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レ・ミゼラブル 第一部 ファンティーヌ 第一編 正しき人: 第二編 墜落 : 第三編 一八一七年のこと:第四編 委託は時に放棄となる :第五編 下降:第六編 ジャヴェル

 

レ・ミゼラブル、原作者ビクトル・ユーゴー


現代語訳:Relax Stories TV

 

はじめに、
ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、フランス革命後の混乱と社会の不正義を背景にした壮大な物語です。主人公のジャン・ヴァルジャンは、パンを盗んだ罪で19年間も投獄され、その後仮釈放されます。彼は司教の慈悲に触れ、心を入れ替え、新しい人生を歩み始めます。しかし、彼の過去は彼を追い続け、警部ジャヴェールとの対立が続きます。ヴァルジャンは、ファンティーヌという女性の娘コゼットを引き取り、彼女を育てることを決意します。物語は、彼の苦難と成長、そして愛と赦しのテーマを描いています。

人生の教訓

生き方は変えられる
ジャン・ヴァルジャンは、司教の慈悲に触れたことで心を入れ替え、新しい人生を歩み始めました。過去の過ちを乗り越え、正しい道を選ぶことができるという教訓です。

過去からは逃げられない
いくら心を入れ替えても、過去の罪からは逃れられません。ヴァルジャンは、過去の罪を償うために逃亡生活を続けましたが、最終的には自分の正体を明かし、過去と向き合うことを選びました。

敵を許す
ジャヴェール警部はヴァルジャンを長年追い続けましたが、ヴァルジャンは彼を許しました。敵を許すことで、自分の心も解放されるという教訓です。

愛と犠牲
ヴァルジャンは、コゼットを引き取り、彼女を育てるために多くの犠牲を払いました。愛する人のために尽くすことの大切さを教えてくれます。
レ・ミゼラブル』は、愛と赦し、そして人間の成長を描いた感動的な物語です。これらの教訓は、現代の私たちにも深い意味を持っています。


まだまだ登場しない主人公の話

1832年のパリ、街角の古書店

薄暗い店内で、一冊の古ぼけた日記帳が青年の視線を求めていた。革の表紙には、無数のひび割れが走り、まるで物語を語りかけているかのよう。ページをめくると、かすれたインクで綴られた文字が、彼を遠い過去へと誘い込む。それは、革命の嵐が吹き荒れた時代の物語。そして、その中心には、一人の男の壮絶な人生が描かれていた。

なぜ、この男はこんなにも激しい運命を背負ったのか?

青年は、日記帳に書かれた言葉に引き込まれ、次第に、この物語の主人公、ジャン・バルジャンという男に感情移入していく。バルジャンは、パンを盗んだ罪で19年間も牢獄に閉じ込められた男。しかし、彼はただの人物ではない。彼の心の奥底には、深い傷跡と、同時に、希望の光も宿っていた。


第一部   ファンティーヌ  第一編 正しき人

 

1.ミリエル氏 

1815年に、シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教でした。彼は約75歳の老人で、1806年からディーニュの司教職に就いていました。

彼がその教区に到着したとき、彼について広まった様々な噂や評判は、物語の本質とは何の関係もありませんが、全ての事において正確さを求めるという観点から、ここに記すことは無駄ではないでしょう。

嘘であろうと真実であろうと、人の身について言われることは、その人の生涯、特にその運命において、しばしば実際の行動と同じくらい重要な位置を占めます。ミリエル氏はエークスの高等法院の評議員の息子で、顕著な法官の家系でした。伝えられるところによれば、彼の父は彼に地位を継がせようとして、当時、法院関係の家庭で広く行われていた習慣に従い、彼を非常に早い時期、18歳か20歳の時に結婚させたそうですが、彼はその結婚にもかかわらず、多くの噂の種をまいたと言われています。彼は少し背が低めでしたが、品位と優雅さと才気を兼ね備えた立派な男でした。

彼の生涯の前半は社交と恋愛の中で過ごしました。そのうちに革命が起こり、様々な事件が次々と起こり、法院関係の家系は皆大量に虐殺され、追放され、追い立てられ、分散してしまいました。シャール・ミリエル氏は革命の初めからイタリアに亡命しました。彼の妻は、そこで長い間苦しんでいた肺病のために亡くなりました。彼らには子供がいませんでした。

その後、ミリエル氏の運命はどうなったのでしょうか。フランスの旧社会の崩壊、彼の一家の没落、1793年の悲惨な光景、恐怖を深めて遠くから眺める亡命者たちにとっては、おそらくさらに恐ろしかったでしょう。その光景は、彼の心の中に世俗を離れる思考を起こさせたのでしょうか。世の変動によってその身や財産に打撃を受けても、あえて動じないような人もいますが、時としてその心を撃って混乱させるあの神秘的で恐ろしい打撃が、当時彼が楽しんでいた娯楽や逸楽の最中に突然降りかかったのでしょうか。それらのことは、誰も言うことはできませんでした。ただ知られていたことは、イタリアから帰ってきたとき、彼は牧師になっていたということだけでした。

1804年、ミリエル司祭はブリニョルの主任司祭でした。彼はすでに高齢で、完全に隠居生活を送っていました。

皇帝の戴冠式が行われた頃、何らかの小さな職務上の事件のために、ミリエル司祭はパリに出かけなければならなくなりました。彼は多くの有力人物の中でも枢機卿フェーシュ氏のところに行き、自分の教区民のための援助を求めました。ある日、皇帝が叔父のフェーシュ氏を訪れたとき、ミリエル司祭は待合室で待たされていて、ちょうど皇帝がそこを通りかかりました。皇帝はこの老人が自分を好奇心深く見つめているのを見て、振り返って突然言いました。

「この老人は何者なのか。」

「陛下、」とミリエル司祭は言いました、「陛下は一人の老人を見ています。そして私は一人の偉人を見ています。私たちはどちらも自分自身のためになるのです。」

皇帝はすぐその夜、枢機卿にミリエル司祭の名前を尋ねました。そしてすぐにミリエル司祭は、自分がディーニュ司教に任命されたことを知って驚きました。

ミリエル司祭の前半生について伝えられた話のうち、結局どれが真実だったのかは誰にもわからなかった。革命以前にミリエル司祭の家族を知っていた家はほとんどありませんでした。

ミリエル司教は、小さな町の新参者として、よく見られる運命に直面しなければならなかった。そこでは陰口を言う人が非常に多く、考える人は非常に少ないのが常です。しかし、結局、彼に関する様々な噂話は、ただの噂に過ぎなかったのかもしれません。

さて、ミリエル司教がディーニュに9年間住み、司教職に就いていた当初は、小都市や小人たちの話題となっていた噂話は、すっかり忘れられてしまっていました。誰もそれを語ろうとする人もいなければ、思い出そうとする人もいませんでした。 

ミリエル司教は、10歳年下の未婚の妹バティスティーヌと一緒にディーニュに来ました。

使用人としては、バティスティーヌと同年齢のマグロアールという女性が一人いただけでした。彼女は元々司祭の使用人でしたが、今では未婚の姉の侍女であり、司教の家事を取り仕切る二重の役割を担っていました。

バティスティーヌは細長く、青白く、やせた穏やかな女性でした。一般的に、女性が尊重されるためには母であることが必要だと考えられていますが、バティスティーヌはそうではありませんでした。にもかかわらず、彼女は理想的な女性の姿そのものでした。彼女の一生は神の仕事を続けてきたことで、白さと輝きを与えられていました。年を重ねるにつれ、バティスティーヌは温和な美しさを得ていきました。若いころのやせ型の体は、成熟するとより透明感のあるものに変化しました。その体から、まるで心の中の天使のようなものが見えるようでした。処女のような、ほとんど物質的な存在にすぎない肉体でした。

マグロアールは、背が低く、白く、肥満した忙しそうな年配の女性でした。いつも喘息のため息を切らしていました。

ミリエル司教は、到着した日に、司教館で盛大な就任式を行われました。市長と市議会議長が最初に彼を訪問し、彼自身も将軍と知事を訪問しました。

就任式が終わった後、市民は新しい司教の働きを待ち望んでいました。

 

2.ビアンヴニュ閣下となるミリエル司教

ディーニュの司教館は、施療院の隣にありました。この広大で美しい石造りの建物は、1712年にディーニュの司教となったパリ大学神学博士アンリ・ピュジェー閣下によって、18世紀の初めに建てられたものでした。

司教館には、堂々とした雰囲気がありました。司教の居間、客間、奥の間、フローレンス式の中庭にある歩廊、美しい樹木が植えられた後ろの庭など、さまざまな部屋や施設が整えられていました。

1階の回廊食堂には、1714年7月29日の記念すべき日付が、真っ白な大理石の板に金文字で刻まれていました。この日、アンリ・ピュジェー閣下は、アンブロンの大司教公爵シャール・ブリューラル・ド・ジャンリー閣下、カピュチン修道会の牧師でグラスの司教アントアヌ・ド・メグリニー閣下、マルタ騎士団の騎士でサン・トノレ・ド・レランの修道院長フィリップ・ド・ヴァンドーム閣下、ヴァンスの司教男爵フランソア・ド・ベルトン・ド・グリヨン閣下、グランデーヴの司教領主シェザール・ド・サブラン・ド・フォルカキエ閣下、そしてスネーの司教領主でオラトリー派の牧師で王の常任説教師であるジャン・ソーナン閣下を、正式な食事に招待したのです。その7人の肖像画が、この部屋を飾っていました。

一方、狭く低い二階建ての施療院には、小さな庭しかありませんでした。ミリエル司教は、到着して3日後に施療院を訪れました。そして院長に自分の家に来てもらうよう頼みました。

「今、何人の患者がいますか」と司教が尋ねると、院長は「26人です」と答えました。司教も同じ数を数えていたそうです。

院長は、「ベッドが近すぎ、部屋が小さすぎて空気が通りません。回復患者の散歩にも庭が狭すぎます」と訴えました。

「今年はチフスが、二年前は粟粒発疹熱がありました。そのような流行病の時は、時に100人もの患者がいますが、どうすればいいかわかりません」

司教は少し黙っていましたが、突然「この食堂にはどれだけのベッドが置けるでしょうか」と尋ねました。院長は驚いて「この食堂に?」と叫びました。

司教は部屋を見回し、目で寸法を測り、計算しているようでした。
「20台は置けるだろう!」と彼は独り言のように言い、それから声を張り上げました。

「院長さん、少し申し上げたいことがあります。
現状には明らかな問題があります。
あなたの施設では、5つか6つの小さな部屋に26人が収容されています。
私の家では、現在3人しかいませんが、最大で60人を収容できるほどのスペースがあります。
これは問題です。
あなたが私の家に移り、私があなたの施設に移るべきです。
あなたの施設を私に開放していただけませんか。
あなたの新しい家はここです。」

その翌日、26人の貧しい人々は司教館に移され、
司教は施療院に移りました。

ミリエル氏にはほとんど財産がありませんでした。
彼の一家は革命のために没落していました。
しかし、妹は500フランの終身年金を得ており、
僧侶として、それで自分の生活費を賄うことができました。
ミリエル氏は司教として、国から15,000フランの手当を受けていました。

施療院に移り住んだその日に、
彼はそのお金を次のように使うことを断固として決心しました。
ここに彼自身が書き留めたメモを転記します。


わが家の支出規定覚え書き
神学予備校のため…………………………………千五百リーヴル
伝道会……………………………………………………百リーヴル
モンディディエの聖ラザール会員のため……………百リーヴル
パリー外国伝道学校…………………………………二百リーヴル
サン・テスプリ修道会……………………………百五十リーヴル
聖地宗教会館……………………………………………百リーヴル
母の慈善会……………………………………………三百リーヴル
なおアールの同会のため……………………………五十リーヴル
監獄改善事業…………………………………………四百リーヴル
囚徒慰問および救済事業……………………………五百リーヴル
負債のため入獄せる戸主解放のため…………………千リーヴル
管下教区の貧しき教員の手当補助…………………二千リーヴル
上アルプの備荒貯蔵所…………………………………百リーヴル
貧民女子無料教育のためのディーニュ、マノスク、および
 システロンの婦人会……………………………千五百リーヴル
貧しき人々のため……………………………………六千リーヴル
自家費用…………………………………………………千リーヴル
 合計……………………………………………一万五千リーヴル
ミリエル氏はディーニュの司教だった間、この処置にほとんど変更を加えませんでした。彼自身が書き留めたメモによれば、彼はそれを「我が家の支出規定」と呼んでいました。

バティスティーヌ嬢もこの処置に絶対に従っていました。この聖なる嬢にとって、ディーニュの司教は同時に自分の兄であり、自分の司教でした。自然から見れば親しい友人で、教会から見れば教長でした。彼女はただ単純に彼を愛し、彼を尊敬していました。彼が話すときにはそれに従い、彼が行動するときにはそれに力を合わせていました。ただし、使用人のまぐろあーるだけが少し不平を言っていました。前述の通り、司教は1,000リーヴルを取っておかず、バティスティーヌ嬢の年金と合わせて年間1,500フランしかありませんでした。その金だけで2人の老女と1人の老人が生活していました。

それでも、まぐろあーるの厳しい節約と、バティスティーヌ嬢の巧みな家政のおかげで、ディーニュの村の司祭などが来るときには、司教はまだ彼らをもてなすことができました。

ある日、ディーニュに来てから約3ヶ月後、司教は言いました。
「これだけのものではなかなか苦しい!」
「そうでしょうとも。」とまぐろあーるは叫びました。「旦那様が、町での馬車代と教区を巡る費用を、県に正当に請求しないからです。以前の司教たちはいつもそうしていましたよ。」
「なるほど!」と司教は言いました、「まぐろあーる、あなたの言うことはもっともだ。」
彼はその請求をしました。

しばらくすると、県議会ではこの請求を審議し、次のような名目で彼に年間3,000フランを与えることに決定しました。四輪馬車代、駅馬車代、および教区巡回の費用として、司教に支給するためです。 この一件は市民の間で物議を醸しました。そして革命の2月18日に味方した500人会の一人で、現在は帝国の上院議員であり、ディーニュの近くに立派な世襲財産を持っていた一人が、その時、宗務大臣ビゴー・ド・プレアムヌー氏に宛てて、不満たっぷりの秘密の手紙を書きました。ここにその信頼できる数行を引用してみましょう。

「――四輪馬車代とは何だ。人口4,000人に満たない小都市で何のためにそれを使うのだ。駅馬車および巡回の費用とは何だ。まず、そのような巡回はどこで行われるのだ。次に、そのような山間地で、どうやって駅馬車を使うことができるのだ。道路と呼べるものがなく、人々はただ馬に乗って移動するだけだ。シャトー・アルヌーへ至るデューランス川の橋さえも、ほとんど牛車を支えることができない。これらの牧師たちは皆、このように、貪欲で飽くことを知らない者たちだ。この司教も就任初めには善良な使徒のように振る舞っていたが、今や他とは何も変わらない。今や彼は四輪馬車を要し、駅馬車を要する。以前の司教たちのように豪奢を要する。おお、これらすべての司祭たちよ! 陛下がこれら黒衣の手から我々を解放する時が来なければ、伯爵よ、事はすべてそのままだ。法王を倒せ!(そのころ、すべての事がローマと乖離していた。)私はただ皇帝のために全力を尽くすだけだ。云々」

このことはマグロアールを非常に喜ばせました。彼女はバティスティーヌ嬢に言いました。「素晴らしいことですね。閣下は他人のことから始めました。しかし、最終的には自分自身のことを考えなければならなかったのです。慈善の方はすでに完全に決まっています。だから、この3,000リーヴルは私たちのものですよ。」
その夜、司教は次のようなメモを書き、それを妹に渡しました。

馬車と巡回の費用

施療院の患者に肉汁を与えるため:1,500リーヴル
エークスの母の慈善会のため:250リーヴル
ドラギニャンの母の慈善会のため:250リーヴル
捨て子のため:500リーヴル
孤児のため:500リーヴル
合計:3,000リーヴル
これがミリエル氏の予算表でした。
司教区の臨時の収入、すなわち結婚公示免除、結婚許可、洗礼式、説教、教会や礼拝堂の祝福、結婚式などの収入について、司教はできるだけ多く富裕層から徴収し、それだけ貧しい人々に与えました。


しばらくすると、金銭の寄付が流れ込んできました。金持ちも貧乏人もビヤンヴニュ閣下の門を叩きました。後者は前者が残していった施しを求めるためでした。1年も経たないうちに、ビヤンヴニュ閣下はあらゆる慈善事業の会計係となり、あらゆる困窮者の金庫係となりました。膨大な金額が彼の手を通りました。それでも彼の生活様式はほとんど変わらず、彼の必要に対して何かが加えられることもありませんでした。

それどころか、上の人々が情け深いよりも下の人々が困窮している方が常に多いため、すべてが受け取る前にまず与えられたのでした。それは乾いた土地の上の水のようなものでした。彼がどれだけ金を受け取っても、手元には一文も残りませんでした。そんな時、彼は自分の衣服さえ売りました。

司教として、すべての宗教的命令や教書の最初に自分の洗礼名を書くのが習慣でしたので、この地方の貧しい人々は、一種の本能的な愛情から、ビヤンヴニュ閣下のさまざまな名前の中から意味のあるものを選び、彼をビヤンヴニュ閣下としか呼ばなかった。私たち読者も、これから彼らの例に倣って、場合によっては彼をそう呼ぶことにしましょう。その上、この呼び名は彼の気に入っていました。彼は言いました、「私はその名前が好きだ。ビヤンヴニュという言葉は閣下という言葉を補ってくれる。」

私たちは、ここに描かれている彼の肖像が真実らしいものであるとは主張しません、ただ本物に似ていると言うだけです。

 

3.良い司教にとっての困難な司教区

ビヤンヴニュ閣下はその馬車代を施しに変えてしまったとはいえ、巡回を止めてしまったわけではありませんでした。ディーニュの司教区は困難な土地でした。前に述べた通り、平地は非常に少なく、山が多く、ほとんど道路というほどのものがありませんでした。32の主任司祭館と41の助任司祭館と285の補助礼拝堂がありました。それらすべてを訪れることはかなりの仕事でした。ビヤンヴニュ閣下はそれをやり遂げました。近くは徒歩で、平地は小車で、山は騾馬の鞍で移動しました。2人の老婦人が彼の同行者でした。道が彼女たちにとって困難なときには、ビヤンヴニュ閣下は一人で行きました。

ある日、彼はかつて司教が住んでいた「まち」、スネズにロバで行きました。その時、彼の財布は非常に軽く、他の乗り物を取ることができなかったのです。町長は司教館の入り口まで彼を出迎え、彼がロバから降りるのを憤慨したような目つきで見ました。数名の町民はその周囲で笑っていました。「町長さん、そして皆さん、」とビヤンヴニュ閣下は言いました。
「私は皆さんが憤慨している理由がわかります。イエス・キリストの乗り物であったロバに乗ることは、哀れな一牧師にとっては非常に不遜なことであると皆さんは思われるでしょう。しかし、私はやむを得ずそうしたのです、決して虚栄心からではありません。」

巡回中、彼は非常に寛大で穏やかで、説教するよりもむしろ話すことが多かった。彼は人々が理解しにくい言葉を有効だとは思っていませんでしたし、理論や例を遠くから引き出すこともありませんでした。ある地域の人々にはその地域の例を挙げました。貧しい人々に対しては、冷酷な村々では次のように言いました。「ブリアンソンの人々を見てください。彼らは貧しい人々や寡婦や孤児に対して、他の人々よりも3日早く牧場の草を刈ることを許しています。その家が壊れたときは無料で建て直してあげます。だからその地域は神に恵まれています。まる100年間、一人の殺人もありませんでした。」

