はじめに
夏目漱石の短編小説『文鳥』は、明治時代の東京を舞台に、主人公が文鳥を飼うことから始まる物語です。文鳥の可憐な姿に魅了される一方で、主人公は次第にその世話を怠るようになります。文鳥の死を通じて、主人公は自分の無責任さや孤独を痛感することになります。この作品は、漱石の実生活に基づいた私小説としても知られています。
人生の教訓
責任感の重要性
文鳥の世話を怠った結果、文鳥が死んでしまうことで、責任感の欠如がもたらす結果の重大さを教えてくれます。
孤独と疎外感
主人公が文鳥を失った後の孤独感は、現代社会における孤立感や疎外感を象徴しています。
愛情と無関心
文鳥に対する愛情が次第に無関心に変わる様子は、人間関係における愛情の変化や無関心の危険性を示しています。
自己反省
文鳥の死を通じて、主人公は自分の行動を反省し、自己の欠点を見つめ直すことの重要性を学びます。
十月、早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、「鳥を飼いなさい」と言う。飼ってもいいと答えた。しかし念のため、何を飼うのかねと聞いたら、「文鳥です」と返事があった。
文鳥は三重吉の小説に出てくるくらいだから、きれいな鳥に違いないと思って、「じゃ、買ってくれたまえ」と頼んだ。ところが三重吉は「是非飼いなさい」と、同じようなことを繰り返している。「うむ、買うよ、買うよ」とやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ言っているうちに、三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたのだろうと、この時初めて気がついた。
すると三分ほどして、今度は「籠を買いなさい」と言い出した。これも良いと答えると、「是非買いなさい」と念を押す代わりに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶ込み入ったものであったが、気の毒なことに、みんな忘れてしまった。ただいいのは二十円ぐらいすると言う段になって、急にそんな高価なものでなくても良いだろうと答えておいた。三重吉はにやにやしている。
それから全体、どこで買うのかと聞いてみると、「どこの鳥屋にでもあります」と実に平凡な答えをした。籠はと聞き返すと、「籠ですか、籠はその、何ですよ、どこにかあるでしょう」と、まるで雲を掴むような寛大なことを言う。しかし、「君、あてがなくちゃいけないだろう」と、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉は頬へ手をあてて、「何でも駒込に籠の名人がいるそうですが、年寄りだそうですから、もう死んだかもしれません」と非常に心細くなってしまった。
何しろ言い出した者に責任を負わせるのは当然のことだから、さっそく万事を三重吉に依頼することにした。すると、すぐ「金を出せ」と言う。金は確かに出した。三重吉はどこで買ったか、七子の三つ折れの紙入れを懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆この紙入れの中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札を確かにこの紙入れの底へ押し込んだのを目撃した。
かようにして金は確かに三重吉の手に落ちた。しかし、鳥と籠とは容易にやって来ない。そのうち秋が小春になった。三重吉はたびたび来る。よく女の話などをして帰って行く。文鳥と籠の講釈は全く出ない。ガラス戸を透かして五尺の縁側には日がよく当たる。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠を据えてやったら、文鳥も定めし鳴き良かろうと思うくらいであった。
三重吉の小説によると、文鳥は「千代」と鳴くそうである。その鳴き声がだいぶ気に入ったと見えて、三重吉は「千代千代」を何度となく使っている。あるいは「千代」という女に惚れていた事があるのかもしれない。しかし当人はいっこうそんなことを言わない。自分も聞いてみない。ただ縁側に日がよく当たる。そうして文鳥が鳴かない。
そのうち霜が降り出した。自分は毎日伽藍のような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取乱してみたり、頬杖を突いたりやめたりして暮らしていた。戸は二重に締め切った。火鉢に炭ばかり継いでいる。文鳥はついに忘れた。
ところへ三重吉が門口から威勢よく這って来た。時は宵の口であった。寒いから火鉢の上へ胸から上をかざして、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが急に陽気になった。三重吉は豊隆を従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱を兄に抱えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬の晩であった。三重吉は満足そうに微笑んでいる。「まあ御覧なさい」と言う。豊隆はその洋灯をもっとこっちへ出せなどと言う。そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。
