちは同じ所作を十五回も繰り返している。少しは人の気持ちも察してみるがいい。
挨拶をした中に教頭のなにがしという人がいた。これは文学士だそうだ。文学士と言えば大学の卒業生だから、偉い人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのは、この暑いのにフランネルのシャツを着ていることだ。いくら薄い生地でも、暑いに決まっている。文学士だけに大変な服装をしているものだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。後から聞いたら、この男は年が年中赤シャツを着るのだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざオーダーメイドするのだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物もズボンも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀という、大変顔色の悪い男がいた。大概顔の青い人はやせているものだが、この男は青くふくれている。昔、小学校へ行く時分、浅井の民さんという子が同級生にいたが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は農家だから、農家になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりのナスばかり食べるから、青くふくれるんですと教えてくれた。それ以来、青くふくれた人を見れば必ずうらなりのナスを食った報いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食っているに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方、清も知らないのだろう。
それから僕と同じ数学の教師に堀田という人がいた。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と言うべき面構えである。人が丁寧に辞令を見せたら、見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来てくれアハハハと言った。何がアハハハだ、と思った。そんな礼儀を知らない奴の所へ誰が遊びに行くものか。僕はこの時からこの坊主に山嵐というあだ名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れだろう、それでももう授業をお始めで、大分ご励精で、とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。美術の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちぱちと鳴らしながら、お国はどちらでげす? え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと言った。こんなのが江戸っ子なら、江戸には生まれたくないもんだと心中で思った。その他、一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだ後、校長が「今日はもう引き取ってもいい。もっとも授業に関することは数学の主任と打ち合わせをしておいて、明後日から授業を始めてくれ」と言った。数学の主任は誰かと聞いてみたら、まさに例の山嵐だった。気に入らない。こいつの下で働くのかと失望した。山嵐は「おい君、どこに宿泊しているのか、山城屋か。今から行って相談する」と言い残して、ホワイトボードマーカーを持って教室へ出て行った。主任のくせに向こうから来て相談するなんて、無神経な男だ。しかし、呼びつけるよりは感心だ。
学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったところで仕方がないから、少し街を散歩してやろうと思い、無目的に足の向く方を歩き回った。県庁も見た。古い前世紀の建築だ。兵舎も見た。麻布の連隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くしたぐらいの道幅で、街並みはそれより劣っている。二十五万石の城下だって、高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張っている人間は、可哀想なものだと考えながら歩いていると、いつの間にか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大体は見尽くしたのだろう。帰ってご飯でも食べようと門口を入った。フロントに座っていた女性が、僕の顔を見ると急に飛び出してきて「お帰り……」とロビーへ頭を下げた。靴を脱いで上がると、「お部屋が空きましたから」とメイドが二階へ案内した。十五畳の表二階で、広々とした床とこの間取りが魅力的だ。僕は生まれてからまだこんな立派な部屋に入ったことはない。これからいつこのような部屋に入れるか分からないから、スーツを脱いで浴衣一枚になって部屋の真ん中に大の字に寝てみた。いい感じだ。
昼食を済ませると、早速清に手紙を書くことにした。僕は文章が下手で字を知らないから手紙を書くのが大嫌いだ。またやる場所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死んじゃうかなどと思われては困るから、奮発して長い手紙を書いてやった。その文句はこうである。
「昨日着いた。つまらない所だ。十五畳の部屋に寝ている。宿屋へチップを五千円やった。女将さんが頭を床にすりつけた。昨晩は寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食べる夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだ名をつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、美術はのだいこ。これからいろいろな事を書いてやる。さようなら。」
手紙を書き終えたら、いい気分になって眠気がさしたから、最初のように部屋の真ん中で大の字に寝た。今度は夢も何も見ずにぐっすり寝た。この部屋かいという声が聞こえたので目が覚めたら、山嵐が入って来た。最初は失礼、君の担当は……と話し始めたので大いに驚いた。担当を聞いてみると、別段難しい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は無理、明日から始めてくれと言っても驚かない。授業上の打ち合わせが済んだら、君はいつまでこんな宿屋にいるつもりでもあるまい、僕がいい下宿を紹介してやるから移りたまえ。外の者では承知しないが、僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、明日移って、明後日から学校へ行けばいいと一人で決めている。なるほど、十五畳敷にいつまでいる訳にも行くまい。月給をみんな宿料に払っても足りないかもしれない。五千円のチップを奮発してすぐ移るのはちょっと残念だが、どうせ移る者なら、早く引っ越して落ち着く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼む事にした。
すると、山嵐はともかくも一緒に来てみろと言うから、行った。街はずれの丘の中腹にある家で、至極静かだ。主人は骨董を売買するいか銀という男で、奥さんは亭主よりも四つばかり年上の女だ。中学校にいた時ウィッチという言葉を習った事があるが、この奥さんはまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の奥さんだから構わない。とうとう明日から引っ越す事にした。帰りに山嵐は通りでアイスウォーターを一杯奢った。学校で会った時はやけに横柄な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、悪い男でもなさそうだ。ただ僕と同じようにせっかちで気性が激しい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
🍚三、
ついに学校に出勤した。初めて教室に入り、高い位置に立ったとき、何とも言えない感覚が広がった。授業をしながら、自分でも教師としてやっていけるのかと考えた。生徒たちは騒がしく、時折、突然大きな声で「先生」と呼ぶ。私はその呼びかけに応じた。これまで学校で毎日「先生、先生」と呼ばれていたが、実際に呼ばれるのと呼ぶのは全く違う体験だ。何となく足の裏がくすぐるような気がした。
私は卑怯な人間ではないし、臆病でもない。しかし、残念ながら勇気が足りなかった。生徒たちが「先生」と大きな声で呼ぶと、お腹が空いたときに聞く、丸の内の正午の砲声のように感じた。最初の一時間は何となく適当にやってしまったが、特に困るような質問をされずに済んだ。休憩室に戻ると、山嵐がどうだったかと聞いてきた。私はうんと簡単に返事をしたが、山嵐は安心した様子だった。
二時間目にチョークを持って休憩室を出たとき、何となく敵地に乗り込むような気がした。教室に出ると、今度のクラスは前よりも大きな生徒ばかりだ。私は都会育ちで華奢で小柄だから、高い位置に立っても圧力を感じない。喧嘩なら相撲取りでもやってみせるが、こんな大男を四十人も前に並べて、ただ一枚の舌を動かして恐縮させる手際はない。
しかし、田舎者に弱みを見せるとクセになると思い、大きな声を出して少々早口で授業を進めた。最初のうちは生徒も混乱してぼんやりしていたので、それを見てますます得意になり、大胆な調子で進めた。すると、一番前の列の真ん中にいた、一番強そうな生徒が突然立ち上がり、「先生」と呼んだ。そこで来たと思いながら、何だと聞くと、「あまり早くて分からないので、もう少しゆっくりやってくれませんか」と言った。くれませんかは優しい言葉だ。
早すぎるなら、ゆっくり言ってやるが、私は都会育ちだから君たちの言葉は使えない。分からなければ、分かるまで待っているべきだと答えた。この調子で二時間目は思ったよりうまくいった。しかし、帰り際に生徒の一人が「ちょっとこの問題を解説してくれませんか」と難しい幾何学の問題を持って迫ってきたときには、冷や汗を流した。仕方がなく、わからないと言い、次回教えてあげると急いで退散したところ、生徒がわあと騒ぎ出した。その中に「出来ない出来ない」という声が聞こえる。大したことない、先生だって、出来ないのは当然だ。
出来ないのを出来ないと言うのに不思議があるものか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎に来るものかと思いながら休憩室に戻った。今度はどうだったとまた山嵐が聞いた。うんと答えたが、うんだけでは気が済まなかったので、この学校の生徒は理解が難しいなと言ってやった。山嵐は不思議そうな顔をしていた。
三時間目も、四時間目も、昼過ぎの一時間も、だいたい同じだった。最初の日に出たクラスは、どれも少しずつ失敗した。教師は外から見るほど楽な仕事ではないと思った。授業は一通り終わったが、まだ帰れない。三時までぽつんと待たなければならない。三時になると、担当クラスの生徒が自分の教室を掃除して報告に来るので、検査をするのだ。それから出席簿を一応確認してようやく解放される。いくら月給で雇われた身体だって、暇な時間まで学校に縛りつけて机とにらめっこをさせるなんて法があるものか。しかし他の連中はみんな大人しく規則通りにやっているから、新参の私だけが文句を言うのもよろしくないと思って我慢していた。
帰りがけに、「君、何でもかんでも三時過ぎまで学校にいさせるのは愚かだぜ」と山嵐に訴えたら、山嵐は「そうさ、アハハハ」と笑ったが、後から真面目になって、「君、あまり学校の不満を言うと、いけないよ。言うなら僕だけに話せ、結構変な人もいるからな」と忠告めいたことを言った。交差点で別れたため、詳しいことは聞く暇がなかった。
それから家に帰ると、宿の主人が「お茶を入れましょう」と言ってやって来た。お茶を入れると言うからご馳走をするのかと思うと、私の茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中も勝手に「お茶を入れましょう」を一人で実行しているかもしれない。主人が言うには、自分は書画骨董が好きで、とうとうこんな商売を内々で始めるようになった。あなたも見たところ、かなり風流でいらっしゃるらしい。
ちょっと趣味に始めてみてはいかがですかと、飛んでもない勧誘をする。二年前、ある人の使いで帝国ホテルに行ったときは、錠前直しと間違えられたことがある。帽子をかぶり、鎌倉の大仏を見物したときは、車屋から親方と呼ばれた。その他、今日まで見落とされたことはたくさんあるが、まだ私を見て「かなり風流でいらっしゃる」と言った者はいない。大抵は見た目や様子でも分かる。風流人なんていうものは、絵を見ても、頭巾をかぶるか短冊を持っているものだ。私を風流人だなどと真面目に言うのはただの変わり者だ。
私はそんなのんびりとした隠居のやるようなことは嫌いだと言ったら、主人は「へへへへ」と笑いながら、「いえ、始めから好きなものは、どなたもございませんが、一度この道に入るとなかなか出られません」と一人で茶を注いで奇妙な手つきをして飲んでいる。実は昨夜、茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦くて濃い茶は嫌だ。一杯飲むと胃に響くような気がする。次回からもっと苦くないのを買ってくれと言ったら、「かしこまりました」とまた一杯注いで飲んだ。人の茶だと思って無遠慮に飲む奴だ。主人が引き下がってから、明日の予習をして、すぐに寝てしまった。
それから、毎日学校へ出ては規則通りに働き、帰ってくると宿の主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ほど経つと、学校の様子もだいたい把握できたし、宿の夫婦の人物も大体分かった。他の教師に聞いてみると、辞令を受けてから一週間から一ヶ月の間は、自分の評判がどうなるか非常に気になるそうだが、私は全くそんな感じはなかった。教室で時々失敗すると、その時だけは気分が悪いが、30分ほど経つとすっかり忘れてしまう。私は何事によらず、長く心配しようと思っても心配ができない男だ。教室の失敗が生徒にどんな影響を与え、その影響が校長や教頭にどんな反応を示すか、全く無関心だった。前に言った通り、私はあまり度胸の据わった男ではないが、思い切りはすごくいい人間だ。この学校がダメなら、すぐにでもどこかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも全く怖くはなかった。
まして教室のガキ共には、愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれで良いのだが、下宿の方はそうはいかなかった。主人が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろなものを持ってくる。最初に持って来たのは印材で、10個ばかり並べておいて、みんなで「3円なら安いものだ、お買いなさい」と言う。田舎巡りの下手な絵師じゃないし、そんなものは要らないと言ったら、今度は華山とか何とか言う男の花鳥の掛け物を持って来た。
自分で床の間にかけて、「いい出来じゃありませんか」と言うから、そうかなと適当に挨拶をすると、華山には二人いる、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅はその何とか華山の方だと、くだらない説明をした後で、「どうです、あなたなら15円にしておきます。お買いなさい」と催促をする。金がないと断ると、「金なんか、いつでもいいですよ」と頑固だ。
金があっても買わないんだと、その時は追い払ってしまった。その次には、鬼瓦ぐらいの大硯を運び込んだ。「これは端渓です、端渓です」と二回も三回も言うので、面白半分に端渓って何だいと聞くと、すぐに説明を始めた。端渓には上層、中層、下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これは確かに中層です。この眼をご覧なさい。眼が三つあるのは珍しい。溌墨の具合も非常に良いので、試してみてくださいと、私の前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持ち主が中国から持って帰って来て、是非売りたいと言いますから、お安くして30円にしておきましょうと言う。この男はバカに違いない。学校の方はどうにかこうにか無事に勤まりそうだが、こう骨董責めに遭っては、長く続きそうにない。
そのうち、学校も嫌になった。ある日の夜、大街という場所を散歩していたら、郵便局の隣に「蕎麦」と書かれ、下に「東京」と注釈が付けられた看板があった。私は蕎麦が大好きだ。東京にいた時でも、蕎麦屋の前を通り、薬味の香りを嗅ぐと、どうしても暖簾をくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りできなくなる。ついでだから一杯食べて行こうと思って店に入った。見ると、看板ほどでもない。
東京と明記する以上は、もう少し綺麗にするものだと思ったが、東京を知らないのか、お金がないのか、とにかく汚い。畳は色が変わっておまけに砂でざらざらしている。壁は煤で真っ黒だ。天井はランプの煤煙で煤けているだけでなく、低くて、思わず首を縮めるくらいだ。ただ美しく蕎麦の名前を書いて貼り付けた値段表だけは、全く新しい。値段表の一番上に天ぷらとある。「おい、天ぷらを持ってこい」と大きな声を出した。すると、この時まで隅の方に三人固まって何かつるつる、ちゅうちゅう食べていた連中が、一斉に私の方を見た。部屋が暗いので、ちょっと気がつかなかったが、顔を合わせると、みんな学校の生徒だった。向こうで挨拶をしたから、私も挨拶を返した。その晩は久しぶりに蕎麦を食べたので、美味しかったから天ぷらを四杯平らげた。
次の日、何気なく教室に入ると、黒板に大きな字で「天ぷら先生」と書かれていた。私の顔を見ると、みんなが笑い出した。「天ぷらを食べるのがそんなにおかしいのか?」と私は尋ねると、生徒たちは一人ひとり、「でも、4杯は多すぎるよね」と口を揃えた。
4杯食べようが5杯食べようが、私のお金で私が食べることに何の問題があるのか。さっさと授業を終えて休憩室に戻った。10分後、次の教室に出ると、「天ぷら4杯。ただし、笑ってはいけません」と黒板に書かれていた。
さっきは特に怒ることもなかったのだが、今度はイライラした。冗談も度を超えれば悪戯だ。焼き餅のように焦げたものは、誰も賞賛するような代物ではない。田舎者はこのニュアンスが分からないから、どこまで突っ込んでも大丈夫だという考えなのだろう。
1時間歩いても見るものがないような狭い街に住んで、外に何の特技もないから、天ぷら事件を日露戦争のように大げさに取り扱うのだ。哀れな奴らだ。子供の頃から、こんな風に教育されるから、ひねくれた鉢植えの楓のような小人が出来上がるんだ。無邪気なら一緒に笑ってもいいのだが、これは何だ。
子供なのに毒気を持っている。私は黙って天ぷらの文字を消し、「こんないたずらが面白いのか、卑怯な冗談だ。君たちは卑怯という意味を知っているのか」と尋ねたら、「自分がしたことを笑われて怒るのが卑怯じゃないのか」と答えた奴がいた。嫌な奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思うと、情けなくなった。
余計なことを言わずに勉強しろと言って、授業を始めた。それから次の教室に出たら、「天ぷらを食べると口答えがしたくなるものだ」と書かれていた。どうにも手に負えない。この状況にはどうにも手に負えない。あまりにも腹が立ったので、「そんな生意気な奴は教えない」と言って帰ってきた。生徒たちは休みになって喜んだそうだ。こうなると、学校よりも骨董の方がまだマシだ。
天ぷらそばを食べて家に帰り、一晩寝たら、そんなにイライラしなくなった。学校に行ってみると、生徒たちも出てきていた。何だか理解できない。それから3日間は何もなかったが、4日目の夜に住田という場所に行って団子を食べた。
この住田という場所は、温泉のある街で、城下から電車で10分ほど、歩いて30分で行ける。レストランや温泉旅館、公園もあり、遊郭もある。私が入った団子屋は遊郭の入口にあり、とても美味しいと評判だったから、温泉に行った帰りにちょっと食べてみた。
今回は生徒に会わなかったから、誰も知らないだろうと思って、翌日学校に行くと、1時間目の教室に入ると「団子2皿7円」と書かれていた。実際、私は2皿食べて7円払った。どうも面倒な奴らだ。
2時間目にもきっと何かあると思うと、「遊郭の団子、美味しい美味しい」と書かれていた。呆れ返った奴らだ。団子がそれで済んだと思ったら、今度は「赤手ぬぐい」というのが評判になった。何のことだと思ったら、つまらない経緯だった。
私はここに来てから、毎日住田の温泉に行くことに決めている。他の場所は何を見ても東京には及ばないが、温泉だけは立派なものだ。せっかく来たから毎日入ろうと思って、夕飯前に運動がてら出かける。でも行くときは必ず大きな西洋のハンカチをぶら下げて行く。
このハンカチが湯に染まった上で、赤い縞が流れ出てきたので、ちょっと見ると紅色に見える。私はこのハンカチを行きも帰りも、電車に乗っても歩いても、常にぶら下げている。それで生徒たちは私のことを「赤手ぬぐい」と呼んでいるんだそうだ。どうも狭い土地に住んでいると、面倒なものだ。
まだある。温泉は3階建ての新築で、上等な浴衣を貸してくれて、シャワーをつけて8円で済む。その上に女性がお茶を持ってきてくれる。
いつでも最高級のお風呂に入っていた。すると、40円の月給で毎日最高級のお風呂に入るのは贅沢だと言い出した。余計なお世話だ。お風呂は花崗岩を積み上げて、15畳ほどの広さに区切ってある。大体は13、4人が浸かっているが、たまには誰もいないことがある。
深さは立って胸の辺りまであるから、運動のために、お湯の中を泳ぐのはなかなか楽しい。私は人がいないのを確認してから、15畳のお風呂を泳ぎ回って楽しんでいた。しかし、ある日3階から元気よく降りてきて、今日も泳げるかなと思って覗いてみると、大きな札に黒々と「湯の中で泳ぐべからず」と書かれ貼り付けてあった。
湯の中で泳ぐものは、そんなに多くないから、この札は私のために特別に新しく作ったのかもしれない。私はそれから泳ぐのを断念した。泳ぐのを断念したが、学校に行ってみると、例の通り黒板に「湯の中で泳ぐべからず」と書かれていて驚いた。
何だか生徒全体が私一人を探偵のように見ているように思えた。うんざりした。生徒が何を言おうと、やろうと思ったことをやめるような私ではないが、何でこんな窮屈な場所に来たのかと思うと、情けなくなった。それで家に帰ると、相変わらず骨董品の責任があった。
🍚四、
学校には宿直があり、教職員が交代でその役を担っている。ただし、狸と赤シャツは例外である。なぜこの二人が当然の義務を免れるのかと尋ねてみたら、奏任待遇だからだという。面白くもない。月給はたくさんもらい、時間は少なく、それで宿直を逃れるなんて不公平があるものか。勝手に規則を作り、それが当然だとする態度が、理解できない。よくまああんなに厚かましくできるものだ。これについては大いに不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人ひとりで不平を並べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人だって、正しいことなら通るはずだ。山嵐は "might is right" という英語を引用して説明を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利という意味だそうだ。
強者の権利ぐらいなら昔から知っている。今さら山嵐から講釈を聞かなくてもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰が認めるものか。議論は議論として、この宿直がとうとう私の番に回ってきた。基本的に神経質だから、寝具などは自分のものでないと寝た気がしない。子供の頃から、友達の家に泊まったことはほとんどないくらいだ。友達の家でさえ嫌なら、学校の宿直はなおさら嫌だ。嫌だけど、これが40円の中に含まれているなら仕方がない。我慢して務めてやろう。
教師も生徒も帰ってしまった後、一人ぼっちでいるのは随分と寂しいものだ。宿直部屋は教室の裏手にある寮の西端に位置している。ちょっと入ってみたが、西日をまともに受けて、苦しくて居られない。田舎だけあって、秋が来ても長い間暑いものだ。生徒の食事を取り寄せて夕飯を済ませたが、その味のまずさには驚いた。よくあんなものを食べて、あれだけ暴れられるものだ。それで夕飯を急いで4時半に片付けてしまうんだから、豪傑に違いない。飯は食ったが、まだ日が暮れないから寝るわけにはいかない。ふと温泉に行きたくなった。
宿直をしながら外に出るのが良いことか悪いことかは分からないが、こうしてじっとしていると、重禁錮のような苦しみに耐えられない。初めて学校に来た時、当直の人はどこにいるのかと聞いたら、ちょっと用事で出ていったと用務員が答えたのを不思議に思ったが、自分に番が回ってきてみると納得する。出る方が正しいのだ。私は用務員にちょっと出てくると言ったら、何かご用ですかと聞かれたから、用じゃない、温泉に入るんだと答えて、さっさと出かけた。赤手ぬぐいは家に忘れてきたのが残念だが、今日は先方で借りるとしよう。
それからかなりゆるりと出たり入ったりして、ようやく日が暮れかけた頃、電車に乗って古街の停車場まで来て降りた。学校まではここから4丁だ。何もないと歩き出すと、向こうから狸が来た。狸はこれからこの電車で温泉に行こうという計画なのだろう。すたすたと急いで歩いてきたが、すれ違った時に私の顔を見たから、ちょっと挨拶をした。すると狸は「あなたは今日は宿直ではなかったですかね」と真面目に聞いた。
なかったですかねもないものだ。2時間前に私に向かって「今夜は初めての宿直ですね。ご苦労さま」と礼を言ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲がった言葉を使うものだ。私は腹が立ったから、「ええ、宿直です。宿直ですから、これから帰って泊まることは確かに泊まります」と言い捨てて、済まして歩き出した。竪街の四つ角まで来ると今度は山嵐に出くわした。どうも狭い場所だ。出て歩いていれば必ず誰かに会う。「おい、君は宿直じゃないか」と聞くから、「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無闇に出て歩くなんて、不都合じゃないか」と言った。「ちっとも不都合なもんか、出て歩かない方が不都合だ」と威張ってみせた。