利益や収穫を貪る村々では、彼は次のように言いました。「アンブロンの人々を見てください。もし収穫の時に、息子たちは兵役に出ており、娘たちは町に奉公に出ており、主人は病気で働けないような場合には、司祭は説教のときに彼のことを皆に伝えます。そして日曜日のミサの後に、村の男性や女性や子供たち、すべての人々が、その人の畑に行って収穫を手伝い、わらや穀物を納屋に納めてあげます。」

金銭や遺産の問題で反目している家族には次のように言いました。「ドゥヴォルニーの山岳地帯の人々を見てください。そこは50年に一度も鶯の声が聞こえないほどの荒れ果てた地方です。家族の主が亡くなると、息子たちは稼ぎのために他の国へ出て行き、娘たちが夫を見つけられるように、全財産を彼女たちに残します。」

訴訟を好んで印紙税に破産してしまうような村々では、彼は言いました。「クイラスの谷の善良な農民たちを見てください。そこには3,000人の人々がいます。まるで小さな共和国のようです。一人の裁判官も執行官もいません。村長がすべてのことを処理します。村長は税を割り当て、各人に公正な負担を課し、無報酬で争いを裁き、無料で遺産を分配し、無費用で判決を下します。人々は皆彼に従います、それは彼が素朴な人々の中の正しい人だからです。」

学校の教師がいない村々には、やはりクイラスの人々の話をしました。「彼らがどのようにやっているかをご存知ですか。12軒や15軒くらいの小さな村では、常に一人の教師を雇うことができないので、その地域全体で数人の教師を雇っています。教師たちは、ある村では8日間、ある村では10日間というように、村々を回って教えています。彼らは市場に行きます。私はそれを見かけました。帽子のリボンに挿している羽ペンでそれとわかります。読み方だけを教える人は一本の羽ペン、読み方と算術を教える人は二本、読本と算術とラテン語を教える人は三本をつけています。そういう人は非常に学問が深いです。何も知らないということは何という恥ずかしさでしょう! このクイラスの人々のようになるべきです。」

彼は非常に真剣で、まるで慈父のように話しました。具体的な例がない場合には、比喩を作り出し、言葉は少なく、イメージは豊かで、直接的にポイントをつきました。それはまさに、自分自身が確信し、他人を説得するイエス・キリストの雄弁さに似ていました。

 

4.言葉にふさわしい行動

司教の話は親切で楽しく、自分のそばで生涯を送っている二人の年老いた女性にもよく理解できるような言葉を使いました。笑うときには、小学生のような笑い方をしました。

マグロアールは彼を好んで「大人様」と呼びました。ある日、彼は椅子から立ち上がって、一冊の本を探しに図書室に行きました。その本は上の棚にありました。彼はかなり背が低かったので、それには届きませんでした。「マグロアール、」と彼は言いました、「椅子を持ってきてください。大人様でもあの棚には届きませんよ。」

彼の遠い親戚の一人であるロー伯爵夫人は、折に触れて彼の前で、彼女のいわゆる三人の息子の「希望」を数え上げることを忘れませんでした。彼女はもうすぐ死ぬところの多くの親戚を持っていましたが、彼女の息子たちは自然にその相続人でした。三人のうちの末の子は一人の大おばから十万リーヴルの良い年金を継ぐことになっており、二番目の子はそのおじの公爵の称号を継ぐことになっており、長男はその祖父の爵位を継承することになっていました。司教はいつも、それらの罪のない許されるべき母の自慢話を黙って聞いていました。それでもあるとき、ロー夫人がまたそれらの相続や「希望」などの細かい話を繰り返していたとき、司教はいつもより考え込んでいるように見えました。彼女はいらだってその話を止めました。「まあ、あなた、一体何を考え込んでいるのですか?」司教は言いました。「私は奇妙なことを考えていました。そう、たしか聖アウグスチヌスの中にあった句だと思いますが、『その遺産を継承できない者に、あなたの希望を託せ』というのです。」

またあるとき、彼はその地方の一人の紳士の死を報じる手紙を受け取りましたが、その中には、故人の位階だけでなく、あらゆる親戚の封建的な貴族的な資格が全紙に記されていました。「まあ、死ぬのに何という素晴らしい肩書きだろう!」と彼は叫びました。「何という素晴らしい肩書きの重荷を楽々と負っていることだろう。このようにして虚栄のために墓まで使うとは、人間というものは何と才知に長けていることか。」

司教は時折、軽い冗談を言うことがありましたが、その中には常に真剣な意味が含まれていました。四旬節の間に、一人の若い助任司祭がディーニュに来て大会堂で説教をしました。彼はかなり雄弁でした。説教のテーマは慈善でした。彼は富裕層に対して、地獄を避けて天国を得るためには貧者に施すべきだと説き、地獄の恐ろしい光景をできるだけ生々しく描き、天国の美しい様子を楽しく描きました。聴衆の中にはジェボランという引退した金持ちの商人がいました。彼は高利貸しの類で、粗悪なラシャやセルや綾織布、トルコ帽などを製造して約五十万を得ていました。彼の一生の中で、彼は一人の不幸な人にも施しをしたことがありませんでした。しかし、この説教以来、大会堂の玄関にいる年老いた乞食の女性たちに、毎週日曜日に一スー(訳注:一スーは一フランの二十分の一)を与えている彼の姿が見られました。その一スーは乞食の女性たち6人で分けなければなりませんでした。ある日、司教はジェボランがいつもの慈善を行っているのを見て、微笑みながら妹に言いました。「見て、ジェボランさんが一スーで天国を買っているよ。」

慈善に関しては、司教は拒否されても決して引き下がらなかった。そして、人々に再考するような言葉を発しました。

かつて彼は町のある客間で、貧しい人々のために寄付金を集めたことがありました。その場には、年老いて富裕で貪欲な、過激な王党派でありながら過激なヴォルテール派でもあったシャンテルシエ侯爵がいました。

司教は彼のところへ行って彼の腕をつかみました。
「侯爵、あなたは私に何か寄付していただかなければなりません。」
侯爵は振り向いて冷淡に答えました。
「私にも自分の貧しい人々がいます。」
「それを私に寄付していただきたいのです、」と司教は言いました。

ある日、司教は大会堂で次の説教をしました。

「親愛なる皆さん、フランスには、ただ3つの開口部しかない家が132万戸、1つのドアと1つの窓という2つの開口部しかない家が181万7000戸、最後に1つのドアしかない小屋が34万6000戸あります。これはドアと窓の税から生じています。

貧しい家族、年老いた女性や幼い子供たちが、これらの家に住むことで、熱病やその他の病気が発生するのは明らかです。神は人に空気を与えましたが、法律は人に空気を売ります。私は法律を非難するのではありません。しかし、私は神を讃えます。

イゼール県、ヴァール県、上下両アルプ県などでは、農民は手車を持っていません。人々は背中で肥料を運んでいます。彼らはろうそくを持っていません。樹脂や松脂に浸した木片や紐くずを燃やしています。ドーフィネの山地でも、全く同じです。彼らは一度に6ヶ月分のパンを作り、乾燥した牛糞でそれを焼きます。冬には斧でそのパンを割り、食べられるようにするために24時間水に浸します。

――皆さん、慈悲の心を持ちましょう。皆さんの周りでどれほどの人々が苦しんでいるかを見てください。」

彼はプロヴァンス出身だったので、南方の方言に簡単に親しむことができました。例えば、下ラングドック地方の言葉では、「まあ、ご機嫌だった。」また、下アルプ地方の言葉では、「どこを通って来たのか。」あるいは、上ドーフィネ地方の言葉では、「良い羊と、たくさんの脂肪を持つ良いチーズを持ってきてください。」これらは非常に人々を喜ばせ、あらゆる人々と親しくなることを大いに助けました。

彼は茅屋の中でも山中でも親しく振る舞いました。非常に俗語的な言葉で非常に高尚なことを言うことができました。あらゆる方言を話しながら、あらゆる人の心の中に入り込みました。

さらに、彼は上流の人々に対しても下層の人々に対しても同様の態度を取りました。

彼は何事も急いで非難することはなく、周囲の事情も考慮しながら非難することもありませんでした。彼はいつも言っていました、「間違いが経験した道を見てみましょう。」

彼自身が自分をかつて罪を犯した者だと微笑みながら言っただけに、彼は全く厳しいことがなく、厳格な道徳家のように眉間にしわを寄せることもなく、一つの教義を公言していました。その要点は大体次のようでした。

「人の肉体は同時に自分自身の重荷であり誘惑でもあります。人はそれを背負いながら歩き、それに身を委ねます。」

「人はこの肉体を監視し、制御し、抑制して、どうしようもないほどになるまでそれに屈服すべきです。そのような屈服においても、まだ間違いがあるかもしれませんが、そのようにして起こった間違いは許されるべきものです。それは一つの堕落であり、しかし膝を曲げる堕落であり、祈りに終わるべきものです。」

「聖人であることは例外であり、正しい人であることは普通です。道に迷い、義務を怠り、罪を犯すことがあっても、常に正しい人であり続けます。」

「できる限り罪が少ないことこそが、人の法則です。全く罪がないことは天使の夢想です。地上に存在するものはすべて罪を伴います。罪は一つの引力です。」

世の人々が大声で叫び、簡単に怒るのを見るとき、彼は微笑みながら言いました。「おお、世の人々が皆犯しているこのことは大罪のように見えます。それは、脅かされた偽善が、反論することを急ぎ、自分を隠すことを急いでいます。」

社会の重荷の下にある女性や貧者に対して彼は寛大でした。彼はいつも言っていました。

「女性や子供や使用人や、弱者や貧者や無学者など、彼らの間違いはすべて、夫や父親や主人や強者や富者や学者などのせいです。」

彼自身が自分をかつて罪を犯した者だと微笑みながら言っただけに、彼は全く厳しいことがなく、厳格な道徳家のように眉間にしわを寄せることもなく、一つの教義を公言していました。その要点は大体次のようでした。

「人は同時に自分自身の重荷であり、自分自身の誘惑である肉体を持っています。人はそれを背負いながら歩き、それに身を委ねます。」

「人はこの肉体を監視し、制御し、抑制して、どうしようもないほどになるまでそれに屈服すべきです。そのような屈服においても、まだ間違いがあるかもしれませんが、そのようにして起こった間違いは許されるべきものです。それは一つの堕落であり、しかし膝を曲げる堕落であり、祈りに終わるべきものです。」

「聖人であることは例外であり、正しい人であることは普通です。道に迷い、義務を怠り、罪を犯すことがあっても、常に正しい人であり続けます。」

「できる限り罪が少ないことこそが、人の法則です。全く罪がないことは天使の夢想です。地上に存在するものはすべて罪を伴います。罪は一つの引力です。」

世の人々が大声で叫び、簡単に怒るのを見るとき、彼は微笑みながら言いました。「おお、世の人々が皆犯しているこのことは大罪のように見えます。それは、脅かされた偽善が、反論することを急ぎ、自分を隠すことを急いでいます。」

社会の重荷の下にある女性や貧者に対して彼は寛大でした。彼はいつも言っていました。

「女性や子供や使用人や、弱者や貧者や無学者など、彼らの間違いはすべて、夫や父親や主人や強者や富者や学者などのせいです。」

彼はさらに言いました。「無学の人々にはできるだけ多くのことを教えなければならない。無料の教育を提供しないことは社会の罪である。社会は自分で作り出した闇の責任を負うべきである。心の中に影が多ければ、罪はそこで行われる。罪人は罪を犯した者ではなく、影を作った者である。」


上記のように、彼は物事を判断するのに彼独自の方法を持っていました。おそらくそれは、福音書から得られたものと思われます。

ある日、彼は、すでに予審が終わり、まさに判決が下されようとしている一つの犯罪事件のことを耳にしました。ある困窮した男が、金を得る手段が尽き、一人の女性とその間にできた子供を愛するあまり、貨幣を偽造しました。当時、貨幣偽造はまだ死刑で罰せられていました。女性は男が作った偽造貨幣を最初に使って逮捕されました。彼女は拘留されましたが、彼女の現行犯以外には何の証拠も得られませんでした。ただ彼女だけがその男の罪証を挙げることができ、自白によって彼を破滅させることができました。彼女は否認しました。どんなに尋問されても、彼女は固く否認し、動かなかった。そこで検事はある手段を考えました。彼は男の不誠実さを主張し、巧妙に偽った手紙の断片を見せて、彼女には競争相手がいて、彼女は男に騙されたと、その不幸な女性に信じさせました。そのとき、女性は嫉妬の感情に駆られて、男を告訴し、すべてを白状し、すべてを証明しました。男の罪は確定しました。彼はその共犯者である女性とともに近々裁判所で判決を下されることになっていました。

人々はその事実を話し合い、皆は検事の巧妙さを称賛した。彼は嫉妬心を利用して、怒りによって真実を明らかにし、復讐心から正義を引き出したと言われた。司教はそれを黙って聞いていた。そして話が終わると彼は尋ねた。「その男と女はどこで裁判されるのですか。」「重罪裁判所においてです。」司教はまた言った。「そしてその検事はどこで裁判されるのですか。」

また、ディーニュで他の悲惨な事件が起こった。一人の男が殺人罪のために死刑にされた。その不幸な男は全く文盲でもなく、全く無知でもなかった。市場の手品師だったこともあり、代書人だったこともある。その裁判は非常に市民の興味を引いた。死刑執行の前日に監獄の教誨師が病気になった。死刑囚の臨終に立ち会うために一人の牧師が必要になった。

そこで、主任司祭に呼びに行った。しかし、主任司祭は次のように言って、それを断ったそうだ。「それは私の関するところではない。そんな仕事やそんな手品師なんか私の知るところではない。私もまた病気なんです。その上、それは私の地位ではない。」この主任司祭の答えを聞かされて司教は言った。「司祭の言うのは道理だ。それは彼の地位ではない、私の地位だ。」

彼はすぐに監獄に行って、その「手品師」の元に行った。彼はその男の名前を呼んで、その手を取って話をした。彼は一日中その男のそばで過ごし、ほとんど寝食を忘れて、死刑囚の魂のために神を祈り、また自分の魂のためにその死刑囚を祈った。彼は最も単純な最善の真理を語って聞かせた。彼はその男の父となり、兄弟となり、友となった。

司教は、ただ祝福するためだけに司教であった。あるいは元気をつけたり、慰めたりして、その男に全ての事を教えた。その男はまさに絶望の中で死にかけていた。死は彼にとって深淵のようだった。その悲しむべき岸辺に立って震えながら、恐怖のために後退していた。

彼は全く平気でいられるほど無知ではなかった。その処刑は、その深い震動は、私たちを事物の神秘から隔て、私たちが人生と呼ぶところのあの障壁を、ここ、彼の周りに打ち破ったようだった。彼は絶えずその痛ましい隙間からこの世の外を見ていた、そしてそこに暗闇を見るのだった。司教は彼にある光明を見せてやった。


翌日、人々が罪人を連れてきたとき、司教はまだそこにいました。彼は罪人の後を追いました。彼は紫の上着を着て、首に司教の十字架章をつけ、縄で縛られた罪人と並んで群衆の前に現れました。 彼は罪人と一緒に馬車に乗り、罪人と一緒に断頭台に上りました。前日まであれほど悩んでいた罪人は、今では輝いていました。

彼は自分の魂が和らいでいるのを感じ、そして神に希望をつないでいました。司教は彼を抱きしめました。そして刃が下ろされようとするとき、彼に言いました。「人が殺す者を神は蘇らせます。追われる者は父なる神を見つけます。

祈りなさい、信じなさい、生命の中に入りなさい。父なる神はここにいます。」彼が断頭台から降りてきたとき、彼の目には何かがあり、人々は思わず道を開きました。人々は、彼の青白さに心を打たれたのか、それとも彼の明るさに心を打たれたのか、自分でもよくわかりませんでした。司教は自分の粗末な家に帰り、妹に言いました。「私は今、司教の儀式を終えてきました。」

最も崇高なことはしばしば最も理解しにくいことであるため、その市でも、司教の行動を理解して「それは見栄である」と言う人もいました。しかし、それはただの噂話に過ぎませんでした。神聖な行為に悪意を認めない市民たちは、心から感動して称賛しました。司教自身も、断頭台を目にしたことで、深い感動を覚えました。心を落ち着けるのにはかなりの時間が必要でした。

実際に断頭台が組み立てられてそこに立っているとき、それは人に幻覚を起こさせるだけの何かを持っています。自分の目で断頭台を見ない間は、人の死の苦痛について一種の無関心であり得ますし、賛否を言わずにいることができます。

しかし、断頭台の前に立つときには、感じる感動は激しく、断然に賛成か反対かを決めなければならないでしょう。ある人は18世紀の思想家ジョゼフ・ド・メーストルのように、それを賞賛するかもしれません。一方で、別の人は18世紀の思想家チェーザレ・ベッカリアのように、それを呪うかもしれません。断頭台は法律の具現化であり、これを刑罰と呼び、中立ではなく、人を中立の立場に立たせることは許しません。

断頭台を見る人は最も神秘的な恐怖を感じます。あらゆる社会の問題はその疑問点をこの斬首刃の周りに置きます。断頭台は一つの幻影のようなものです。まるで、その木組みが物を見、その機械が物を聞き、その装置が物を理解し、その木材やその鉄やその綱が物を欲するかのようです。見る人の魂を投げ込む恐ろしい幻想の中で、断頭台は恐怖すべき姿を現し、そこで行われることと絡み合います。


断頭台は死刑執行人の共犯者のようなものであり、人を飲み込み、肉を食い、血を吸うかのような恐ろしい存在です。それは法官と大工によって作られた一種の怪物のようでした。まるで自分が与えたすべての死から生まれる恐ろしい生命に生きているような、悪鬼のような存在でした。

司教にとって、この断頭台の印象は深刻で、また恐ろしいものでした。刑執行の翌日やその後の長い間、司教は心が圧倒されたように見えました。あの最後の瞬間の激しい明るさは消え去り、社会的正義の幻影が彼を追い詰めたようでした。

彼はいつも仕事から満足感に満ちた気持ちで帰ってきていましたが、今では自分自身を責めているようでした。時々彼は自分自身に話しかけ、口の中で憂鬱な独白を漏らしました。その独白の一つを、ある晩、彼の妹が聞き取りました。

「それがこんなに恐ろしいものだとは、私は信じていませんでした。人間の法律に気づかないほど神の法に専念するのは間違いです。死は神の手にしかあるものではありません。どんな権利があって、人はこの計り知れないものに手を触れるのでしょうか?」

しかし、時間とともに、それらの印象は薄れ、そしておそらく消え去ったでしょう。それでも、以来、司教はその刑場を通ることを避けているのが、周りの人々にもわかりました。 人々はいつでも病人や臨終の人の枕元にミリエル氏を呼び寄せることができました。

司教は、そこにこそ自分の最も大きな義務と仕事があることを知っていました。寡婦や孤児の家では、わざわざ頼む必要はありませんでした。彼は自分から訪れてくれました。愛する妻を失った男や子供を失った母親のそばに、彼は座って長い間黙っていました。

司教は、黙るべき時を知っていたように、また話すべき時をも知っていました。称賛すべき慰めの者よ!彼は、悲しみを忘却によって消すのではなく、希望によってそれを大きくし、高めようとしました。彼は言いました。「亡くなった人を振り返るその方法に注意しなければなりません。滅びることを考えてはいけません。じっと見つめてみてください。