なるほど立派な籠ができた。台が漆で塗ってあり、竹は細く削られた上に色が染め付けてある。それで三円だと言う。安いなあ、と豊隆が言っている。豊隆は「うん、安い」と言っている。自分は安いか高いか判然とわからないが、まあ安いなあ、と言っている。いいのになると二十円もするそうですと言う。二十円はこれで二返目である。二十円に比べて安いのは無論である。
この漆は、先生、日向に出して曝しておくと、黒味が取れてだんだん朱色が出てきますから、――そうしてこの竹は一度よく煮たんだから大丈夫ですよ、としきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥を見てごらん、きれいでしょう、と言っている。
なるほど、確かにきれいだ。次の間に籠を据えて四尺ほどこちらから見ると、少しも動かない。薄暗い中に真白に見える。籠の中にうずくまっていなければ、鳥とは思えないほど白い。何だか寒そうだ。
寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと言う。夜になったら、この箱に入れてあげると言う。籠が二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々行水を使わせるのだと言う。これは少し手数が掛かるなと思っていると、それから糞をして籠を汚しますから、時々掃除をしておやりなさいと付け加えた。三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。
それをはいはい引き受けると、今度は三重吉が袂から粟を一袋出した。これを毎朝食わせなくちゃいけません。もし餌を変えてやらなければ、餌壺を出して殻からだけ吹いてあげなさい。そうしないと文鳥が実のある粟を一々拾い出さなくちゃなりませんから。水も毎朝変えておやりなさい。先生は寝坊だからちょうど良いでしょうと、大変文鳥に親切を極めている。そこで自分もよろしいと万事受け合った。ところへ豊隆が袂から餌壺と水入れを出して行儀よく自分の前に並べた。こうして万事を整えておいて、実行を迫られると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。内心ではよほど覚束なかったが、まずやってみようとまでは決心した。もしできなければ家の者がどうかするだろうと思った。
やがて三重吉は鳥籠を丁寧に箱の中へ入れて、縁側へ持ち出して、「ここへ置きますから」と言って帰った。自分は伽藍のような書斎の真ん中に床を展べて、冷ややかに寝た。夢に文鳥を背負い込んだ心持は少し寒かったが、目を覚ますと普段の夜のごとく穏やかである。
翌朝、目が覚めると、ガラス戸に日が射している。たちまち文鳥に餌をやらなければならないなと思った。けれども起きるのが退ぎであった。「今にやろう、今にやろう」と考えているうちに、とうとう八時過ぎになった。仕方がないから顔を洗うついでに、冷たい縁を素足で踏みながら、箱の蓋を取って鳥籠を明るみへ出した。文鳥は目をぱちぱちさせている。もっと早く起きたかったろうと思ったら気の毒になった。
文鳥の目は真黒である。瞼の周囲に細い淡紅色と黄色の絹糸を縫いつけたような筋が入っている。目をぱちぱちさせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっと傾けながらこの黒い目を移して、初めて自分の顔を見た。そして、ちちと鳴いた。
自分は静かに鳥籠を箱の上に置いた。文鳥はぱっと留まり木を離れ、再び乗った。留まり木は二本ある。黒味がかった青軸をほどよい距離に橋のように渡して横に並べた。その一本を軽く踏まえた足を見ると、いかにも華奢にできている。細長い薄紅の端に真珠を削ったような爪がついて、手頃な留まり木を甘く抱え込んでいる。すると、ひらりと眼先が動いた。文鳥はすでに留まり木の上で方向を変えていた。しきりに首を左右に傾ける。傾けかけた首をふと持ち直して、心持ち前へ伸ばしたかと思ったら、白い羽がまたちらりと動いた。文鳥の足は向こうの留まり木の真ん中あたりに具合よく着地した。ちちと鳴く。そうして遠くから自分の顔を覗き込んだ。
自分は顔を洗うために風呂場へ向かった。帰りに台所へ廻って、戸棚を明けて、昨夕三重吉が買って来てくれた粟の袋を出して、餌壺の中へ餌を入れ、もう一つには水を一杯入れて、また書斎の縁側へ出た。
三重吉は用意周到な男で、昨夕丁寧に餌をやる時の心得を説明して行った。その説によると、むやみに籠の戸を明けると文鳥が逃げ出してしまう。だから右手で籠の戸を明けながら、左手をその下へあてがって、外から出口を塞ぐようにしなくては危険だ。餌壺を出す時も同じ心得でやらなければならない。とその手つきまで見せたが、こう両方の手を使って、餌壺をどうして籠の中へ入れることができるのか、つい聞いておかなかった。
自分はやむを得ず餌壺を持ったまま手の甲で籠の戸をそろりと上へ押し上げた。同時に左手で開いた口をすぐ塞いだ。鳥はちょっと振り返った。そして、ちちと鳴いた。自分は出口を塞いだ左手の処置に窮した。人の隙を窺うような鳥とも見えないので、何となく気の毒になった。三重吉の教えには間違いがあった。