「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出会うと面倒だぜ」と山嵐に似合わないことを言うから、「校長にはたった今会った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、私の散歩を褒めたよ」と言って、面倒くさいから、さっさと学校へ帰ってきた。
それから日はすぐに暮れる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽きたから、寝られないまでも床へはいろうと思って、寝巻に着換えて、蚊帳を捲まくり、赤い毛布を跳ねのけて、とんと尻持ちを突いて仰向けになった。
おれが寝るときにとんと尻持ちをつくのは、小供の時からの癖だ。わるい癖だと云って、小川街の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の生徒が苦情を持ち込んだことがある。法律の生徒なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建物が粗末なんだ。掛け合うなら下宿へ掛け合えと凹ましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくらどしんと倒れても構わない。なるべく勢いよく倒れないと、寝たような心持ちがしない。
ああ愉快だと思い、足を思い切り延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤のようでもないから、こいつに驚いて、足を二三度毛布の中で振ってみた。すると、ざらざらと当ったものが、急に殖え出して、脛が五六カ所、股が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、臍の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚いた。
早速起き上がって、毛布をぱっと後ろへ抛ると、蒲団の中からバッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪かったが、バッタと相場が極まってみたら、急に腹が立った。バッタのくせに人を驚かせやがって、どうするつもりだと、いきなり枕を取って、二三度擲きつけたが、相手が小さ過ぎるから、勢よく投げつける割に利目がない。
仕方がないから、また布団の上に座って、煤掃きの時に蓙を丸めて畳を叩くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚いた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの、鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔に付いたやつは枕で叩く訳に行かないから、手で攫んで、一生懸命に擲きつける。
忌々しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで、少しも手答がない。バッタは投げつけられたまま蚊帳に引っかかっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治した。箒を持って来てバッタの死骸を掃き出した。
小使が来て「何ですか」と云うから、「何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。間抜けめ」と叱ったら、「私は存じません」と弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側へ抛り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
俺はすぐに寮生の代表を三人呼び出した。すると六人が出てきた。六人だろうが十人だろうが構わない。パジャマのままで議論を始めた。「なぜバッタを私のベッドの中に入れたんだ?」
「バッタって何ですか?」と一番最初の一人が言った。彼はとても落ち着いている。この学校では校長だけでなく、生徒も回りくどい言葉を使うんだ。
「バッタを知らないのか?知らなければ見せてやる」と言ったが、残念ながら掃き出してしまって一匹もいない。また、用務員を呼んで、「さっきのバッタを持ってきて」と言ったら、「もう掃き溜めに捨ててしまいましたが、拾ってきましょうか?」と聞いた。
「うん、すぐに拾ってきてくれ」と言うと、用務員は急いで走り出したが、やがて半紙の上に十匹ほど乗せてきて、「申し訳ありませんが、夜なのでこれだけしか見つけられませんでした。明日になったらもっと拾ってきます」と言った。用務員まで馬鹿だ。
私はバッタの一つを生徒に見せて「これがバッタだ。大きな体をして、バッタを知らないのか?何のことだ?」と言うと、一番左にいた顔の丸い奴が「それは、イナゴですよ」と生意気に私をやり込めた。
「お前、イナゴもバッタも同じだ。何で先生を困らせるんだ。なめしは田楽の時以外では食べない」と反論したら、「なめしと菜飯は違いますよ」と言った。いつまで経ってもなめしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、なぜ私のベッドの中に入れたんだ。私がいつ、バッタを入れてくれと頼んだ?」
「誰も入れてませんよ」
「入れないものが、どうしてベッドの中にいるんだ」
「イナゴは暖かいところが好きなので、たぶん一人で入ったんじゃないですか」
「馬鹿なことを言うな。バッタが一人で入るなんて――バッタに入られてたまるか。――さあ、なぜこんないたずらをしたのか、言え」
「言ってますよ、入れないものを説明するのは無理ですよ」ケチな奴らだ。自分で自分のしたことが言えないくらいなら、最初からしない方がいい。
証拠が出なければ、知らないふりをするつもりで堂々としている。私だって中学生の時は少しはいたずらもしたものだ。しかし、誰がしたと聞かれた時に尻込みをするような卑怯なことは一度もなかった。
したものはしたので、しないものはしないと決めている。私なんかは、いくらいたずらをしたって清廉なものだ。嘘をついて罰を逃れるくらいなら、最初からいたずらなんかしない。いたずらと罰はセットだ。罰があるからいたずらも楽しくできる。いたずらだけで罰は免れたいなんて下劣な考えがどこの国で流行ると思ってるんだ。
金は借りるが、返すことは免れたいと言う連中はみんな、こんな奴らが卒業して仕事に就くのは間違いない。一体中学校には何をしに入っているんだ。学校に入って、嘘をついて、ごまかして、陰でこそこそ生意気な悪いいたずらをして、それで堂々と卒業すれば教育を受けたと思い違いをしている。話せない雑兵だ。
私は、こんなに頭の固い奴らと議論するのは気分が悪いから、「そんなに言われなくても、聞かなくていい。中学に入って、上品と下品の区別がつかないのは気の毒だ」と言って、6人を追い出した。
私の言葉や態度はあまり上品ではないかもしれないが、心は彼らよりずっと上品だと思っている。6人はゆったりと立ち去った。見た目だけで判断すれば、教師である私よりもずっと立派に見えてしまう。実際はただ落ち着いているだけで、私にはとてもそんな度胸はない。
それから再びベッドに入って横になると、さっきの騒ぎで蚊帳の中はブンブンと鳴り響いている。ろうそくをつけて一匹ずつ焼くなんて面倒なことはできないので、蚊帳の紐を外し、長く折りたたんで部屋の中で十文字に振ったら、蚊が飛んで手の甲をひどく打った。
三度目にベッドに入ったときは少し落ち着いたが、なかなか寝られない。時計を見ると10時半だ。考えてみると厄介なところに来たものだ。一体、中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。
よく先生が品切れにならないものだ。よっぽど我慢強い堅実な人がなるんだろう。私には到底やりきれない。それを思うと、清さんなんてのはすごいものだ。教育も身分もないおばあさんだが、人間としてはとても尊い。
今まではあんなに世話になって特に感謝もしていなかったが、こうして一人で遠い国に来てみると、初めてその親切がわかる。越後の笹飴が食べたければ、わざわざ越後まで買いに行って食べさせても、食べさせるだけの価値は十分ある。
清さんは私のことを欲がなくて、真っ直ぐな性格だと言って褒めるが、褒められる私よりも、褒める本人の方が立派な人間だ。何だか清さんに会いたくなった。
清さんのことを考えながらぼんやりしていると、突然、私の頭の上で、数えたら三四十人もいるだろう、二階が崩れ落ちるほどどん、どん、どんとリズムを取って床板を踏み鳴らす音が響いた。
すると、足音に合わせて大きな戦闘の声が起こった。私は何事が起こったのかと驚いて飛び起きた。飛び起きると同時に、ああ、さっきの仕返しに生徒たちが暴れているのだと気づいた。
自分のした悪いことは、認めない限りは罪として残るものだ。悪いことは、自分たちに覚えがあるだろう。本来なら寝てから後悔して、明日の朝でも謝りに来るのが筋だ。たとえ、謝らないまでも恐縮して、静かに寝ているべきだ。それなのに、何だこの騒ぎは。
寮を建てて豚でも飼っておけばいい。気が狂ったような真似も程々にするべきだ。どうするつもりか見ていろと思いながら、パジャマのまま宿直部屋を飛び出し、階段を三つ飛ばしで二階まで駆け上がった。
すると、不思議なことに、今まで頭の上で確かにどたばたと暴れていたのが、急に静まり返り、人の声どころか足音もしなくなった。これは奇妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何があるかはっきり分からないが、人の気配があるとないとは様子でも分かる。
長く東から西へ通った廊下にはネズミ一匹も隠れていない。廊下の端から月が差し込み、遥か向こうがぼんやりと明るい。どうも変だ。私は子供の頃から、よく夢を見る癖があって、夢中に飛び起きて意味不明な寝言を言い、人に笑われたことがよくある。
十六七の時、ダイヤモンドを拾った夢を見た夜などは、ひょいと立ち上がり、そばにいた兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢いで尋ねたくらいだ。その時は三日ばかり家中の笑いものになって大いに恥ずかしかった。
ことによると、今のも夢かもしれない。しかし、確かに暴れたに違いないと、廊下の真ん中で考え込んでいると、月の差している向こうの端で、一二三わあと、三四十人の声がまとまって響いたかと思う間もなく、前のようにリズムを取って、一同が床板を踏み鳴らした。
見てみろ、夢じゃない、やっぱり現実だ。
静かにしろ、真夜中だぞ、と私も負けじと大声を出して、廊下を向こうへ走り出した。
私の通る道は暗く、ただ端に見える月明かりが唯一の目印だ。
走り出して二間も進むと、廊下の真ん中で固い大きなものに足をぶつけて、ああ、痛いと頭が響く間に、体は前へ投げ出された。
この野郎を起き上がらせてみたが、走れない。
気はせくが、足だけは言うことを聞かない。
イライラするから、片足で飛んで来たら、もう足音も人の声も静まり返ってしまった。
どんなに人間が卑怯でも、こんなに卑怯になれるものじゃない。まるで豚だ。
こうなれば隠れている奴を引きずり出して謝らせるまで引き下がらないぞと心を決めて、寝室の一つを開けて中を調べようと思ったが、開かない。
鍵をかけてあるのか、机か何かを積んで立てかけてあるのか、押しても押しても絶対に開かない。
今度は向かい合わせの北側の部屋を試みたが、開かないことはやっぱり同じだ。
ドアを開けて中にいる奴を捕まえようと焦っていると、また東の端で戦闘の声と足音が始まった。
この野郎、申し合わせて東西を行き来して私を馬鹿にするつもりだな、とは思ったが、さてどうしていいか分からない。
正直に言うと、私は勇気があるものの、知恵が足りないのだ。
こんな時、どうすれば良いのか全く分からない。
分からないけれども、絶対に負けるつもりはない。
このままでは私の顔に泥を塗る。江戸っ子は意地がないと言われるのは残念だ。
宿直をして鼻たれ小僧にからかわれて、手の打ちようがなくて、仕方がないから泣き寝入りしたと思われたら一生の恥だ。
これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。
こんな田舎者とは生まれからして違う。知恵がないところが惜しいだけだ。
どうしていいか分からないのが困るだけだが、困ったって負けるものか。
正直だから、どうしていいか分からないのだ。世の中に正直が勝たないで、他に勝つものがあるか、考えてみろ。
今夜中に勝てなければ、明日勝つ。明日勝てなければ、明後日勝つ。
明後日勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここにいる。
私はこう決心をしたから、廊下の真ん中で正座して夜が明けるのを待っていた。
蚊がブンブン飛んできたけれど、何ともなかった。
さっきぶつけた足を触ってみると、何だかぬるぬるする。血が出ているんだろう。
血なんか出たって、勝手に出ていていい。そのうち最初からの疲れが出て、ついウトウトと寝てしまった。
何だか騒がしいので、目が覚めた時は「えっ、しまった」と飛び起きた。
私が座っていた右側のドアが半分開いて、生徒が二人、私の前に立っている。
正気に戻って、はっと思うと同時に、私の鼻の先にある生徒の足を引っ掴んで、力任せにぐいと引いたら、その生徒はどたりと仰向けに倒れた。
ざまを見ろ。残る一人がちょっと動揺したところを、飛びかかって肩を抑えて二三度突き回したら、驚いて目をパチパチさせた。
さあ、私の部屋まで来いと引っ張ると、弱虫だと見えて、一も二もなくついて来た。
夜はとうに明けている。
私が宿直部屋に連れてきた奴を詰問し始めると、豚は、打っても投げても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す様子で決して白状しない。
そのうち一人、二人、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。
見ると、みんな眠そうに瞼を下げている。けちな奴らだ。
一晩ぐらい寝ないで、そんな顔をして男と言われるか。顔でも洗って議論に来いと言ってやったが、誰も顔を洗いに行かない。
私は五十人ほどを相手に約一時間ほど押し問答をしていると、ひょっこり校長がやって来た。
後から聞いたら、用務員が学校に騒動があると、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。
これほどのことに校長を呼ぶなんて、意気地がなさすぎる。それだから中学校の用務員なんて仕事をしているんだ。
校長は一通り私の説明を聞いた。生徒の言葉も少し聞いた。
追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。
早く顔を洗って、朝食を食べないと時間に間に合わないから、早くしろと言って寮生をみんな解放した。
手ぬるいことだ。私なら即座に寮生を全員退学させてしまう。
こんなに余裕があるから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。
その上私に向かって「あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日は授業に及ばないでしょう」と言うから、私はこう答えた。
「いえ、全然心配じゃありません。こんなことが毎晩あっても、命のある限り心配にはなりません。
授業はやります。一晩ぐらい寝なくても、授業ができないくらいなら、もらった給料を学校の方へ返します。」
校長は何と思ったのか、しばらく私の顔を見つめていたが、しかし「顔が大分腫れていますよ」と注意した。
なるほど、何だか少し重たい気がする。その上、顔全体が痒い。
蚊がたくさん刺したに違いない。私は顔中をゴリゴリと掻きながら、「顔はいくら腫れていても、口はちゃんときけますから、授業には差し支えありません」と答えた。
校長は笑いながら「大分元気ですね」と褒めた。本当に言うと、褒めたんじゃなくて、からかったんだろう。
🍚五、
「釣りに行かない?」と赤シャツが僕に尋ねた。彼は、なんとも言えない優しい声を持つ男だ。男か女か、はっきりしない。男なら男らしい声を出すべきだが、彼は文学士だ。物理学部の生徒でさえ、僕ほどの声が出るのに、文学士がこれでは見苦しい。「そうだな」と僕はあまり進展しない返事をした。その瞬間、赤シャツは「釣りをしたことがありますか?」と失礼な質問を投げかけてきた。あまりないが、子供の頃、小梅の釣り堀でフナを3匹釣ったことがある。それから、神楽坂の毘沙門の縁日で、8寸ほどのコイを針で引っ掛けたが、ポチャリと落としてしまった。今でも考えると、惜しいと思う。すると、赤シャツは顎を前に突き出し、「ホホホホ」と笑った。何もそんなに気取って笑わなくてもいいのに。「それなら、まだ釣りの楽しさは分からないですね。
よろしければ、少し教えてあげましょう」と彼はとても得意そうだった。誰があなたの教えを受けるものか。一体、釣りや狩りをする人たちは無情な人間ばかりだ。無情でなければ、生き物を殺して喜ぶことはない。魚だって、鳥だって、殺されるより生きている方が楽だろう。釣りや狩りをしなければ生計が立たないなら別だが、何不自由なく生活しているのに、生き物を殺さなければ眠れないとは贅沢な話だ。そう思ったが、向こうは文学士だから口が達者だ。議論では勝てないと思い、黙っていた。すると、赤シャツは僕を降参させたと誤解し、「さっそく教えてあげましょう。今日はどうですか?一緒に行きましょう。吉川君と二人だけだと寂しいから、来てください」としきりに勧めてきた。
吉川君というのは美術の教師で、例の野田のことだ。この野田は、どういうわけか、赤シャツの家に朝晩出入りし、どこへでも一緒に行く。まるで同僚ではなく、主従のようだ。赤シャツが行くところには、野田も必ずついてくるから、今さら驚くこともないが、二人で行けば済むところを、なぜ無愛想な僕に声をかけたのだろう。きっと高慢な釣り師で、自分が釣るところを僕に見せびらかすつもりで誘ったのだろう。そんなことで見せびらかされる僕じゃない。マグロを2匹や3匹釣ったって、ビクともしない。僕だって人間だ、下手だって糸さえ垂れれば、何かは釣れるだろう。ここで僕が行かないと、赤シャツは「下手だから行かないんだ、嫌いだから行かないんじゃない」と邪推するに違いない。
僕はそう考え、「行きましょう」と答えた。それから、学校を終えて、一応家に帰り、準備を整えて、駅で赤シャツと野田を待ち合わせて海岸へ向かった。船頭は一人で、船は細長くて、東京では見たこともない形だ。船中を見渡しても釣竿が一本も見えない。釣竿なしで釣りができるものか、どうするつもりなのか、野田に聞くと、「沖釣りには竿は使いません、糸だけで十分です」と顎を撫でて黒人のように言った。こんなに困らせられるくらいなら、黙っていればよかった。
船頭はゆっくりと漕いでいるが、その熟練ぶりは恐ろしいものだ。振り返ると、すでに海上から見ると浜辺が小さく見えるほど遠くまで出ていた。高柏寺の五重塔が森の上に突き出て、針のように尖って見える。反対側を見ると、青島が浮かんでいる。これは人が住んでいない島だそうだ。よく見ると、石と松ばかりだ。確かに、石と松ばかりでは住むことはできないだろう。赤シャツは何度も眺めては「いい景色だ」と呟いている。野田も「絶景だ」と言った。絶景だろうが何だろうが、気持ちのいいことには違いない。
広々とした海の上で、潮風に吹かれるのは気分がいい。すごくお腹が空く。「あの松を見てみて、幹がまっすぐで、上が傘のように広がっていて、ターナーの絵に出てきそうだ」と赤シャツが野田に言うと、野田は「まさにターナーですね。あの曲がり具合はなかなかありませんね。ターナーそのものですよ」と得意げに言った。ターナーとは何のことか知らないが、聞かなくても困らないことだから黙っていた。船は島を右に見て一周した。波は全くない。これが海だとは思えないほど平らだ。赤シャツのおかげでとても楽しい。
できることなら、あの島に上がってみたいと思ったから、あの岩のあるところに船を着けられないのかと聞いてみた。着けられないことはないが、釣りをするには、あまり岸に近いところはいけないと赤シャツが反論した。僕は黙っていた。すると野田が「どうですか、先生、これからあの島をターナー島と名付けましょう」と余計な提案をした。赤シャツは「それは面白い、僕たちはこれからそう呼ぼう」と賛成した。この「僕たち」の中に僕も含まれているなら迷惑だ。僕にとっては青島で十分だ。「あの岩の上に、どうですか、ラファエロのマドンナを置いてみましょう。いい絵ができますよ」と野田が言うと、「マドンナの話はやめておこうか」と赤シャツが気味の悪い笑い方をした。
誰もいないから大丈夫だと、ちょっと僕の方を見たが、わざと顔をそむけてにっこりと笑った。僕は何だか嫌な気持ちになった。マドンナだろうが、小旦那だろうが、僕には関係ないことだから、勝手に立てておけばいい。人に分からないことを言って、分からないから聞いたら困るような態度をとる。下品な仕草だ。それで本人は「私も江戸っ子です」と言っている。マドンナというのは、何でも赤シャツの馴染みの芸者のあだ名か何かに違いないと思った。馴染みの芸者を無人島の松の木の下に立てて眺めていれば、それで十分だ。それを野田が油絵にでも描いて展覧会に出したらいいだろう。
船頭が良い場所を見つけて船を停め、アンカーを下ろした。「ここは何メートルくらい深いのか?」と赤シャツが尋ねると、「約6メートルだ」と答えた。
赤シャツは、「6メートルでは鯛を釣るのは難しいな」と言いながら、糸を海に投げ入れた。彼はどうやら大物を狙っているようだ。野田は、「教頭の腕前なら、きっと釣れますよ。それに、今日は穏やかな海ですから」とお世辞を言いながら、自分も糸を海に投げ入れた。ただ、先についているのは錘のような鉛だけで、浮きはない。
浮きがないまま釣りをするのは、温度計なしで温度を測るようなものだ。私は見ていて、これでは釣りは絶対にできないと思った。すると突然、「あ、来た!」と先生が糸を引き始めた。何か釣れたのかと思ったら、何も釣れていない。餌がなくなっていただけだった。ざまあ見ろ。
「教頭、残念でしたね。今のは確かに大物だったんですが、教頭の腕前では逃げられてしまうんですね。今日は油断ができませんよ。でも、逃げられても何です。浮きを見つめている人たちよりはましですよ。自転車に乗るのにブレーキがないといけないのと同じですからね」と野田は変なことばかり言う。私は彼をぶん殴ろうかと思った。
私だって人間だ。教頭だけが海を独占しているわけではない。広い海だ。カツオの一匹くらい、義理でも釣れてくれるだろうと思い、錘と糸を海に投げ入れ、適当に指で操作した。しばらくすると、何かが糸を引っ張る感じがした。私は考えた。これは魚に違いない。生きているものでなければ、こんなにピクピクと動くわけがない。
やった、釣れたと思い、ギュッと糸を引き寄せた。「おや、何か釣れましたか?後世が恐ろしいですね」と野田がからかううちに、糸はほとんど引き寄せられ、水に浸かっているのはあと五尺ほどだけだった。船の端から覗いてみると、金魚のような縞模様の魚が糸にくっついて、右左に揺れながら、手の動きに応じて浮かび上がってきた。面白い。
水面から引き上げるとき、魚が跳ねて私の顔が潮水でびしょびしょになった。ようやく魚を取り込んで、針を外そうとしたが、なかなか外れない。魚を握った手はヌルヌルしていて、とても気持ち悪かった。面倒くさくなって糸を振り回し、魚を船の中に投げ入れたら、すぐに死んでしまった。赤シャツと野田は驚いて見ていた。
私は海で手を洗い、鼻の先に持ってきてみた。まだ魚臭い。もう二度とやりたくない。魚も握られたくないだろう。そうだ、糸を巻き上げてしまおう。それで釣りは終わりだ。
一番乗りはすごいけど、ゴルキみたいだね、と野田がまた生意気に言うと、ゴルキってロシアの作家みたいな名前だね、と赤シャツがジョークを言った。「そうだね、まるでロシアの作家みたいだね」と野田はすぐに同意した。ゴルキがロシアの作家で、丸木が芝の写真家で、米の木が命の親だろう。
この赤シャツには本当に悪い癖がある。誰を捕まえても、カタカナの外国人の名前を並べたがる。人にはそれぞれ専門があるものだ。僕のような数学の教師にゴルキだとか車力だとか、そんなの分かるわけないだろう。少しは遠慮するべきだ。
言うならフランクリンの自伝だとかプッシング、ツー、ゼ、フロントだとか、僕でも知ってる名前を使うべきだ。赤シャツは時々「帝国文学」という真っ赤な雑誌を学校に持ってきて、得意げに読んでいる。山嵐に聞いてみたら、赤シャツのカタカナはみんなその雑誌から出ているんだそうだ。「帝国文学」も罪な雑誌だ。
それから赤シャツと野田は一生懸命に釣りをしていたが、約一時間ほどで二人で15-16匹釣った。面白いことに釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて、どうやっても釣れない。今日はロシア文学の大当たりだと赤シャツが野田に話している。「あなたの腕前でゴルキなんだから、私がゴルキなのは仕方がない。当然だよね」と野田が答えている。
船頭に聞くと、この小魚は骨が多くて、まずくて、とても食べられないんだそうだ。ただ肥料にはなるそうだ。赤シャツと野田は一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒だ。僕は一匹でうんざりしたから、船の中で仰向けになって、ずっと空を眺めていた。釣りよりもこれの方がずっと洒落ている。
すると二人は小声で何か話し始めた。僕にはよく聞こえないし、また聞きたくもない。僕は空を見ながら清のことを考えている。お金があって、清を連れて、こんなきれいな場所に遊びに来たら、きっと楽しいだろう。
どんなに景色がいいとしても、野田なんかと一緒じゃつまらない。清はしわくちゃのおばさんだけど、どんな場所に連れて行っても恥ずかしいとは思わない。野田のような人は、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣に登ろうが、絶対に近づけない。
僕が教頭で、赤シャツが僕だったら、やっぱり僕にお世辞を使って赤シャツをからかうに違いない。江戸っ子は軽薄だと言うけど、こんな人が田舎を回って、僕は江戸っ子だと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄だと田舎者が思うに違いない。
こんなことを考えていると、何だか二人がくすくすと笑い始めた。
笑い声の合間に何か言っているが、途切れ途切れで全く意味が分からない。
「え? どうだか……」
「……全くです……知らないんですから……罪ですね」
「まさか……」
「バッタを……本当ですよ。」
僕は他の言葉には耳を傾けなかったが、バッタという野田の言葉を聞いたとき、思わず身をすくめた。
野田は何のためかバッタという言葉だけ力を入れて、明瞭に僕の耳に入るようにし、その後をわざとぼかしてしまった。