あなたは、あなたが深く愛する死者の生きている輝きを高い天で認めるでしょう。」司教は、信仰は健全なものであると信じていました。忍耐強い人の例を引いて絶望の人を教え、和らげようとしました。そして、星を見上げる人の悲しみは地に墓穴を見つめる人の悲しみとは異なるものだと示し、後者の悲しみを和らげようとしました。

 

5.ビヤンヴニュ閣下は長く同じ法衣を使っていました。

ミリエル氏の私生活は、その公生活と同じ思想で満たされていました。彼に近づいて見ることができる人々にとって、この司教が自ら選んで貧しい生活を送っていることは、厳かで美しいものでした。彼はすべての老人や多くの思想家のように、あまり眠りませんでした。しかし、その短い眠りはいつも深いものでした。

朝は一時間の間、瞑想にふけり、それから大会堂か家の祈祷所でミサを唱えました。ミサが終わると、自家の牛から搾った乳を裸麦のパンにつけて朝食をとり、それから仕事を始めました。司教の職務は非常に忙しいものです。

ほとんど毎日、司教会員である司教書記を引見し、また管轄の主な助任司祭を引見しなければなりません。集会を監督し、許可を与え、祈祷書や教区内の教理問答や日課祈祷書など、教理に関するすべての書物を調査し、教書を書き、説教を認可し、司祭と村長との間を調整し、国家への施政上の通信を行い、ローマ教皇への宗教上の通信を書きます。これらはすべて彼が行うべき無数の仕事です。

彼は無数の仕事や祭式、祈祷をこなした後の余暇を、まず貧しい人々や病気の人々、悩んでいる人々のために使いました。そして、さらに残った時間は仕事に費やしました。自分の庭の土地を耕したり、書物を読んだり文章を書いたりしました。

この二種類の仕事を指して彼が持っていた言葉は、「それを栽培」と呼ばれていました。彼は言いました。「人の精神も一つの庭である。」正午に彼は昼食をとりました。それは朝食と同じくらい質素なものでした。天気の良い時には、午後2時頃に家を出て、時々荒れた家に立ち寄りながら、田舎や街へ散歩に出かけました。

彼は一人で道を歩きながら、何かに思いを馳せ、目を閉じて長い杖に身を預けていました。綿入りの暖かい紫の絹の外套を身にまとい、紫の足袋と粗朴な靴を履き、三つの金のモールが縫い付けられた平らな帽子をかぶっていました。彼の姿はよく見かけられました。

彼が姿を現す場所はどこでも祭りのようでした。彼の来訪は人々を温かく迎え、明るさをもたらすようでした。子供や老人は、まるで太陽に対するように司教に対して戸口へ出てきました。彼は人々を祝福し、人々は彼を祝福しました。何か必要に迫られている人々には、皆が彼の家を教えてあげました。

彼はそこで足を止めて、小さな男の子や女の子に話をし、母親たちに笑顔を見せました。彼は金がある間は貧しい人々を訪れ、金がなくなれば裕福な人々を訪れました。彼は長い間その法衣を着続け、人々に知られることをあまり好まなかったため、紫の絹の外套を着ずに町へ出かけることは決してありませんでした。夏には、それが少し困ったこともありました。

夜は8時半に妹と一緒に夕食をとりました。マグロアールが彼らの後ろに立って給仕をしました。それは非常に質素な食事でした。しかし、司祭の誰かが食事に参加すると、マグロアールはその機会を利用して、湖水で取れる良い魚や山で取れる立派な鳥などを閣下に食べさせました。

どの司祭もみなご馳走の口実になりました。司教はそれをそのままにしました。それ以外では、彼のいつもの食事はほとんどゆでた野菜と油のスープだけでした。

それで街ではこんなことが言われました。「司教は司祭のご馳走をしないときは、トラピストのご馳走をします。」(訳者注:トラピストは極端な質素さと簡素さを主義とするトラップ派の信者)


夕食後、彼はバティスティーヌ嬢やマグロアールと一緒に約30分間話し、その後部屋に引っ込んで、紙片や二折本の余白などに何かを書きました。彼は文才があり、一定の学識も持っていました。彼はかなり珍しい書き物を5つか6つ残しました。

特に創世記の一節「初めに神の霊が水の上を動いていた」という句についての論文がありました。彼はこの句について3つの原文を比較しました。アラビア語の文では、「神の風が吹いていた」とあり、フラヴィウス・ヨセフスによれば、「高いところから風が地上に落ちていた」であり、最後にオンケロスのカルデア語の解釈によれば、「神から来た風が水面を吹いていた」ということでした。

もう一つの論文では、本書の著者の曾祖父であるプトレマイスの司教ユーゴーの神学上の著述を調査し、18世紀にバルレークールという匿名で公にされたいくつかの小冊子はこの司教に帰せなければならないと、彼は確認しています。

時々、手にした書物が何であれその読書の最中に、彼は突然、深い瞑想に沈みました。そして瞑想から覚めると、必ず書物のページに数行を書きました。その数行はしばしばその書物に書かれていることとは何の関係もありませんでした。

ここに、彼がある四折本の余白に書き付けた一節があります。その四折本の題は次のようなものでした。「クリトン将軍、コーンウォリス将軍、およびアメリ鎮守府の提督と交わしたゼルマン卿の書簡。ヴェルサイユ、ポアンソー書店、およびパリ、オーギュスタン河岸、ピソー書店、発行。」彼の書き付けた文は次のようなものでした。「おお、あなたは誰ですか!

伝道書はあなたを全能と呼び、マカベ書はあなたを創造主と呼び、エペソ人への手紙はあなたを自由と呼び、ベーラク書はあなたを無限と呼び、詩篇はあなたを知恵および真理と呼び、ヨハネはあなたを光と呼び、列王記はあなたを主と呼び、出エジプト記はあなたを天と呼び、レビ記は聖と、エズラ書は正義と、万物は神と、人は父と呼びます。

しかし、ソロモンはあなたを慈悲と呼びます。そして、これこそあなたのあらゆる名の中で最も美しいものです。」午後9時頃に二人の女性は退いて二階の各自の部屋に上がり、司教は一階に一人で朝まで留まっていました。ここで、ディーニュの司教の住まいについて明確に描写する必要があります。

 

6.司教の家の守護者 

司教が住んでいた家は、前に言った通り、一階と二階から成っていました。一階には3つの部屋、二階には3つの部屋、その上には一つの屋根裏部屋があり、家の裏には約二反歩ほどの庭がありました。

二人の女性は二階を占有し、司教は一階に住んでいました。道路に面した最初の部屋は食堂となり、二番目の部屋は寝室となり、三番目の部屋は祈祷所となっていました。この祈祷所から出るには寝室を通らなければならず、寝室から出るには食堂を通らなければなりませんでした。祈祷所の奥には、人を泊めるための寝床が置かれた部屋が一つありました。

司教はこの寝床を、教区の事件や用事でディーニュに来る田舎の司祭たちのために提供していました。家に付属して庭に建てられている小さな建物は、元々は病院の薬局でしたが、料理場兼物置きにされていました。

庭には、元々施療院の料理場だった家畜小屋があり、司教はそこで2頭の雌牛を飼っていました。どんなに少ない時でも、毎朝必ずその牛乳の半分を施療院の患者たちに送っていました。「私は自分の十分の一税を払っているのです」と彼は言っていました。

彼の部屋は広々としており、天候が悪い日は暖房が大変でした。ディーニュでは薪が非常に高価だったので、彼は牛小屋の中に一つの部屋を板で仕切ることを思いつきました。大寒の夜などは彼がそこで過ごしました。

彼はそれを『冬の部屋』と名付けていました。この冬の部屋には、食堂と同じように、四角い白木のテーブルと4つの藁の椅子以外には何もありませんでした。食堂には、それに加えて、顔料で淡紅色に塗られた古い戸棚が一つありました。

同じような戸棚を白い布と模造レースで適宜覆い、司教は祈祷所に祭壇を設けていました。彼が悔い改めさせた金持ちや、ディーニュの信仰深い女性たちは、しばしば閣下の祈祷所に美しい新しい祭壇を設ける費用を出し合いました。しかし、彼はそのたびに金を受け取り、それを貧しい人々に与えてしまいました。

彼は言いました。「祭壇の中で最も美しいものは、神に感謝し、慰められた不幸な人の心なのです。」

祈祷所には祈念台の藁の椅子が二つあり、寝室には同じく藁を詰めた肘掛け椅子が一つありました。偶然にも一度に七八人の客が来る場合、つまり県知事や将軍、兵舎の連隊参謀官たち、または神学予備校の数人の生徒などが来る場合には、牛小屋の中の冬の部屋の椅子や、祈祷所の祈念台や、寝室の肘掛け椅子などを取りに行かなければならなかった。

こうして、客のために十一の座席を設けることができました。新しく客が来るごとに、各部屋の家具が持ち出されました。時としては十二人の集まりとなることもありました。そんな時、司教は冬なら暖炉の前に立ち、夏なら庭を一巡しようと提案して、その困った状況を和らげました。それからまた閉じ込められた寝所に一つの椅子がありました。

しかし、それは詰めてある藁も半分しかなく、足が三本しかなかったため、壁に寄せかけてでなければ役に立ちませんでした。バティスティーヌ嬢はまた自分の部屋の中に、以前は金で塗られて花模様の南京繻子で覆われていた木製の非常に大きな快適な椅子を一つ持っていました。

はしご段があまり狭かったので、それは窓から二階に上げなければならなかったものでした。それは予備の家具の中には数えることができませんでした。バティスティーヌ嬢の望みは、バラ模様の黄色いユトレヒトのビロードを張り、白鳥の頭を彫ったマホガニーで作られた客間の一組の家具を、長椅子と一緒に買いたいということでした。

しかし、それには少なくとも五百フラン必要でした。そしてそのためにいくら貯蓄しても五年間で四十二フラン十スーしか得ることができなかったので、ついに彼女はその望みを諦めました。しかし、誰が自分の理想を実現できるでしょうか。

司教の寝室は寝室としてこれ以上なく簡素なものでした。一つの出入り口が庭に向かって開かれていて、それに向かって寝台がありました。それは緑のセルのカーテンがかかった鉄製の病院用寝台でした。寝台の影の部分のカーテンの向こうには、昔の人々の高雅な習慣の面影がまだ残っている化粧道具がありました。

二つの扉があり、一つは暖炉の近くにあり祈祷所に通じ、もう一つは書棚の近くにあり食堂に通じていました。書棚は大きなガラスの戸棚で、書物がいっぱい詰まっていました。暖炉は大理石模様に塗られた木がつけられていて、通常は火がありませんでした。

暖炉の中には鉄の薪台が一対あり、以前は銀粉を塗られていた花帯と丸みを帯びた部分で飾られた二つの花瓶が備えられていました。それは司教の家の一種の贅沢品となっていました。その上の部分、通常は鏡が置かれる場所には、銀色のはげ落ちた銅製の十字架像が、金箔のはげた木の枠の中に、すり切れた黒ビロードに留められていました。

出入り口の近くには、インク壺が置かれた大きなテーブルがあり、上には雑多な紙や分厚い書物が置かれていました。テーブルの前には藁の肘掛け椅子がありました。寝台の前には祈祷所から持ってきた一つの祈念台がありました。

楕円形の枠の中に入れられた二つの肖像が寝台の両側の壁に掛けられていました。画布の余白には像の横に小さな金文字でその名前が記されていました。一人はサン・クロードの司教であるド・シャリオ師であり、もう一人はアグドの副司教であり、グラン・シャンの修道院長であり、シャルトル教区のシトー会員であるトゥールトー師でした。

司教が病院の患者からこの部屋を引き継いだとき、そこにはすでにこの二つの肖像があり、そのままにしておいたのでした。二人は牧師であり、おそらく病院への寄付者でもあったでしょう。その二つの理由から、司教は二人を尊敬していました。

彼が二人について知っていたことは、一人が司教で、もう一人が給付付きの牧師で、同じ1785年4月27日に国王から任命されたということだけでした。

マグロアールが塵を払うためにその画像を壁から取り外したとき、グラン・シャン修道院長の肖像の裏に、四つの封緘で止められ、時間が経って黄色くなった小さな四角い紙に、白っぽいインクで、それらの事柄が記されているのを司教は見つけました。

窓には粗悪な毛織りの古いカーテンがありましたが、それは非常に古く、新しいものを買わずに節約するため、マグロアールはその中央に大きな縫い目を施さざるを得なかった。その縫い目は十字になっていました。司教はよくそれを指さして言いました。

「何と上手くいっていることでしょう。」一階も二階もすべての部屋は、すべて石灰乳で白く塗られていました。これは兵舎や病院で一般的な方法でした。しかし、後年になってマグロアールは、これは後に述べることですが、バティスティーヌ嬢の部屋には、その白塗りの壁紙の下に絵画があることを発見しました。

施療院になる前、この建物は市民の集会所でした。それで、そのような装飾が施されたのでしょう。各部屋はすべて赤いレンガで敷かれており、それは毎週洗われ、またベッドの前には藁で編んだマットが置かれていました。さらに、この住居は二人の女性によって保たれていたので、どこも非常にきれいで心地よかった。それが司教が許した唯一の贅沢でした。

彼は言いました。「それは貧しい人々から何も奪っていない。」しかし、司教には昔の所有品の中から、銀製の食器が6組と大きなスープスプーンが一つ残っていたことを言わなければなりません。それが質素な白いテーブルクロスの上で輝いているのを、毎日マグロアールは眺めて喜んでいました。

そして、ここではディーニュの司教のありのままを描いているので、次の一事も付け加えておかなければなりません。すなわち彼は何度もこう言った。「銀の器で食事することはなかなかやめられないものだ。」

この銀の食器に加えて、彼がある大伯母の遺産から所持している二つの大きな銀の燭台がありました。それには二本の蝋燭が立てられ、通常は司教の暖炉の上に置かれていました。夕食に客がある場合には、マグロアールは両方の蝋燭に火をつけて、その二つの燭台を食卓の上に置きました。司教の部屋には、寝台の枕元に小さな戸棚が一つありました。

マグロアールはその中に毎晩六組の銀の食器と一本の大きなスプーンをしまっていました。戸棚の鍵はいつも開けっ放しであったことは言っておかなければなりません。後庭は前述のかなり見すぼらしい建物で、いくらか崩れていましたが、池の周りに放射状に交差する四つの道がありました。また、一つの道は、囲いの白い壁に沿ってその周りを走っていました。

それらの道は黄楊樹で囲まれた四つの四角形を作っていました。その三つにマグロアールは野菜を栽培し、残った一つに司教は草花を植えていました。

また、そこここに数本の果樹がありました。マグロアールは一度、一種の穏やかな皮肉の調子で彼に言いました。「旦那様はどんなものでも利用されますが、これはまた地面を無駄にしています。花よりはサラダでも植えられた方がよろしいでしょうに。」司教はそれに答えました。

「マグロアール、それは考え違いだよ。美しいものは、有用なものと同様に、役立つ存在なのだ。」それからちょっと言葉を切って、またつけ加えました。「いや、おそらくそれ以上に役に立つだろう。」

この第四の区画は三つか四つの花壇でできており、ほとんど書籍と同じくらいに司教の心を捉えていました。木を切ったり草を取ったり、あちこちに地を掘って種をまいたりしながら、彼は喜んでそこで一、二時間を過ごしました。

彼は園芸家のように、虫を敵視することはありませんでした。また、彼は植物学に対して特に私見を持っていませんでした。類別や分類などを知らず、またトゥールヌフォールの方法と自然栽培法のどちらを選ぶこともなく、胞果と子葉のどちらを取ることもなく、ヂュシユーとリンネのどちらの説を取ることもありませんでした。

彼は植物を研究することはなく、ただ花を愛しました。学者を非常に尊敬していましたが、それ以上に無学者を尊敬していました。そして、この両者に対する尊敬を決して失わないで、夏の夕方など毎日青く塗ったブリキのじょうろで花壇に水をやりました。

家には錠を下ろす戸は一枚もありませんでした。前に言ったように、石段もなくすぐに会堂の広場に出られる食堂の戸口は、昔の牢屋の戸口のように錠前と閂がつけられていました。しかし、司教はそれらすべての金具を取り除いたので、戸口は昼も夜も金具でしか閉められませんでした。通りかかる人でも何時でも、ただそれを押せば開くのでした。

最初の二人の女性は、この締まりのない戸口に対して非常に心配していましたが、司教は彼女たちに言いました。「もしよければ自分の部屋に閂をつけてもいいよ。」結局、彼女たちも彼と同様に安心し、また少なくとも安心した様子を見せるようになりました。

ただマグロアールだけは恐ろしがりました。司教の方は、彼が聖書の余白に自分で書き付けた次の三行の句に、その考えが説明され、もしくは少なくとも示されている。「ここにその微妙な意味がある。医者の戸は決して閉じてはならない。牧師の戸は常に開かれていなければならない。」

「医学の哲理」と題する別の一冊の書物に、彼はもう一つの文句を書きました。「私もまた彼らのように医者ではないか。私もまた私の患者を持っている。第一に、彼らが病人と呼ぶ彼らの患者を私は持っていて、次に、私が不幸な者と呼ぶ私の患者を持っている。」彼はさらに別のことを記しました。

「あなたに宿を求める者にその名を尋ねてはならない。自分で名乗るのがつらい者こそ、特に避難所を必要とする人なのだ。」ある日、たまたまクールーブルーの司祭だったか、またはポンピエリーの司祭だったかはちょっとわからないが、ある立派な主任司祭が、おそらくマグロアールに説得されて、司教に次のことを尋ねてみました。

誰でも入ろうとする人の意のままに昼夜戸を開けておくことは、ある意味では軽率な行動ではないと信じるのか、それともこんなに締まりのない家の中で何か不幸なことが起こらないかを恐れないのか。すると司教は、堂々と、しかも優しく司祭の肩に手を置いて言いました。

「神が家を守ってくださらなければ、人間がどんなにそれを守ろうとも、無意味なのです。」それから彼は振り返って他のことを言いました。彼はよくこんなことを言って楽しんでいました。

「竜騎兵の隊長の勇気があるように、牧師の勇気もある。」そして付け加えて言いました。「ただし、私たち牧師の勇気は静かなものでなければならない。」

 

7.クラヴァット

ここで、ディーニュの司教がどのような人物であったかを示す一つの事例を述べなければならない。それは自然として省略できない出来事だからだ。

山賊ガスパール・ベスの一団がオリウールの峡谷を荒らし、その後解散した時、その一員であったクラヴァットという男が山中に逃げ込んだ。

彼はガスパール・ベスの仲間の残党と共に、しばらくニースの伯爵領に身を隠していたが、その後ピエモンに移動し、突然フランスのバルスロンネット地方に現れた。ジューグ・ド・レーグルの洞窟に身を隠し、そこからユベーとユベイエットの谷を通って村へと出没した。

アンブロンまで出向き、ある晩には大聖堂に侵入して聖具を盗んだ。その略奪行為は地方を悩ませた。憲兵が追跡したが、彼はいつも巧みに逃げ、時には激しく抵抗した。彼は本当に恐ろしい悪党だった。

その恐怖の最中に、司教がその地方を訪れた。巡回訪問のためだった。シャストラルで、村長が司教を訪れ、クラヴァットがアルシュとその向こうの山を占拠しているため、途中で引き返すように勧めた。護衛をつけても危険で、無駄に憲兵を危険にさらすだけだと言った。