大きな手をそろそろ籠の中へ入れた。すると文鳥は急に羽ばたきを始めた。細く削った竹の目から暖かい羽毛が、白く飛ぶほどに翼を鳴らした。自分は急に自分の大きな手がいやになった。粟の壺と水の壺を留まり木の間にようやく置くや否や、手を引き込んだ。籠の戸ははたりと自然に落ちた。文鳥は留まり木の上に戻った。白い首を半ば横に向けて、籠の外にいる自分を見上げた。それから曲げた首を真直ぐにして足元にある粟と水を眺めた。自分は食事をしに茶の間へ行った。
その頃は日課として小説を書いている時分であった。飯と飯の間はたいてい机に向かって筆を握っていた。静かな時は自分で紙の上を走るペンの音を聞くことができた。伽藍のような書斎には誰も入って来ない習慣であった。筆の音に淋しさという意味を感じた朝も昼も晩もあった。しかし時々はこの筆の音がぴたりとやむ、またやめねばならぬ折もだいぶあった。その時は指の股に筆を挟んだまま手の平へ顎を載せて、ガラス越しに吹き荒れた庭を眺めるのが癖であった。それが済むと載せた顎を一応つまんでみる。それでも筆と紙がいっしょにならない時は、つまんだ顎を二本の指で伸ばしてみる。すると縁側で文鳥がたちまち千代千代と二声鳴いた。
筆を擱いて、そっと出て見ると、文鳥は自分の方を向いたまま、留まり木の上からのめりそうに白い胸を突き出し、高く千代と鳴いた。三重吉が聞いたらさぞ喜ぶだろうと思うほど美しい声で千代と鳴いた。三重吉は今に馴れると千代と鳴きますよ、きっと鳴きますよ、と受け合って帰って行った。
自分はまた籠の傍へしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二、三度横に向け直した。やがて一団の白い体がぽいと留まり木の上を抜け出した。と思うと、きれいな足の爪が半分ほど餌壺の縁から後ろへ出た。小指を掛けてもすぐ引き返しそうな餌壺は釣鐘のように静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精のような気がした。
文鳥はさっと嘴を餌壺の真ん中に落とした。そうして二、三度左右に振った。きれいに平らにして入れてあった粟がはらはらと籠の底に零れた。文鳥は嘴を上げた。喉の所で微かに音がする。また嘴を粟の真ん中に落とす。また微かな音がする。その音がとても面白い。静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速やかである。菫ほど小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でも続け様に敲いているような気がする。
三重吉の説によると、馴れるにしたがって、文鳥が人の顔を見て鳴くようになるのだそうだ。現に三重吉の飼っていた文鳥は、三重吉が傍にいさえすれば、しきりに千代千代と鳴きつづけたそうだ。のみならず、三重吉の指の先から餌を食べるという。自分もいつか指の先で餌をやってみたいと思った。
次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済ませて、初めて気がついたように縁側へ出て見ると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう留まり木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸ばして籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。昔、紫の帯でいたずらをした女は、襟の長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった。
粟はまだある。水もまだある。文鳥は満足そうに見える。自分は粟も水も変えずに書斎へ引っ込んだ。
昼過ぎ、また縁側へ出た。食後の運動がてら、五、六間の廻り縁を歩きながら書見するつもりであった。ところが出て見ると、粟がもう七分がた尽きている。水も全く濁ってしまった。書物を縁側へ放り出しておいて、急いで餌と水を変えてやった。
次の日もまた遅く起きた。しかも顔を洗って飯を食うまでは縁側を覗かなかった。書斎に帰ってから、あるいは昨日のように、家の者が籠を出しておきはせぬかと、ちょっと縁へ顔だけ出して見たら、はたして出してあった。その上、餌も水も新しくなっていた。自分はやっと安心して首を再び書斎に入れた。途端に文鳥は千代千代と鳴いた。それで引っ込めた首をまた出して見た。けれども文鳥は再び鳴かなかった。けげんな顔をして硝子越しに庭の霜を眺めていた。自分はとうとう机の前に帰った。
書斎の中では相変わらずペンの音がさらさらと響いている。書きかけた小説はだいぶんはかどった。指の先が冷たい。今朝埋けた佐倉炭は白くなって、薩摩五徳に掛けた鉄瓶がほとんど冷めている。炭取は空になっている。手を叩いたが、ちょっと台所まで聞こえない。立って戸を明けると、文鳥は例に似ず留まり木の上にじっと留まっている。よく見ると足が一本しかない。自分は炭取を縁に置いて、上からかがんで籠の中を覗き込んだ。いくら見ても足は一本しかない。文鳥はこの華奢な一本の細い足に全身を託し、黙って籠の中に収まっている。