僕は動かずにやはり聞いていた。
「また例の堀田が……」
「そうかもしれない……」
「天ぷら……ハハハハハ」
「……扇動して……」
「団子も?」
言葉は途切れ途切れだけど、バッタだの天ぷらだの、団子だのという部分から推測すると、
何でも僕のことについて内緒話をしているに違いない。
話すならもっと大きな声で話すべきだし、内緒話をするくらいなら、僕を誘わなければいい。
嫌な奴らだ。バッタだろうが雪踏みだろうが、非は僕にあるわけじゃない。
校長が一応預けろと言ったから、狸の顔をして今のところは控えているんだ。
野田のくせに無関係な批評をしてくる。
筆でもしゃぶって引っ込んでいるべきだ。
僕のことは、遅かれ早かれ、僕一人で片付けてみせるから、邪魔はないが、
また例の堀田がとか扇動してとかいう言葉が気になる。
堀田が僕を扇動して騒ぎを大きくしたのか、
あるいは生徒を扇動して僕をいじめたのか、その方向がわからない。
青空を見ていると、日の光がだんだん弱くなり、少し冷たい風が吹き出した。
線香の煙のような雲が、透き通る空の上を静かに伸びて行ったと思ったら、
いつの間にか空の奥に流れ込んで、薄く霞をかけたようになった。
もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように言うと、「ええ、ちょうどいい時間ですね。
今夜はマドンナの君に会いますか」と野田が言う。
赤シャツは「馬鹿なこと言っちゃダメだよ、間違いだよ」と、船の端に身をもたせた奴を、少し起き直す。
「エヘヘヘヘ、大丈夫ですよ。聞いたって……」と野田が振り返った時、
僕は皿のような目を野田の頭の上にまともに向けてやった。
野田はまぶしそうに後ずさりして、「や、こいつは降参だ」と首を縮めて、頭をかいた。
何という口の利き方だろうか。
船は静かな海を岸へと漕ぎ戻る。
「君、釣りはあまり好きじゃないみたいだね」と赤シャツが聞くから、「うん、寝て空を見る方がいい」と答えて、
吸いかけたタバコを海の中へ投げ込んだら、ジュッと音がして、
オールの動きでかき分けられた波の上を揺らめきながら流れていった。
「君が来たから生徒も大いに喜んでいるから、頑張ってやってくれ」と今度は釣りには全く関係ないことを話し始めた。
「そんなに喜んでもいないでしょう」
「いや、お世辞じゃない。本当に喜んでいるんだよ、ね、吉川君」
「喜んでるどころじゃない。大騒ぎだよ」と野田はにっこりと笑った。
この奴の言うことは一つ一つがイライラさせるから不思議だ。
「でも君、注意しないと、厄介なことになるよ」と赤シャツが言うから、
「どうせ厄介だよ。こうなったら厄介は覚悟だ」と言ってやった。
実際、僕は免職になるか、寄宿生を全部謝らせるか、どちらか一つにするつもりだった。
「そう言っちゃ、取り付きどころもないけど――実は僕も教頭として君のためを思って言うんだけど、
悪く取らないでほしい」
「教頭は全く君に好意を持ってるんだよ。
僕も及ばずながら、同じ東京っ子だから、なるべく長く在校してもらいたくて、
お互いに力になろうと思って、これでも影で努力しているんだよ」と野田が人間らしいことを言った。
野田のお世話になるくらいなら首を吊って死んじまうほうがましだ。
「それでね、生徒は君が来たのを大変歓迎しているんだけど、
そこにはいろいろな事情があってね。
君も腹の立つこともあるだろうけど、ここが我慢だと思って、辛抱してくれたまえ。
決して君のためにならないようなことはしないから」
「いろいろの事情って、どんな事情ですか」
「それが少し複雑なんだけど、まあだんだん分かるよ。
僕が話さなくても自然と分かってくるんだ、ね、吉川君」
「うん、なかなか複雑だからね。一朝一夕には到底分からない。
でもだんだん分かるよ、僕が話さなくても自然と分かってくるんだ」と野田は赤シャツと同じようなことを言う。
「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから聞くんです」
「それはごもっともだ。こっちで口を切って、後をつけないのは無責任だよね。
それじゃこれだけのことを言っておこう。君は失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、
教師は初めての経験だろう。でも学校というものはなかなか情実のあるもので、
そう学生風に淡泊にはいかないんだよ」
「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんですか」
「さあ、君はそう率直だから、まだ経験に乏しいと言うんだけどね……」
「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書にも書いてありますが二十三年四ヶ月ですから」
「さ、そこで思わぬところから乗じられることがあるんだよ」
「正直にしていれば誰が乗じたって怖くはないです」
「もちろん怖くはない、怖くはないけど、だまされることがあるんだ。実際、君の前任者がだまされたんだから、気をつけないといけないと言ってるんだ。」野田が大人しくなったなと思って振り向いて見ると、いつの間にか船頭と釣りの話をしている。野田がいないから話しやすくなった。
「僕の前任者が、誰にだまされたんですか?」
「誰と指すと、その人の名誉に関係するから言えない。また明確な証拠のないことだから言うとこっちの落ち度になる。とにかく、せっかく君が来たから、ここで失敗しちゃ僕たちも君を呼んだ意味がない。どうか気をつけてくれ。」
「気をつけろって、これ以上気をつけようがありません。悪いことをしなければいいんでしょうか?」赤シャツはホホホホと笑った。特に僕は笑われるようなことを言った覚えはない。今日までこれでいいとしっかり信じている。考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それなら小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。思い切って学校で嘘をつく方法や、人を信じない術、人をだます策を教える方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、僕の単純さを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕方がない。清はこんな時に決して笑ったことはない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりずっと上等だ。
「無論、悪いことをしなければいいのだが、自分だけが悪いことをしなくても、人の悪さが分からなければ、やっぱりひどい目に遭うよ。世の中には清廉なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断のできない人がいるから……。だいぶ寒くなった。もう秋だね、浜の方は霞でセピア色になった。いい景色だ。おい、吉川君、どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野田を呼んだ。
「なるほどこれは素晴らしいですね。時間があればスケッチするんだけど、惜しいですね、このままにしておくのは」と野田は大いに感嘆した。
港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、僕の乗っていた船は磯の砂へズグリと舳先を突き込んで動かなくなった。「お早う、お帰り」と、奥さんが浜に立って赤シャツに挨拶する。僕は船端から、やっと掛け声をして磯へ飛び下りた。
🍚六、
野田は大嫌いだ。こんな奴は石をつけて海の底へ沈める方が、日本にとって良いだろう。赤シャツの声が気に入らない。あれは持ち前の声をわざと気取って、優しそうに見せかけているのだろう。
いくら気取ったって、あの顔じゃダメだ。惚れるものがあったとしても、マドンナぐらいなものだ。しかし教頭だけに、野田より難しいことを言う。家に帰って、あいつの言い分を考えてみると、一応もっともなようでもある。
はっきりとしたことは言わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐がよくない奴だから用心しろと言うのらしい。それなら、そうとはっきり断言すればいい。男らしくもない。そんな悪い教師なら、早く免職させたらよかろう。
教頭なんて、文学士のくせに意気地のないもんだ。影口をきくのでさえ、公然と名前が言えないくらいな男だから、弱虫の極みだ。弱虫は親切なもんだから、あの赤シャツも女のような親切者なんだろう。
親切は親切、声は声だから、声が気に入らないという理由で、親切を無にしちゃ筋が違う。それにしても世の中は不思議なものだ。虫の好かない奴が親切で、気の合った友達が悪漢だなんて、人を馬鹿にしている。
大方田舎だから、万事東京の逆に行くんだろう。物騒な所だ。今に火事が氷って、石が豆腐になるかもしれない。しかし、あの山嵐が生徒を扇動するなんて、いたずらをしそうもないがな。
一番人望のある教師だと言うから、やろうと思えば大抵のことはできるかもしれないが――第一、そんな回りくどいことをしないでも、直接僕を捕まえて喧嘩を吹っ掛ければ手間が省けるわけだ。
僕が邪魔になるなら、実はこれこれだ、邪魔だから辞職してくれと言えば、よさそうなもんだ。物は相談次第でどうにでもなる。向こうの言い分がもっともなら、明日にでも辞職してやる。
ここばかり米ができるわけでもあるまい。どこの果てへ行ったって、のたれ死にはしないつもりだ。山嵐もよっぽど話せない奴だな。
ここへ来た時、最初に氷水を奢ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、僕の顔に関わる。僕はたった一杯しか飲まなかったから、一銭五厘しか払わなかった。
しかし、一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。明日学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。僕は清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ返さない。
返せないんじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、一時的にも僕の懐中をあてにしてはいない。僕も今に返そうなどと、他人がましい義理立てはしないつもりだ。
こっちがこんな心配をすればするほど、清の心を疑うようなもので、清の美しい心にけちをつけるのと同じことになる。返さないのは清を踏みつけるのじゃない、清を僕の片割れと思うからだ。
清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとえ氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵みを受けて、黙っているのは、向こうを一流の人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。
割前を出せばそれだけのことですむところを、心の中で感謝と恩に着るのは、金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは、百万両より尊いお礼と思わなければならない。
僕はこれでも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両より尊い返礼をした気でいる。山嵐は感謝してしかるべきだ。それに裏へ回って卑劣な振る舞いをするとは信じられない野郎だ。
明日行って一銭五厘返してしまえば、借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。
私はここまで考えた結果、眠くなり、すぐに寝てしまった。
次の日は色々と考えることがあったから、いつもより早く学校に出て、山嵐を待った。しかし、山嵐はなかなか現れない。
うらなりが現れ、漢学の先生が現れ、野田が現れる。最後には赤シャツまで現れたが、山嵐の机の上にはただ白チョークが一本立っているだけで、静かなものだった。
私は、休憩室に入るかどうか迷っていた。家を出る時から、お金を手のひらに握って学校まで持ってきた。手が汗っかきなので、開けてみると、そのお金が汗で濡れている。
汗で濡れたお金を返すと、山嵐が何と言うだろうと思ったので、机の上に置いて吹いてまた握った。
そこへ赤シャツが来て、「昨日は失礼、迷惑でしたね」と言ったから、「迷惑じゃないです、おかげでお腹が減りました」と答えた。
すると赤シャツは山嵐の机の上に肘をつき、その顔を私の鼻の横に持ってきたので、何をするのかと思ったら、「君、昨日帰り際に船の中で話したことは、秘密にしてくれ。まだ誰にも話してないよね」と言った。
女のような声を出すだけに、心配性な男だと思える。話さないことは確かだ。しかし、これから話そうと思って、すでに手のひらにお金を用意しているくらいだから、ここで赤シャツから口止めをされると、ちょっと困る。
赤シャツも赤シャツだ。山嵐と名前を出さないにしろ、あれほど推測できる謎を出しておきながら、今さらその謎を解くのが迷惑だとは、教頭とは思えない無責任さだ。
本来なら、私が山嵐と戦争を始めている最中に堂々と私の味方をするべきだ。それこそが一校の教頭であり、赤シャツを着ている意味があるというものだ。
私は教頭に向かって、「まだ誰にも話してないけど、これから山嵐と話し合うつもりだ」と言ったら、赤シャツは大いに動揺して、「君、そんな無法なことをすると困る。僕は堀田君のことについて、特に君に何も明言した覚えはないんだから。君がここで乱暴を働くと、僕は非常に迷惑する。君は学校で騒ぎを起こすつもりで来たんじゃないだろう」と、不思議な質問をするから、「当然です、給料をもらって騒ぎを起こすと、学校の方でも困るでしょう」と言った。
すると赤シャツは、「それじゃ、昨日のことは君の参考だけにして、口外しないでくれ」と汗をかいて頼むから、「いいですよ、私も困るんですが、そんなにあなたが迷惑ならやめましょう」と受け入れた。
「君、大丈夫だよね」と赤シャツは念を押した。どこまで心配性なのか、理解できない。文学士なんて、みんなあんな連中ならつまらないものだ。
つじつまが合わない、論理に欠けた注文をして平然としている。しかもこの私を疑っている。恥ずかしがり屋な男だ。受け入れたことを裏で反故にするような卑怯な考えは持っているものか。
俺はここまで考えたら、眠くなったからすぐに寝てしまった。次の日は色々と考えることがあったので、いつもより早く学校に出て、山嵐を待った。しかし、なかなか現れない。
うらなりが現れ、漢学の先生が現れ、野田が現れる。最後には赤シャツまで現れたが、山嵐の机の上にはただ白チョークが一本立っているだけで、静かなものだった。
俺は休憩室に入るかどうか迷い、家を出る時からお金を手のひらに握って学校まで持ってきた。俺は汗っかきなので、開けてみると、そのお金が汗で濡れていた。濡れたお金を返すと、山嵐が何と言うだろうと思ったので、机の上に置いて吹いてまた握った。
そこへ赤シャツが来て、「昨日は失礼、迷惑でしたね」と言ったから、「迷惑じゃないです、おかげでお腹が減りました」と答えた。すると赤シャツは山嵐の机の上に肘をつき、その顔を俺の鼻の横に持ってきたので、何をするのかと思ったら、「君、昨日帰り際に船の中で話したことは、秘密にしてくれ。まだ誰にも話してないよね」と言った。
女のような声を出すだけに、心配性な男だと思える。話さないことは確かだ。しかし、これから話そうと思って、すでに手のひらにお金を用意しているくらいだから、ここで赤シャツから口止めをされると、ちょっと困る。
赤シャツもまた心配性だ。山嵐と名前を出さないにしろ、あれほど推測できる謎を出しておきながら、今さらその謎を解くのが迷惑だとは、教頭とは思えない無責任さだ。本来なら、俺が山嵐と戦争を始めている最中に堂々と俺の味方をするべきだ。それこそが一校の教頭であり、赤シャツを着ている意味があるというものだ。
「うん、そうだな。君は乱暴で、あの下宿で困っているんだ。どんなに下宿の女房でも、下女とは違うよ。足を出して拭かせるなんて、威張りすぎだよ。」
「俺が、いつ下宿の女房に足を拭かせたんだ?」
「拭かせたかどうかは知らないけど、とにかく向こうでは君に困っているんだ。下宿料の十円や十五円は、一枚の絵を売ればすぐに浮いてくるって言ってたよ。」
「面白いことを言う奴だな。だったら、なぜ置いたんだ?」
「なぜ置いたか、僕は知らない。置くことは置いたんだけど、もう嫌になったんだから、出て行けと言うんだろう。君、出て行け。」
「当然だ。頼んでくれと手を合わせても、居るものか。そもそも、そんなことを言うような場所に紹介する君自身が無礼だ。」
「俺が無礼か、君が大人しくないんだか、どっちかだろう。」
山嵐も俺に劣らぬ気性を持っているから、負けず嫌いな大きな声を出す。休憩室にいた連中は何事が始まったのかと思って、みんな俺と山嵐の方を見て、顎を長くしてぼんやりしている。俺は、特に恥ずかしいことをした覚えはないから、立ち上がりながら部屋中を一通り見回した。みんなが驚いている中、野田だけは面白そうに笑っていた。俺の大きな目が、お前も喧嘩をするつもりかという意味で、野田の顔を見つめた時、野田は突然真面目な顔をして、大いに驚いた。少し怖かったと見える。そのうちチャイムが鳴る。山嵐も俺も喧嘩を中止して教室へ出た。
午後は、昨夜俺に対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生まれて初めてだから、全く様子が分からないが、職員が集まって勝手に説を立て、それを校長が適当にまとめるのだろう。まとめるというのは、黒白の決しかねる事柄について言うべき言葉だ。この場合のような、誰が見ても不都合としか思われない事件に会議をするのは、暇つぶしにすぎない。誰が何と解釈したって異説が出るはずがない。こんな明白なことは、即座に校長が処分してしまえばいいのに。随分決断のない事だ。校長というものが、これならば、何の事はない、煮え切らない愚図の異名だ。
会議室は校長室の隣にある細長い部屋で、普段は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅子が二十脚ばかり、長いテーブルの周囲に並んで、ちょっと神田の洋食屋ぐらいの格だ。そのテーブルの端に校長が座って、校長の隣に赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くのだが、体育の教師だけはいつも席末に謙遜するという話だ。俺は様子が分からないから、博物の教師と漢学の教師の間に入り込んだ。向こうを見ると、山嵐と野田が並んでいる。
野田の顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても、山嵐の方が遥かに趣がある。親父の葬式の時、小日向の養源寺の座敷にかかっていた掛け物は、この顔によく似ている。坊主に聞いてみたら、韋駄天という怪物だそうだ。今日は怒っているから、目をぐるぐる回しながら、時々俺の方を見る。そんなことで威嚇されてたまるもんかと、俺も負けない気で、やっぱり目をぐりつかせて、山嵐を睨んでやった。俺の目は格好はよくないが、大きさにおいては大抵の人には負けない。あなたは目が大きいから役者になると、きっと似合いますと清がよく言ったくらいだ。
「もう大抵揃いでしょうか」と校長が言うと、書記の川村というのが一つ二つと頭数を勘定してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子の浦成君が来ていない。俺と浦成君とは運命的な縁があるのか知らないが、この人の顔を見て以来、どうしても忘れられない。休憩室に来れば、すぐに浦成君が目に付くし、途中を歩いていても、浦成先生の様子が心に浮かぶ。温泉へ行くと、浦成君が時々青い顔をして湯壺の中に膨れている。挨拶をすると、へえと恐縮して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出て浦成君ほど大人しい人はいない。めったに笑ったこともないが、余計な口をきいたこともない。俺は君子という言葉を書物で知っているが、これは辞書にあるばかりで、生きているものではないと思っていた。しかし、浦成君に会ってから初めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。
このくらい関係の深い人のことだから、会議室に入るや否や、浦成君の居ないのにすぐ気がついた。実を言うと、この男の隣にでも座ろうかと、ひそかに目標にして来たくらいだ。校長は「もうやがて見えるでしょう」と、自分の前にある紫の袱紗包みをほどいて、こんにゃく版のようなものを読んでいる。赤シャツは琥珀のパイプを絹ハンカチで磨き始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツの相当なところだろう。他の連中は隣り同士で何だかささやき合っている。手持無沙汰なのは鉛筆の尻に着いているゴムの頭で、テーブルの上へしきりに何か書いている。野田は時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただ「うん」とか「ああ」と言うばかりで、時々怖い目をして、俺の方を見る。俺も負けずに睨み返す。
待ちに待った浦成君が気の毒そうに入ってきて、「少々用事がありまして、遅刻しました」と丁寧に狸に挨拶した。
「では会議を開きます」と狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると、最初が処分の件、次が生徒の取り締まりの件、その他二三ヶ条である。
狸は例の通り大げさに、教育の生霊という名のもとに、こんな意味のことを述べた。「学校の職員や生徒に過失があるのは、みんな自分の寡徳のせいで、何か事件がある度に、自分はこれで校長が務まるのかと、ひそかに恥ずかしい気持ちになるが、不幸にして今回もまたこんな騒動を引き起こしたのは、深く皆さんに向かって謝罪しなければならない。
しかし、ひとたび起こった以上は仕方がない、どうにか処分をしなければならない。事実はすでに皆さんのご承知の通りですから、善後策について遠慮なくお述べください。」
俺は校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのというものは、偉いことを言うもんだと感心した。
こう校長が何もかも責任を受けて、自分の罪だとか、不徳だとか言うくらいなら、生徒を処分するのはやめにして、自分から先に免職になったら、よさそうなもんだ。そうすれば、こんな面倒な会議など開く必要もなくなる訳だ。
第一、常識から言っても分かっている。俺が大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。悪いのは校長でもなければ、俺でもない、生徒だけに極まっている。
もし山嵐が扇動したとすれば、生徒と山嵐を退治すればそれでたくさんだ。人の尻を自分で背負い込んで、俺の尻だ、俺の尻だと吹き散らす奴が、どこの国にあるもんか。狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。
彼はこんな条理に適わない議論を吐いて、得意気に一同を見回した。ところが、誰も口を開く者がない。
博物の教師は第一教場の屋根にカラスが止まっているのを眺めている。漢学の先生は蒟蒻版を畳んだり、広げたりしている。山嵐はまだ俺の顔を睨んでいる。
会議というものが、こんな馬鹿げたものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
俺はじれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か言い出したから、やめにした。
見るとパイプをしまって、縞のある絹ハンカチで顔を拭きながら、何か言っている。あのハンカチはきっとマドンナから巻き上げたに違いない。男は白い麻を使うもんだ。
「私も寄宿生の乱暴を聞いては、はなはだ教頭として不行届であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く恥じるのであります。
こういう事は、何か欠陥があると起こるもので、事件そのものを見ると何だか生徒だけが悪いようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。
だから表面上に現れたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。
かつ、少年は血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯をやる事はないとも限らない。
でも、とより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙する限りではないが、どうかその辺をご斟酌になって、なるべく寛大なお取計らいを願いたいと思います。」
なるほど、狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒が暴れるのは、生徒が悪いのではなく、教師が悪いのだと公言している。気狂いが人の頭を殴るのは、殴られた人に原因があるから、気狂いが殴るのだそうだ。ありがたい話だ。活気に満ちて困るなら、運動場へ出て相撲でも取ればいい。半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子では寝首をかかれても、半ば無意識だと言って許すつもりだろう。
俺はこう考え、何か言おうかなと考えてみたが、言うなら人を驚かすように滔々と述べなければつまらない。俺の癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き詰まってしまう。狸でも赤シャツでも、人物から言うと俺よりも劣っているが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事をしゃべって足元を見られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸の中で文章を組み立てていると、前にいた野田が突然起立したのには驚いた。野田の癖に意見を述べるなんて、生意気だ。野田は例のへらへら調でこう言った。
「実に今回のバッタ事件及び咄喊事件は、我々心ある職員をして、ひそかに我が校の将来に危惧の念を抱かしむるに足る珍事でありまして、我々職員たるものはこの際奮って自ら省みて、全校の風紀を振興しなければなりません。それで、ただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮に中当たった剴切なお考えで、私は徹頭徹尾賛成致します。どうかなるべく寛大のご処分を仰ぎたいと思います。」