「だから、」と司教は言った。「私は護衛なしで一人で行くつもりだ。」

「そんなことを……」と村長は叫んだ。

「そうだ。私は絶対に憲兵を断る。そして、一時間後に出発するつもりだ。」

「出発する?」

「出発する。」

「一人で?」

「一人で。」

「閣下、そんなことをしてはいけません。」

「あの山には、」と司教は言った。「とても小さな可哀想な村がある。もう三年もその村を訪れていない。皆、私の良い友人たちだ。穏やかで正直な羊飼いたちだ。彼らは飼っている山羊の中から、およそ30頭に1頭を自分のものとしている。

彼らは色々な色の美しい毛糸を作ったり、6つの穴のある小さな笛で山の歌を吹いたりする。時々、彼らにも神様のことを話して聞かせなければならない。恐怖に怯えている司教の話を聞いたら、彼らは何と言うだろう。もし私がそこへ行かなかったら、彼らは何と言うだろう。」

「でも閣下、山賊が! もし山賊に出会ったら!」

「いや、」と司教は言った。「それも考えている。それは正しい。山賊に出会うかもしれない。彼らもまた神様のことを話して聞かせる必要があるだろう。」

「でも彼らは集団で行動しています。狼の群れです。」

「村長さん、イエスが私を羊飼いにしたのは、まさにそのような群れの羊飼いにするためかもしれない。誰が神の定めた道を知るだろう。」

「閣下、彼らはあなたの持ち物を奪うでしょう。」

「私は何も持っていない。」

「あなたを殺すかもしれません。」

「年老いた牧師を殺すだって? 馬鹿な! それが何になるだろう。」

「でも、もし出会ったら!」

「私は彼らに貧しい人々のための施しを求めるだろう。」

「閣下、行かないでください。命に関わります。」

「村長さん、」と司教は言った。「それがまさに問題なのだ。私がこの世にいるのは、自分の命を守るためではなく、人々の魂を守るためだ。」

「司教は自分の行動を他人に任せることはなかった。彼は案内者になろうと自ら申し出た一人の子供だけを連れて出発した。司教の頑固さはその付近の人々の口に上り、そして非常に人々の心を痛めた。」

司教は妹もマグロアールも連れて行こうとはしなかった。彼はロバに乗って山を越え、誰にも出会わず、無事に彼の「善良な友」である羊飼いたちのところに着いた。

そこで司教は信仰を説き、祭式を執り行い、物事を教え、道徳を説きながら、15日間滞在した。

出発が迫ってきたとき、司教は正式に讃美歌テデオムを歌うことにした。彼はそのことを主任司祭に話した。しかし、どうすればいいのか。司教の装飾品は一つも持っていなかった。

村のみすぼらしい聖堂と、平紐で飾られたダマ織りの古いすり切れた二三の法衣が、使用できるすべてであった。

「それなら、」と司教は言いました、「司祭さん、やはり会衆に讃美歌テデオムのことを伝えておきましょう。何とかなるでしょう。」

人々は近くの会堂を探し回りました。しかし、近くの教区のすべての立派なものを集めても、大会堂の一人の合唱隊長の適切な衣装にも足りませんでした。

この困惑の最中に、二人の見知らぬ騎馬の男が大きな一つの箱を持ってきて、司教に渡し、司祭の家に置き、そのまま立ち去ってしまいました。箱を開けてみると、中には金襴の法衣、金剛石をちりばめた司教の冠、大司教の十字架、見事な笏、そして一ヶ月前にアンブロンのノートル・ダーム寺院から盗まれたすべての司教服が入っていました。箱の中には一枚の紙があり、そこには「クラヴァットからビヤンヴニュ閣下へ」と書かれていた。

「だから、何とかなると私が言ったのです!」と司教は言いました。そして彼は微笑みながら付け加えました。「司祭の白衣で満足する者に、神は大司教の法衣を与えます。」

「閣下、」と司祭は頭を振りながら微笑んでつぶやきました、「それは神様か――または悪魔か。」

司教は司祭をじっと見つめ、そして厳かに言いました。「それは神です。」

司教がシャストラルに帰ったとき、またその途中でも、人々は出てきて不思議そうに彼を見つめました。彼はシャストラルの主任司祭の家で、待っていたバティスティーヌ嬢とマグロアールを見つけた。

彼は妹に優しく言った。「見て、私が言った通りだったでしょう。哀れな牧師は何も持たずにあの哀れな山の人々のところへ行き、大会堂の宝を手に入れて帰ってきました。私はただ神への信頼だけを持って行ったのに、大会堂の宝を持ち帰ることができました。」

「その夜、寝る前に彼はまた言いました。「決して盗賊や殺人者を恐れてはいけない。それらは外部の小さな危険に過ぎない。私たちは自分自身を恐れなければならない。偏見は盗賊です。悪徳は殺人者です。大きな危険は私たちの内部にあります。私たちの頭や財布を脅かすものは何でもありません。私たちの心霊を脅かすものだけを考えればいいのです。」

それから彼は妹に向かって言いました。「ねえ、あなた、牧師から隣人に向かって警戒する必要はありません。隣人がすることは神が許すことです。危険が迫っていると思う時には、ただ神に祈るだけです。私たち自身のためではなく、私たちの兄弟が私たちのことで罪を犯さないように、神に祈るべきだ。」

もちろん、このような異常な出来事は彼の生涯で非常に稀でした。私たちはただ私たちが知っていることだけを物語っています。通常、彼はいつも同じ時間に同じことをして生涯を過ごしていました。その一年の一ヶ月もその一日の一時間も変わりはありませんでした。

アンブロン大聖堂の「宝」がどうなったかについては、それを尋ねられると私たちは困惑します。非常に素晴らしいもの、非常に心を引くもの、不幸な人々のために盗むには良いものがそこにありました。盗むとしても、それは実際にはすでに盗まれていました。仕事はすでに半分終わっていました。

ただ盗みの方向を変えることだけが残っていました、そしてただ貧しい人々の方へ少しだけ進めることだけが。しかし、私たちはこのことについては何も明言しません。ただ、この事に関連があると思われるかなり曖昧なメモが、司教の書き物の中に見つかりました。次のような文です。「それは大聖堂に戻すべきか、または施療院に送るべきか、その決定が問題です。」


8.酔後の哲学

前に話したその上院議員は、非常に巧妙な男で、自分の道に立ちはだかるあらゆるもの、つまり良心、信仰、正義、義務といった障害物を無視して、まっすぐに自分の道を進んできました。彼は目的に向かってまっすぐ進み、昇進と利益の道のりで一度もつまずかなかったのです。

元検事で、成功してからは性格が柔らかくなり、決して悪意のある人ではありませんでした。自分の子供や婿、親戚や友人などには、できるだけ少ない世話をしてあげました。良い方向、良い機会、予期せぬ利益などを巧みに世の中から引き寄せました。その他のことはばかげていると彼は思っていました。才気があり、学問もある程度あり、エピクロスの弟子だと自分で思っていましたが、おそらくビゴール・ルブランが描いた人物くらいのものだったでしょう。無窮や永久といったことや、「司教の子供の遊び」などについては、よく楽しそうに冷笑していました。

時として、じっと聞いているミリエル氏の前でも、愛すべき厳かな調子でそれらのことを嘲笑いました。ある半公式の機会に、伯爵(この上院議員)とミリエル氏は知事の家で晩餐を共にしました。食後のお茶の時間に、上院議員は少し上機嫌で、しかし品位を損なわずに話し始めました。「さあ、司教さん、少し議論しましょう。」

上院議員と司教とは正面から見ると奇妙に見えますが、私たちはお互いに先見の明があります。私はあなたにこれから一つ打ち明けて話しましょう。私は自分の哲学を持っています。「それは当然ですね。」と司教は答えました。「人は自分が作った哲学の上で眠ります。あなたは緋色の寝床で眠っていらっしゃるのですから。」議員はそれに元気を得て言いました。「まあ、お互いに良い子になりましょう。」 「いえ、良い悪魔にでもなりましょう。」と司教は言いました。「私は率直に申し上げますが、」と議員は言いました、「アルジャン公爵やピロン、ホッブス、ネージョン氏などは決して野蛮人ではありません。私はこれらの哲学者たちの金装の著書を書棚に持っています。」 「伯爵、それはあなたと同じような人々ですね。」と司教は口を挟みました。上院議員は言葉を続けました。

「私はディドローが嫌いだ。彼は観念論者で、大言壮語を吐く革命家で、それでいて心の中では神を信じている。そしてヴォルテール以上に頑固だ。ヴォルテールはニードハムを嘲笑ったが、それは間違いだ。なぜなら、ニードハムの針鰻は神の無用を証明するからだ。一匙の粉に酢の一滴を加えれば、それがまさに「光よ、あれ」である。その一滴をもっと大きくし、その一匙をもっと大きくすれば、それは世界となる。

そして人間は針鰻である。だから永遠の父なる神も何の役に立つのだろう! 司教さん、エホバの仮説には私はもう飽き飽きしています。そういう仮説はただ、空洞のやせ細った人間を作るに役立つだけだ。私を悩ませるこの大きな全体を倒し、私を安静にするかの無なるかな、それが全てです。ここだけの話だが、底を突いて言えば、そして私の羊飼いである君に至当なる懺悔をすれば、私は正当なる理性を持っている。

口を開けば常に解脱と犠牲とを説く君のイエスに私は熱中することができない。それは乞食に対する吝嗇家の助言である。解脱! 何のために? 犠牲! 何のために? 私は一匹の狼が他の幸福のために身を犠牲にするのをかつて見たことがない。私たちは自然に従うべきだ。私たちは高みを目指す。優れた哲学を持つべきだ。他人の鼻の先よりも遠くを見ることができなければ、高いところにいる意味がない。

楽しく生きるべきだ。人生、それが全てだ。人は未来の生を、天国にでも地獄にでも、どこかに所有すると言うがいい。私はそういう欺瞞の言葉を信じない。ああ、人は私に犠牲と解放を求める。自分のすべての行為に注意を払い、善と悪、正と邪、合法と非法とに頭を悩ませるべきだと言う。しかし何のために? 私はやがて自己の行為を弁護しなければならないからだというのか。そしてそれはいつ? 死んだ後にだ。

何という素晴らしい夢か? 死んだ後に私を取り上げるとは素晴らしいことだ。影の手で私の一握りの灰をつかむがいい。神秘に通じたイシスの神の裾を上げた我々に真を語らせよ、言わせてみよう、善もなければ悪もない、ただ成長があるだけだ。真実を求めるべきだ。掘り尽くすべきだ。奥底まで行くべきだ。真理を追い求め、地下を掘り抜いてそれをつかまなければならない。その時、真理は人に美妙な喜びを与える。人は力強くなり、本当に笑うことができる。私は確固たる信念を持っている。」


「司教さん、人間の不死というのはただの幻想にすぎません。それは素晴らしい約束ですね。信じるのもいいでしょう。アダムは素晴らしい約束を持っていましたね。人間は霊であり、天使になり、青い翼を持つでしょう。テルツリアヌスは、幸せな人々が星々を渡ると語りました。それも悪くないでしょう。人間は星の蝗虫になるでしょう。そして、神を見るでしょう。ハハハ。それらの天国は皆、たわごとにすぎません。

神というのはばかばかしい怪物にすぎません。もちろん、私はそんなことを新聞や雑誌で言うことはありませんが、ただ親しい友人の間でささやくだけです。杯盤の間でです。天のために地を犠牲にするのは、水面に映った影を見て口の中の食べ物を放すようなものです。無限に欺かれるほど愚かなことはありません。私は虚無です。私は自らを元老院議員の虚無伯と名乗ります。

私は生まれる前に存在していましたか。否。死後に私は存在するでしょうか。否。私は何者でしょうか。有機的に凝結したわずかな塵です。この地上で何をすべきか。それは選択を必要とします。つまり、苦しむべきか、楽しむべきか。ところで、苦しみは私をどこへ導くでしょうか。虚無へでしょう。しかし、それは既に苦しんだ後です。

楽しみは私をどこへ導くでしょうか。虚無へでしょう。しかし、それは既に楽しんだ後です。私の選択は決まっています。食べるべきか、食べられるべきか、それが問題です。私は食べます。草を食べるよりも、しっかりと噛むことが大切だという意味です。それが私の知恵の一つです。いいですか、その後には墓掘りが待っています。

私たちにとって、それは神殿です。皆が、大きな穴に落ち込むのです。死。終わり。全ての清算。それが消滅の場所です。死は死んでいます。私に何か言うべき人がそこにいるというのですか。考えるだけでも笑えます。それは乳母の作り話です。子供にとってはお化け、大人にとってはエホバ。いない。私たちの明日は夜です。墓の向こうには誰もが同じ虚無しかありません。

背徳者であろうと、聖者であろうと、常に同じ虚無に帰る。それが真実です。だから何よりもまず生きるべきです。自分が自分自身を保つ間、それを使うべきです。実際、司教さん、私には私の哲学があり、私の哲学者たちがいます。私は子供の遊びに似た言葉で自分を飾ることはありません。もちろん、下層の人々には、乞食や研究者や惨めな奴らには、何かが必要です。

彼らには伝説や妄想や霊魂や不死や天国や星などを食べさせるがいい。彼らはそれを噛みしめる。堅いパンの上に振りかける。何も持たない人は善良な神を持つ。それくらいのものです。私は決してそれに反対はしません。しかし、私は自分のためにネージョン氏の説を取っておきます。善良な神は民衆にとって善良なのです。」

司教は手を叩いた。「よく言った!」と彼は叫んだ。「あなたの唯物主義は本当に素晴らしい、驚くべきものだ。それは誰にでも理解できるものではない。そんな主義を理解したら、もう騙されることはないだろう。カトーのように追放されることもなく、エティエンヌのように石で打たれることもなく、ジャンヌ・ダルクのように生きながら焼かれることもないだろう。

そんな素晴らしい唯物主義をしっかりと理解した人は、責任から解放される喜びを得るだろう。どんな地位でも、冗官でも、位階でも、正当に得られた権利でも不当に得られた権利でも、利益ある変説でも、有利な背反でも、都合のいい自己弁解でも、すべてを安心して享受する喜びを得るだろう。

そして消化を終えて墓の中に入ると思う喜びを得るだろう。本当に楽しいことだ!私はそれをあなたに向かって言うのではないよ。でもあなたに祝福を送らずにはいられない。あなたたちは、言葉通りに、自分自身のための一つの哲学を持っている。美しく、精巧で、富裕層だけが手に入れることができ、どんなものにもよく効くソースで、人生の楽しみにうまく味をつける哲学だ。

その哲学は地下深くから取り出され、特別な探求者によって掘り出されたものだ。でもあなたはいい人だ。善良な神の信仰は大衆の哲学であることが問題ないと言われる、まるで鵞鳥の栗料理が貧しい人にとっては七面鳥の松露料理だとでも言うように。」


9.妹から見た兄

ディーニュ司教の家族の生活や、二人の聖なる女性がどのように行動し、どのように考え、どのように感情に影響を受けやすいかという性格を理解するためには、司教の指導を待つことなく、彼の習慣や考え方に従って過ごした日常生活を見るのが最善の方法です。その一例として、バティスティーヌ嬢が幼なじみのボアシュヴロン子爵夫人に宛てた一通の手紙をここに転記します。その手紙は私たちが所有しています。

ディーニュにて、18–年12月16日

「子爵夫人さま、一日もあなたの噂を聞かずに過ごしたことはありません。それはほぼ私たちの日課でもありますが、さらに別の理由もあります。マグロアールが天井や壁のほこりを払ったり洗ったりして、ある発見をしました。今では、石灰乳で白く塗られた古い壁紙の私たちの二つの部屋は、あなたの立派な住居にも劣らないほどになりました。マグロアールが壁紙をすべて剥がしたところ、その下に何かがあったのです。

私の客間は、何の道具も使わず、ただ洗濯物を広げるためだけに使っています。高さは約4.5メートル、縦も横も約5.5メートルで、天井はもともと金色に塗られ、梁はあなたの家のように作られています。施療院だった頃は布で覆われていたのです。それからさらに、私たちの祖母の時代の壁板細工も残されています。しかし、特に見ていただきたいのは、私の居間です。マグロアールが、少なくとも十枚ほどの壁紙の下に、絵画を見つけたのです。

素晴らしいものではないにせよ、かなり見応えがあります。テレマックが馬上でミネルヴァに迎えられる場所、それから彼が庭にいる場所など。画家の名前はちょっとわからないです。またローマの女性たちが一晩中歩き回る場所。どう言ったらいいでしょうか。たくさんのローマの男性や女性、そしてその多くの従者たちが描かれています。マグロアールがそれらの絵からすっかり塵を払ってくれました。そしてこの夏には、部屋の所々の損傷を修復し、全体を塗り直すように言っていますので、私の部屋はまったく博物館のような雰囲気になるでしょう。

彼女はまた納屋の片隅に古風な二つの木製のテーブルを見つけました。それを金色に塗り直すには約6リーヴル(約1200円くらい)かかるでしょう。しかし、それは貧しい人たちに施す方が良いでしょう。その上、その小さなテーブルはとても体裁が悪く、マホガニーの円テーブルの方が私は好きです。私は常に適応し続けています。兄は非常に親切です。自分が持っているものはすべて困っている人や病人などに与えてしまいます。それは大変困ることもあります。この地方は冬が非常に厳しく、貧しい人たちのために何かしてあげなければなりません。私たちはやっと薪を焚いたり、灯りをつけたりしています。でもそれは非常に楽しいことなのです。」

「兄には独自のやり方があります。話すときには、司教として隠さなければならないというようなことを言います。家のドアは決して閉めません。誰でも入れますし、すぐに兄のところへ行けます。兄は何も恐れず、夜でも平然としています。自分でよく言うように、それが兄の勇気なのです。兄は私やマグロアールが兄の身を心配するのを好みません。どんな危険でも冒し、そして私たちがその危険を心配しているような様子を見せるのさえ好みません。

兄の性格をよく理解しなければなりません。兄は雨の中に出かけたり、水の中を歩いたり、冬に旅をしたりします。兄は夜も怖がりません、怪しい道や、悪者に出会うことなども。昨年のことでしたが、兄は一人で盗賊の出没する地方に出かけました。私たちを連れて行くことを好まなかったのです。15日間帰りませんでした。帰ってくるまで兄には何も起こらなかったのです。


兄は死んでいると誰もが思っていましたが、実際には元気でした。そして、「こんな盗賊に出会った」と言います。荷物を開けると、中にはアンブロン大会堂のすべての宝物が入っています。盗賊たちはそれを兄にくれたのです。私は兄の友人たちと共に、2キロほど出迎えに行きましたが、その帰り道、ただその時だけは、少し文句を言わずにはいられなかったのです。それでも、他の人に聞こえないように、馬車が音を立てて走っている間に言ったのです。

最初は、どんな危険でも兄を止めることはできない、兄は恐ろしい人だと思っていました。しかし今ではそれに慣れてしまいました。マグロアールにも合わせて兄の意に反しないようにさせます。兄は、自分が思ったことには、どんな危険をも冒すのです。私はマグロアールを連れて、自分の部屋に帰り、兄のために祈りを捧げて、それから眠ります。私は心安らかです。もし兄に何か不幸が起こるなら、その時が私の終わりであることを、はっきりと知っています。

私は私の兄である司教と一緒に神様のもとへ行くでしょう。マグロアールの方は、彼女が兄の無謀さと呼んでいるこのことに慣れるのに、私よりもずっと困難でした。しかし今ではもう慣れています。私たちは二人で一緒に祈り、一緒に気をつけ、一緒に眠ります。家の中に悪魔が入ってきたら、そのままにしておきましょう。要するにこの家の中で私たちは何を恐れることがありますか。最も力強い存在が、常に私たちと共にいてくださるのです。悪魔はこの家を通り過ぎることもあるでしょう。しかし神様はこの家に住んでいます。