自分は不思議に思った。文鳥について万事を説明した三重吉もこの事だけは抜いたと見える。自分が炭取に炭を入れて帰ったとき、文鳥の足はまだ一本だった。しばらく寒い縁側に立って眺めていたが、文鳥は動く気色もない。音を立てずに見つめていると、文鳥は丸い目を次第に細めていった。おおかた眠たいのだろうと思って、そっと書斎へ這入ろうとして、一歩足を動かすや否や、文鳥はまた眼を開いた。同時に真白な胸の中から細い足を一本出した。自分は戸を閉めて火鉢へ炭を加えた。
小説は次第に忙しくなる。朝は依然として寝坊をする。一度家の者が文鳥の世話をしてくれてから、何だか自分の責任が軽くなったような心持がする。家の者が忘れる時は、自分が餌をやり、水をやる。籠の出し入れをする。しない時は、家の者を呼んでさせることもある。自分はただ文鳥の声を聞くことだけが役目のようになってしまった。
それでも縁側へ出る時は、必ず籠の前へ立ち止まって文鳥の様子を見た。たいていは狭い籠を苦にもしないで、二本の留まり木を満足そうに往復していた。天気の良い時は薄い日を硝子越しに浴びて、しきりに鳴き立てていた。しかし三重吉の言ったように、自分の顔を見てことさらに鳴く気色はさらになかった。
自分の指からじかに餌を食うなどと言う事は無論なかった。折々機嫌のいい時は、パンの粉などを人指の先へつけて竹の間からちょっと出して見る事があるが、文鳥はけっして近づかない。少し無遠慮に突き込んで見ると、文鳥は指の太いのに驚いて白い翼を乱して籠の中を騒ぎ廻るのみであった。二、三度試みた後、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。今の世にこんな事のできるものがいるかどうかはなはだ疑わしい。おそらく古代の聖徒の仕事だろう。三重吉は嘘を吐いたに違いない。
或日の事、書斎で例のごとくペンの音を立てて侘しい事を書き連ねていると、ふと妙な音が耳に入った。縁側でさらさら、さらさらと言う。女が長い衣の裾を捌いているようにも受け取られるが、ただの女のそれとしては、あまりに仰山である。雛段を歩く内裏雛の袴の襞の擦れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水を使っていた。
水はちょうど変え立てであった。文鳥は軽やかな足を水入れの真ん中に胸毛まで浸し、時々白い翼を左右に広げながら、心持ち水入れの中にしゃがむように腹を押しつけつつ、全身の毛を一度に振っている。そうして水入れの縁にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。水入れの直径は一寸五分ほどに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然として行水を使っている。
自分は急に易籠を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠のように転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。
昔、紫の帯でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅色になった頬を上げて、繊細な手を額の前に翳しながら、不思議そうに瞬きした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。
日が経つにつれて文鳥は上手に囀る。しかしよく忘れられる。ある時、餌壺が粟の殻だけになっていたことがある。ある時は籠の底が糞でいっぱいになっていたことがある。ある晩、宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越しに差し込んで、広い縁側がほの明るく見える中に、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。その隅に文鳥の体が薄白く浮いたまま留まり木の上に、有るか無きかに思われた。自分は外套の羽織を返して、すぐ鳥籠を箱の中へ入れてやった。
翌日、文鳥は例のごとく元気よく囀っていた。それからは時々寒い夜も箱にしまってやるのを忘れることがあった。ある晩、いつもの通り書斎で専念にペンの音を聞いていると、突然縁側の方でがたりと物の覆がえった音がした。しかし自分は立たなかった。依然として急ぐ小説を書いていた。わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞耳を立てたまま知らぬ顔で済ませていた。その晩寝たのは十二時過ぎであった。便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――
籠は箱の上から落ちている。そうして横に倒れている。水入れも餌壺も引っ繰り返っている。粟は一面に縁側に散らばっている。留り木は抜け出している。文鳥は静かに鳥籠の桟にかじりついていた。自分は明日から誓ってこの縁側に猫を入れまいと決心した。
翌日、文鳥は鳴かなかった。粟を山盛り入れてやった。水を満ちるほど入れてやった。文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。昼食を食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二、三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。自分は手紙の筆を留めた。文鳥がまたちちと鳴いた。出て見ると、粟も水もだいぶ減っている。手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。