野田の言う事は言語はあるが意味がない。漢語を並べるだけで、訳が分からない。分かったのは「徹頭徹尾賛成致します」という言葉だけだ。俺は野田の言う意味は分からないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに立ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と言ったが、あとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢な、処分は大嫌いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪いです。
どうしても謝らせなくっちゃ、癖になります。退校させても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と言って着席した。すると右隣にいる博物がこう言った。「生徒が悪い事も悪いが、あまり厳重な罰などをすると、かえって反動を起こしていけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛大な方に賛成します。」と弱い事を言った。左隣の漢学も穏便説に賛成と言った。歴史も教頭と同説だと言った。忌々しい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていれば世話はない。
俺は生徒を謝らせるか、辞職するか、二つのうち一つに極めているんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟でいた。どうせ、こんな手合いを弁口で屈服させる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校にいないとすれば、どうなったって構うもんか。また何か言うと笑うに違いない。誰が言うもんかと澄ましていた。
すると今まで黙って聞いていた山嵐が奮然と立ち上がった。
野郎また赤シャツ賛成の意を表すな。
どうせ喧嘩になるのだから、勝手にしろと思いながら見ていると、山嵐はガラス窓を振るわせるような声でこう言った。
「私は教頭とその他皆さんのお説には全然不同意であります。
この事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようとした所為とより他には認められないのであります。
教頭はその源因を教師の人物にお求めのようですが、失礼ながらそれは失言かと思います。
某氏が宿直にあたられたのは着後早々のことで、まだ生徒に接せられてから二十日に満たない頃であります。
この短い二十日間において、生徒は君の学問と人物を評価する余地がないのです。
軽侮されるべき理由があれば、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、
何らの源因もないのに新来の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛容にすることは、学校の威信に関わることだと思います。
教育の精神は単に学問を授けるばかりではなく、高尚で正直な精神を鼓舞し、
同時に野卑で軽薄な悪風を掃蕩することにあると思います。
もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと小心なことを言った日には、この弊風はいつ矯正できるか知れません。
かかる弊風を杜絶するためにこそ、我々はこの学校に職を奉じているのです。
これを見逃すくらいなら、始めから教師にならない方がいいと思います。
私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰に処する上に、
当該教師の面前において公に謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます。」
と言いながら、どんと腰を下ろした。一同は黙って何にも言わない。
赤シャツはまたパイプを拭き始めた。俺は何だか非常に嬉しかった。
俺の言おうと思うところを、俺の代わりに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。
俺はこういう単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに感謝の顔をもって、
腰を下ろした山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん顔をしている。
しばらくして山嵐はまた立ち上がった。
「ただ今ちょっと失念して言い落としましたから、申します。
当夜の宿直員は宿直中に外出して温泉に行かれたようでありますが、あれはもっての外の事と考えます。
いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、責める者のないのを幸いに、
場所もあろうに温泉などに入湯に行くなどというのは大きな失体である。
生徒は生徒として、この点については校長から特に責任者にご注意あらんことを希望します。」
不思議な奴だ。褒めたと思ったら、すぐに人の失策を暴露している。
俺は何の気もなく、前の宿直が外出したことを知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまった。
なるほどそう言われてみると、これは俺が悪かった。攻撃されても仕方がない。
そこで俺はまた立って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全く悪い。謝ります」と言って座ったら、一同がまた笑い出した。
俺が何か言いさえすれば笑う。つまらない奴らだ。
お前たちこれほど自分の悪い事を公に認められるか、出来ないから笑うんだろう。
それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと言った。
ついでだからその結果を言うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、俺の前へ出て謝罪をした。
謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったが、なまじい俺の言う通りになったので、とうとう大変な事になってしまった。
それは後から話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号して、こんな事を言った。
生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならない。その一つの手段として、教師はなるべく飲食店などに出入りしないことにしたい。
もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋だの、団子屋だの――と言いかけたらまた一同が笑った。
野田が山嵐を見て天ぷらと言って目配せをしたが、山嵐は取り合わなかった。いい気味だ。
俺は脳が悪いから、狸の言うことなんか、よく分からないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、俺みたいな食いしん坊には到底出来ないと思った。
それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇うがいい。
黙って辞令を下げて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪な布令を出すのは、俺のような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。
すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流に位置するものだからして、単に物質的な快楽ばかり求めるべきものでない。
その方に耽ると、つい品性に悪い影響を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽がないと、田舎に来て狭い土地では到底暮らせるものではない。
それで釣りに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯楽を求めなくてはいけない……」
黙って聞いていると勝手な熱を吹く。
沖へ行って肥料を釣ったり、ゴルキがロシアの文学者だったり、馴染みの芸者が松の木の下に立ったり、古池へ蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、
天ぷらを食って団子を飲み込むのも精神的娯楽だ。そんな下らない娯楽を授けるより、赤シャツの洗濯でもするがいい。
あんまり腹が立ったから「マドンナに会うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。
すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互いに眼と眼を見合せている。
赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。
ただ気の毒だったのは浦成君で、俺がこう言ったら青い顔をますます青くした。
🍚七、
俺はその夜すぐに下宿を引き払った。
宿へ帰って荷物をまとめていると、女将が何か不都合でもあったのか、お腹の立つことがあるなら、言ってくれたら改めますと言う。どうも驚いた。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃っているんだろう。
出てもらいたいのか、居てもらいたいのか分からない。まるで気が狂ったようだ。こんな者を相手に喧嘩をしたって江戸っ子の名折れだから、車屋を連れて来てさっさと出てきた。
出たことは出たが、どこへ行くというあてもない。車屋が、どちらへ行きますかと言うから、黙ってついて来い、すぐに分かると言って、すたすた歩いて来た。
面倒だから山城屋へ行こうかとも考えたが、また出なければならないから、つまり手間だ。こうして歩いているうちに下宿とか、何とか看板のある家を見つけ出すだろう。
そうしたら、そこが天意に叶った俺の宿ということにしよう。とぐるぐる、閑静で住みよさそうな所を歩いているうち、とうとう鍛冶屋街へ出てしまった。
ここは士族の屋敷で下宿屋などのある街ではないから、もっと賑やかな方へ引き返そうかとも思ったが、ふといいことを考え付いた。
俺が敬愛する浦成君はこの街内に住んでいる。浦成君は土地の人で、先祖代々の屋敷を持っているくらいだから、この辺の事情には通じているに違いない。
あの人を尋ねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかもしれない。幸い一度挨拶に来て勝手は知っているから、探して歩く面倒はない。
ここだろうと適当に見当をつけて、「ごめん、ごめん」と二回ばかり言うと、奥から五十ぐらいの年寄りが古風な紙燭をつけて出て来た。
俺は若い女も嫌いではないが、年寄りを見ると何だか懐かしい気持ちがする。大方清が好きだから、その魂が色々なおばあさんに乗り移るんだろう。
これは大方浦成君のお母さんだろう。品格のある婦人だが、よく浦成君に似ている。まあ上がってと言うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関まで呼び出して、実はこれこれだが君どこか心当たりはありませんかと尋ねてみた。
浦成先生、それはさぞお困りでしょう、としばらく考えていたが、この裏街に萩野と言って老人夫婦で暮らしている者がいる。
いつか座敷を空けておいても無駄だから、確かな人があるなら貸してもいいから紹介してくれと頼んだことがある。
今でも貸すかどうか分からないが、まあ一緒に行って聞いてみましょうと、親切に連れて行ってくれた。
その夜から萩野の家の下宿人となった。驚いたのは、俺がいか銀の部屋を引き払うと、翌日から入れ違いに野田が平気な顔をして、俺のいた部屋を占領したことだ。
さすがの俺もこれには呆れた。世の中はいかさま師ばかりで、お互いに乗せっこをしているのかもしれない。いやになった。
世間がこんなものなら、俺も負けない気で、世間並みにしなくちゃ、やりきれない訳になる。巾着切りの上前をはねなければ、三度のご飯が食べられないと、事が極まればこうして、生きているのも考え物だ。
と言ってぴんぴんした元気な体で、首を吊っちゃ先祖へ済まない上に、外聞が悪い。考えると物理学校などへ入って、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかった。
そうすれば清も俺の側を離れずに済むし、俺も遠くからおばあさんのことを心配しないで暮らせる。一緒にいるうちは、そうでもなかったが、こうして田舎へ来てみると清はやっぱり善人だ。
あんな気立てのいい女は日本中探してもめったにはない。おばあさん、俺が立つときに少々風邪を引いていたが、今頃はどうしているか知らん。
先だっての手紙を見たら、さぞ喜んだろう。それにしても、もう返事が来そうなものだが――俺はこんなことばかり考えて二三日暮らしていた。
気になるから、宿のおばあさんに、「東京から手紙は来ませんか」と時々尋ねてみるが、聞くたびに何にも来てませんと気の毒そうな顔をする。
ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方とも上品だ。おじいさんが夜になると、変な声を出して歌を歌うには閉口するが、いか銀のようにお茶を入れましょうと無闇に出て来ないから大いに楽だ。
おばあさんは時々部屋へ来ていろいろな話をする。どうして奥さんをお連れなさって、一緒にお出でなんだのぞなもしなどと質問をする。
奥さんがあるように見えますかね。可哀想にこれでもまだ二十四ですぜと言ったら、それでも、あなた二十四で奥さんがおありなさるのは当り前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰だれさんは二十でお嫁をお貰いたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人お持ちたのと、何でも例を半ダースばかり挙げて反駁を試みたには恐れ入った。
それじゃ僕も二十四でお嫁をお貰えるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、おばあさんは正直に本当かなもしと聞いた。
「本当の本当のほんまのって、僕は嫁が欲しくて仕方がないんだ。そうだろうね、若いうちは誰もそんなものだよね。」
この挨拶には、痛み入って返事ができなかった。「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに極きまっている。私はちゃんと、もう、見ているぞなもし。」
「へえ、鋭い目だね。どうして、見ているんですか?どうしててて。東京から便りはないか、毎日便りを待ち焦がれておいでるじゃないかなもし。」
「こいつは驚いた。大変な鋭い目だ。」「当たりましたろうがな、もし。そうですね。当たったかも知れませんよ。」
「しかし今時の女子は、昔と違って油断ができんけれ、気を付けた方がいいぞなもし。何ですかい、僕の奥さんが東京で浮気でもしていますかい?」
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれ……それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい?」
「あなたのことは確かじゃが、どこに不確かな者が居ますかね。ここらにも大分居おります。先生、あの遠山のお嬢さんをご存知かなもし?」
「いいえ、知りませんね。まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の美人さんじゃがなもし。あまりに美人なので、学校の先生方は皆「マドンナ」と呼んでいるそうだな。まだお聞きんのかなもし。」
「うん、マドンナですか。僕は芸者の名かと思った。」「いいえ、あなた。マドンナと云うと外国人の言葉で、美人さんのことじゃろうがなもし。」
「そうかも知れないね。驚いた。大方、画学の先生がお付けた名ぞなもし。」
「野だがつけたんですかい?」「いいえ、あの吉川先生がお付けたのじゃがなもし。」
「そのマドンナが不たしかなんですかい?そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし。」
「厄介だね。渾名の付いてる女には昔から碌なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ。」
「ほんとうにそうじゃなもし。鬼神のお松や、妲妃のお百など怖い女が居ましたなもし。」
「マドンナもその同類なんですかね?そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話してくれた古賀先生なもし――あの方の所へお嫁に行く約束が出来ていたのじゃがなもし――」
「へえ、不思議なもんですね。あの浦成君が、そんな艶福のある男とは思わなかった。人は見かけによらない者だな。ちっと気を付けよう。」
「ところが、去年、あすこのお父さんが亡くなってしまった。それまではお金もあり、銀行の株も保有していたのだが、それからというものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過ぎるけれ、お欺まされたんぞなもし。それや、これやでお輿入れも延びているところに、あの教頭さんがお出いでて、是非お嫁にほしいとお云いでるのじゃがなもし。」
「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」
「人を頼んで懸合をしようと思って、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来ないと言ったんだ。すると赤シャツさんが、手綱を求めて遠山さんの方へ出入りし、とうとうあなた、お嬢さんを手なずけてしまったのです。赤シャツさんも問題ですが、お嬢さんも皆に悪く言われていますよ。一度古賀さんへ嫁に行くと約束をしたのに、今さら学士さんが現れて、その方に替えようと言って、それじゃ、今日様には済まないでしょう。」
「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこないよ。」
「それで古賀さんにお気の毒だと、お友達の堀田さんが教頭の所へ意見をしに行ったら、赤シャツさんが、約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れないが、今のところは遠山家とただ交際をしているだけだ。遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まない事もないだろうと言って、堀田さんも仕方がないと帰ったそうだ。赤シャツさんと堀田さんは、それ以来仲が悪いという評判だよ。」
「よくいろいろな事を知ってますね。どうしてそんなに詳しいことが分かるのですか?感心しました。」
「狭いから何でも分かりますよ。」分かり過ぎて困るくらいだ。この様子じゃ俺の天ぷらや団子の事も知ってるかも知れない。厄介な所だ。しかしおかげでマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シャツの関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのは、どちらが本当に悪者なのかがはっきりしないことです。俺のような単純なものには白とか黒とか片づけてもらわないと、どっちへ味方をしていいか分からない。
「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね?」
「山嵐て何ぞなもし。」
「山嵐というのは堀田の事ですよ。」
「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうだけど、しかし赤シャツさんは学士さんだから、働きはある方だよ。それから優しい事も赤シャツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がいいというよ。」
「つまりどっちがいいんですかね。」
「つまり月給の多い方が偉いのだろうね。」
これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校から帰ると、おばあさんがにこにこして、「へえ、お待たせしました。やっと来ました。」と言って一本の手紙を持って来て、ゆっくりご覧と言って出て行った。取り上げてみると、清からの便りだ。封筒が二三枚まい付いているから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ回って、いか銀から、萩野へ回って来たのである。その上、山城屋では一週間ばかり滞在している。
宿屋だけに手紙まで止めるつもりなんだろう。開いてみると、実に長い手紙だった。坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐに返事を書こうと思った。しかし、あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝ていたため、つい遅くなってしまった。その上、今時のお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、書くのによっぽど骨が折れる。甥に代筆を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分で書かなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下書きを一度して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下書きをするには四日かかった。
読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命に書いたのだから、どうぞ最後まで読んでくれ。という冒頭で四尺ばかり何やらかやらと書き連ねてある。なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのによっぽど骨が折れる。俺は焦れったい性分だから、こんなに長くて分かりにくい手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断る。しかし、この時ばかりは真面目になって、最初から最後まで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。
部屋の中は少し暗くなり、前回よりも見にくくなったので、とうとう軒先へ出て腰をかけ、丁寧に手紙を拝見した。すると、初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、最後には四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生垣まで飛んで行きそうだ。俺はそんな事には構っていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝癪が強過ぎてそれが心配になる。――他の人に無暗に渾名なんかつけるのは、人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない。もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ。
――田舎者は人が悪いそうだから、気をつけてひどい目に遭わないようにしろ。――気候だって東京より不順に極ってるから、寝冷えをして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短過ぎて、様子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困らないか、田舎へ行って頼りになるのはお金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時に差支えないようにしなくっちゃいけない。――お小遣いがなくて困るかも知れないから、為替で十円あげる。――先だって坊っちゃんからもらった五十円を、坊っちゃんが東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けておいたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――なるほど、女性というのは細やかな心遣いを持っているものだ。
これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。
それから二三日して学校から帰ると、おばあさんがにこにこして、「へえ、お待たせしました。やっと来ました。」と言って一本の手紙を持って来て、ゆっくりご覧と言って出て行った。
取り上げてみると、清からの便りだ。封筒が二三枚まい付いているから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ回って、いか銀から、萩野へ回って来たのである。
その上、山城屋では一週間ばかり滞在している。宿屋だけに手紙まで止めるつもりなんだろう。
開いてみると、実に長い手紙だった。坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐに返事を書こうと思った。しかし、あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝ていたため、つい遅くなってしまった。
その上、今時のお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、書くのによっぽど骨が折れる。
甥に代筆を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分で書かなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下書きを一度して、それから清書をした。
清書をするには二日で済んだが、下書きをするには四日かかった。読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命に書いたのだから、どうぞ最後まで読んでくれ。
という冒頭で四尺ばかり何やらかやらと書き連ねてある。なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのによっぽど骨が折れる。