「それで私には十分です。兄はもう今では私に一言も言わなくてもいいのです。言葉がなくても私は兄の心を理解します。そして私たちは神の意志に身を任せます。精神に偉大なものを持つ人と一緒にいるためには、そうしなければなりません。フォー一家については兄に尋ねてみました。

兄は常に善良な王党派の人なので、知っていることや覚えていることがたくさんあります。この一家は確かにカーン地方の非常に古いノルマンディーの家系です。500年前にはラウール・ド・フォー、ジャン・ド・フォー、トーマ・ド・フォーなどの貴族がいて、その一人はロシュフォールの領主でした。一家の最後の人はギー・エティエンヌ・アレクサンドルという名で、連隊の指揮官でまたブルターニュ軽騎兵の何かの役を持っていました。その娘のマリー・ルイズは、ルイ・ド・グラモン公爵の息子アドリアン・シャール・ド・グラモンという人と結婚しています。

彼は枢密官であり、親衛軍の連隊長、さらに陸軍中将でもありました。それからフォーというのには Faux, Fauq, Faoucq の三つの綴り方があります。子爵夫人さま、私たちのことをあなたの聖なる親戚の枢機卿様によろしくお伝えください。あなたの親愛なるシルヴァニー様については、おそらくあなたの元に滞在しているので、私に手紙を書く暇はないでしょう。

ただ、いつも健康で、あなたの望む通りにしっかりと務めて、そして常に私を愛してくれること、それだけが私の願いです。あなたが送ってくださったあの方の記念品、届きました。とても嬉しいです。私の健康はそれほど悪くはありませんが、日に日に痩せてきています。それでは紙も尽きましたのでこれで筆を置きます。敬具、バティスティー

「追伸――お義妹様は若いご家族とともにいつもここにいます。お子さんは本当に愛らしいです。ご存知かもしれませんが、もうすぐ5歳になります。昨日、膝当てをした馬が通るのを見て言われました。「あの馬は膝をどうしたの?」とてもかわいい子です。その小さい弟さんは古いほうきを馬車に見立てて部屋の中を引きずりながら、「ハイ、ハイ」と言っています。


「この手紙から見ても、この二人の女性は、男性自身を理解するよりも、男性をより深く理解する特別な才能を持った女性たちが、司教のやり方に自分たちを合わせることができました。ディーニュの司教は、常に変わらぬ穏やかで率直な態度で、時には豪胆で崇高な大事を成し遂げました。彼自身はそのことに気づいていないようでした。二人の女性はそれを非常に心配しましたが、彼が行動するままに任せました。

時としてマグロアールは事前に注意を促すこともありましたが、その最中や事後には決してしませんでした。何かが始まると、彼女たちは決して身振りすら彼を困らせることはありませんでした。ある場合には、彼はおそらく自分でもはっきりと意識していないほど、完全に単純に行動し、一言も言われなくても、彼女たちはぼんやりと彼が司教らしい行動をしていると感じました。そのような時、彼女たちはただ二つの影に過ぎませんでした。

彼女たちは完全に受動的に司教に仕え、彼の意志に従って身を退けるなら、その場から離れました。彼女たちは非常に微妙な本能によって、ある種の世話がかえって彼の心を困らせるものであることを知っていました。だからこそ、司教が危険な状況に直面していると思う時でさえ、彼女たちは、彼の思想を言葉にせずとも彼の性格をよく理解していたので、彼の身についてあまり注意を払うことはありませんでした。彼女たちは彼を神に委ねていました。

そして前の手紙にあったように、バティスティーヌは、司教の最期はまた自分の最期であると言っていました。マグロアールは口には出さなかったが、彼女にとってもそうであることを知っていました。」

10.「司教、未知の光明に直面する」

前章で引用した手紙の日付から少し経った後、司教はある行動を起こしました。市民の間では、それは盗賊が出没する山間を通るよりも危険な行為だと言われていました。ディーニュの近くの田舎には、一人の男が孤独に生活していました。この男は、言葉を選ばずに言えば、元民約議会の一員で、名前はGゼーと言いました。ディーニュの小さな社会では、この民約議会の一員であるGについては、ある種の恐怖とともに話されていました。民約議会の一員、それは想像してみてください。

互いに無礼な言葉を使い、君と呼び合う革命時代にいた人物です。彼はほぼ怪物のような存在で、王の死刑には賛成しなかったものの、それに近い行動をとった人物でした。彼は準弑逆者で、非常に恐ろしい人物でした。正当な君主が戻ったとき、なぜこの男を臨時国事犯裁判所に連れ出さなかったのか、人々は疑問に思っていました。必ずしも首を切る必要はなかったかもしれません。寛大さが必要だったのかもしれません。しかし、少なくとも終身追放くらいは。

要するに、見せしめが必要だったのです!それから……またそれから……。さらに彼は、その仲間たちと同じく無神論者だったのです。市民たちは、まるで禿鷹について鴨が騒ぐような調子で話していました。結局、このGは禿鷹だったのでしょうか。もし彼の孤独な生活の中でのその獰猛な様子から判断するなら、そう言わざるを得なかったでしょう。ただ王の処刑に賛成しなかったというだけで、彼は追放被布告者の中には入れられず、フランスに留まることができたのです。

彼は街から約50分の距離にあり、村から遠く離れた荒れ果てた谷間の人目につかない場所に住んでいました。彼はそこに少しの畑と、一軒の粗末な家、巣窟を持っていると言われていました。隣人もいなければ、通りすがる人もいませんでした。彼がその谷間に住んで以来、そこに通じる一本の小道は草に覆われてしまいました。人々はその場所を死刑執行人の家のようだと言っていました。しかし、司教はそれに思いを馳せ、一群の木立がその年老いた民約議会員のいる谷間を示している場所を時折眺めました。そして言いました、「あそこに一人の魂がいる。」

そして彼は心の奥で付け加えました。「私は彼を訪れる義務があると思った。」しかし実際には、一見非常に自然なことのように見えるその考えは、少し考えた後では普通ではないほど不可能なことのように彼に思え、ほとんど嫌悪すべきことのようにさえ思えた。なぜなら、彼もまた心の中で一般の人々と同じ印象を受けていた。そして彼自身ははっきりと自覚していなかったが、この国民議会員は憎悪に近い感情を、遠ざけるという言葉でよく表現される一種の感情を、彼の心に吹き込んでいたのだ。しかし、羊の病気は羊飼いを後退させるだろうか。

いや、だが何という羊だろう!善良な司教は困惑していました。時々その方に出かけてみたが、また戻ってきました。しかし、ある日、一つの噂が街に広がりました。その貧しい家の中で国民議会員Gに仕えていた羊飼いのような若者が、医者を探しに来たそうです。年老いた悪党はまさに死にかけています。全身が麻痺している。今夜が難しい。「ありがたいことだ!」とある人がその話の終わりに付け加えました。司教は杖を取りました。それから、前に言った通りすり切れている法衣を隠すためと、間もなく吹こうとする夕風を防ぐために、外套を着て、家を出ました。

日が傾いてまさに地平線に沈む頃、司教はその世を隔てた場所に着きました。小屋の近くに来たことを知り、一種の胸の動悸を覚えました。溝を越え、生け垣を越え、垣根を分け、荒れ果てた菜園に入り、大胆に数歩進みました。すると突然、その荒地の奥の高く茂った茨の向こうに一つの住居が見えました。それは軒が低く貧しい小さな茅屋で、正面にはぶどう棚がつけられていました。

戸の前に、農夫用の肘掛け椅子である車輪付きの古い椅子に座って、白髪の一人の男が太陽を見て微笑んでいました。座っている老人のそばには、羊飼いである若い少年が立っていました。彼は老人に一杯の牛乳を差し出していました。司教がじっと見ている間に、老人は声を立てて言いました。「ありがとう。もう何もいらないよ。」そして彼の微笑みは、太陽から少年へと向けられました。

司教は進みました。その足音に、座っていた老人は頭を振りました。彼の顔には、長い生涯を経た後でもまだ驚きを感じることができる表情が浮かびました。「私がここに来て以来、人が私のところに来たのはこれが初めてです。」と彼は言いました。

「あなたはどなたですか。」司教は答えました。「私はビヤンヴニュ・ミリエルという者です。」 「ビヤンヴニュ・ミリエル! 私はその名前を聞いたことがあります。人々がビヤンヴニュ閣下と呼んでいるのはあなたですか。」 「私です。」 老人は半ば微笑んで言いました。 「それならあなたは私の司教ですね。」 「まあ、そうですね……。」 「どうぞお入りください。」 国民議会員は司教に手を差し出しました。

しかし司教はそれを取りませんでした。そしてただ言いました。「私の聞き違いだったことを確認して、私は満足です。あなたは確かに病気には見えません。」

「もう治ることはないでしょう。」と老人は答えました。彼は少し言葉を切った後、再び言いました。「三時間後には、私の命は尽きるでしょう。」それからまた彼は続けて言いました。

「私は少し医学の知識があります。どのように最期の時間が来るかを知っています。昨日私は足だけが冷えていました。今日は膝まで冷えています。今では冷えが腰まで上がってきているのを感じます。心臓まで上がってくるときが、私の終わりです。太陽は美しいですね。私は色々なものに最後の一目を与えるため、外に椅子を出しました。

話しても大丈夫です。私はそれで疲れませんから。あなたは死にゆく者を見守るためにちょうどよく来てくれました。死に目を見届けてくれる人がいるのはいいことです。人には何か奇妙な願望があるものです。私は夜明けまで生きたいと思っています。しかし、せいぜい三時間くらいしか生きられないことをよく知っています。夜になるでしょう。

でも実際には、そんなことはどうでもいいのです。生を終えることは簡単なことです。そのために特に朝が必要というわけではありません。そうです、私は星が輝く下で死にたいと思います。」老人は羊飼いの方を見ました。「お前は行って寝ておいで。昨夜は一晩中起きていた。お前は相当疲れているだろう。」少年は小屋の中に入りました。老人は彼を見送りました。そして独り言のように付け加えました。「彼が眠っている間に私が死ぬだろう。二つの眠りが共にあるのは心強い。」

司教は想像するほど感動していませんでした。そのような死に方に神が感じられるとは思わなかった。偉大な心の中の小さな矛盾も他のものと同じく示されなければならないから、全てをはっきりと言ってしまえば、時折大人という敬称を好んで笑っていた彼も、今は閣下と呼ばれないことを少し不快に感じていた。そして君と呼び返したいという気持ちさえも覚えていた。また医者や牧師のよくする無作法な親しげな態度をとってみようという気もしたが、それは彼には慣れていないことだった。

要するに、この男は、この国民議会員は、この人民の代表者は、世俗の有力な一人であったことがあるのである。おそらく生涯で初めて、司教は厳しい気持ちになったように自分自身が感じた。国民議会員は謙虚な真意で彼を見守っていた。

まさに塵に帰ろうとする人にふさわしい卑下とも思えるものがそこにあった。司教は元々好奇心を持って侮辱に隣り合わせのものとしてそれを慎んでいたが、今や一種の注意をもってこの国民議会員を観察せざるを得なかった。それは同情から出たものではなく、おそらく他の人に対してなら彼は自分自身が良心の非難を感じたであろう。しかし国民議会員である者は、法の外にある、慈悲の法の外にさえある、という印象を彼に与えたのである。

ほとんどまっすぐな体格と震える声を持つこの冷静なGは、生理学者を驚かせる堂々とした80歳の老人でした。革命は時代にふさわしい多くの人々を生み出しました。この老人の中には、堅忍不抜な人物を思わせるものがありました。死に近づいているにもかかわらず、彼は健康な外見を保っていました。その明らかな視線、しっかりとした話し方、両肩の頑丈な動き、これらは死とは不調和なものでした。イスラム教の墓の天使であるアズラエルも、家を間違えたと思って道を引き返したかもしれません。

Gはただ自分自身が望んだために死にかけているようでした。彼の臨終の苦痛の中には何か自由なものがありました。ただ両足だけが動かなかった。そこから闇が彼を捕らえていました。両足はすでに死んで冷たかったが、頭脳はまだ生命の全ての力を持って生きており、光明の中にあるように見えました。Gはこの危機的な状況で、上半身は肉体で下半身は大理石だったという東洋の物語の王に似ていました。

そこに石があったので、司教は腰をかけました。対話の始まりは全く突然でした。「私はあなたを祝います。」と司教はまるで非難するような調子で言いました。「あなたは少なくとも国王の死刑には賛成しなかったのですから。」国民議会員はこの「少なくとも」という言葉の中に隠された苦々しい意味を見つけることはできませんでした。彼は答えました。微笑みは彼の顔から消えてしまっていました。


「私を祝わないでください。私は暴君の終焉に賛成したのです。」と彼は厳粛な調子で反論しました。 「それはどういう意味ですか?」と司教は尋ねました。 「人間の心の中には一つの暴君が存在するのです。それは無知を指すのです。私はその暴君の終焉に賛成したのです。その暴君は王位を生み出しました。王位は虚偽から得られた権力です。

しかし学問は真実から得られた権力です。人はただ学問によって支配されるべきです。」 「それに良心によっても。」と司教は付け加えました。 「良心もまた、私たちが内に秘めた学問の一部を反映しています。」ビヤンヴニュ閣下は、少し驚き、自分にとって非常に新しいその言葉に耳を傾けました。国民議会員は続けました。

ルイ16世については、私は反対しました。私は一人の人を殺す権利を自分にはないと信じています。しかし私は悪を絶滅する義務を自分に感じています。私は暴君の終焉に賛成したのです。言い換えれば、女性に対しては醜行の終焉、男性に対しては奴隷制度の終焉、子供に対しては暗闇の終焉に。私は共和政に賛成することによって、以上のことに賛成したのです。

私は友愛と親和と夜明けに賛成しました。私は偏見と誤謬の崩壊を助けました。誤謬と偏見の崩壊は光明をもたらすものです。私たちは古い世界を打ち倒しました。そして、悲惨の容器であった古い世界は人類の上に覆い被さり、喜びの器となったのです。」 「混乱した喜びの。」と司教は言いました。

「混乱した喜びとも言えるでしょう。そして今日、1814年と呼ばれるあの痛ましい過去の復帰の後に、喜びは消え去ってしまったのです。残念ながら事業は不完全でした。私もそれは認めます。私たちは事実上旧制度を打破しましたが、思想上それを完全に根絶することはできませんでした。風潮を変えるだけでは不十分で、根本から見直さなければなりません。風車はもはや存在しませんが、風はまだ残っています。」

「あなたたちは打破しました。打破することが有益なこともあります。しかし私は憤怒に絡まった打破には信頼を置きません。」 「正義にはその憤怒があり、正義の憤怒は進歩の一要素です。何と言われようとも、フランス大革命はキリスト降誕以来、人類の最も力強い一歩です。不完全ではあったでしょう。しかし荘厳なものでした。それは社会上の卑賤な者を解放しました。

人の精神を和らげ、それを静め慰め光明を与えました。地上に文明の波を流しました。立派な事業でした。フランス大革命は実に人類を聖化したのです。」司教は自分自身でつぶやくことを禁じました。 「え、1793年が!」国民議会員はほとんど悲痛なほどの堂々とした態度で椅子から立ち上がり、そして瀕死の人が出すことのできる限りの大きな声で言いました。 「ああ、ついにあなたはそこまで来ました。1793年! 私はその言葉を待っていました。暗雲は1500年間形成されていました。15世紀の後にそれが破裂しました。あなたはまるで雷の一撃を非難するかのようです。」

司教は、おそらく自分自身では認めなかったでしょうが、心の中の何かに一撃を受けたように感じました。しかし彼は落ち着いて答えました。 「法官は正義の名のもとに話し、牧師は慈悲の名のもとに話すのです。そして慈悲は、より高い次元の正義であると言えます。雷の一撃に道を誤ってはいけません。」それから彼は国民議会員をじっと見つめながら付け加えました。

「では、ルイ17世はどうですか?」
議員は手を伸ばして、司教の腕をつかみました。
ルイ17世! いいですね。あなたは何のために涙を流すのですか? 一人の罪のない子供として、そのためにですか。それならば、それは適切です。私もあなたと一緒に涙を流しましょう。また一人の王家の子供として、そのためにですか。それならば、私はあなたに考慮を求めます。

私が言わせてもらえば、凶悪犯カルトゥーシュの弟、ただその弟であったという罪のために、グレーヴ広場で縄で両脇を吊り上げ、最終的に死に至ったあの罪のない子供は、ただルイ15世の孫であったという罪のために、タンブル城の塔内で死に至ったルイ17世に比べても、同じく悲惨でした。」

「私は、」と司教は言いました、「それらの二つの名前を一緒にすることを好まないです。」
カルトゥーシュのためにですか。それともルイ15世のためにですか。二人のうち、どちらのためにあなたは異議を唱えるのですか?」
少しの間沈黙が続きました。司教はここに来たことをほとんど後悔しました。それでも彼は、ぼんやりと不思議な心の動揺を感じました。
議員は再び言いました。

「ああ、あなたは生々しい真実を好まないのですね。しかし、キリストはそれを好んでいました。キリストは鞭を取って、エルサレムの寺院から奸商を追い出しました。彼の光輝に満ちた鞭は、真理を生々しく語るものです。彼が幼児に『シニテ・パルヴュロス』(訳注:幼児を私に来させよ)と叫ばせたとき、彼は幼児の間に何の区別も立てませんでした。

彼は凶悪犯バラバスの子と、国王ヘロデの子を同じように呼びました。罪のない心は、それ自体が王冠を持っています。王家に属する必要はありません。ぼろをまとっても、百合の花に飾られたと同じく立派です。」
「それは本当です。」と司教は低い声で言いました。

「私はさらに、主張したい。」と国民議会員Gは続けました。「あなたはルイ17世のことを言いました。それについては互いに理解したいものです。すべての罪のない者、すべての道のために犠牲になる者、すべての幼い者、高い者と同じく低い者、すべてそれらのために涙を流すというのですか。それは私も同意します。

しかしそれならば、前に言った通り、1793年以前に遡らなければなりません。そして、私たちの涙が初めて流れるべきは、ルイ17世以前にあるのです。私もあなたと一緒に王の子供たちのために涙を流しましょう、ただあなたが私と一緒に人々の子供たちのために涙を流してくれるならば。」
「私はすべての人の上に涙を流すのです。」と司教は言いました。

「同じように!」とGは叫びました。「そして、もしどちらかが重くなるべきであるならば、それは人々の方であるべきです。人々の方がはるかに長い間苦しんでいるのです。」
また少しの間沈黙が続きました。それを破ったのは国民議会員でした。彼は肘をついて立ち上がり、尋問し裁断するときに人が機械的にするように、人差し指を曲げて親指との間に頬の一部を挟み、臨終の全力を込めた視線で司教に呼びかけました。それはほとんど一つの爆発でした。

「そうです、人々は長い間苦しんできました。しかし、それだけではありません。あなたは一体何をルイ17世について私に尋ねたり、話したりしに来たのですか? 私は、私はあなたがどのような人物か知りません。この地方に来て以来、私はこの囲いの中で一人で生活してきました。一歩も外に出たこともなく、私を助けてくれるあの子供以外には誰にも会っていません。

実際、あなたの名前はぼんやりと私の耳に入ってきましたが、それも悪い噂ではありませんでした。しかし、それは何の意味もありません。巧みな人々は、正直な人々に自分をよく言わせるさまざまな方法を知っています。ついでに言うと、私はあなたの馬車の音を聞いていませんでしたが、おそらくあなたは明日この分かれ道の所の森の後ろに乗り捨てて来たのでしょう。

はっきり言いますが、私はあなたを知りません。あなたは司教だと言われましたが、それはあなたの精神的な人格について私に何も教えてくれません。要するに、私は私の質問を繰り返すだけです。あなたは誰なのか? あなたは司教ですか? つまり、教会の主任で、金襴をまとい、記章をつけ、年金を受け取り、大きな収入を持つ人々の一人です。ディーニュの司教、一万五千フランの定収入、一万フランの臨時収入、合計二万五千フラン。

多くの食事部、多くの従僕、美食を楽しみ、金曜日には田鶴を食べ、前後に従者を従えて豪華な馬車を駆り、大邸宅を持ち、裸足で歩いたイエス・キリストの名において四輪馬車を乗り回す人々の一人です。あなたは法衣の役人です。定収入、邸宅、馬車、従僕、珍しい食事、あらゆる生活の楽しみ、あなたはそれらのものを他の人々と同じように所有し、同じように楽しんでいます。それは素晴らしいことですが、私にとって十分な説明とは言えません。

おそらく、あなたが私に知恵を授けるつもりで来たあなた自身の、あなたの真実の本質について、それは私に何も教えてくれません。今、私が話している相手は誰なのでしょうか? あなたは誰なのでしょうか?