翌日、文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹を押しつけていた。胸の所が少し膨らんで、小さな毛がさざ波のように乱れて見えた。自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれという手紙を受け取った。十時までにという依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。三重吉に会って見ると例の件がいろいろ長くなり、一緒に午飯を食う。一緒に晩飯を食う。その上、明日の会合まで約束して家へ帰った。帰ったのは夜の九時頃だった。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へ這入って寝てしまった。
翌日、目が覚めるや否や、すぐ例の件を思い出した。いくら当人が承知していても、そんな所へ嫁にやるのは将来良くないだろう、まだ子供だからどこへでも行けと言われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥っていく者がたくさんある。などと考えて楊枝を使って、朝飯を済ませてまた例の件を片づけに出掛けて行った。
帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套を掛けて廊下伝いに書斎へ這入るつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底に反そっくり返っていた。二本の足を硬く揃え、胴をまっすぐに伸ばしていた。自分は籠の傍に立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼を眠ねぶっている。瞼の色は薄蒼く変わっていた。
餌壺には粟の殻が溜まっている。啄ばんで食べるべきは一粒もない。水入れは底の光るほど涸れている。西へ廻った日が硝子戸を洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗った漆は、三重吉の言った通り、いつの間にか黒味が抜けて、朱の色が出てきた。
自分は冬の日差しに照らされた朱色の台を眺めた。空になった餌壺を眺めた。空虚に橋を渡している二本の留り木を眺めた。そうしてその下に横たわる硬い文鳥を眺めた。
自分はかがんで両手に鳥籠を抱えた。そうして、書斎へ持って這入った。十畳の真ん中へ鳥籠を下ろして、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔らかい羽は冷えきっている。
拳を籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静かに掌の上にある。自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団の上に下ろした。そうして、烈しく手を鳴らした。
十六になる小女が、はいと言って敷居際に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へ投げ出した。小女は俯いて畳を眺めたまま黙っている。自分は、餌をやらないから、とうとう死んでしまったと言いながら、下女の顔を睨めつけた。下女はそれでも黙っている。
自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書を書いた。「家族が餌をやらないために、文鳥はとうとう死んでしまった。頼んでもいないものを籠に入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」という文句であった。
自分は、これを投函だして来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に言った。下女は「どこへ持って行きますか」と聞き返した。「どこへでも勝手に持って行け」と怒鳴りつけたら、驚いて台所の方へと持って行った。
しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋めるんだ、埋めるんだと騒いでいる。庭掃除を頼んだ植木屋が「御嬢さん、ここいらが好いでしょう」と言っている。自分は進まぬ気持ちを抱えつつ、書斎でペンを動かしていた。
翌日、何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声がしたあたりに、小さな公札が、蒼い木賊と草の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄を穿いて、日陰の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表には「この土手を登るべからず」とあった。筆子の手跡である。
午後、三重吉から返事が来た。文鳥は「可愛そうな事を致しました」とあるばかりで、家族が悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。