俺は焦れったい性分だから、こんなに長くて分かりにくい手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断る。しかし、この時ばかりは真面目になって、最初から最後まで読み通した。
読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。
部屋の中は少し暗くなり、前回よりも見にくくなったので、とうとう軒先へ出て腰をかけ、丁寧に手紙を拝見した。
すると、初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、最後には四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生垣まで飛んで行きそうだ。
俺はそんな事には構っていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝癪が強過ぎてそれが心配になる。
――他の人に無暗に渾名なんかつけるのは、人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない。もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ。
――田舎者は人が悪いそうだから、気をつけてひどい目に遭わないようにしろ。
――気候だって東京より不順に極ってるから、寝冷えをして風邪を引いてはいけない。
坊っちゃんの手紙はあまり短過ぎて、様子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。
――宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困らないか、田舎へ行って頼りになるのはお金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時に差支えないようにしなくっちゃいけない。
――お小遣いがなくて困るかも知れないから、為替で十円あげる。
――先だって坊っちゃんからもらった五十円を、坊っちゃんが東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けておいたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。
――なるほど、女性というのは細やかな心遣いを持っているものだ。
俺が椽側で清の手紙を開いていながら考え込んでいると、しきりの襖を開けて、萩野のお婆さんが晩飯を持ってきた。
「まだ見てお出でるのかなもし。えらいほど長いお手紙じゃなもし」と言ったから、「ええ、大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだ」と自分でも要領を得ない返事をして膳についた。
見ると今夜も薩摩芋の煮付けだ。ここの家は、いか銀よりも鄭寧で親切で、しかも上品だが、惜しいことに食い物がまずい。
昨日も芋、一昨日も芋で今夜も芋だ。俺は芋が大好きだと明言したが、こう立て続けに芋を食わされては命が続かない。
裏なり君を笑うどころか、俺自身も、そう遠くないうちに、芋ばかり食べる裏なり先生になってしまうだろう。
清ならこんな時に、俺の好きな鮪の刺身か、蒲鉾の焼き物を食わせるんだが、貧乏士族のけちん坊と来ちゃ仕方がない。
どう考えても清と一緒でなくっちゃ駄目だ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から呼び寄せてやろう。
天ぷらそばを食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。
禅宗の坊主だって、これよりは口に栄養をさせているだろう。――俺は一皿の芋を平らげて、机の引き出しから生卵を二つ出して、茶碗の縁でたたき割って、ようやく凌いだ。
生卵ででも栄養を取らなくっちゃ一週二十一時間の授業が出来るものか。
今日は清からのメールで温泉に行く時間が遅くなった。でも、毎日行っている温泉を一日でも欠かすのは気持ちが悪い。
電車にでも乗って出かけようと、いつもの赤いハンカチをぶら下げて駅まで来たら、ちょうど発車したばかりで、少し待たなければならない。
ベンチに腰掛けてタバコを吹かしていると、偶然にも裏なり君がやって来た。
俺はさっきの話を聞いてから、裏なり君がますます気の毒になった。
普段から世間に住みついているように控えめに振る舞っているのが本当に哀れに見えたが、今夜は哀れどころの騒ぎではない。
できるならば給料を倍にして、遠山のお嬢さんと明日から結婚させて、一ヶ月ばかり東京へでも遊びに行かせたい気がした矢先だから、「お湯ですか、さあ、こっちへ座ってください」と元気よく席を譲ると、裏なり君は恐縮した様子で、「いえ、邪魔をしてしまいますから」と遠慮したり何だかやっぱり立っている。
「少し待たなくては出ません、疲れますから座ってください」とまた勧めてみた。
実はどうにかして、そばに座ってもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。
「それでは邪魔をしてしまいましょう」とようやく俺の言うことを聞いてくれた。
世の中には、出なくてもいいところに顔を出す生意気な奴もいる。
山嵐のように俺がいなくては日本が困るだろうと言うような顔を肩の上に乗せている奴もいる。
そうかと思うと、赤シャツのように化粧品と色男の問屋を自ら任じているのもある。
教育が生きてスーツを着れば俺になるんだと言わんばかりの狸もいる。皆々それ相応に威張ってるんだが、この裏なり先生のように存在しながら存在しないように、人質に取られた人形のように大人しくしているのは見たことがない。
顔はふくれているが、こんな立派な男を捨てて赤シャツに靡くなんて、マドンナもよっぽど気の知れない女だ。
赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様が出来るもんか。
「あなたはどこか具合が悪いんですか。かなり疲れて見えますが……」
「いえ、特にこれという持病もないですが……」
「それなら良いですね。体が悪いと人間もダメですから」
「あなたはかなり丈夫そうですね」
「ええ、痩せても病気はしません。病気なんてものは大嫌いですから」
裏なり君は、俺の言葉を聞いてにっこりと笑った。
ところへ入口で若々しい女性の笑い声が聞こえたから、何気なく振り返ってみるとすごい人が来た。
色白でおしゃれな髪型の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。
俺は美人の形容などが出来る男でないから何にも言えないが、全く美人に違いない。
何だか水晶の珠を香水で温めて、手のひらに握ってみたような心持ちがした。
年配の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。
俺は、や、来たなと思う途端に、裏なり君のことは全然すっかり忘れて、若い女性の方ばかり見ていた。
すると、裏なり君が突然俺の隣から立ち上がり、そろそろ女性の方へ歩き出したんで少し驚いた。
マドンナじゃないかと思った。
三人は切符売り場の前で軽く挨拶している。遠いから何を言ってるのか分からない。
駅の時計を見るともう五分で発車だ。早く電車が来ればいいなと、話し相手がいなくなったので待ち遠しく思っていると、また一人慌てて駅の中へ駆け込んで来たものがある。
見れば赤シャツだ。何だか派手な服に縮緬の帯をゆるく巻き付けて、例の通り金のネックレスをぶらつかせている。あのネックレスは偽物だ。赤シャツは誰も知らないと思って、見せびらかしているが、俺はちゃんと知っている。
赤シャツは駆け込んだなり、何かキョロキョロしていたが、切符売り場の前に話している三人へ丁寧にお辞儀をして、何か二つ、三つ言ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足で歩いて来て、「やあ、君も温泉ですか? 僕は乗り遅れないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計は正確かしらん」と、自分の金の腕時計を出して、二分ほど違っていると言いながら、俺の隣へ腰を下ろした。
女性の方はちっとも見返らず、杖の上に顎をのせて、正面ばかり眺めている。年配の女性は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままだ。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピーッと電車のホーンが鳴り、電車が到着した。待ち合わせた連中はぞろぞろと自信満々に乗り込む。赤シャツは一番乗りでグリーン車へ飛び込んだ。グリーン車に乗ったって威張れるどころではない。住田までグリーン車が五百円、普通車が三百円だから、わずか二百円違いで上下の区別がつく。こういう俺でさえグリーン車を奮発して白い切符を握っているんだからわかる。
もっとも田舎者はけちだから、たった二百円の差でもすごく苦になると見えて、大抵は普通車に乗る。赤シャツの後からマドンナとマドンナの母親がグリーン車に入っていった。裏なり君は活版印刷のように普通車ばかりに乗る男だ。先生は普通車のドアに立って、何だか躊躇の様子であったが、俺の顔を見るや否や思い切って飛び込んでしまった。
俺はこの時何となく気の毒でたまらなかったから、裏なり君の後からすぐ同じ車両に乗り込んだ。グリーン車の切符で普通車に乗るに不都合はなかろう。
温泉に着いて、三階から浴衣のままで湯船へ下りてみたら、また裏なり君に会った。俺は会議や何かでいざとなると喉が詰まって話せない男だが、普段はかなりおしゃべりな方だから、いろいろ湯船の中で裏なり君に話しかけてみた。
何だか哀れでたまらない。こんな時に一言でも相手の心を慰めてやるのは、東京っ子の義務だと思っている。ところがあいにく裏なり君の方では、うまくこっちの調子に乗ってくれない。何を言っても、「え」とか「いえ」とかばかりで、しかもその「え」と「いえ」が大分面倒そうなので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちから失礼した。
湯の中では赤シャツに会わなかった。もっとも風呂の数はたくさんあるのだから、同じ電車で着いても、同じ湯船で会うとは限らない。別段不思議にも思わなかった。
風呂を出てみるといい月だ。街内の両側に柳が植えてあり、柳の枝が丸い影を通りの中へ落としている。少し散歩でもしよう。北へ登って街のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当たりがお寺で、左右が遊郭である。
山門の中に遊郭があるなんて、こんなことは初めてだ。ちょっと入ってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾をかけた、小さな格子窓の平屋は俺が団子を食べて、しくじった所だ。
丸提灯に汁粉、お雑煮と書いてあるのがぶら下がっていて、提灯の火が、軒端に近い一本の柳の幹を照らしている。食べたいなと思ったが、我慢して通り過ぎた。
食べたい団子が食べられないのは情けない。しかし自分の婚約者が他人に心を移したのは、さらに情けないだろう。裏なり君のことを思うと、団子なんて馬鹿馬鹿しい、三日ぐらい断食しても不平はこぼせないわけだ。本当に人間ほどあてにならないものはない。
あの顔を見ると、どうしてもそんな非情なことをするとは思えないのだが――美しい人が非情で、冬瓜のような古賀さんが善良な紳士なのだから、油断ができない。淡泊だと思った山嵐は生徒を扇動したと言うし、生徒を扇動したのかと思うと、生徒の処分を校長に迫るし。厭味で練り固めたような赤シャツが意外と親切で、俺に余所者ながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを騙したり、騙したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと言うし。
いか銀が難癖をつけて、俺を追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入れ替わったり――どう考えても信頼できない。こんなことを清に書いてやったらきっと驚くことだろう。箱根の向こうだから化物が寄ってるんだと言うかもしれない。俺は、生来気にしない性分だから、どんなことでも苦にしないで今日まで乗り切ってきたのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世の中を物騒に思い出した。
別段大事件にも出会わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡って野芹川の堤へ出た。川と言うと大げさだが実は一間ぐらいの、ちょろちょろした流れで、堤に沿って十二丁ほど下ると相生村へ出る。
村には観音様がある。温泉の街を振り返ると、赤い灯が月の光の中で輝いている。太鼓が鳴るのは遊郭に違いない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら堤の上を歩きながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影が見え出した。月に透かしてみると影は二つある。温泉へ来て村へ帰る若者かもしれない。それにしては歌も歌わない。存外静かだ。
だんだん歩いて行くと、俺の方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。俺の足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離に迫った時、男がたちまち振り向いた。月は後ろから照らしている。その時、俺は男の様子を見て不思議に思った。男と女はまた元の通りに歩き出した。
俺は考えがあるから、急に全速力で追いかけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を進めている。今は話し声も手に取るように聞こえる。堤の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。俺は苦もなく後ろから追い付いて、男の袖をすり抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面から俺の五分刈りの頭から顎の辺りまで、会釈もなく照らす。
男はあっと小声に言ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促すながすが早いか、温泉の街の方へ引き返した。赤シャツは図太くて騙すつもりなのか、それとも気が弱くて名乗り損なったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、俺ばかりではなかった。
🍚八、
赤シャツに勧められて釣りに行った帰りから、山嵐を疑い始めた。何もないことを理由に下宿を出て行けと言われた時は、まさに不謹慎な奴だと思った。しかし会議の席では案の定、生徒厳罰論を滔々と述べたから、おや、変だなと首を傾げた。
萩野のおばあさんから、山嵐が裏なり君のために赤シャツと交渉をしたと聞いた時は、それは感心だと手を叩いた。この様子では悪者は山嵐じゃない、赤シャツのほうが曲がっているんだ、適当な邪推を真実そうに、しかも遠回しに、俺の頭の中に浸透させたのではないかと迷っている矢先に、野芹川の堤で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来、赤シャツは怪しい男だと決めつけてしまった。
曲者だか何だかよくは分からないが、ともかくも善い男じゃない。表と裏とが違った男だ。人間は竹のように真っ直ぐでなくっちゃ頼もしくない。真っ直ぐなものは喧嘩をしても心持ちがいい。赤シャツのような優しい、親切で、高尚な男が琥珀のパイプを自慢そうに見せびらかすのは、油断ができない、めったに喧嘩もできないと思った。
喧嘩をしても、回向院の相撲のような心持ちのいい喧嘩はできないと思った。そうなると一銭五厘の出入で全体を驚かせた議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼を剥いて、俺を睨んだ時は憎らしい奴だと思ったが、後で考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声よりはましだ。
実はあの会議が終わった後で、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎は、返事もせずに、まだ目を剥いて見せたので、こちらも腹が立ってそのままにしておいた。それ以来、山嵐は俺と口を利かない。机の上に返した一銭五厘はまだ机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。俺はもちろん手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の壁になって、俺は話そうと思っても話せない、山嵐は頑として黙っている。俺と山嵐の間には一銭五厘が祟った。結局は学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
山嵐と俺が絶交の状態になった一方で、赤シャツと俺は依然として以前の関係を保ち、交際を続けている。野芹川で会った翌日などは、学校へ出ると最初に俺のところへ来て、「君、今度の下宿はいいですか」「また一緒にロシア文学を釣りに行こうじゃないか」といろいろなことを話しかけた。
俺は少々憎らしかったから、「昨夜は二度会いましたね」と言ったら、「ええ、駅で――君はいつもあの時間に出かけるのですか、遅いじゃないか」と言う。「野芹川の堤でもお目にかかりましたね」と突っ込んでやったら、「いいえ、僕はあっちへは行かない、湯に入って、すぐ帰った」と答えた。何もそんなに隠さなくてもいいだろう、現に会っているんだ。よく嘘をつく男だ。これで中学の教頭が務まるなら、俺なんか大学総長が務まる。
俺はこの時からいよいよ赤シャツを信用しなくなった。信用しない赤シャツとは口をきいて、感心している山嵐とは話をしない。世の中は随分奇妙なものだ。ある日のこと、赤シャツが「ちょっと君に話があるから、僕のうちまで来てくれ」と言うから、惜しいと思ったが温泉行きを欠勤して四時頃に出かけて行った。
赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとっくの昔に引き払って立派な玄関を構えている。家賃は九千五百円だそうだ。田舎へ来て九千五百円払えばこんな家に入れるなら、俺も一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばせてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むと言ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。この弟は学校で、俺に代数と算術を教わる至って出来の悪い子だ。そのくせ移り気だから、生まれついての田舎者よりも人が悪い。
赤シャツに会って用事を聞いてみると、大将例の琥珀のパイプで、きな臭いタバコを吹きながら、こんなことを言った。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成績がよく上がって、校長も大いにいい人を得たと喜んでいるので――どうか学校でも信頼しているのだから、そのつもりで勉強していただきたい」
「へえ、そうですか、勉強って今より勉強は出来ませんが――」
「今のくらいで充分です。ただ先だってお話しした事ですね、あれを忘れずにいて下さればいいのです」
「下宿の世話なんかするものあ剣呑だという事ですか」
「そう露骨に言うと、意味もない事になるが――まあいいさ――精神は君にもよく通じている事と思うから。そこで君が今のように出勤して下されば、学校の方でも、ちゃんと見ているんだから、もう少しして都合さえつけば、待遇の事も多少はどうにかなるだろうと思うんですがね」
「へえ、給料ですか。給料なんかどうでも」いいんですが、上がれば上がった方がいいですね」
「それで幸い今度転任者が一人できるから――もっとも校長に相談してみないと、無論受け合えないことだが――その給料から少しは融通が利くかもしれないから、それで都合をつけるように校長に話してみようと思うんですがね。」
「どうもありがとう。誰が転任するんですか?」
「もう発表になるから話しても差し支えないでしょう。実は古賀君です。」
「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか。」
「ここの地元の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です。」
「どこへ行くんです?」
「日向の延岡で――土地が土地だから一級給上がって行くことになりました。」
「誰か代わりが来るんですか?」
「代わりも大抵決まってるんです。その代わりの具合で君の待遇上の都合もつくんです。」
「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでも構いません。」
「ともかく、僕は校長に話すつもりです。それで、校長も同意見らしいが、追って君にもっと働いていただかなくてはならなくなるかもしれないから、どうか今からそのつもりで覚悟しておいてほしいですね。」
「今より時間でも増すんですか?」
「いいえ、時間は今より減るかもしれませんが――」
「時間が減って、もっと働くんですか、妙だな。」
「ちょっと聞くと妙だが、――はっきりとは今言いにくいが――まあつまり、君にもっと重大な責任を持ってもらうかもしれないという意味なんです。」
俺には一向分からない。今より重大な責任と言えば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこさんなかなか辞職する気遣いはない。それに、生徒の人望があるから転任や免職は学校にとって得策ではないだろう。赤シャツの談話は、いつも要領を得ない。要領を得なくても用事はこれで済んだ。それから少し雑談をしているうちに、裏なり君の送別会をやることや、ついては俺が酒を飲むかという問や、裏なり先生は君子で愛すべき人だということや――赤シャツはいろいろ弁じた。しまいに話を変えて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられてたまるものか。
帰ってじっくり考え込んだ。世間には随分理解しきれない男がいる。家もあるし、勤める学校に不足のない故郷が嫌になったからと言って、知らない他国へ苦労を求めに出る。それも花の都の電車が通ってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何のことだ。俺は船便のいいここへ来てさえ、一ヶ月立たないうちにもう帰りたくなってしまった。延岡と言えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの言うところによると、船から上がって、一日馬車に乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日車に乗らなくては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人が半々に住んでいるような気がする。いかに聖人の裏なり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物好きだ。
ところで、相変わらずおばあさんが夕食を運んできた。今日もまた芋ですかと聞いてみたら、いえ今日はお豆腐だと言った。どっちにしたって似たものだ。
「おばあさん、古賀さんは日向へ行くそうですね。」
「本当にお気の毒だわ。」
「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね。」
「好んで行くって、誰がそう言ったの?」
「誰がそう言ったって、当人がさ。古賀先生が物好きに行くんじゃありませんか。」
「それはあなた、大違いの勘違いだわ。」
「勘違いかね。だって今赤シャツがそう言いましたよ。それが勘違いなら赤シャツは嘘つきの大ぼら吹きだ。」
「教頭さんが、そう言うのはもっともだけど、古賀さんの行きたくないのももっともだわ。」
「そんなら両方もっともなんですね。おばあさんは公平でいい。一体どういう訳なんですか?」
「今朝古賀のお母さんが見えて、だんだん訳を話したのよ。」
「どんな訳を話したんです?」
「あそこもお父さんが亡くなってから、私たちが思うほど生活が豊かにならず困っていて、お母さんが校長さんに頼んで、もう四年も勤めているものだから、どうぞ毎月もらうものを、今少しふやしてくれないかと、あなた。」
「なるほど。」
「校長さんが、よし、考えてみようと言ったんだ。それでお母さんも安心して、今に昇給の連絡があるだろう、今月か来月かと首を長くして待っていたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古賀さんに言ったんだけど、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りないから、給料を上げる訳にはいかない。しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五百円余分にもらえるから、お望み通りでよかろうと思って、その手続きをしたから、行くように言われたんだ。――「じゃ、相談じゃない、命令じゃありませんか?」
「そうよ。古賀さんは、他所へ行って給料が増すより、元のままでもいいから、ここにいたい。家もあるし、母もいるからと頼んだけど、もうそう決めたあとで、古賀さんの代わりは出来ているから仕方がないと校長が言ったんだ。」
「変な人を馬鹿にしているだけでは、面白くもない。じゃ、古賀さんは行く気はないんですね。どうして変だと思ったのか。五百円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く変わり者はまずないからね。」
「唐変木って、先生なんて言うんですか?」
「何でもいいですよ。――全く赤シャツの策略ですね。よくない仕打ちだ。まるで詐欺ですね。それで僕の給料を上げるなんて、不都合なことがあるものか。上げてやるって言うから、断ろうと思います。」
「どうして断るんですか?」
「何でも断ります。おばあさん、あの赤シャツは馬鹿ですよ。卑怯でさあ。」
「卑怯でも、あなた、給料を上げてくれたら、大人しく受け取っておく方が得だと思いますよ。若いうちはよく腹が立つものですが、年をとってから考えると、もう少しの我慢があったのに惜しいことをした。腹を立てたために、こんなに損をしたと後悔するのが当然ですよ。おばあさんの言うことを聞いて、赤シャツさんが給料を上げてくれると言ったら、ありがたく受け取っておきなさい。」