司教は頭を下げて答えました。「私はただの虫けらにすぎません。」

「四輪馬車に乗った地上の虫けら!」と国民議会員はつぶやきました。

今度は国民議会員が傲然とし、司教が謙虚でした。

司教は穏やかに言いました。「それはともかくとしておきましょう。しかし、私に説明していただきたいことがあります。あの木立の向こう二歩先にある私の四輪馬車が、私が金曜日に食べる田鶴と珍しい料理が、私の邸宅や従僕たちが、慈悲は徳ではなく、寛容は義務ではなく、1793年は厳しいものではなかった、ということをどのように証明するのでしょうか?」

国民議会員は手を額に当てました。まるである雲をそこから払いのけるためのように。「あなたに答える前に、」と彼は言いました。「私はお許しを願いたい。

私は今、間違ったことをしたようです。あなたは私の家に来ておられ、あなたは私の客人です。私はあなたに対して丁寧でなければならないはずです。あなたは私の意見を論じています。だから私はあなたの推論を反論することが適切です。あなたの財産や楽しみなどは、私があなたを論破するための利点です。しかし、そんなことについては何も言わない方が礼儀です。

私は誓ってそれらの利点をもう使わないことにしましょう。」

「それはありがたいことです。」と司教は言いました。Gはさらに言いました。「あなたが求めた説明に戻りましょう。それは何でしたっけ。何をあなたは言っていたのですか。1793年は厳しいと?」

「厳しい、そうです。」と司教は言いました。「断頭台に向かって拍手をしたマラーをどう考えますか?」

「では、新教徒迫害に関して賛美歌テデオムを歌ったボシュエについてはどう考えますか?」 答えは冷酷で、しかも刃の切れ味を持って厳しく要点を突いていました。司教はぞっとしました。

何の反論も一瞬彼の心に浮かびませんでした。しかし彼はボシュエに対するそのような言い方に不快感を抱きました。優れた人々は皆、その崇拝者を持っています。そして、しばしば論理的にもその人に対する尊敬を欠いていると漠然と不快感を覚えることがあります。

国民議会員は息を切らし始めました。臨終の呼吸に混じる苦痛の息切れが、彼の言葉を妨げました。それでも彼はまだ、目には完全に明瞭な精神を宿していました。彼は続けて言いました。

「さらに数言を費やしてみましょう。全体としては広大な人類的肯定である革命の中にあって、1793年は不幸にも一つの抗議です。あなたはそれが厳しいと言います。しかし、すべての王政時代はどうだったのでしょうか。カリエは盗賊だとすると、モントルヴェルにはどのような名前を付けますか。フーキエ・タンヴィールは乞食だとすると、ラモアニョン・バーヴィルについてはどのような意見を持っていますか?

マイヤールは恐ろしいとすると、ソー・タヴァンヌはどうでしょうか。老デュシェーヌは獰猛だとすると、老ルテリエに対してはどのような形容をしますか。ジュールダン・クープ・テートは怪物だとすると、ルーヴォア侯ほどではなかった。私は大公妃であり女王であったマリー・アントワネットを哀れに思います。

しかし、私はまた、ルイ大王の時に、子供に乳を与えるところを捕らえられ、腰まで裸にされ、杭に縛られ、子供は彼方へ引き離された、あのユグノー派の気の毒な女性をも、同様に哀れに思います。乳房は乳で満ち、心は苦しみで満ちていました。飢えた子供はその乳房を見つめ、もだえながら泣き叫びました。

刑執行人は母親であるその女性に向かって、異端の信仰を放棄せよ、と言いながら、子供の死か良心の死か、どちらかを選ばせようとしました。一人の母親に適用されたタンタロス(訳注:永遠の飢渇に処罰されたギリシャ神話中の人物)の処刑を、あなたは何と言いますか?それは良いことですか?フランス大革命には正当な理由があるのです。

その怒りは未来によって許されるでしょう。その結果は、より良い世界です。その最も恐ろしい打撃からは、人類への愛撫が生まれるのです。簡単に言ってしまえば、私の方が有利だから止めましょう。それに私はもう死ぬのです。」そして、司教を見るのをやめた国民議会員は、次の静かな数語の中でその思想を述べました。

「そうだ、進歩の激烈さを、我々は革命と呼ぶ。革命が過ぎ去るとき、人々は認める。人類は虐待されたと、しかし人類は進歩したと。」国民議会員は、司教の内心の防御壁を一つ一つ打ち破ったことを疑わなかった。しかし、まだ一つ残っていました。そしてビヤンヴニュ閣下の最後の抵抗手段であるその壁から、次の言葉が出ました。その中には、ほとんど最初のような辛辣さが再び現れていました。

「進歩というものは神を信じるべきです。善は不信のしもべを持つわけがありません。無神論者である人は、人類の悪い指導者です。」人民の代表者である老人は答えませんでした。彼は身を震わせ、空を見上げ、徐々に目に涙が溢れてきました。涙は瞼から溢れ、青白い頬を伝って流れました。彼は空の深みを見つめ続け、自分自身に向かってほとんどつぶやくように、声を低く震わせながら言いました。

「ああ、あなた! ああ、理想! あなただけが存在する!」司教は名状しがたい一種の衝動を感じました。少しの沈黙の後、老人は空の方に指を上げて言いました。「無限は存在します。無限はここにあります。もし無限が自我を持たないとすれば、この私という自我がその範囲となるでしょう。無限は無限でなくなるでしょう。つまり、無限は存在しなくなるでしょう。

しかし、無限は存在します。だから、それは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神です。」瀕死の彼は、まるで何かを認めたかのように、恍惚として身を震わせながら、その最後の言葉を大声で発しました。言い終えたとき、彼の目は閉じました。努力のために疲れ果ててしまったのです。残された数時間を一瞬のうちに彼は明確に生きました。

彼が今言ったことが、彼を死のうちにある彼に近づけたのでした。最期の時が近づいていました。司教はそれを理解しました。時機は切迫していました。彼がここに来たのは、まるで臨終に立ち会う牧師のようでした。彼は極度の冷淡から徐々に極度の感動に移り変わっていました。彼はその閉じた目を見つめ、年老いてしわ寄せたその冷たい手を取りました。そして、臨終の人の上に身をかがめました。

「今は神の時間です。もし私たちが互いに出会ったことが無益であるならば、それは残念なことだと思わないでしょうか。」国民議会員は再び目を開きました。暗影が漂う重々しい表情が顔に浮かびました。「司教、」と彼はゆっくりと言い始めました。そのゆっくりとした調子は、気力の喪失よりもむしろ尊厳な精神のためだったでしょう。

「私は自分の一生を瞑想と研究と観察の中で過ごしました。国家が私を招き、国事に参与するように命じたとき、私は60歳でした。私はその命令に従いました。多くの弊害がありました。私はそれと戦いました。種々の暴虐がありました。私はそれを破壊しました。種々の正義と主義がありました。私はそれを布告し、宣言しました。領土が侵されました。私はそれを防衛しました。フランスが脅かされました。私はそのために自分の胸を差し出しました。

私は富裕ではありませんでした。私は貧しい者でした。私は参事院議員の一人でした。国庫の部屋は金で満ちていて、金銀貨の重さで壁が壊れかかっていました。しかし私はアルブル・セック通りで一人前22スーの食事をしていました。私は虐げられた者を助け、悩む者を慰めました。私が祭壇の幕を引き裂いたのは事実です。しかし、それは祖国の傷を包帯で覆うためでした。

私は常に光明に向かって人類が前進するのを助けました。そして時には、慈悲を知らない進歩には反対しました。場合によっては、あなた方、私自身の敵をも保護しました。フランドルのペテゲムに、メロヴァンジアン家の諸王が夏の宮殿を所有していたあの場所に、ユルバニストたちの修道院であるサント・クレール・アン・ボーリユー修道院がありましたが、1793年には私はそれを救いました。

私は自分の力に従って義務を果たし、自分ができる善を行いました。その後、私は追われ、狩り出され、追跡され、迫害され、誹謗中傷され、嘲笑され、侮辱され、呪われ、人権を剥奪されました。

既に長い間前から、私は自分の白髪とともに、多くの人々が私を軽蔑する権利を持っていると思っていました。哀れな無知な群衆にとって、私は天罰を受けた者のような顔をしていたでしょう。

そして私は自分自身を誰も恨まずに、人々から嫌われる者の孤独を甘んじて受け入れています。今や私は86歳になりました。私はまさに死にかけています。あなたは私に何を求めに来たのですか?」 「あなたの祝祷を。」と司教は言いました。そして彼はひざまずきました。

司教が再び頭を上げたとき、国民議会員の顔は厳かになっていました。彼は息を引き取ったのです。司教はある言い知れない考えに沈み込みながら家に帰りました。彼は一晩中祈り続けました。翌日、好奇心旺盛な人々は国民議会員G氏のことについて彼と話そうとしましたが、彼はただ空を指すだけでした。

その時から、彼は子供や苦しんでいる人々に対する愛情と友情を倍増させました。この「極悪なG老人」に関するあらゆる言葉は、彼を特別な専念の中に沈み込ませるものでした。彼の精神の目の前にあるその精神の通過と、彼の心の上に投げかけられた大きな心の反映は、彼を少しずつ完全な領域に近づける助けになったでしょうとは、誰が言えるでしょう。

この「牧師的訪問」は自然に、その地方の小さな社会にとって議論の種となりました。「…そのような男の死の枕元は、司教が行くべき場所だったのでしょうか。信仰に入ることなどをそこで期待することは明らかにできなかったのです。すべての革命家たちは、皆異端に陥る者たちです。それでは何のためにそこに行くのか。何を見るために彼は行ったのか。

悪魔によって魂があの世に運ばれるのを見たかったのではないでしょうか。」ある日、自分が才能があると思っている一種無作法な一人の未亡人が、次のような皮肉を彼に浴びせかけました。「大人様がいつ赤い帽子をもらわれるのかと人々は言っていますよ。」司教は答えました。「ああ、それは下等な色です。ただ幸いにも、帽子だとそれを軽蔑する人も、冠だとそれを尊敬します。」(注 赤い帽子は革命党の章、赤の冠は枢機官の冠)


11.制限

前述のことから、ビヤンヴニュ閣下が「哲学的司教」または「愛国的司教」であったと結論づけると、誤解を招く可能性があります。彼の出会い、特に民約議会員Gゼーとの出会いは、彼の心に驚きを残し、彼をより穏やかにしました。それだけのことでした。
ビヤンヴニュ閣下は政治家ではありませんでしたが、当時の事件に対して彼がどのような態度を取ったかを示すのに、今がちょうど良いタイミングだと思います。

それでは、数年前のことを振り返ってみましょう。

ミリエル氏が司教に任命されてからしばらくして、皇帝は他の多くの司教とともに彼を帝国の男爵にしました。そして、皆さんがご存知のように、1809年の7月5日から6日の夜に法王が逮捕されました。

その時、ミリエル氏はナポレオンから召集され、パリで開催されたフランスとイタリアの司教会議に出席しました。この会議は、枢機官フェーシュ氏の議長のもとで、ノートルダム寺院で1811年6月15日に初めて開催されました。

ミリエル氏は出席した95人の司教の一人でした。しかし、彼はただ一回の会議と3、4回の特別協議に出席しただけでした。山間部の教区の司教であり、自然と接して生活していた彼は、これらの著名な人々の中で、会議の雰囲気を変えるような思想を持っていたようです。彼は早くディーニュに帰りました。そして、その理由を尋ねられたとき、彼は「私は皆の邪魔になったのです。外の空気が私から皆に伝わったのです。私はドアを開け放ったようなものでした」と答えました。

また、別の機会に彼は言いました。「どうせ、あの司教たちは殿様です。私はただの田舎の司教に過ぎません。」

実際、彼は人々から歓迎されませんでした。ある晩、最も高位の仲間の一人の家に行ったとき、彼はうっかりこんなことを言ったようです。「とても美しい掛け時計、美しい絨緞、美しい召使いの服装ですね。こんなものはどれだけ面倒なんでしょう。私はこのような贅沢品が本当に嫌です。それは常に私の耳に囁いています。飢えている人がいる、寒さで凍えている人がいる、貧しい人がいる、貧しい人がいると。」

贅沢を嫌うことは、知的な嫌悪感ではないと思います。そういった嫌悪感には、芸術への嫌悪が含まれているようです。しかし、教会の人々の間では、演劇の例外を除いて、贅沢は一つの不正とされています。それは実際に、あまり慈善的でない習慣を示しているように見えます。

栄光ある牧師というのは一つの矛盾です。牧師は貧しい人々と接する必要があります。自分自身の中に、労働の埃のような聖なる貧しさを少しでも持たずして、どうやって人は日々絶えずあらゆる苦悩や不運、困窮に接することができるでしょうか。暖炉のそばで暖かくないという人を想像できますか。常に竈で働いている労働者で、髪の毛を焦がさず、爪を黒くせず、一滴の汗も知らず、顔に一粒の灰も受けない人を想像できますか。牧師にとって、特に司教にとって、慈悲の最初の証は、それが貧しいということです。

ディーニュの司教が考えていたことは、間違いなくその点だったでしょう。

さらに微妙な点では、司教は私たちが「時代の思潮」と呼ぶものを共有していたとは思えません。彼は当時の神学上の議論にあまり関与していませんでした。そして、教会と国家が混ざり合っている問題には口をつぐんでいました。

もし意見を求められたら、彼はフランス教会派よりもむしろ法王派の立場を取ったでしょう。私たちは司教の人物を描くので、何も隠すつもりはありません。彼がナポレオンの衰退に対して冷淡な態度を取ったことを記録しなければなりません。1813年以降、彼はすべてのナポレオン反対運動を支持または称賛しました。彼はナポレオンがエルバ島から帰還する途中、それを迎えることを拒否し、またナポレオンの再起100日間、皇帝のための公の祈りを教区内で禁じました。

彼の妹、バティスティーヌ嬢の他に、彼には2人の兄弟がいました。一人は将軍で、もう一人は知事でした。彼は2人の兄弟に対して頻繁に手紙を書いていました。前者はナポレオンのカーヌ上陸時にプロヴァンスの司令官を務め、1200人の部下を率いてナポレオンを追跡しましたが、それは彼が故意に逃走を許したような追跡でしたので、司教は一時期、あまり好意を持っていませんでした。

もう一人の兄弟に対する司教の通信は、より愛情深いものでした。その兄弟は元知事で、堂々とした立派な人物で、現在はパリのカセット街に隠居していました。

それで、ビヤンヴニュ閣下もまた、党派心を持つ時があり、苦々しい気分の時があり、心が曇ることがあった。永遠の事物に向けられているその穏やかな偉大な精神にも、一時的な私情の影が差すこともあった。確かに、そのような人物は政治的な意見を持つ必要はなかった。

しかし、この言葉を誤解してはいけません。私たちはいわゆる「政治的な意見」というものを、進歩に対する熱望、現在の高潔な知識の根本である愛国的、民主的、人間的な崇高な信念と、混同するものではありません。

しかし、この本の主題とは間接的にしか関係のない問題については深入りしないで、ただ単に次のことだけを、ここに記しておきましょう。すなわち、ビヤンヴニュ閣下が王党派でなかったならば素晴らしかったでしょう。

そして、騒がしい人事を超えて、真理と正義と愛との三つの清らかな光が輝くことが明らかに認識できるあの清澄な観念から、彼が一瞬たりとも目をそらさなかったならば、素晴らしかったでしょう。

神がミリエル閣下を創造したのは政治的な職務のためではなかったことを認めながらも、私たちはまた、全権を持つナポレオンに対して、正義と自由の名の下での抗議、傲然とした反対、危険でありながらも正当な対抗、それを彼が敢えておこなった理由を理解し、賞賛したいと思います。

しかし、力強い人々に対する行動は私たちにとって快いものであっても、力を失いつつある人々に対してはそうではありません。私たちは危険を伴う戦いだけを快く思います。そしてどの場合でも、最初の戦士だけが最後の破壊者となる権利を持つ。人の全盛期において、執拗な非難者でなかった者は、その滅亡の前に沈黙すべきである。

成功の排除者だけが失敗の正当な裁定者である。私たちは運命が手を出して打撃を与えるときには、運命の成すままに任せるのです。1812年は私たちの武装を解除し始めました。1813年において、黙々とした立法部は、災害によって勇気を得て卑怯にも沈黙を破ったが、それは恥ずべき行為であった、それを喝采することは間違いであった。

1814年において、裏切るあの将軍たちの前から、一度跪いたものを侮辱しながら、汚行から汚行へと移り変わるあの上院の前から、逃走しながら偶像を侮蔑するあの偶像崇拝の前から、顔をそむけるのが正当であった。1815年において、最後の災難が大気に広がったとき、フランスがその不吉な災難の接近に震えたとき、ワーテルローの敗戦がナポレオンの前に開かれたことが漠然と感じられたとき、運命に罰せられた人に対する軍隊や国民の悲しい歓声は、決して笑うべきものではなかった。

しかし、その専制君主に多くの困難を認めるとしても、ディーニュの司教のような心の人は、偉大な一国民と偉大な一人の人との深淵の縁における強固な抱擁の中には厳粛で痛切なものがあったことを、おそらく否認してはいけなかったでしょう。

それを除けば、司教は何事においても常に、またその時々に、正当、真実、公平、聡明、謙譲、廉直であった。恵み深く、また一種の親切でもあった。彼は一人の牧師で、一人の賢者で、そして一人の人であった。そしてここで言わなければならないことは、私たちが彼を非難し、ほとんど厳しく彼を批判したあの政治的な意見においても、彼は寛容で穏やかで、おそらくここで話す私たちよりもさらにそうであった。

ディーニュの市役所の門番は皇帝からそこに置かれたものであった。彼は以前の近衛軍の下士で、アウステルリッツの戦いに参加した勲章所有者で、鷲の紋章のように離れられないブオナパルト党であった。この哀れな男は時々、当時の法律に反する挑発的な言葉を口にすることがあった。

