【夜の短編小説:山月記・中島敦】中島敦の短編小説『山月記』は、1942年に発表された作品で、唐代の詩人李徴が虎に変身するという物語です。

はじめに
中島敦の短編小説『山月記』は、1942年に発表された作品で、唐代の詩人李徴が虎に変身するという物語です。李徴は若くして科挙に合格する秀才でしたが、非常な自信家であり、詩人として名声を得ようとするも失敗し、最終的には虎に変わってしまいます。彼の数奇な運命を友人の袁傪に語ることで、自己の内面と向き合い、自己中心的な性格を反省する姿が描かれています。この作品は、人間の本質や生きる意味について深く考えさせられるものです。
人生の教訓
臆病な自尊心と尊大な羞恥心
李徴は自分の才能に自信を持ちながらも、他人と切磋琢磨することを避け、結果的に孤立してしまいます。これは、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が人間関係を阻害することを教えてくれます。
自己中心的な考え方の危険性
李徴は詩業を第一に考え、妻子のことを後回しにしてしまいます。これは、自己中心的な考え方が最終的には自分を破滅に導くことを示しています。
現実を受け入れることの重要性
李徴は虎になった理由を理解し、受け入れることで自己を見つめ直します。これは、現実を受け入れることが自己成長に繋がることを教えてくれます。
友人の存在の大切さ
袁傪との再会を通じて、李徴は自分の過ちを認識し、反省することができます。これは、友人の存在が自己理解と成長にとって重要であることを示しています
隴西の李徴は博学才穎で、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられた。しかし、性格は狷介で、自らを頼むところが非常に厚かったため、賤吏に甘んずることを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後、故山に帰臥し、人との交わりを絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うごとに苦しくなっていった。李徴は徐々に焦躁に駆られていった。この頃からその容貌も峭刻となり、肉は落ち骨は秀で、眼光は徒に炯々として、かつて進士に登第した頃の豊頬の美少年の面影は、どこに求めようもなくなっていた。数年後、貧窮に堪えかね、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。それは、己の詩業に半ば絶望したためでもあった。かつての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才の李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏怏として楽しまず、狂悖の性はますます抑えがたくなった。一年後、公用で旅に出た際、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつ、そのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛かりもなかった。その後、李徴がどうなったかを知る者は誰もいなかった。
翌年、監察御史の陳郡の袁という者は、勅命を奉じて嶺南に使いし、途中の商於の地に宿った。次の朝、まだ暗い中、出発しようとしたところ、駅吏が言うには、これから先の道に人喰い虎が出るため、旅人は白昼でなければ通れない。今はまだ朝が早いから、もう少し待たれるのが宜しいでしょうとのことだった。袁は、しかし、周りの多勢を頼みにして駅吏の言葉を斥け、出発した。残月の光を頼りに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁に躍りかかるかと思われたが、忽ち身を翻して元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に袁は聞き覚えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思い当たり、叫んだ。「その声は、我が友、李徴ではないか?」袁は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
叢の中からは、暫く返事がなかった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々漏れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分はろうさいの李徴である」と。袁は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。「自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決まっている。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、愧赧の念をも忘れるほどに懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、かつて君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。」
後で考えれば不思議だったが、その時、袁はこの超自然の怪異を実に素直に受け入れ、少しも怪しむことはなかった。彼は部下に命じて行列の進行を止め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁の現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同士の、あの隔てのない語調で、それらが語られた後、袁は李徴がどうして今の身となるに至ったかを尋ねた。草中の声は次のように語った。
今から一年ほど前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してからふと目を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、その声は闇の中から頻繁に自分を招いていた。覚えず自分は声を追いかけて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、いつの間にか道は山林に入り、知らぬ間に自分は左右の手で地を掴んで走っていた。何か身体の中に力が満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肘のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなった頃、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初めは目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったからだ。どうしても夢でないと悟らねばならなかったとき、自分は茫然とした。そうして恐れた。全く、どんな事でも起こり得るのだと思い、深く恐れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分からない。全く何事も我々には判らない。理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取り、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きものの定めだ。自分はすぐに死を思った。
しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分の口は兎の血にまみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来、今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦することも出来る。その人間の心で、虎としての己の残虐な行いのあとを見、己の運命を振り返る時が、最も情なく、恐ろしく、憤りを感じる。しかし、その人間に戻る数時間も、日を経るごとに次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ふと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。
ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人とも認めることなく、君を裂き喰らって何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったのだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、その方が、己は幸せになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに恐ろしく、哀しく、切なく思っているだろう!己が人間だった記憶がなくなることを。この気持ちは誰にも分からない。誰にも分からない。己と同じ身の上になった者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。
袁はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。
他でもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立ち至った。かつて作った詩数百篇、固もとより、まだ世に行われていない。遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録して戴きたいのだ。何も、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
袁は部下に命じ、筆を執って叢中の声に従って書き取らせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡さを思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属することは疑いない。しかし、このままでは第一流の作品となるには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。
旧詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るかのように言った。
羞恥なことだが、今でも、こんな情けない身となり果てた今でも、私は、私の詩集がちょうあんの風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草のついでに、今の思いを即席の詩に述べてみようか。この虎の中に、かつての李徴が生きている証として。
袁はまた下吏に命じてこれを書き取らせた。その詩に言う。
※本文に登場する詩は漢文として表記されています。すこし中断して漢文を少しばかり説明します。
偶因狂疾成殊類
中国語読み、 おう いん くゎん しつ せい しゅ るい
漢文読み(日本語読み)、たまたま きょうしつ によりて しゅるい と なる
意味、 たまたま狂気の病にかかり、異常な存在となった。
災患相仍不可逃
中国語読み、 さい かん しょう じょう ふ か とう
漢文読み(日本語読み)、さいかん あいよって のがるべからず
意味、 災難が重なり、逃れることができない。
今日爪牙誰敢敵
中国語読み、 きん じつ そう が すい かん てき
漢文読み(日本語読み)、 こんじつ そうが たれか あえて てきせん
意味、 今日、誰が爪や牙に立ち向かうことができるだろうか。
当時声跡共相高
中国語読み、 とう じ せい せき きょう しょう こう
漢文読み(日本語読み)、 とうじ せいせき ともに あいこうす
意味、 当時は声望も共に高かった。
我為異物蓬茅下
中国語読み、が い い ぶつ ほう ぼう か
漢文読み(日本語読み)、 われ いぶつ となり ほうぼう の もとにあり
意味、 私は異物となり、荒れ果てた草むらの下にいる。
君已乗軺気勢豪
中国語読み、くん い じょう よう き せい ごう
漢文読み(日本語読み)、 きみ すでに よう に のり きせい ごうなり
意味、 君はすでに車に乗り、勢いが盛んである。
此夕渓山対明月
中国語読み、 し せき けい さん たい めい げつ
漢文読み(日本語読み)、 この ゆうべ けいざん めいげつ に むかい
意味、 この夕べ、渓谷と山は明るい月に向かい合っている。
不成長嘯但成嘷
中国語読み、ふ せい ちょう しょう たん せい ごう
漢文読み(日本語読み)、 ちょうしょう を なさず ただ ほゆる を なす
意味、長い嘯きを成さず、ただ吠えるだけである。
このように、中国語読みと漢文読み(日本語読み)は異なります。
この詩は、主人公の李徴が虎に変わってしまった自分の運命を嘆く内容です。
本文に戻ります。
時に、残月が光冷ややかに、白露は地に滋しげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えてみれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であった時、私は努めて人との交わりを避けた。人々は私を倨傲だ、尊大だと言った。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心と言うべきものであった。私は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨することをしなかった。かといって、また、私は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。自分の珠に非ざることを恐れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、また、自分の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
私は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚によって益々己の内なる臆病な自尊心を膨らませる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。私の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが私を損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、私の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、全く、私は自分が持っていた僅かばかりの才能を空費してしまった訳だ。人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は才能の不足を暴露するかもしれないという卑怯な危惧と、刻苦を厭い怠惰が私の全てだったのだ。私よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
虎となり果てた今、私はようやくそれに気が付いた。それを思うと、私は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。私には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、私が頭の中でどんな優れた詩を作ったにしても、どういう手段で発表できるだろう。まして、私の頭は日ごとに虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。私の空費された過去は? 私は堪らなくなる。そういう時、私は向こうの山の頂の巌に上り、空谷に向かって吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。私は昨夕も、あそこで月に向かって咆えた。誰かにこの苦しみが分かって貰えないかと。しかし、獣たちは私の声を聞いて、ただ恐れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、吼えているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人私の気持ちを分かってくれる者はいない。ちょうど、人間だった頃、私の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。私の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
漸く四辺あたりの暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処からか、暁角が哀しげに響き始めた。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼らはまだ略かくりゃくにいる。もちろん、己の運命に就いては知る筈はない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願いだが、彼らの孤弱を憐れんで、今後とも道塗どうとに飢凍することのないように計らっていただけるなら、自分にとって恩恵、これに過ぎたるはない。
言い終わって、叢中から慟哭の声が聞こえた。袁もまた涙を浮かべ、李徴の意に沿いたい旨を答えた。李徴の声はしかし、忽ち先刻の自嘲的な調子に戻って言った。
本当は、先にこの事の方をお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。
そうして、付け加えて言うことに、袁が嶺南からの帰途には決してこの道を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人ともを認めずに襲いかかるかもしれないから。また、今別れてから前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振り返って見てほしい。自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。誇ろうとしているわけではない。我が醜悪な姿を示して、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起させないためであると。
袁は叢に向かって、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、また堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁も幾度か叢を振り返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼らは言われた通りに振り返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
ではまた次回お会いしましょう。