「年寄りのくせに余計な世話を焼かなくてもいい。僕の給料は上がろうと下がろうと、僕の給料だ。」
おばあさんは黙って引き込んだ。おじいさんはのんびりとした声で歌を歌っている。歌というものは、読んで理解できる部分に無理に難しい節をつけて、わざと分かりにくくする術だろう。あんな人を毎晩飽きずに唸っているおじいさんの気が知れない。僕は歌なんて騒ぎじゃない。給料を上げてやろうと言うから、特に欲しくはなかったが、入らない金を余らせておくのももったいないと思い、承知したのだが、転任したくないものを無理に転任させて、その男の給料の上前を跳ねるなんて非情なことができるものか。当人がもとの通りでいいと言うのに、延岡まで落とさせるとは一体どういう了見だろう。太宰権帥だって博多近辺で落ち着いたものだ。河合又五郎だって相良で止まっているじゃないか。とにかく赤シャツの所へ行って断って来なくっちゃ気が済まない。
小倉の袴をつけてまた出掛けた。大きな玄関へ立って頼むと言うと、また例の弟が取次に出てきた。僕の顔を見て、また来たかという目つきをした。用があれば二度だって三度だって来る。夜中だって叩き起こさないとは限らない。教頭の所へご機嫌伺いに来るような僕と見損なっているか。これでも給料が入らないから返しに来たんだ。すると弟が「今来客中だ」と言うから、玄関でいいからちょっとお目にかかりたいと言ったら、奥へ引き込んだ。足元を見ると、畳付きの薄っぺらな、のめりの駒下駄がある。奥でもう万歳ですよと言う声が聞こえる。お客とは野だなと気がついた。野でなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸人みたいな下駄を履くものはない。
しばらくすると、赤シャツがランプを持って玄関まで出て来て、「まあ上がりなさい、外の人じゃない吉川君だ」と言うから、「いえ、ここでたくさんです。ちょっと話せばいいんです」と言って、赤シャツの顔を見ると金時のようだ。野だ公と一杯飲んでいると見える。
「さっき僕の給料を上げてやるという話でしたが、少し考えが変わったので、断りに来たんです。」赤シャツはランプを前に出して、奥の方から僕の顔を眺めたが、とっさの返事をしかねて茫然としている。給料の増額を断る奴が世の中に一人だけ現れたのを不審に思ったのか、断るにしても、今帰ったばかりで、すぐに出直してこなくてもよさそうなものだと呆れたのか、またはその両方が合わさったのか、妙な表情で突っ立ったままである。
「古賀君が自分の希望で転任するという話でしたから……」
「古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです。」
「そうじゃないんです。ここに居たいんです。元の給料でもいいから、郷里に居たいのです。」
「君は古賀君から、そう聞いたのですか?」
「そりゃ当人から、聞いたわけじゃありません。」
「じゃ、誰から聞きましたか?」
「僕の下宿のおばあさんが、古賀さんのお母さんから聞いたことを今日僕に話したのです。」
「じゃ、下宿のおばあさんがそう言ったのですね。」
「まあ、そうです。」
「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたの言う通りだと、下宿屋のおばあさんの言うことは信じるが、教頭の言うことは信じないというように聞こえますが、そういう意味に解釈しても差し支えないでしょうか。」
僕はちょっと困った。文学士なんてものは、やはり立派なものだ。妙なところにこだわって、ねちねち押し寄せてくる。僕はよく親父から「貴様はそそっかしくてダメだ」と言われたが、なるほど少々そそっかしいようだ。おばあさんの話を聞いてはっと思って飛び出してきたが、実は裏なり君にも裏なりのお母さんにも会って詳しい事情は聞いていなかったのだ。だからこう文学士流に斬り付けられると、少し受け入れがたい。
正面からは受け入れがたいが、僕はもう赤シャツに対して不信任を心の中で申し渡してしまった。下宿のおばあさんもけちん坊の欲張り屋に違いないが、嘘は吐かない女だ、赤シャツのように裏表はない。僕は仕方がないから、こう答えた。
「あなたの言うことは本当かもしれませんが――とにかく増給はご免です。」
「それはますます可笑しい。今君がわざわざ来たのは、増俸を受けるには我慢ならない理由を見つけたからのように聞こえたが、その理由が僕の説明で取り去られたにもかかわらず、増俸を拒むのは少し解せないようですね。」
「解せないかもしれませんがね。とにかく断りますよ。」
「そんなに嫌なら強いてとまでは言いませんが、そう二三時間のうちに特別の理由もなく豹変しちゃ、将来君の信用にかかわる。」
「かかわっても構いません。」
「そんな事はないはずです。人間に信用ほど大切なものはありませんよ。よしんば今一歩譲って、下宿の主人が……」
「主人じゃない、おばあさんです。」
「どちらでもいいです。下宿のおばあさんが君に話したことを事実としたところで、君の昇給は古賀君の所得を削って得たものではないでしょう。古賀君は延岡へ行く。その代わりが来る。その代わりは古賀君よりも多少低給で来てくれる。その余剰を君に回すのだから、君は誰にも気の毒がる必要はないはずです。古賀君は延岡で、今よりも昇進する。新任者は最初からの約束で安く来る。それで君が上がれば、これほど都合のいいことはないと思いますがね。嫌なら嫌でもいいが、もう一度よく考えてみませんか。」
僕の頭はあまり賢くないのだから、いつもなら、相手がこういう巧妙な弁舌を振るえば、「おや、そうかな。それじゃ、僕が間違っていた」と恐縮して引き下がるのだけれども、今夜はそうはいかない。
ここへ来た最初から赤シャツは何だか虫が好かなかった。途中で親切な女みたいな男だと思い返したこともあるが、それが親切でも何でもなさそうなので、反動の結果、今じゃよっぽど嫌になっている。
だから先がどれほど論理的に弁論を逞しくしようとも、堂々たる教頭流に僕を追い込もうとも、そんなことは構わない。議論が上手な人が必ずしも善人とは限らない。追い込まれる方が悪人とも限らない。
表向きは赤シャツの方が重々もっともだが、表向きがいくら立派でも、腹の中まで惚れさせるわけにはいかない。金や権力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも、一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法で僕の心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。
「あなたの言うことはもっともですが、僕は昇給が嫌になったんですから、まあ断ります。考えたって同じことです。さようなら」と言い残して門を出た。頭の上には天の川が一筋かかっている。
🍚九、
うらなり君の送別会がある日の朝、学校に行ったら、山嵐が突然、「君、先日はいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出て行ってくれと頼んだから、真面目に受けて、君に出て行ってくれと話したんだ。
でも、後から聞いてみると、あいつは悪い奴で、よく偽筆で贋作の落款などを押して売りつけるそうだから、君のことも全く出鱈目に違いない。君に掛け物や骨董を売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないで利益がないものだから、あんな作り話を作って騙したんだ。僕はあの人物を知らなかったので君に大変失礼した、許してくれ」と長々と謝罪した。
僕は何も言わずに、山嵐の机の上にあった一銭五厘を取って、僕の財布の中に入れた。山嵐は「君、それを取るのか」と不審そうに聞くから、「うん、僕は君に奢られるのが嫌だったから、絶対に返すつもりだった。でも、その後じっくり考えてみると、やっぱり奢ってもらう方がいいようだから、取るんだ」と説明した。
山嵐は大きな声で「アハハハ」と笑いながら、「そうなら、なぜ早く取らなかったのだ」と聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、何だか変だからそのままにしておいた。最近は学校に来て一銭五厘を見るのが苦痛で嫌だったと言ったら、「君は本当に負け惜しみが強い男だ」と言うから、「君は本当に頑固だ」と答えてやった。
それから二人の間にこんな問答が起こった。「君は一体どこの出身だ」「僕は東京っ子だ」「うん、東京っ子か、だから負け惜しみが強いと思った」「君はどこ出身だ」「僕は会津だ」「会津っぽいね、頑固な訳だ。今日の送別会に行くの?」「もちろん行くよ、君は?」「僕はもちろん行くよ。古賀さんが立つ時は、浜辺で見送りに行こうと思ってるくらいだ」「送別会は面白いよ、出てみて。今日は思いっきり飲むつもりだ」「好きに飲むがいい。僕は料理を食べたら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴はバカだ」「君はすぐ喧嘩を吹っ掛ける男だ。なるほど東京っ子の軽快な風を、よく表してる」「何でもいい、送別会に行く前にちょっと僕の家に寄って、話があるから」
山嵐は約束通りに俺の部屋に来た。この間から、うらなり君の顔を見るたびに気の毒でたまらなかった。でも、今日が送別の日となったら、何だか切なくなって、できることなら、俺が代わりに行ってあげたいような気がした。
だから送別会で、思いっきりスピーチでもして、その旅立ちを盛り上げてやりたいと思ったんだ。でも、俺の口調じゃ、とてもうまくいかないから、大声で話す山嵐を雇って、一番赤シャツのプライドを傷つけてやろうと思ったんだ。だから、わざわざ山嵐を呼んだ。
最初に、マドンナ事件から話し始めたんだ。でも、山嵐はもちろん、マドンナ事件については俺より詳しく知っている。俺が野芹川の土手の話をして、あれはバカだと言ったら、山嵐は「お前は誰を捕まえてもバカ呼ばわりする。今日学校で自分のことをバカと言ったじゃないか。自分がバカなら、赤シャツはバカじゃない。自分は赤シャツの同類じゃない」と主張した。
それじゃ赤シャツはダメダメのアホだと言ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。山嵐は強いことは強いが、こんな言葉になると、俺より遥かに字を知っていない。会津っぽいものはみんな、こんなものなんだろう。
それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが言った話をしたら、山嵐はふふんと鼻から声を出して、それじゃ僕を免職する考えだなと言った。免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞いたら、誰がなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツも一緒に免職させてやると大いに威張った。
どうして一緒に免職させる気かと押し返して尋ねたら、そこはまだ考えていないと答えた。山嵐は強そうだが、知恵はあまりなさそうだ。俺が増給を断ったと話したら、大将は大いに喜んでさすが江戸っ子だ、えらいと褒めてくれた。
うらなりが、そんなに嫌がっているなら、なぜ留任の運動をしてやらなかったと聞いてみたら、うらなりから話を聞いた時は、すでに決まってしまって、校長へ二度、赤シャツへ一度行って談判してみたが、どうすることもできなかったと話した。それについても古賀があまり好人物過ぎるから困る。
赤シャツから話があった時、断然断るか、一応考えてみますと逃げればいいのに、あの弁舌に騙されて、即座に許諾したものだから、後からお母さんが泣きついても、自分が談判に行っても役に立たなかったと非常に残念がった。
今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうと俺が言ったら、もちろんそうに違いない。あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か言うと、ちゃんと逃げ道を作って待ってるんだから、よっぽど悪党だ。
あんな奴にかかっては鉄拳制裁でなくっちゃ利かないと、こぶだらけの腕をまくってみせた。俺はついでだから、君の腕は強そうだな、柔術でもやるかと聞いてみた。すると大将の腕に力こぶを入れて、ちょっとつかんでみろと言うから、指の先で揉んでみたら、何の事はない湯屋にある軽石のようなものだ。
俺はかなり感心したから、「君のその腕力なら、赤シャツの5人や6人は一度に吹き飛ばされるだろう」と聞いたら、「もちろんさ」と言いながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮めたりすると、力こぶがぐるぐると皮の中で回転する。すごく楽しそうだ。
山嵐の説明によると、金網を二本より合わせて、この力こぶの出る所に巻きつけて、思いっきり腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。「金網なら、俺にもできそうだ」と言ったら、「できるものか、できるならやってみろ」と来た。切れないと評判が悪いから、俺は見送った。
「どうだ、今夜の送別会でたっぷり飲んだ後、赤シャツと野中を殴ってみないか」と半分冗談で勧めてみたら、山嵐は「そうだな」と考えていたが、「今夜はまあやめておこう」と言った。「なぜ?」と聞くと、「今夜は古賀に気の毒だから――それにどうせぶん殴るくらいなら、あいつらの悪い所を見届けて現場でぶん殴らないと、こっちが悪いことになるから」と、分別のありそうな事を附加した。山嵐でも俺よりは考えがあると見える。
「じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、俺がすると江戸っ子のぺらぺらになって重みがなくていけない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜飲が起って咽喉のどの所へ、大きな丸が上がって来て言葉が出ないから、君に譲るから」と言ったら、「妙な病気だな、じゃ君は人前じゃ口は利けないんだね、困るだろう」と聞くから、「何そんなに困りゃしない」と答えておいた。
そうこうするうち時間が来たから、山嵐と一緒に会場へ行く。会場は花晨亭といって、ここで一等の料理屋だそうだが、俺は一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷を買い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見かけからして厳かな構えだ。家老の屋敷が料理屋になるのは、まるで陣羽織を胴着に縫い直すようなものだ。
二人が着いた頃には、人数ももう大概揃って、五十畳の広間に二つ三つ人間の塊が出来ている。五十畳だけに床は素敵に大きい。俺が山城屋で占領した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。
右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶を据えて、その中に松の大きな枝が挿してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立っても散る気がないから、銭がかからなくて、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、「あれは瀬戸物じゃありません、伊万里です」と言った。「伊万里だって瀬戸物じゃないか」と言ったら、博物はえへへへへと笑っていた。後で聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸というのだそうだ。
俺は江戸っ子だから、陶器を瀬戸物と呼ぶと思っていた。床の真ん中に大きな掛け物があって、俺の顔くらいな大きさな字が二十八字書いてある。どうも下手なものだ。あんまり不味いから、漢学の先生に、「なぜあんなまずいものを麗々と掛けておくんです」と尋ねたところ、先生は「あれは海屋といって有名な書家の書いたものだ」と教えてくれた。「海屋だか何だか、俺は今だに下手だと思っている」。
やがて書記の川村が「どうかお着席を」と言うから、柱があってもたれかかるのに都合のいい所へ座った。海屋の掛け物の前に狸が羽織と袴で着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣取った。右の方は主人公だというのでうらなり先生、これも和服で控えている。
俺は洋服だから、かしこまるのが窮屈だったから、すぐに胡座をかいた。隣の体操教師は黒ズボンで、ちゃんとかしこまっている。体操の教師だけにいやに修行が積んでいる。やがてお膳が出る。徳利が並ぶ。幹事が立って、一言開会の辞を述べる。それから狸が立つ。赤シャツが立つ。ことごとく送別の辞を述べたが、三人ともうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴して、今回去られるのはまことに残念である、学校としてだけでなく、個人として大いに惜しむところであるが、ご本人の都合で、切に転任をご希望になったのだから仕方がないという意味を述べた。
こんな嘘をついて送別会を開いて、それでちっとも恥ずかしいとも思っていない。ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで言った。しかもその言い方がいかにも、もっともらしくって、例の優しい声を一層優しくして、述べ立てるのだから、初めて聞いたものは、誰でもきっと騙されるに違いない。マドンナも大方この手で引っ掛けたんだろう。
赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向かい側に座っていた山嵐が俺の顔を見てちょっと稲光をさした。俺は返電として、人差し指でベッカンコウをして見せた。
赤シャツが座に戻るのを待ちかねて、山嵐がすっと立ち上がった。俺は嬉しくなり、思わず手をパチパチと叩いた。すると、狸を始め一同がことごとく俺の方を見たので、少々困った。
山嵐は何を言うかと思うと、「ただ今、校長始め教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で、古賀君が一日も早く当地を去られることを希望しております。延岡は僻遠の地で、当地に比べると物質的な不便があるだろう。しかし、聞くところによれば、風俗がすこぶる淳朴な所で、職員生徒はことごとく上代樸直の気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を振りまいたり、美しい顔をして君子を陥れたりするハイカラ野郎は、一人もいないと信じているから、君のような温良篤厚の士は、必ずその地方一般の歓迎を受けるに違いない。私は大いに古賀君のためにこの転任を祝するのである。
終わりに臨んで、君が延岡に赴任されたら、その地の淑女にして、君子の好逑となるべき資格のある者を選んで、一日も早く円満なる家庭を築き、その不貞無節なるお転婆を事実の上で恥死させることを希望します。」と、二つばかり大きな咳払いをして席に着いた。
俺はまた手を叩こうと思ったが、みんなが俺の顔を見るといやだから、やめにしておいた。山嵐が座ると、今度はうらなり先生が立ち上がった。先生はご丁寧に、自席から座敷の端の末座まで行き、丁寧に一同に挨拶をした上で、「今般は一身上の都合で九州へ参ることになりました。諸先生方が私のためにこの盛大なる送別会を開いて下さったのは、まことに感銘の至りに堪えぬ次第で、ことにただ今は校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴し、大いに感謝しております。
私はこれから遠方へ参りますが、何とぞ従前の通り見捨てないでご愛顧を願います。」と、堅苦しく言って席に戻った。うらなり君は、どこまで人がいいのか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や教頭に丁寧にお礼を言っている。それも義理一遍の挨拶ならまだしも、あの様子や言葉づかい、顔つきから言うと、心から感謝しているらしい。
こんな聖人に真面目にお礼を言われたら、気の毒になって赤面しそうなものだが、狸も赤シャツも真面目に聞いているばかりだ。挨拶が済むと、あちらでもチュー、こちらでもチューという音がする。俺も真似をして汁を飲んでみたが、まずいもんだ。口取りに蒲鉾はついているが、どす黒くて竹輪の出来損ないである。刺身も並んでいるが、厚くて鮪の切り身を生で食うのと同じことだ。それでも隣り近所の連中は、むしゃむしゃ美味そうに食べている。大方、江戸前の料理を食ったことがないんだろう。
そのうちに燗酒が頻繁に行き来し始め、四方が急に賑やかになった。野田公は丁寧に校長の前へ出て盃を頂いている。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬をして、一巡するつもりとみえる。大変な苦労だろう。
うらなり君が俺の前へ来て、「一つ頂戴しましょう」と袴のひだを正して申し込まれたので、俺も窮屈にズボンのままかしこまって、一杯差し上げた。「せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。出立はいつですか、是非浜までお見送りをしましょう」と言ったら、うらなり君は「いえ、ご多忙のところ、それには及びません」と答えた。うらなり君が何と言ったって、俺は学校を休んで送る気でいる。
それから一時間ほどするうちに席上は大分乱れてきた。「まあ一杯、おや僕が飲めと言うのに……」などと舌が回らないのも、一人二人出来てきた。少々退屈したからトイレへ行って、昔風な庭を星明かりに照らして眺めていると、山嵐が来た。「どうだ、さっきの演説はうまかったろう」と大分得意だ。「大賛成だが、一ヶ所気に入らない」と抗議を申し込んだら、「どこが不賛成だ」と聞いた。「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡に居ないから……と君は言ったろう」「うん」「ハイカラ野郎だけでは不足だよ。」
「じゃ何と言うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも言うがいい」
「俺には、そう舌は回らない。君は能弁だ。第一、単語を大変たくさん知ってる。それで演舌が出来ないのは不思議だ」
「なに、これは喧嘩のときに使おうと思って、用心のために取っておく言葉さ。演舌となっちゃ、こうは出ない」
「そうかな、しかしぺらぺら出るぜ。もう一遍やって見たまえ」
「何遍でもやるさ。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」と言いかけていると、廊下をドタバタ言わして、二人ばかり、よろよろしながら走って来た。
「両君、それはひどい。――逃げるなんて、僕がいる限り、決して逃がさない。さあ、飲んでみろ。――いかさま師?――面白い、いかさま面白い。――さあ、飲んでみろ」と俺と山嵐をぐいぐい引っ張って行く。実はこの二人共トイレに来たのだが、酔ってるもんだから、トイレへ入るのを忘れて、俺たちを引っ張るのだろう。酔っ払いは目の前のことに集中し、過去のことをすぐに忘れてしまうものだ。
「さあ、みんな、いかさま師を引っ張って来た。さあ、飲ませてくれ。いかさま師をたくさん、酔わせてくれ。君、逃げちゃいけない」と逃げもせぬ、俺を壁際へ押し付けた。周りを見回してみると、膳の上には、満足できる肴が一つもない。自分の分をきれいに食い尽くして、五六間先へ遠征に出た奴もいる。校長はいつ帰ったか姿が見えない。
ところへ「お座敷はこちら?」と三、四人の芸者が入って来た。俺も少し驚いたが、壁際へ押し付けられているんだから、じっとしてただ見ていた。すると今まで床柱へもたれて例の琥珀のパイプを自慢そうにくわえていた、赤シャツが急に起って、座敷を出にかかった。向こうから入って来た芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人は一番若くて一番きれいな奴だ。遠くで聞きこえなかったが、「おや、今晩は」ぐらい言ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行ったきり、顔を出さなかった。大方校長の後を追って帰ったんだろう。
芸者が来たら、部屋中が一気に陽気になって、みんなが歓声を上げて歓迎したかのように、とても騒がしい。そして、ある奴は何をつかむ。その声の大きさは、まるで居合抜きの稽古のように響いていた。こっちでは拳を打ってる。よっ、はっ、と夢中で両手を振るところは、ダーク一座の操り人形よりずっと上手だ。向こうの隅ではおい、お酌だ、と徳利を振ってみて、酒だ酒だと言い直している。どうもうるさく、騒々しくてたまらない。その中で暇を持て余して下を向いて考え込んでるのは俺だけだ。自分のために送別会を開いてくれたのは、転任を惜しんでくれるのではなく、ただ酒を飲んで遊びたいからだ。自分一人が暇を持て余して苦しむためだ。こんな送別会なら、開いてもらわない方がずっとましだ。
しばらくしたら、みんなが声を出して何か歌い始めた。俺の前に来た一人の芸者が、あんた、何か、歌ってみて、と三味線を抱えたから、俺は歌わない、お前が歌ってみろと言ったら、金や太鼓でない、迷子の迷子の三太郎と、どんどこ、どんのちゃんちきりん。叩いて回って会えるものなら、私なんかも、金や太鼓でどんどこ、どんのちゃんちきりんと叩いて回って会いたい人がいる、と息をついて歌って、大変だと言った。大変なら、もっと楽なものをやればいいのに。
すると、いつの間にか隣に来て座った野田が、鈴ちゃん会いたい人に会ったと思ったら、すぐ帰るで、気の毒だねと相変わらず話し家みたいな言葉使いをする。知らないと芸者はきっぱりと言った。野田は全然気にせず、たまたま会いは会いながら……と、嫌な声を出して義太夫の真似をやる。おきなはれやと芸者は平手で野田の膝を叩いたら野田は恐喜して笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑うなんて、野田もおめでたい奴だ。鈴ちゃん俺が紀伊の国を踊るから、一つ弾いてくれと言い出した。野田はこれからもまだ踊る気でいる。
向こうで漢学のおじいさんが歯のない口を歪めて、「そりゃ聞けませんよ伝兵衛さん、あなたと私のその中は……」とまでは無事に言い終えたが、それから? と芸者に聞いている。おじいさんは、記憶力が悪いなあと思った。一人が博物を捕まえて最近こんなのが、出来ましたよ、弾いてみましょうか。よく聞いて、いなはれや――花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半可の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と歌うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。