皇帝の横顔像がレジオン・ドンヌールの勲章から除かれてからは、彼は決して彼の制服を着なかった。その服を着てその十字勲章を掛けさせられないように、彼はナポレオンから授けられたその十字勲章から、皇帝の肖像を敬意を持って自分で取り除いた。その結果、そこに一つの穴ができたが、彼は何も詰めることを望まなかった。彼は言った。

「三つの蛙(訳注:該勲章に新たに付けられた三葉模様を指す)を胸につけるよりは死んだ方がましだ。」また彼は好んで声高にルイ14世を嘲笑った。「イギリス風のゲーターをつけた中風病の老いぼれ、サルシフィの髪(訳注:ルイ18世式の髪型)と一緒にプロシアへでも行ってしまえ。」彼はうまく一つの悪口の中に最も嫌いなプロシアとイギリスを一緒に言ってのけたのであった。

しかし彼はそういう毒舌をあまり言ったので、ついに自分の地位を失った
そして妻子を連れて街頭でパンに困ったのである。司教は彼を呼んで、穏やかに諭し、そして大会堂の門番に任命したのであった。

ミリエル氏はその教区の中で、真の牧者であり、すべての人の友であった。

9年の間にビヤンヴニュ閣下は、聖なる行いと穏やかな態度とをもって、優しくそして子供の父のような一種の尊敬の念をディーニュ市民の心に植え付けた。ナポレオンに対する彼の態度すら、市民から容認され黙認されたようであった。彼らは善良な弱い羊の群れであって、彼らの皇帝を崇拝していたが、また彼らの司教を愛していた。


12.ビヤンヴニュ閣下の孤独

司教の周りには、まるで将軍の周りに若い士官が集まるように、若い宗教家たちの取り巻きが常にいます。それは、あの面白いサン・フランソア・ド・サールがどこかで「未熟な牧師」と呼んだものです。どんな仕事にも、その志望者がいて、すでに成功した人の周りに集まります。

どんな権威もその取り巻きを持ち、どんな幸運もそのおべっかを持つものです。未来の成功を目指す人々は、現在の栄光の周りに集まります。どんな大司教の所在地にも、その一団のスタッフがいます。多少とも影響力のあるどんな司教の近くにも、神学校の生徒たちの偵察隊がいます。

彼らは司教の宮殿内で巡回し、秩序を維持し、司教の微笑みをうかがいます。司教が気に入ることは、すでに副助祭になるために足を stirrupにかけることです。人は巧みに自分の道を開くことが必要です。使徒になろうとする人は、まず僧侶になることを嫌がってはなりません。

世界に大きな冠があるように、教会にも大きな司教の冠があります。宮廷の人々が好意的に見て、富裕で、収入があり、巧妙で、世間に受けが良く、神に祈ることはもちろん、人々に哀願する術を心得ており、全教区内の人々とひそかに面接することもあまり罪悪感を感じず、神事と外交との間の連鎖となり、牧師よりもむしろ修道院長に適し、司教よりもむしろ法王庁内の役人に適するような司教たち、それが彼らです。

彼らに近づく人は幸運です! 彼らは力を持っているので、自分の周りに、奔走する人々や贔屓の人々に、彼らを喜ばせることを知っているすべての若者に、司教の地位を得るまでの間に、広い教区や扶持や大補祭の職や教誨師の職や大教会堂内の役職などを惜しみなく与えます。自分が地位を上げるにつれて、彼らは取り巻きを引き立てていきます。

まるで進行する太陽系のようです。彼らの輝きはその従者に赤い光を投げかけます。彼らの成功はその後ろにいる人々に何らかの昇進をまき散らします。保護者の教区が大きければ、恩顧を受ける牧師の受け持ち区も大きくなります。そして最後にローマがあります。

大司教になれる司教は、さらに枢機卿になれる大司教は、あなたを随行員として連れて行き、そしてあなたは宗務院に入り、あなたは肩布をもらい、やがてあなたは聴問官となり、法王の侍従となり、司教となります。司教職と枢機卿職との間は一歩にすぎず、さらに枢機卿職と法王の位との間にはただ無意味な投票があるだけです。

頭巾をかぶった牧師は皆、法王の冠を夢見ることができます。今日では、普通の順序により王になれるのはただ牧師だけです。しかもその王は最上の王です。だから神学校というものは、どれほど高い野心を起こさせる場所なのか! 顔を赤らめる合唱隊の子供の何人が、若い法師の何人が、ペルレットの牛乳の壺を頭に乗せることができるか!

(訳注:ペルレットとはラ・フォンテーヌの物語中の娘、町に売りに行く牛乳の代わりに大きな幸運を夢見て、それに心を奪われて途中で牛乳の壺を地上に落としてしまったのである)しかし、野心は、自分自身を欺きながらもおそらくは真剣に、どれほど簡単に天職の名を容易に僭称することができるか!

ビヤンヴニュ閣下は、謙虚で貧しく、独特な性格の人で、大きな司教の冠には適合しなかった。それは彼の周りに若い牧師が一人も集まっていないことからも明らかでした。パリでも「彼はうまくやっていない」と言われていました。未来を望む者は一人として、この孤独な老人によって自分を立てようと思う者はいませんでした。

野心を持つ者で、彼の影響を広げようとする愚かな行為をする者は一人もいませんでした。彼の下の助祭や大補祭は皆善良な老人だけでした。彼らは彼と同じくある程度平民的であり、その教区内で隠れて生活し、司教に非常に似ていて、ただその違いは、彼らは老いており、司教は完成しているというだけでした。ビヤンヴニュ閣下の側にいては昇進が不可能であることは誰もが明らかに感じていました。

彼から資格を与えられた若い人々も、神学校を卒業すればすぐにエクスやオーシュの大司教に紹介され、すぐに去ってしまいました。何と言っても、人々は昇進することを求めています。

極端な自己制御の中で生きている聖者は、危険な隣人です。彼は、治らない貧困や、昇進に有利な技能の麻痺、つまり人々が求める以上の解放を、伝染させることがあります。そのため、ビヤンヴニュ師の孤立は完全でした。私たちが住む社会は暗いものです。成功することこそが、崩壊する腐敗から一滴また一滴と滴り落ちる教えなのです。

ここで付け加えておきたいのは、成功とは嫌なものだということです。真の価値と間違えやすいその類似物は人を惑わせます。群衆にとって、成功はほとんど優越と同じ印象を持つ。才能の類似物である成功は一種の迷信者を持つ。すなわち、それは歴史です。ただユヴェナリスとタキツスだけがそれに不満を述べました。今日では、ほとんどの公的な哲学が成功の家に住み込み、その奴隷の服を着て、その控え室の仕事をしています。

成功せよ、というのが教義です。成功は能力を前提とします。投機で富を得ればその人はすなわち巧妙な人物となります。勝者は尊敬されます。幸運に生まれよ、そこに全てがある。幸運を得よ、さらばあなたは全てを得る。幸せであれ、さらばあなたは偉大とされる。時代の華麗な五、六の偉大な例外を除けば、同時代の賞賛は近視にすぎません。

金めっきは純金となります。一番乗りであることは、目的に到達することを得さえすれば何も失わない。大衆は、自分自身を崇拝し、また大衆を称賛する一つの老いたナルシスにすぎません。人をモーゼにし、アイスキロスにし、ダンテにし、ミケランジェロにし、あるいはナポレオンにする巨大な才能を、群衆は何事によらずその目的に到達する者に、即座に歓声を送ります。

ある公証人が議員になり、ある二流のコルネイユがティリダートを書き、ある宦官が後宮を所有し、陸軍のあるプルドンムが偶然に一時期を画する決定的な勝利を得、ある薬種商がサンブル・エ・ムーズの軍隊のためにボール紙の靴底を発明し、それを皮として売り出して40万リーヴルの年金を得、ある行商人が高利貸しの女と結婚して二人の間に7、8百万の金を産み出し、ある説教者がその鼻声のために司教になり、ある家の執事がその役を終える頃には大なる富者となって大蔵大臣になるなど、世人はそれを呼んで天才と言います。

まるで彼らがムスクトンの顔を美しいと称し、クロードの風采を尊厳なると称するのと同じです。天空の星座と柔らかい泥地に印をつけるアヒルの足跡の星形とを、彼らは混同します。


13.彼の信仰

ローマ正教の視点から見れば、私たちはディーニュの司教を評価する必要はありません。彼のような魂の前では、私たちはただ尊敬の念を感じるだけです。正しい人の良心はそのまま信じられなければなりません。さらに、ある種の性質が提出されるとき、私たちは、私たちと異なる信仰の中でも、人間の美徳のすべての美が発展することを認めます。

司教は甲の信条についてどう考えていたのか、また乙の秘蹟についてどう考えていたのでしょうか。しかし、そのような内心の信念の奥秘は、人の魂がすべての衣を脱ぎ捨てて墓に入るときだけに知られます。ただ私たちが確信していることは、信仰上の困難に直面しても彼はかつて偽善に陥ることがなかったということです。

ダイヤモンドにはいかなる腐敗もあり得ません。彼はできる限り信仰の中に身を投じ、私たちは父なる神を信じると、しばしば叫びました。その上、彼は自分の善行の中から良心に必要なだけの満足を得、あなたは神と共にいると、静かに囁く声を自分で聞きました。

ここで述べなければならないと思われることは、信仰の外に、そして信仰の向こう側に司教が過度の愛を持っていたことです。この悲しい時代の用語を使えば、彼が「真面目な人々」や「厳格な人々」や「理性的な人々」から欠点があると見なされたのは、そこから由来したことで、彼があまりにも多く愛したからです。しかし、この過度の愛とは何だったのでしょうか。

それは私たちがすでに前に示したように、人間の上に溢れ、時として物事にまで及ぶ一つの明るい親切でした。司教は何も侮蔑しなかった。彼は神が創造したすべてのものに対して慈悲深かった。人は皆、最善の人であっても、動物に対して無思慮な残酷さを心の中に秘めています。その残酷さは多くの牧師に固有のものですが、ディーニュの司教はそれを全く持っていませんでした。

もちろん、バラモン教の僧侶ほど極端ではありませんでしたが、「動物の魂はどこへ行くのか」という伝道書の言葉を、彼は深く考えたのだと思われます。その外見の醜さも、その本能の不完全さも、彼を困らせず、彼を怒らせませんでした。彼はそれに感動し、ほとんど心を和らげました。彼は深く考えながら、その醜さの原因や説明や弁明を表面の生命の向こう側で探し求めるようでした。時として、彼は変化を神に求めるようでした。

彼は怒りの念もなく、古文書を解読する言語学者のような目で、自然の中にまだ存在する多くの混沌としたものを観察しました。その夢想は時として彼の口から不思議な言葉を発せさせるのでした。ある朝、彼は庭に出ていました。彼は一人だと思っていましたが、自分の後ろに妹が歩いているのに気づきませんでした。突然、彼は歩みを止めて、地上に何かを見つめました。

それは毛深く真っ黒な恐ろしい大きな蜘蛛でした。妹は彼がこう言うのを聞きました。「かわいそうなものだ! それも彼自身の罪ではない。」  

その慈愛深さは、ほとんど神のようなその愛らしさをどうして記録しないでおくことができるでしょうか。それは子供らしいと言ってもいいでしょう。しかし、その崇高な子供らしさは、アッシシの聖フランチェスコマルクス・アウレリウスなどのそれと同じものでした。ある日、彼は一匹の蟻を踏まないように避けたために足をくじいたこともありました。

そんな風にしてこの正しい人は生活していました。時として彼は庭で眠ることもありましたが、その時の彼の姿ほど尊いものはありませんでした。

彼の青年時代や壮年時代について伝えられるところによれば、ビヤンヴニュ閣下はかつては情熱的で、おそらくは激しい人だったと思われます。そして今の広い穏やかな性格は、天性によるものというよりはむしろ、彼の心の中に長い生涯を通じて沈殿し、思考を通じて静かに彼の心の中に落ち着いた、大きな確信の結果でした。何と言っても、岩石におけるように人の性格においても、水の滴が穴を開けることがあります。そのくぼみは消すことができず、その形成は破壊することができません。

すでに前に述べたことと思いますが、1815年に彼は75歳になっていましたが、60歳以上には見えませんでした。彼は背が高くはありませんでした。少し肥満気味で、それを軽減するために好んで長い散歩をしました。しっかりとした足取りで、ほとんど腰が曲がっていませんでした。

しかし、そんな些細なことから私たちは何か結論を引き出そうとはしません。グレゴリウス16世は80歳になってもまだ身をまっすぐに保ち、微笑を浮かべていましたが、それでも彼は悪い司教でした。ビヤンヴニュ閣下は「立派な人」と市民たちに言われる風貌をしていましたが、それはとても愛らしいもので、美しいということを忘れさせるほどでした。

彼の優雅な風貌の一つで、私たちが既に述べたところの、あの子供らしい元気さをもって彼が話をするとき、人は彼のそばにいてとても気楽な気持ちを覚え、まるで彼の全身から喜びが湧き出てくるかのようでした。

彼の生き生きとした赤みを帯びた顔色や、笑うたびにほのかに見えるまだ揃っている真っ白な歯などは、彼に打ち解けた気軽な風格を与えていて、若い人についてなら「いい子だ」と言いたく、老人についてなら「好々爺だ」と言いたい気持ちを起こさせるほどのものでした。


彼がナポレオンに与えた印象は、人々が想像できるようなものでした。初めて彼を見る人々にとって、彼は実際にはただの親切なおじいさんに過ぎませんでした。しかし、彼のそばに数時間滞在し、彼が深く考え込む様子を少しでも見ると、その親切なおじいさんは徐々に姿を変え、何か人々を圧倒するような存在になっていきました。

彼の広い真摯な額は、すでに白髪のために厳かであり、また瞑想によっても厳かさを増していました。その優しさの中には威厳が見え隠れし、それでもなお優しさは光を放っていました。微笑む天使が静かにその翼を広げながら、微笑みを絶やさない姿を見るような、一種の感動を人々は感じました。

尊敬の念、言葉に表せない尊敬の念が、徐々に湧き上がり、試練を経た寛大で強い一つの魂に向かって、人々は感じました。その思想はあまりにも偉大で、もはや穏やかでしかないような魂でした。

前に述べたように、祈り、宗教的な儀式、施し、苦しむ者への慰め、少量の土地の耕作、友愛、質素、歓迎、節制、信頼、研究、労働、これらが彼の日々の生活を満たしていました。そして確かに、司教の日々は、善良な思想、善良な言葉、善良な行動で満ち溢れていました。

しかし、夜に二人の女性が寝室に退いた後、眠る前の一、二時間を庭で過ごすことが、寒さや雨のために妨げられる場合、彼の一日は完全なものではありませんでした。夜空の壮大さの前で瞑想し、眠りを誘うことは、彼にとって一つの習慣となっていました。

時として深夜、まだ眠らない二人の年老いた女性は、彼が静かに庭の道を歩いている足音を聞くことがありました。彼はそこに一人で、考えに沈み、心穏やかに、跪いて祈る心地で、自分の心の明るさとエーテルの明るさを比べて見、暗闇の中で目に見える星々の輝きと目に見えない神の光輝に感動し、未知のものから降りてくる思いに心を開いていました。

そんな時、彼は夜の花が香りを送り出す時間の中で、心を投げ出し、星が輝く夜の中でランプのように輝き、万物の光を放つ中で恍惚と広がり、自分の精神の中で何が起こっているのかを自分自身が知らなかったのでしょう。彼は何かが自分の外に飛び去り、何かが自分の中に降りてくるのを感じていました。それは魂の深淵と宇宙の深淵との神秘的な交換でした。

彼は神の偉大さとその現在を思いました。永遠の未来という不思議な神秘、そして永遠の過去というさらに不思議な神秘を。彼の目の前には、あらゆる方向に広がる無限のものがありました。そして彼は、その不可解なものを理解しようと努力せず、ただそれを見つめました。彼は神を研究しませんでした。彼はただそれに魅了されました。

彼は原子の驚くべき結合を考察しました。物質に様々な形を与え、その形を定めながら力を発揮し、統一の中で個性を作り、広がりの中で比率を作り、無限の中で無数を作り、そして光によって美を生み出すその結合を。それは絶えず結ばれてはまた解け、そこから生と死が生じます。

彼は壊れかけたぶどう棚にもたれかかってある木のベンチに座り、庭の果樹の細やかな枝影を透かして星を眺めました。貧しい木立ちに囲まれたそのわずかな土地は、彼にとっては尊く、十分なものでした。

この老人は、わずかな時間を、昼は園芸に、夜は瞑想に使っていました。それ以上何が必要だったでしょうか。空を天井とするその狭い敷地は、神を、あるいはその最も美しい創造において、あるいはその最も荘厳な創造において、礼拝するには十分ではなかったでしょうか。

実際、そこにはすべてがあり、それ以外に何を望むべきでしょう。歩くためには小さな庭があり、夢想するためには無限の空があります。足元には耕作や収集ができるもの、頭上には研究や瞑想ができるもの、地上には数本の花と、空には無数の星があります。


14.彼の思想

最後に一言述べます。  今まで述べたような細かいことは、特に現在の状況や現代の流行語を使えば、ディーニュの司教が「汎神論者」のような印象を与えるかもしれません。そして、彼を非難するか、あるいは賞賛するかはともかく、孤独な人の心の中にしだいに芽生え、成長し、最終的には宗教の地位を奪うほどの現代特有の個人的哲学が、彼の中に存在していたと思わせるかもしれません。

しかし、ビヤンヴニュ閣下を実際に知っていた人たちは、誰一人としてそのような考え方をしていたとは思っていません。彼が輝いていたのは、その心でした。彼の知恵は、その心から来る光によって得られたものでした。  体系的な思想はなく、行動は豊かでした。深遠な推論は混乱を招くものです。司教が神秘的な考察に頭を突っ込む兆候は何もありません。

使徒は大胆であるべきですが、司教は慎重でなければなりません。彼はおそらく、恐ろしい偉大な精神のために留保されているある種の問題に深く入り込んで探求することを避けたでしょう。謎の扉の下には、侵すべからざる恐怖が存在します。その暗い入り口は開かれていますが、人生の旅人であるあなたたちには、「入ってはいけない」と何かが囁いています。

そこに足を踏み入れる者は、不幸なことになるでしょう! 抽象的な深淵や純粋な思考の中で、天才たちは自分の観念を神に訴えます。彼らの祈りは、大胆な議論の提出であり、彼らの礼拝は質問です。それを試みる人にとって、それは多くの苦しみと責任を伴う直接的な宗教です。

人の瞑想には限界がありません。それは自己の危険を冒して自分の驚きを分析し、探求することです。ある種の荘厳な反動によって、自然は驚きを引き起こすとも言えます。私たちを取り囲む神秘的な世界は、その受け取ったものを返し、観察者は被観察者になるかもしれません。

それはともかく、地上にはある種の人々がいます。それは果たして人間でしょうか?彼らは夢想の地平線の奥の絶対的な境界を明確に認識し、無限の山の恐ろしい幻影を見ます。しかし、ビヤンヴニュ閣下はそういう人々の一人ではありませんでした。彼は天才ではありませんでした。

彼はその高遠な境地を恐れました。ある人々、そしてスウェデンボルグやパスカルのような偉大な人々さえも、その境地から転落して正気を失いました。確かに、そのような強力な夢想は精神的な効果を持ち、その険しい道を通じて人は理想的な完全さに近づきます。