山嵐はばかに大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、俺が剣舞をやるから、三味線を弾けと命じたのだった。芸者はあまり乱暴な声なので、驚いて返事もしない。山嵐は細かいことは気にせず、ステッキを持って来て、踏破千山万岳の煙と真ん中へ出て一人で隠し芸を演じている。そのうち、野田は紀伊の国を終え、かっぽれも終え、棚の達磨さんも終えて、全裸の越中ふんどし一つになり、棕櫚箒を小脇に抱えて、日清談判破裂して……と部屋中を歩き回り始めた。まるで気違いだ。
俺はさっきから苦しそうに袴も脱がずに我慢しているうらなり君が気の毒でたまらなかったが、なんぼ自分の送別会だって、越中ふんどしの裸踊りまで羽織袴で我慢してみている必要はあるまいと思ったから、そばへ行って、古賀さんもう帰りましょうと退去を勧めてみた。すると、うらなり君は今日は私の送別会だから、私が先に帰っては失礼です、どうぞ遠慮なくと動く気配もない。何気にするんですか、送別会なら、送別会らしくするがいいです、あの様子をご覧なさい。気違いの会です。さあ行きましょうと、進まないのを無理に勧めて、部屋を出かけるところへ、野田が箒を振り振り進行して来て、やあ主人が先に帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞いだ。俺はさっきから腹立たしくて、日清談判ならお前はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳で、野田の頭をぽかりと叩いてやった。
野田は二三秒の間毒気を抜かれた体で、ぼんやりしていたが、おや、これはひどい。お撲りになったのは情けない。この吉川を打撃とは恐れ入った。いよいよもって日清談判だ。とわからないことを並べているところへ、後ろから山嵐が何か騒動が始まったと見てとって、剣舞をやめて飛んできたが、この様子を見て、いきなり首筋をぐっとつかんで引き戻した。日清……痛い、痛い。どうもこれは乱暴だと振りもがくところを横にねじったら、すとんと倒れた。あとはどうなったか知らない。途中でうらなり君に別れて、家へ帰ったら十一時過ぎだった。
🍚十、
祝勝会で学校はお休みだ。練習場で式があるというので、狸は生徒を引率して参列しなければならない。俺も職員の一人として一緒に行くんだ。街へ出ると日の丸だらけで、眩しいくらいだ。
学校の生徒は800人もいるのだから、体操の教師が隊列を整えて、一組一組の間を少しずつ開けて、それへ職員が一人か二人ずつ監督として割り込む仕掛けだ。仕掛けは巧妙だが、実際の運営は不手際だ。
生徒は子供の上に生意気で、規律を破ることが体面にかかわると思っている奴らだから、職員が何人ついて行ったって何の役にも立たない。命令もなく、勝手に軍歌を歌ったり、軍歌をやめるとワーと理由もなく声を上げたり、まるで浪人が街内を歩き回っているようなものだ。軍歌も声も上げない時はがやがや何かしゃべっている。
しゃべらないでも歩けそうなものだが、日本人はみんな口から先に生まれるのだから、いくら注意しても聞きっこない。しゃべるのも、ただしゃべるのではなく、教師の悪口を言うのだから、不適切だ。
俺は宿直事件で生徒を謝罪させて、まあこれならいいだろうと思っていた。ところが実際は大違いだ。下宿のおばあさんの言葉を借りて言えば、まさに大違いの勘五郎だ。生徒が謝ったのは、心から後悔したわけではなかった。ただ校長から命令されて、形式的に頭を下げたのだ。
商人が頭ばかり下げて、ずるいことをやめないのと同じで生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決してやめるものではない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成り立っているかもしれない。
人が謝ったり謝罪したりするのを、真面目に受けて許すのは正直過ぎるバカと言うんだろう。謝るのも一時的に謝るので、許すのも一時的に許すのだと思ってれば差し支えない。もし本当に謝らせる気なら、本当に後悔するまで叩きつけなくてはいけない。
俺が組と組の間に入って行くと、天ぷらだの、団子だのという声が絶え間なく響いている。
しかも大勢だから、誰が言っているのか分からない。よし、分かっても俺のことを天ぷらと言ったんじゃない、団子と言ったのじゃない。それは先生が神経衰弱だから、偏見で、そう聞くんだくらい言うに決まってる。
こんな卑劣な性格は、封建時代からこの土地の習慣として根付いているのだから、いくら言い聞かせても、教えたところで、到底直りはしない。こんな土地に一年もいると、清廉な俺も、この真似をしなければならなくなるかもしれない。
向こうでうまく言い逃れられるような手段で、俺の顔を汚すのを放っておく樗蒲はない。向こうが人なら俺も人だ。生徒だって、子供だって、体格は俺より大きいや。だから刑罰として何か報復をしてやらなくては義理が悪い。
ところがこっちから報復をする時に普通の手段で行くと、向こうから逆襲を受ける。お前が悪いからだと言うと、初手から逃げ道が作ってある事だから滔々と弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分の方を表向きだけ立派にして、それからこっちの非を攻撃する。
もともと報復にした事だから、こちらの弁護は向こうの非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向こうから手を出しておいて、世間体がこっちが仕掛けた喧嘩のように見なされてしまう。大変な不利益だ。
それなら向こうのやるなり、愚かな子供を極め込んでいれば、向こうはますます増長するばかり、大きく言えば世の中のためにならない。そこで仕方がないから、こっちも向こうの筆法を用いて捕まえられないで、手の付けようのない報復をしなくてはならなくなる。
そうなっては江戸っ子もダメだ。ダメだが一年もこうやられる以上は、俺も人間だからダメでも何でもそうならなくっちゃ始末がつかない。
どうしても早く東京へ帰り、清らかと共に過ごすことが一番だ。こんな田舎にいるのは堕落しているようなものだ。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。
こう考えて、いやいや、付いて行くと、何だか先鋒が急にがやがや騒ぎ出した。同時に列はぴたりと止まる。変だから、列を右へ外して、向こうを見ると、大手街を突き当って薬師街へ曲がる角の所で、行き詰まったり、押し返したり、押し返されたりしてもみ合っている。
前方から静かに静かにと声を枯らして来た体操教師に何ですと聞くと、曲がり角で中学校と師範学校が衝突したんだと言う。中学と師範とはどこの県下でも犬と猿のように仲が悪いそうだ。なぜだかわからないが、まるで気風が合わない。何かあると喧嘩をする。
大方狭い田舎で退屈だから、暇つぶしにやる仕事なんだろう。俺は喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に駆け出して行った。すると前の方にいる連中は、しきりに何だ地方税のくせに引き込めと怒鳴っている。
後ろからは押せ押せと大きな声を出す。俺は邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出ようとした時に、前へ! と言う高く鋭い号令が聞こえたと思ったら、師範学校の方は粛々として行進を始めた。
先を争った衝突は、折り合いがついたには違いないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。資格から言うと師範学校の方が上だそうだ。
祝勝の式はとても簡単なものだった。
旅団長が祝詞を読み、知事が祝詞を読み、参列者が万歳を唱える。それで終わりだ。
余興は午後にあるという話だから、一旦下宿へ帰って、ここ数日から気になっていた清への返事を書き始めた。
今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、なるべく丁寧に書かなくてはならない。
しかしいざとなって、半切を取り上げると、書くことはたくさんあるが、何から書き出していいか、わからない。
あれにしようか、あれは面倒くさい。これにしようか、これはつまらない。
何かすらすらと出て、骨が折れなくて、そして清が面白がるようなものはないかしらん、と考えてみると、そんな注文通りの事件は一つもなさそうだ。
俺は墨を磨き、筆を湿らせ、巻紙を見つめる。
何度も同じ動作を繰り返した後、手紙を書くことは無理だと諦めて硯の蓋を閉じてしまった。
手紙を書くのは面倒だ。
やはり東京まで出かけて、直接会って話をするのが一番簡単だ。
清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の断食よりも苦しい。
俺は筆と巻紙を放り出して、ごろりと転がって肘枕をして庭の方を眺めてみたが、やっぱり清の事が気になる。
その時、俺はこう思った。
こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、俺の真心は清に通じるに違いない。
通じさえすれば手紙なんてやる必要はない。
やらなければ無事で暮らしてると思ってるだろう。
便りは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。
庭は十坪ほどの平庭で、これという植木もない。
ただ一本のみかんがあって、塀の外から目印になるほど高い。
俺は家へ帰ると、いつでもこのみかんを眺める。
東京を出た事のないものには、みかんの生っているところはとても珍しいものだ。
あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだろうが、きっと綺麗だろう。
今でももう半分色の変ったのがある。
おばあさんに聞いてみると、とても水分の多い、美味しいみかんだそうだ。
熟れたらぜひたくさん食べてみてと言ったから、毎日少しずつ楽しむつもりだ。
もう三週間もしたら、十分に食べられるだろう。
まさか三週間以内にここを去る事もないだろう。
俺がみかんの事を考えているところへ、偶然山嵐が話しにやって来た。
今日は祝勝会だから、君と一緒にご馳走を食べようと思って牛肉を買って来たと、竹の皮の包みを袖から引きずり出して、座敷の真ん中へ投げ出した。
俺は下宿で芋責め豆腐責になってる上、そば屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐおばさんから鍋と砂糖を借りて、煮方に取りかかった。
山嵐は無理矢理に牛肉を頬張りながら、「君、あの赤シャツが芸者になじみのあることを知ってるか」と聞くから、「知ってるよ、この間うらなりの送別会の時に来た一人がそうだろう」と答えたら、「そうだね、僕はこの頃ようやく気づいたのに、君はなかなか敏捷だね」と大いに褒めた。
「あいつは二言目には品性だの、精神的娯楽だのと言うくせに、裏で芸者と関係なんか持ってる、怪しい奴だ。それも他の人が遊ぶのを寛容にするならいいが、君がそば屋へ行ったり、団子屋へ入るのさえ取締上害になると言って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか」
「うん、あの野郎の考えじゃ芸者買いは精神的娯楽で、天ぷらや団子は物理的娯楽なんだろう。精神的娯楽なら、もっと大げさにやるがいい。一体、あの様子は何だろう。馴染の芸者が入ってくると、交代に席を外して、逃げるなんて、どこまでも人を騙す気だから気に食わない。そして人が攻撃すると、僕は知らないとか、ロシア文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか言って、人を煙に巻くつもりなんだ。あんな弱虫は男じゃないよ。全く御殿女中の生まれ変わりか何かだね。ことによると、あいつのおやじは湯島の影かもしれない」
「湯島の影って何だ」
「何でも男らしくないものだろう。――君、そこのところはまだ煮えていないよ。そんなのを食べると蛇虫が湧くよ」
「そうか、大体大丈夫だろう。それで赤シャツは人に隠れて、温泉の街の角屋へ行って、芸者と会見するそうだ」
「角屋って、あの宿屋か」
「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこますためには、あいつが芸者を連れて、あそこへ入るところを見届けておいて、しっかりと問い詰めるんだね」
「見届けるって、夜番でもするのかい」
「うん、角屋の前に枡屋という宿屋があるだろう。あの表二階を借りて、障子に穴をあけて、見ているのさ」
「見ているときに来るかい」
「来るだろう。どうせ一晩じゃいけない。二週間くらいやるつもりでなくっちゃ」
「随分疲れるね。実は、僕もおやじが死ぬとき、一週間くらい徹夜して看病したことがある。その後、ぼんやりして、大いに弱ったことがある」
「少しぐらい体が疲れたって構わないさ。あんな奸物をそのままにしておくと、日本のためにならないから、僕が天に代わって誅戮を加えるんだ」
「面白いね。そう事が極まれば、俺も加勢してやる。それで今夜から夜番をやるのかい」
「まだ枡屋に連絡してないから、今夜はダメだ」
「それじゃ、いつから始めるつもりだい」
「近々やるよ。いずれ君に報告するから、その時は手伝ってくれ。」
「了解、いつでも手伝うよ。僕は策略は下手だけど、喧嘩となるとこれでもなかなかすばしっこいぜ。」
俺と山嵐がしきりに赤シャツ退治の策略を相談していると、宿のおばあさんが出て来て、「学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいとお出でたよ。今、お宅へ行ったんだけど、お留守だったから、きっとここだろうと探し当ててお出でたのよ」と、玄関の所で膝をついて山嵐の返事を待っている。山嵐は「そうですか」と玄関まで出て行ったが、すぐに帰って来て、「君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。今日は高知から、何とか踊りをしに、わざわざここまで大勢で乗り込んで来ているから、是非見物しろ、めったに見られない踊りだって言ってるんだ。君も一緒に行ってみたらどうだ」と山嵐は大いに乗り気で、俺に同行を勧める。俺は踊りを東京でたくさん見てきたから、土佐風の馬鹿踊りは見たくないと思っていたけれど、せっかく山嵐が勧めるから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たのは赤シャツの弟だった。変な奴が来たなと思った。
会場に入ると、回向院の相撲か本門寺の御会式のように何本もの長い旗を所々に植え付けた上に、世界各国の国旗を全部借りて来たくらい、縄から縄、綱から綱へ渡し掛けて、大きな空がいつもより賑やかに見える。東の隅に一晩で作った舞台を設けて、ここでいわゆる高知の何とか踊りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ほど進むと、葦簀で囲まれた生け花が展示されている。みんなが感心して眺めているが、全くつまらないものだ。あんなに草や竹を曲げて喜んでいるなら、背虫の色男や跛の主人を自慢するのも良いだろう。
舞台とは反対の方で、ひっきりなしに花火が上がっている。花火の中から風船が出てきた。帝国万歳と書かれている。天主の松の上をふわふわ飛んで会場の中へ落ちていった。次にはぽんと音がして、黒い団子がぐっと秋の空を射抜くように上がると、それが俺の頭の上でぽかりと割れて、青い煙が傘の骨のように広がって、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜かれた奴が風に揺られて、温泉の街から相生村の方へ飛んでいった。おそらく観音様の境内へでも落ちたんだろう。
式の時はそれほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでいるなんて驚いたよ。賢そうな顔はあまり見当たらないが、数だけで言えば決して馬鹿にはできない。そのうちに評判の高知の何とか踊りが始まった。踊りというから藤間か何かのやる踊りかと早とちりしていたが、これは大間違いだった。
厳つい後頭巻をして、立ったままの袴を穿いた男が十人ずつ、舞台の上に三列に並んで、その三十人がみんな抜き身を持っているのには驚いた。前列と後列の間はわずか一尺五寸くらいだろう、左右の間隔はそれより短いか長くはない。ただ一人列を離れて舞台の端に立っているのがあるだけだ。この仲間はずれの男は袴だけは穿いているが、後頭巻は節約して、抜き身の代わりに胸に太鼓を懸けている。太鼓は太神楽の太鼓と同じものだ。この男がやがて、いやあ、はああとのんきな声を出して、奇妙な歌を歌いながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩く。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳と普陀洛の合併したものと思えば、大した間違いにはならない。
歌はとても長いもので、夏の水飴のように、だらしがないが、リズムを取るためにぼこぼんと打つから、一定のリズムは取れる。このリズムに合わせて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたとても素早い手際で、見ていてもヒヤヒヤする。
隣も後ろも一尺五寸以内に生きた人間がいて、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じように振り回すのだから、よほどリズムが揃わなければ、同士討ちを始めて怪我をすることになる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険はないが、三十人が一度に足踏みをして横を向く時がある。ぐるりと回ることがある。膝を曲げることがある。
隣りのものが一秒でも早過ぎるか、遅過ぎれば、自分の鼻は落ちるかもしれない。隣りの頭はそがれるかもしれない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲は一尺五寸角の柱の中に限られていて、前後左右のものと同方向に同速度に動かなければならない。これは驚くべきことで、汐汲みや関の戸とは比べものにならない。
聞いてみると、これははなはだ熟練の入るもので容易なことでは、こういう風にリズムが合わないそうだ。特に難しいのは、あの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の動きも、腰の曲げ方も、すべてこのぼこぼん君のリズム一つで決まるのだそうだ。
傍で見ていると、この大将は一見のん気そうに、いやあ、はああと気楽に歌っているが、その実は責任が重く、非常に骨が折れるのだ。
俺と山嵐が感心のあまりこの踊りを余念なく見物していると、半街ばかり、向うの方で急にわっという声がして、今まで穏やかに諸所を見ていた連中が、にわかに波を打って、右左に揺れ始める。喧嘩だ喧嘩だという声がすると思うと、人の袖をくぐり抜けて来た赤シャツの弟が、「先生また喧嘩です、中学の方で、今朝の意趣返しをするんで、また師範の奴と決戦を始めたところです、早く来て下さい」と言いながらまた人の波の中へ潜り込んでどこかへ行ってしまった。
山嵐は面倒くさい奴だ。また始めたのか。適度にすればいいのにと逃げる人を避けながら一気に走り出した。見ているだけではダメだから止めるつもりだろう。俺はもちろん逃げる気はない。山嵐の後を追ってすぐに現場へ駆けつけた。喧嘩は今まさに真っ最中だ。師範の方は五六十人もいるだろうか。中学は確かに三割方多い。師範は制服を着ているが、中学は式後ほとんどが日本服に着替えているから、敵と味方の見分けがつく。
しかし入り乱れて組み合って、解きほぐれながら戦っているから、どこからどう手を付けて引き分けていいか分からない。山嵐は困ったなという表情で、しばらくこの乱雑な様子を見守っていたが、こうなってしまった以上、仕方がない。警察が来ると、さらに厄介なことになる。飛び込んで分けようと、俺の方を見て言う山嵐に、俺は返事もせず、いきなり、一番喧嘩の激しいところへ飛び込んだ。
止めろ、止めろ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。やめないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしい所を突き抜けようとしたが、なかなかそううまくはいかない。一二間進んだら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的大きな師範生が、十五六の中学生と組み合っている。
止めろと言うと、師範生の肩を掴んで無理に引き分けようとする途端に、誰か知らないが、下から俺の足をすくった。俺は不意を打たれて握った肩を放して、横に倒れた。硬い靴で俺の背中に乗った奴がいる。両手と膝を突いて下から跳ね起きたら、乗った奴は右の方へ転がり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向こうに山嵐の大きな身体が生徒の間に挟まりながら、止めろ、止めろ、喧嘩は止めろ、止めろと押し返されているのが見えた。
おい、絶対ダメだと言ってみたが、聞こえないのか返事もしない。ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなり俺の頬骨に当たったなと思ったら、後ろからも、背中を棒でどやした奴がいる。教師なのに出ている、打て打てという声がする。教師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を投げろという声もする。
俺は、何生意気な事を言うな、田舎者のくせにと、いきなり、そばにいた師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今度は俺の五分刈りの頭をかすめて後ろの方へ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こうなっちゃ仕方がない。始めは喧嘩を止めに入ったんだが、どやされたり、石を投げられたりして、恐怖に打ち震えて引き下がる勇気があるものか。
俺を誰だと思うんだ。身長は小さくても喧嘩の本場で修行を積んだ兄貴だと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて警察だ警察だ逃げろ逃げろという声がした。今まで乱闘の中で泳いでいるように身動きも出来なかったのが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引き上げてしまった。田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキンよりうまいくらいだ。
山嵐はどうしたかと見ると、紋付の一重羽織をずたずたにして、向こうの方で鼻を拭いている。鼻柱を殴られて大分出血したんだそうだ。鼻が腫れ上がって真っ赤になって、とても見苦しい。俺は飛白の袷を着ていたから泥だらけになったけど、山嵐の羽織ほどの損害はない。しかし頬がぴりぴりしてたまらない。山嵐は大分血が出ているぜと教えてくれた。
警察は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕まったのは、俺と山嵐だけだった。俺たちは名前を告げて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと言うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰った。
次の日目が覚めてみると、体中が痛くてたまらない。久しぶりに喧嘩をしたから、こんな状態では、あまり自慢できるものではないとベッドの中で考えていると、おばあさんが四国新聞を持ってきて枕元へ置いてくれた。
実は、新聞を見るのも億劫なのだが、男がこれほどのことで閉口するわけにはいかないと無理にうつ伏せになり、寝ながら二ページを開けてみると驚いた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚かないのだが、中学の教師堀田某と、最近東京から赴任した生意気な某とが、順良な生徒を扇動してこの騒動を引き起こすだけでなく、両人は現場にあって生徒を指揮し、無理に師範生に対して暴行を働いたと書かれており、次にこんな意見が付記してある。
本県の中学は昔から善良温順な気風をもって全国の羨望するところだったが、軽薄な二人のために我々の学校の特権を毀損されて、この不面目を全市に受けた以上は、我々は奮然として立ち上がってその責任を問わざるを得ない。我々は信じている。我々が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢の上に加えて、彼らをして再び教育界に足を踏み入れる余地なくすべきだと。
そして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸を据えたつもりでいる。俺はベッドの中で、くそでも食らえと言いながら、むっくり飛び起きた。不思議なことに今まで体の関節が非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。俺は新聞を丸めて庭へ投げつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後ろの方へ持って行って捨てて来た。
新聞なんて無暗に嘘を吐くものだ。世の中に何が一番嘘を吹くと言って、新聞ほどの嘘吹きはいないだろう。俺の言ってるべきことをみんな反対で並べていやがる。それに最近東京から赴任した生意気な某とは何だ。世界に某という名前の人がいるか。考えてみろ。これでもちゃんと姓もあり名もあるんだ。系図が見たければ、多田満仲以来の先祖を一人ひとり残らず拝ましてやるよ。
――顔を洗ったら、頬が急に痛くなった。おばさんに鏡を貸してと言ったら、今朝の新聞を見たかと聞く。読んで後ろへ捨てて来た。欲しければ拾って来いと言ったら、驚いて引き下がった。鏡で顔を見ると昨日と同じように傷がついている。これでも大事な顔だ、顔に傷まで付けられた上に生意気な某などと、某呼ばわりをされればたくさんだ。
今日の新聞に呆れて、学校を休んだなんて言われたら、一生の恥だから、ご飯を食べてすぐに学校に行った。出てくるやつも、出てくるやつも、俺の顔を見て、笑っている奴らがいる。何がおかしいんだ。お前たちが作った顔じゃないだろう。
そのうち、野田が出てきて、「昨日は大活躍で、名誉の負傷だったね」と送別会の時に殴った報復だと思ったのか、冷やかしてきたから、余計なことを言わずに絵筆でも舐めてろと言ってやった。すると、こいつは驚いたようだった。でも、さぞかし痛かったんだろうと言うから、痛かろうが、痛くなかろうが俺の顔だ。お前の世話になるもんかと怒鳴りつけてやったら、向こう側の自分の席に着いて、やっぱり俺の顔を見て、隣の歴史の教師と何か内緒話をして笑っている。
その後、山嵐が登校してきた。山嵐の鼻に至っては、紫色に腫れ上がって、掘ったら中から膿が出そうに見える。自惚れのせいか、俺の顔よりずっとひどくやられている。俺と山嵐は机を並べて、隣り合わせの仲で、運が悪いことに、その机が部屋の入口から真正面にあるんだから運が悪い。変な顔が二つ固まっている。
他の奴は退屈になるときっとこっちばかり見る。飛んだことだと口では言っているが、心の中ではこのバカと思っているに違いない。それでなければあんな風にひそひそ話してはくすくす笑うわけがない。教室に出ると生徒は拍手で迎えた。先生万歳と言うものが二、三人あった。元気がいいんだか、バカにされてるんだか分からない。
俺と山嵐がこんなに注目の的になってる中に、赤シャツだけは、いつも通りに側にやってきて、「本当に大変な災難でした。僕は君たちに対して申し訳ない。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。僕の弟が堀田君を誘いに行ったから、こんな事が起こったので、僕は本当に申し訳ない。それでこの件については最後まで尽力するつもりだから、どうかお許しを」と半分謝罪的な言葉を並べている。校長は三時間目に校長室から出てきて、「困ったことを新聞が書き出しましたね。難しくならなければいいが」と少し心配そうに見えた。
俺には心配なんて無用だ。免職されるなら、辞表を出すだけだ。しかし自分が悪くないのにこっちから身を引くのは新聞屋をますます増長させるわけだから、新聞屋を正誤させて、俺が意地を張ってでも働くのが当然だと考えた。帰りがけに新聞屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消の手続きはしたと言うから、やめた。
俺と山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計らって、嘘のないところを一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨みを抱いて、あんな記事をわざわざ掲げたんだろうと論断した。赤シャツは俺たちの行動を弁解しながら控え室を一人で歩き回っていた。特に自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのように広めていた。
みんなは全く新聞屋が悪い、ひどい、二人は本当に災難だと言った。
帰りがけに山嵐は、「君、赤シャツは怪しいぞ。気をつけないと、やられるかもしれないぞ」と注意した。
「どうせ怪しいんだ、今日から怪しくなったわけじゃないだろ」と言うと、「君まだ気がつかないのか。昨日わざわざ、僕たちを誘い出して喧嘩の中に巻き込んだのは策だったんだぞ」と教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山嵐は粗暴なようだが、俺より賢い男だと感心した。
「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐ後から新聞屋に手を回して、あんな記事を書かせたんだ。本当に悪賢い奴だ」
「新聞までも赤シャツか。それは驚いた。でも新聞が赤シャツの言う事をそんなに簡単に聞くかな」
「聞かなくても。新聞屋に友達がいれば問題はないさ」
「友達がいるのか」
「いなくても問題ないさ。嘘をついて、事実はこれこれだと話せば、すぐ書くさ」
「ひどいもんだな。本当に赤シャツの策なら、僕たちはこの事件で免職になるかもしれないね」
「悪い結果になるかもしれない」
「そうなら、俺は明日辞表を出してすぐ東京へ帰る。こんな下等な所に頼んでいるのは嫌だ」
「君が辞表を出したって、赤シャツは困らない」
「それもそうだな。どうしたら困るだろう」
「あんな悪賢い奴のやる事は、何でも証拠が挙がらないように工夫するんだから、反論するのは難しいね」
「厄介だな。それじゃ濡れ衣を着るんだね。面白くもない。天道は公平か不公平かだ」
「まあ、もう二三日様子を見ようじゃないか。それでいよいよとなったら、温泉の街で取って抑えるより仕方がないだろう」
「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」
「そうさ。こっちはこっちで向こうの急所を抑えるのさ」
「それもいいだろう。俺は策略が苦手だから、何でもお前に任せるよ。いざとなれば何でもする」
俺と山嵐はこれで別れた。赤シャツが果たして山嵐の推察通りをやったのなら、本当にひどい奴だ。とても知恵比べで勝てる奴ではない。どうしても力でなくっちゃダメだ。
なるほど、世界に戦争が絶えない理由がわかった。個人でも、最終的には力が必要なんだ。
次の日、新聞が来るのを待ちかねて、開いてみると、正誤どころか取り消しも見えない。学校へ行って狸に催促すると、「明日ぐらい出すでしょう」と言う。
明日になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤はもちろんしていない。また校長に談判すると、「あれより手続きのしようはないのだ」という答えだ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが意外と無力なものだ。
虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つ謝らせる事が出来ない。あまりに腹が立ったから、「それじゃ私が一人で行って主筆に談判する」と言ったら、「それはいけない、君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ。つまり新聞屋に書かれた事は、嘘にせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がない」と、坊主の説教みたいな説諭を加えた。
新聞がそんな者なら、一日も早く潰してしまった方が、我々の利益だろう。新聞に書かれるのと、スッポンに食いつかれるのとが似たり寄ったりだとは今日この頃狸の説明によって初めて知った。
それから三日ほどして、ある日の午後、山嵐が怒ってやって来て、「とうとう時が来た、俺はあの計画を実行するつもりだ」と言うから、「そうか、それなら俺もやろう」と、すぐに一味に加わった。
ところが山嵐が、「君はやめておいた方がいい」と、首を傾げた。「なぜ?」と聞くと、「君は校長に呼ばれて辞表を出せと言われたか?」と聞かれ、「いや、言われない。君は?」と聞き返すと、「今日、校長室で、本当に気の毒だけど、事情が仕方ないから辞職してくれと言われた」とのことだ。
「そんな裁判はないだろ。狸はきっと腹を叩きすぎて、胃の位置が逆さまになったんだ。君と俺は、一緒に、祝勝会に出て、一緒に高知の踊りを見て、一緒に喧嘩を止めに入ったんだろ? 辞表を出せというなら公平に両方に出すべきだ。なんで田舎の学校はそんな理屈が分からないんだろう。イライラするな」
「それが赤シャツの策略だよ。俺と赤シャツとは今までの経緯上、絶対に共存できない人間だが、君の方は今のままでも害にならないと思っているんだ」
「俺だって、赤シャツと共存するつもりはない。害にならないと思うなんて生意気だ」
「君はあまり単純すぎるから、そのままにしておいても、どうせ騙されると思っているんだ」
「なお悪い。誰が共存してやるものか」
「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着しないだろう。その上、君と俺を同時に追い出したら、生徒の時間に隙間ができて、授業に支障が出るからな」
「それじゃ、俺を一時的なくさびに使うつもりなんだな。この野郎、誰がその手に乗るものか」
次の日、俺は学校に行って校長室に入り、談判を始めた。「なぜ私に辞表を出せと言わないんですか」
「え?」と狸は驚いている。「堀田には出せ、私には出さなくていいという法がありますか」
「それは学校の都合で……」
「その都合は明らかに間違っていますよ。私が出さなくてもいいなら、堀田だって出す必要はないでしょう」
「その辺は説明ができかねますが――堀田君はどうしても辞めてもらわないといけないのですが、あなたは辞表を出す必要はないと思っていますから」
なるほど狸だ、要領を得ないことばかり並べて、しかも落ち着いている。俺は仕方がないから「それなら私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私がのんびりと残れると思っているのか」と言った。
「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまったくできなくなってしまうから……」
「できなくなっても私の知ったことじゃありません」
「君、そう我儘を言うものじゃない。少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。それに、来てから一ヶ月も経たないうちに辞職したと言うと、君の将来の履歴に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう」
「履歴なんか気にするもんですか、履歴より義理が大切です」
「そりゃごもっとも――君の言うところは一々ごもっともだが、私の言う方も少しは察してください。君がどうしても辞職すると言うなら辞職してもいいから、代わりが見つかるまでどうかやってもらいたい。とにかく、うちでもう一度考え直してみてください」
考え直すと言っても、直しようのない明らかな理由だが、狸が青ざめたり赤くなったりして可哀想になったので、一応考え直すことにして引き下がった。赤シャツには口もきかなかった。どうせやるなら、まとめて思いっきりやった方がいい。
山嵐に狸との談判の様子を話したら、大体そんなことだろうと思った。辞表のことはいざとなるまでそのままにしておいても差し支えないとの話だったから、山嵐の言う通りにした。どうも山嵐の方が俺よりも賢いから万事山嵐の忠告に従うことにした。
山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をし、浜の港屋まで下がったが、人に知れないように引き返して、温泉街の枡屋の二階へ潜んで、障子に穴をあけて覗き出した。
これを知ってる者はおればかりだ。赤シャツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒やその他の目があるから、少なくとも九時過ぎに決まってる。最初の二晩はおれも十一時頃まで張番をしたが、赤シャツの影も見えない。
三日目には九時から十時半まで覗いたが、やはり駄目だ。駄目を踏んで夜中に下宿へ帰るほど馬鹿げたことはない。四五日経つと、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんのあるのに、夜遊びはおやめたほうがいいぞと忠告した。
そんな夜遊びは、こちらは天に代わって誅戮を加える夜遊びだ。とはいえ、一週間も通って、少しも験が見えないと、いやになってしまうものだ。
おれは性急な性分だから、熱心になると徹夜で仕事をするが、その代わり、何においても長持ちした試しがない。いかに天誅党でも飽きることに変わりはない。
六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った。そこへ行くと山嵐は頑固なものだ。宵から十二時過ぎまでは眼を障子に付けて、角屋の丸ぼやの瓦斯灯がすとうの下を睨めっきりである。
おれが行くと、今日は何人客があって、泊まりが何人、女が何人といろいろな統計を示すのには驚いた。どうも来ないようじゃないかと云うと、うん、たしかに来るはずだが、時々腕を組んで溜息をつく。
可愛そうに、もし赤シャツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯天誅を加えることは出来ないのである。
八日目には七時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから街で鶏卵を八つ買った。これは下宿の婆さんの芋責めに応ずる策である。
その玉子を四つずつ左右の袂に入れて、例の赤手拭を肩へ乗せて、懐手でをしながら、枡屋の楷子段を登って山嵐の座敷の障子をあけると、「おい、有望だ」と韋駄天のような顔は急に活気を呈した。
昨夜までは少し塞ぎ気味で、はたで見ているおれさえ、陰気臭いと思ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、何も聞かない先から、愉快愉快と云った。
「今夜7時半頃、あの芸者の小鈴が角屋に入ったよ」
「赤シャツと一緒か?」
「違うよ」
「それじゃダメだね」
「芸者は二人組だけど、――何となく期待できそうだ」
「どうして?」
「どうしてって、あいつはずる賢いから、芸者を先に送り込んで、後からこっそり来るかもしれない」
「そうかもしれないね。もう9時だろう」
「今、ちょうど9時12分だよ」と腰からニッケル製の時計を取り出して見ながら言った。「おい、ランプを消して、障子に二つの頭が映ってるとおかしいよ。キツネはすぐに疑うから」
俺は一貫張りの机の上にあったランプを吹き消した。星明かりで障子だけは少し明るい。月はまだ出ていない。俺と山嵐は一生懸命に障子に顔をつけて、息を止めている。チーンと9時半の柱時計が鳴った。
「おい、来るかな。今夜来なければ、もう嫌だよ」
「俺はお金が尽きるまでやるんだ」
「お金って、いくらあるんだ?」
「今日までで8日分、5円60銭払った。いつ飛び出してもいいように、毎晩清算してるんだ」
「それは手回しがいいね。下宿は驚いてるだろう」
「下宿はいいけど、気が散るから困る」
「その代わり昼寝をするだろう」
「昼寝はするけど、外出できないから窮屈でたまらない」
「天誅も大変だな。これで天網恢々として漏らしちゃったり、何かやっちゃったら、つまらないよ」
「何、今夜はきっと来るよ。――おい、見て見て」と小声になったから、俺は思わずドキッとした。黒い帽子をかぶった男が、角屋のガス灯を下から見上げたまま暗い方へ通り過ぎた。違う。おやおやと思った。そのうち、帳場の時計が遠慮なく10時を打った。今夜もとうとうダメみたいだ。
世間はだいぶ静かになった。遊郭で鳴らす太鼓が手に取るように聞こえる。月が温泉の山の後ろからゆっくりと顔を出した。通りは明るい。すると、下の方から人の声が聞こえてきた。窓から顔を出すわけにはいかないから、姿を確認することはできないが、だんだん近づいてくる模様だ。カランカランと駒下駄を引きずる音がする。目を斜めにすると、やっと二人の影が見えるくらいに近づいた。
「もう大丈夫だよ。邪魔者は追い払ったから」正しく野田の声だ。「強がるばかりで策がないから、仕方がない」これは赤シャツだ。「あの男もベラボーに似てるね。あのベラボーと来たら、勇み肌の坊ちゃんだから魅力があるよ」
「昇給が嫌だから辞表を出したいって、やっぱり神経に異常があるに違いない」
俺は窓を開け、二階から飛び降りて、思うようにやっつけてやろうと考えた。しかし、何とか我慢した。二人はハハハハと笑いながら、ガス灯の下をくぐって、角屋の中に入った。
「おい」
「おい」
「来たぞ」
「とうとう来たな」
「これでようやく安心した」
「野田の野郎、俺のことを勇み肌の坊っちゃんだと言いやがった」
「邪魔者ってのは、俺のことだぞ。失礼千万だな」
俺と山嵐は二人の帰り道を待ち伏せしなければならない。しかし、二人はいつ出てくるか見当がつかない。山嵐は下に行って今夜は夜中に用事があって出るかもしれないから、出られるようにしておいてくれと頼んできた。今思うと、よく宿の人が承知したものだ。普通なら泥棒と間違えられるところだ。
赤シャツが来るのを待ち受けるのはつらかったが、出てくるのをじっと待っているのはもっとつらい。寝るわけにはいかないし、ずっと障子の隙間から見ているのもつらいし、どうにも、こうにも心が落ち着かなくて、これほど大変な思いをしたことは今までにない。思い切って角屋に乗り込んで現場を押さえてしまおうと提案したが、山嵐は一言で、俺の提案を却下した。自分たちが今すぐに乗り込んだって、乱暴者だと言って途中で阻止される。理由を話して面会を求めればいないと逃げるか別の部屋へ案内される。不用意に乗り込めると仮定したところで何十とある部屋のどこにいるか分かるわけがない。退屈でも出てくるのを待つしか策はないと言うから、ようやくのことでとうとう朝の5時まで我慢した。
角屋から出てくる二人の影を見るや否や、俺と山嵐はすぐ後をつけた。始発の電車はまだないから、二人とも城下まで歩かなければならない。温泉街を出ると一丁ほどの杉並木があって左右は田んぼになる。それを通り過ぎるとここかしこに藁葺きがあって、畑の中を一筋に城下まで通る土手へ出る。町さえ出れば、どこで追いついても構わないが、できれば、人家のない、杉並木で捕まえてやろうと、見え隠れについてきた。街を出ると急に走り足の姿勢で、風のように後ろから追いついた。何が来たのかと驚き振り向く奴を待ちながら、肩に手をかけた。野田はパニックになって逃げ出そうという様子だったから、
俺が前に回り、行く手を塞いでしまった。「教頭の職にある者が、何で角屋に泊まったんだ?」と、山嵐はすぐに詰め寄った。
「教頭は角屋に泊まって悪いというルールがありますか?」と赤シャツは依然として丁寧な言葉を使っている。顔の色は少々青い。「管理上、問題だから、そば屋や団子屋にさえ入ってはいけないと、言うほど真面目な人が、なぜ芸者と一緒に宿屋に泊まったんだ?」野田は逃げ出そうとするから、俺はすぐ前に立ちはだかって「ベラボーの坊っちゃんた何だ」と怒鳴りつけたら、「いえ君の事を言ったんじゃないんです、全くないんです」と鉄面皮に言い訳がましいことを言った。俺はその時、ふと気がつくと、両手で自分の袖を握りしめていた。追いかけるときに袖の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。俺はいきなり袖に手を入れて、卵を二つ取り出して、やっと言いながら、野田の顔に投げつけた。卵がぐちゃりと割れて鼻の先から黄身がだらだら流れ出した。野田はよっぽど驚いた者と見えて、わっと言いながら尻もちをついて、助けてくれと言った。俺は食うために卵は買ったが、投げつけるために袖に入れている訳ではない。ただ腹立たしさのあまりに、つい投げつけるともなしに投げつけてしまったのだ。しかし野田が尻もちをついたところを見て初めて、俺の成功した事に気がついたから、この畜生、この畜生と言いながら残りの六つを無茶苦茶に投げつけたら、野田は顔中黄色になった。
俺が卵を投げつけている間、山嵐と赤シャツはまだ話し合いの最中だった。「芸者を連れて俺が宿屋に泊まったという証拠がありますか?」
「夕方にお前の知り合いの芸者が角屋に入ったのを見たんだ。ごまかせるものか。」
「ごまかす必要はない。俺は吉川君と二人で泊まったんだ。芸者が夕方に入ろうが、入るまいが、俺の知ったことではない。」
「黙れ!」と、山嵐は拳で打った。赤シャツはよろめいたが「これは乱暴だ、暴力だ。理論をかざさずに力に訴えるのは無法だ。」
「無法でたくさんだ。」と、またぽかりと打つ。「お前のような悪党は殴らないと、答えないんだ。」とぽかぽか打つ。俺も同時に野田を散々に投げつけた。最後には二人とも杉の根元にうずくまって動けないのか、目がちらちらするのか逃げようともしない。「もうたくさんか、たくさんでなければ、まだ殴ってやる。」とぽかんぽかんと二人で打ったら「もうたくさんだ」と言った。野田に「お前もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。
「お前たちは悪党だから、こうやって天誅を加えるんだ。これで反省してこれからは慎重になれ。いくら言葉巧みに弁解しても正義は許さないぞ」と、山嵐が言ったら二人とも黙っていた。どうやら口を開くのが気まずいようだ。「俺は逃げも隠れもしない。今夜5時までは浜の港屋にいる。用があるなら警察でも何でも、呼んでこい」と、山嵐が言うから、俺も「俺も逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じところに待ってるから警察に訴えたければ、勝手に訴えろ」と言って、二人でさっさと歩き出した。
俺が下宿に帰ったのは7時少し前だった。部屋に入るとすぐに荷造りを始めたら、おばさんが驚いて、どうしたのかと聞いた。おばさん、東京に行って奥さんを連れてくるんだと答えて勘定を済ませて、すぐに電車に乗って浜に行って港屋に着くと、山嵐は二階で寝ていた。俺はすぐに辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、私事で都合があり辞職して東京に帰ることになりましたので、ご了承くださいと書いて校長宛てにして郵便で出した。
船は夜6時の出航だった。山嵐も俺も疲れて、ぐっすり寝て目が覚めたら、午後2時だった。下女に警察は来ないかと聞いたら来ませんと答えた。「赤シャツも野田も訴えなかったな」と二人は大きく笑った。その夜、俺と山嵐はこの不浄な地を後にした。船が岸を離れるほど気持ちが良かった。神戸から東京までは直行で新橋に着いた時は、ようやく世俗に出たような気がした。山嵐とはすぐに別れてから今日まで会う機会がない。
清のことを話すのを忘れていた。――俺が東京に着いて下宿にも行かず、革鞄を提げたまま、清、帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰ってきてくれたと涙をぽたぽたと落とした。俺も非常に嬉しくなり、もう田舎には帰らない。東京で清と家を持つつもりだ、と言った。
その後、ある人の紹介で街の鉄道会社の技術者になった。月給は25円で、家賃は6円だった。
俺が前に回り、行く手を塞いでしまった。「教頭の職にある者が、何で角屋に泊まったんだ?」と、山嵐はすぐに詰め寄った。
「教頭は角屋に泊まって悪いというルールがありますか?」と赤シャツは依然として丁寧な言葉を使っている。顔の色は少々青い。「管理上、問題だから、そば屋や団子屋にさえ入ってはいけないと、言うほど真面目な人が、なぜ芸者と一緒に宿屋に泊まったんだ?」野田は逃げ出そうとするから、俺はすぐ前に立ちはだかって「ベラボーの坊っちゃんた何だ」と怒鳴りつけたら、「いえ君の事を言ったんじゃないんです、全くないんです」と鉄面皮に言い訳がましいことを言った。俺はその時、ふと気がつくと、両手で自分の袖を握りしめていた。追いかけるときに袖の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。俺はいきなり袖に手を入れて、卵を二つ取り出して、やっと言いながら、野田の顔に投げつけた。卵がぐちゃりと割れて鼻の先から黄身がだらだら流れ出した。野田はよっぽど驚いた者と見えて、わっと言いながら尻もちをついて、助けてくれと言った。俺は食うために卵は買ったが、投げつけるために袖に入れている訳ではない。ただ腹立たしさのあまりに、つい投げつけるともなしに投げつけてしまったのだ。しかし野田が尻もちをついたところを見て初めて、俺の成功した事に気がついたから、この畜生、この畜生と言いながら残りの六つを無茶苦茶に投げつけたら、野田は顔中黄色になった。
俺が卵を投げつけている間、山嵐と赤シャツはまだ話し合いの最中だった。「芸者を連れて俺が宿屋に泊まったという証拠がありますか?」
「夕方にお前の知り合いの芸者が角屋に入ったのを見たんだ。ごまかせるものか。」
「ごまかす必要はない。俺は吉川君と二人で泊まったんだ。芸者が夕方に入ろうが、入るまいが、俺の知ったことではない。」
「黙れ!」と、山嵐は拳で打った。赤シャツはよろめいたが「これは乱暴だ、暴力だ。理論をかざさずに力に訴えるのは無法だ。」
「無法でたくさんだ。」と、またぽかりと打つ。「お前のような悪党は殴らないと、答えないんだ。」とぽかぽか打つ。俺も同時に野田を散々に投げつけた。最後には二人とも杉の根元にうずくまって動けないのか、目がちらちらするのか逃げようともしない。「もうたくさんか、たくさんでなければ、まだ殴ってやる。」とぽかんぽかんと二人で打ったら「もうたくさんだ」と言った。野田に「お前もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。
「お前たちは悪党だから、こうやって天誅を加えるんだ。これで反省してこれからは慎重になれ。いくら言葉巧みに弁解しても正義は許さないぞ」と、山嵐が言ったら二人とも黙っていた。どうやら口を開くのが気まずいようだ。「俺は逃げも隠れもしない。今夜5時までは浜の港屋にいる。用があるなら警察でも何でも、呼んでこい」と、山嵐が言うから、俺も「俺も逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じところに待ってるから警察に訴えたければ、勝手に訴えろ」と言って、二人でさっさと歩き出した。
俺が下宿に帰ったのは7時少し前だった。部屋に入るとすぐに荷造りを始めたら、おばさんが驚いて、どうしたのかと聞いた。おばさん、東京に行って奥さんを連れてくるんだと答えて勘定を済ませて、すぐに電車に乗って浜に行って港屋に着くと、山嵐は二階で寝ていた。俺はすぐに辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、私事で都合があり辞職して東京に帰ることになりましたので、ご了承くださいと書いて校長宛てにして郵便で出した。
船は夜6時の出航だった。山嵐も俺も疲れて、ぐっすり寝て目が覚めたら、午後2時だった。下女に警察は来ないかと聞いたら来ませんと答えた。「赤シャツも野田も訴えなかったな」と二人は大きく笑った。その夜、俺と山嵐はこの不浄な地を後にした。船が岸を離れるほど気持ちが良かった。神戸から東京までは直行で新橋に着いた時は、ようやく世俗に出たような気がした。山嵐とはすぐに別れてから今日まで会う機会がない。
清のことを話すのを忘れていた。――俺が東京に着いて下宿にも行かず、革鞄を提げたまま、清、帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰ってきてくれたと涙をぽたぽたと落とした。俺も非常に嬉しくなり、もう田舎には帰らない。東京で清と家を持つつもりだ、と言った。
その後、ある人の紹介で街の鉄道会社の技術者になった。月給は25円で、家賃は6円だった。清は玄関付きの家でなくても全く満足そうだったが可哀想なことに今年の2月に肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日、俺を呼んで坊っちゃん、清が死んだら、坊っちゃんのお寺に埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っていますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
𝑅𝑒𝓁𝒶𝓍 𝒮𝓉𝑜𝓇𝒾𝑒𝓈𝒯𝒱
完
91,812文字