しかし、司教は簡単な道を選びました、つまり福音の道を。 彼は自分の法衣にエリアの外套の折り目をつけることはありませんでした。(訳者注 旧約エリアの故事、――彼はエリアの衣鉢を継ごうとはしませんでした)。彼は事変の暗黒な大波の上に未来の光明を投げかけることはありませんでした。彼は物事の輝きを集めて火花を生み出すことを試みませんでした。彼は予言者の趣味も魔術師の趣味も持っていませんでした。彼の純粋な魂はただ愛しました、それがすべてでした。

もし彼がその祈りを超人的な願望まで高めていったと言うのであれば、それはおそらく事実だろう。しかし、人は愛しすぎることはないのと同じように、祈りすぎることもない。もし経典以上の祈りをすることが異端だとするならば、聖テレサや聖ヒエロニムスのような人々も異端者になるだろう。

彼は悲しんでいる人々や罪を悔いている人々に向かって身を傾けた。世界は彼にとって一つの巨大な病のように思えた。彼はどこでも病気を感じ、どこでも苦痛の声を聞いた。そして彼はその謎を解こうとせず、傷を包帯で覆うことにした。

全ての恐ろしい光景は、彼の中の優しい感情をさらに深めた。彼は自分自身のために最良の慰めの方法を見つけ、それを他人に勧めることにだけ、彼は意識を向けた。存在する全てのものは、この稀有な善良な牧師にとって、常に悲しみに沈んでいるが、慰めを求めていた。

世界には金を掘り出すために働いている人々がいる。司教は慈悲を引き出すために働いていた。全世界の悲惨さは彼の採掘地だった。どこでも苦しみがあることは、常に親切を施す機会を与えてくれた。

「あなたたちは互いに愛し合いなさい。」彼はその言葉を完全なものとし、それ以上何も求めなかった。そこに彼の教義の全てがあった。ある日、「哲学者」と自称するあの上院議員が司教に言った。

「しかし、まず世界の現状を見てみなさい。全てのものが互いに戦っています。最も強い者が最も知識を持っています。あなたの『あなたたちは互いに愛し合いなさい』は愚かなことです。」ビヤンヴニュ閣下は議論せず、ただ答えた。

たとえそれが愚かであるとしても、魂は貝殻の中の真珠のように、自分自身を閉じ込めておかなければならない、と彼は言ったでしょう。そして彼はそこに閉じ込められ、その中で生き、それに完全に満足していました。YouTube  

そして他のすべてを脇に置いてしまいました。人々を引きつけ、また恐れさせる不思議な問題、抽象的な深淵の計り知れなさ、形而上学の絶壁、使徒にとっては神が中心で、無神論者にとっては虚無が中心であるような、あらゆる深遠な理論、つまり、運命、善と悪、存在者同士の闘争、人間の良心、動物の専心的な夢遊病、死による変形、墓の中での生存の反復、永続する自我に対する不可解な遺産の愛情、本質、実体、無と有、魂、自然、自由、必然など、人類の偉大な精神が見つめるあの陰惨な難問、ルクレチウスやマヌーや聖パウロやダンテが無限を見つめて星を生み出すほどの燃え立つ目で観察した恐ろしい深淵、それらすべてを彼は脇に置いてしまいました。

ビヤンヴニュ閣下はただ一人の人間にすぎませんでした。神秘的な問題は、彼が外部から見るだけで、それを探求することなく、それをかき混ぜることなく、それを自分の精神を悩ますものとして持つことなく、しかも神秘の闇に対する深い尊敬を魂の中に持っている、ただ一人の人間にすぎませんでした。

 

第一部   ファンティーヌ  第二編   墜落


1.終日歩き通した日の夜

1815年10月の初め、日が沈む約一時間前、徒歩で旅をしている一人の男が、ディーニュの小さな街に入ってきました。ちょうど人々があまりいない時間だったのですが、それでも何人かはそこにいて、不安な気持ちを抱きながらその旅人を見つめていました。これほどみすぼらしい風貌の旅人はめったに見られなかったでしょう。

彼は中背で、幅広い頑丈な体格の元気な男で、46歳か47歳、あるいは48歳くらいでしょう。皮のつば広帽子が、日焼けと風にさらされて汗を流している顔の一部を隠していました。黄色っぽい粗朴な布のシャツは、首のところで銀の小さな留め金で止められているだけで、その隙間から毛深い胸が見えていました。ネクタイはほつれて紐のようになっています。

青い綾織りのズボンは傷んですり切れ、片膝は白くなり、もう片方の膝には穴が開いています。ぼろぼろの灰色の上着には、撚り糸で縫われた青ラシャの補綴が一方の肘のところに当たっています。

背中にはいっぱい物が入った、しっかりと締められた、まだ新しい背嚢を背負い、手には節のあるとても大きな杖を持ち、足には靴下も履かずに鉄釘を打った短靴を履き、頭は短く刈り込み、髭を長く伸ばしています。汗や暑さ、徒歩の旅、ほこりが、彼の荒れ果てた姿に、さらなる不潔な印象を与えていました。頭髪は短かったが、逆立っていました。もうしばらく刈られていないようで、少し伸び始めていました。

誰も彼を知っている者はいませんでした。明らかにただの通りすがりの男に過ぎませんでした。どこから来たのでしょうか。南方から、おそらく海辺から来たのでしょう。というのは、彼がディーニュに入ってきたのは、7ヶ月前にナポレオンがカーヌからパリへ行く時に通ったのと同じ道からだったからです。この男は一日中歩き続けていたに違いありません。とても疲れているように見えました。市場の近くの女性たちが見たところによると、彼はガッサンディ大通りの並木の下で立ち止まり、端にある泉の水を喉の渇きを癒すために飲みました。

とても喉が渇いていたに違いありません。彼の後を追っていた子供たちは、彼がそれからまた200歩ほど歩いて、市場の泉のところで立ち止まって水を飲むのを見ました。彼はポアンシュヴェル通りの角まで行き、左に曲がって、市役所へ向かいました。彼は市役所に入り、それから約15分後に再び出てきました。門のそばの石のベンチに憲兵が一人腰掛けていました。それは、ドルーオー将軍が3月4日に、驚愕したディーニュの市民の群衆に向かって、ジュアン湾の宣言を読み聞かせたために上った石でした。旅人は帽子を脱いで、丁寧にその憲兵に礼をしました。

憲兵は彼に礼もせず、彼を注意深く見つめ、しばらく彼の後ろを見送った後、市役所の中に入りました。当時、ディーニュの街には「クロア・ド・コルバ」という看板の立派な宿屋がありました。その主人はジャカン・ラバールといい、かつて教導兵であり、グルノーブルに「トロア・ドーファン」の看板の宿屋を持っている、他のラバールという人物の親戚だと言われていたため、街ではかなり尊敬されていました。皇帝が上陸した際には、この「トロア・ドーファン」の宿屋について多くの噂がその地方に広まりました。

ベルトラン将軍が馬車屋に変装して一ヶ月に何度もそこに旅をし、兵士たちに「クロア・ドンヌール」勲章を授与し、市民たちに多くの金貨を与えたというような噂が立てられていました。しかし、事実はこうでした。グルノーブルに入った時、皇帝は知事の邸宅に行くのを断り、「私は知り合いの男の家に行くのだ」と言って、「トロア・ドーファン」の宿屋に行きました。その「トロア・ドーファン」のラバールの名誉は、25マイル離れた「クロア・ド・コルバ」のラバールにまで反映されていました。街では彼のことをグルノーブルの男の従弟だと言っていました。

旅人はこの地方で最上級のその宿屋の方へ向かいました。そしてすぐに街路に開かれている料理場に入りました。竈は全て火が燃えており、炉には元気よく炎が立っていました。主人は同時に料理人でもあり、竈や鍋を見回り、馭者たちのために美味しい食事を作る監督をして、非常に忙しそうでした。

馭者たちが隣の部屋で大声で笑い、楽しんでいるのも聞こえていました。旅をしたことのある人なら誰でも知っている通り、馭者たちほど豪華な食事をする者はいません。

肥ったモルモットは白鷓鴣や松鶏と並んで、長い串に刺されて火の前で回されており、竈の上には、ローゼ湖の二匹の大きな鯉とアロズ湖の一匹の鱒が焼かれていました。主人は、ドアが開いて新しく誰かが入ってきた音を聞いて、竈から目を離さずに言いました。


「何のご用ですか。」

「食事と宿泊です。」と男性は答えた。

「問題ありません。」と宿主は言った。その時、彼は振り向いて旅人をじっと見つめ、付け加えて言った。「ただし、お金を払っていただく必要があります。」

男性はポケットから大きな皮製の財布を取り出し、答えた。「お金は持っています。」

「それならば、了解しました。」と宿主は言った。

男性は財布をポケットに戻し、背嚢を下ろし、それをドアの近くに置いた。手には杖を持ったまま、火のそばの低い椅子に座った。ディーニュは山間地で、10月になると夜はすでに寒い。

その間、宿主は行ったり来たりしながら、旅人を見つめていた。

「すぐに食事はできますか。」と男性は尋ねた。

「すぐにできますよ。」と宿主は答えた。

新たな客が背を向けて火に当たっている間に、しっかりした宿主のジャカン・ラバールはポケットから鉛筆を取り出し、窓の近くの小さなテーブルの上に散らばっていた古い新聞の端を引き裂いた。

彼はその余白に一、二行の文を書き、それを折り畳んで封をせずに、料理の手伝いや雑用をしている子供に渡した。宿主が耳元で一言囁くと、子供は市役所の方向に走って行った。

旅人はそれらのことには全く気づかなかった。

彼はもう一度尋ねた。「食事はすぐですか。」

「すぐにできますよ。」と宿主は答えた。

子供が戻ってきた。紙片を持っていた。宿主は返事を待っているかのように急いでそれを開いた。彼はそれを注意深く読み、頭を振りながらしばらく考え込んだ。ついに彼は一歩旅人の方へ近づいた。旅人は何かに思い悩んでいるようだった。

「あなたには、」と宿主は言った、「宿泊はできません。」

男性は半分立ち上がった。

「どうして! 私がお金を払わないと心配しているのですか。前金で払ってほしいのですか。お金は持っていると言っているではありませんか。」

「それが問題ではありません。」

「それなら、一体何が問題なのですか。」

「あなたはお金を持っている……」

「そうです。」と男性は言った。

「しかし私のところには、」と宿主は言った、「部屋がありません。」

男性は落ち着いて言った。「馬小屋でも構いません。」

「それはできません。」

「なぜですか?」

「どこも馬でいっぱいです。」

「それなら、」と男性は再び言った、「物置の隅でも構いません。一束の藁があればいい。ただし、その話は食事の後にしましょう。」

「食事を提供することはできません。」

その宣言は、抑えられてはいるが、しかし断固とした調子でなされたので、男性には重々しく響いた。彼は立ち上がった。

「ええッ! でも私はお腹が空いています。私は日の出からずっと歩いてきました。12マイルも歩いたんです。お金は払います。何か食べさせてください。」

「何もありません。」と宿主は言った。

男性は笑い出し、炉や竈の方へ向き直った。

「何もない! そしてあそこにあるのは?」

「それは予約のものです。」

「誰のために?」

「馭者たちのためです。」

「何人いるんですか。」

「12人です。」

「20人分くらいはあるじゃないですか。」

「すべて予約されていて、すべて前金で払われています。」

男性は再び座った、そして声を高めることもなく言った。

「私は宿屋にいるんです。お腹が空いています。ここから動くつもりはありません。」

そこで宿主は彼の耳元に身をかがめて、彼を驚かせるほどの調子で言った。「出て行ってください。」

その時、旅人は前かがみになって、杖の先の金具で火の中の燃え残りを押しやっていたが、急に振り返った。そして彼が何か反論しようとして口を開いた時、宿主はじっと彼を見つめて、やはり低い声で付け加えた。「これ以上文句を言う必要はありません。あなたの名前を教えてあげましょう。

あなたはジャン・ヴァルジャンです。それから、あなたがどんな人なのか教えてあげましょう。あなたが入ってきたのを見て、私は何かを感じました。私は市役所に人を送りました。そしてここに市役所からの返事があります。あなたは文字が読めますよね。」

そう言いながら彼はその見知らぬ男に、宿屋と市役所との間を往復した紙片をすっかり広げて差し出した。男はその上に一瞥を投げた。宿主はちょっと沈黙の後にまた言った。

私は誰に対しても丁寧にするのが習慣です。出て行ってください。

男は頭を下げ、下に置いていた背嚢を再び拾い上げ、そして出て行った。

彼は大通りの方へ進んだ。恥ずかしさと悲しみに沈んでいる者のように、彼は人家のすぐそばに寄り、目的もなくまっすぐに歩き続けた。一度も後ろを振り返らなかった。もし振り返ったなら、彼はクロア・ド・コルバの宿主が入り口に立っていて、宿の客人たちや通りすがりの人たちに囲まれ、声高に話しながら彼の方を指さしているのを見たであろう。

そしてまた、群衆の視線の中にある軽蔑や恐怖の色によって、彼がやってきたことがやがて街中の一事件となるだろうということを見て取ったであろう。

しかし彼はそれらのことを何も見なかった。絶望した者は自分の後ろを振り返らないものだ。悪い運命が自分の後ろについてくるのを十分に知っている。

彼はそうしてしばらく歩き続けた。ちょうど悲しみに沈んだ時に人がするように、知らない通りを無目的に歩きながら疲れも忘れてただ歩き続けた。すると突然、彼は激しく空腹を感じた。夜が迫っていた。彼は何か身を寄せる場所がないかと周囲を見回した。

立派な宿屋は彼に対して閉ざされていた。彼は粗朔な居酒屋や貧しい家を探した。

ちょうど通りの向こう側に灯火がちらついていた。鉄の支柱に吊るされた松の枝が薄暮の微白い空に浮かんでいた。彼はそこへ行ってみた。

それはシャフォー通りにある一軒の居酒屋だった。

旅人は少し立ち止まり、窓から中を覗き込みました。天井の低い部屋は、テーブルの上に置かれた小さなランプと活気ある暖炉の火で照らされていた。4、5人の人々が酒を飲んでおり、主人は暖炉の前に座っていた。自在鉤に吊るされた鉄の鍋は火にかけられていた。

その居酒屋は一種の宿屋でもあり、入るための入口は二つありました。一つは通りに面して開いており、もう一つはゴミが散らばった小さな中庭に開いていました。

旅人は通りに面した入口から入ることをためらった。彼は中庭に入り、少し足を止め、そして躊躇しながらドアをノックしました。

「誰だ、そこにいるのは?」と主人は言いました。

「夕食と宿泊をお願いしたいんです。」

「いいですよ。夕食と宿泊ならここでできます。」

彼は入ってきました。酒を飲んでいた人々は皆振り向きました。ランプが彼の顔の半分を照らし、暖炉の火が他の半分を照らしていました。彼が背嚢を下ろしている間、人々はしばらく彼をじっと見つめていました。

主人は彼に言いました。「火が燃えています。夕食は鍋で煮ていますから、こちらへ来て火に当たってください。」

彼は暖炉のそばに行って座りました。疲れ果てた両足を火の前に伸ばしました。美味しそうな匂いが鍋から立っていました。深くかぶった帽子の下から見える彼の顔には、安堵の様子と絶えざる苦しみから来る厳しい色が一緒に浮かんでいました。

それはまた、しっかりとした精悍で陰気な顔つきでした。一見すると謙虚に見えますが、じっくり見ると厳格な印象を受けます。目はまるで草むらの下に燃える火のように、眉毛の下で輝いていました。

テーブルに座っていた人々の中に一人の魚屋がいました。彼はこのシャフォー通りの居酒屋に来る前に、自分の馬をラバールの家の馬小屋に預けていました。また、偶然にもその日の午前中に、彼はその怪しい男がブラ・ダスと…(名前は忘れましたが、エスクーブロンだったと思います)との間を歩いているのに出会いました。男はすでに非常に疲れていて、彼に出会うと、馬の尻にでも乗せてくれないかと頼みました。魚屋はそれに答えずに足を速めました。

その魚屋は約30分前に、ジャカン・ラバールを取り囲んだ群衆の中にいて、そして彼自身、クロア・ド・コルバの客たちにその午前の気味悪い出会いを話して聞かせていました。そして今、彼は自分の席からこっそりと居酒屋の主人に合図をしました。主人は彼のところへ行きました。二人は低い声で少し話し合いました。その男は再び考え込んでいました。

主人は暖炉のところに戻ってきて、突然男の肩に手を置き、そして言いました。

「あなたはここから出て行ってもらいます。」

男は振り返って、穏やかに答えました。

「ああ、あなたも知っているんですね。」

「そうです。」

「私は他の一軒の宿屋からも追い出されました。」

「そしてこの宿屋からも追い出されます。」

「では、どこへ行けばいいのですか。」

「他の場所へ行ってください。」

男は杖と背嚢を取り上げて、出て行きました。

彼が出てきたとき、クロア・ド・コルバから後を追ってきた数人の子供たちが、彼に石を投げました。彼は怒って引き返し、杖で子供たちを脅かしました。子供たちは鳥が飛び立つように散ってしまいました。

男は監獄の前を通り過ぎました。門のところに、呼び鈴につけられた鉄の鎖が下がっていました。彼はその鈴を鳴らしました。

潜り戸が開きました。

「門番さん、」と彼は丁寧に帽子を脱いで言いました、「私を中に入れて今晩だけ泊めていただけませんか。」

中から答える声がしました。

「監獄は宿屋ではありません。逮捕されれば、入れてもらえますよ。」

潜り戸は再び閉じられました。

彼は庭のたくさんある小さな通りに入りました。生垣で囲まれた庭もあった通りは、とても爽やかでした。その庭や生垣の中に、彼の目に止まった小さな一軒の二階建ての家があり、窓には灯火が灯っていました。

彼は居酒屋のように、その窓から覗いてみました。それは石灰で白く塗られた大きな部屋で、型付きの更紗の布が掛けられた寝台が一つと、片隅に揺り籠が一つと、数脚の木製の椅子と、壁に掛けられた二連発銃が一つありました。

部屋の真ん中の食卓には食事が出されていました。銅のランプが粗朴な白いテーブルクロスを照らし、錫のビンは銀のように輝いて酒がいっぱい入っており、褐色のスープ鍋からは湯気が立っていました。

食卓には、快活で淡泊な顔つきをした四十歳くらいの男が座っていて、膝の上に小さな子供が跳ねていました。そのそばに若い女性がもう一人の小さな子供に乳を与えていました。父親は笑い、子供も笑い、母親は微笑んでいました。

男はこの穏やかで優しい光景の前でしばらくうっとりと立っていました。彼の心の中には、どんな思いが浮かんだのでしょうか?それを知るのは、彼だけでしょう。おそらく彼は、その楽しい家が自分を歓迎してくれるかもしれないと思ったのでしょう。そして、こんなに幸せに満ちた家からはおそらく少しの憐れみを得られるかもしれないと。

彼は軽く、窓ガラスを一つ叩きました。

家の人々にはそれが聞こえませんでした。

彼は再び叩きました。

彼は女性がこう言うのを聞きました。「あなた、誰か来たみたいよ。」

「そうじゃないよ。」と夫は答えました。

彼は三度叩きました。

夫は立ち上がって、ランプを取り、そしてドアの方へ行って開きました。

その男は半農夫、半職人のような背の高い男でした。左肩まで届く大きな皮のエプロンを身につけ、その上に帯を締め、ポケットのようになった部分には槌や赤いハンカチ、火薬入れなど様々なものを入れていました。

頭は後方に反り、広く開いた襟を折ったシャツは白く、大きな裸の首筋を露わにしていました。濃い眉毛、黒い大きな頬髭、鋭い目、下半面が突き出た顔、そしてそれらの上には言葉には表せない落ち着いた様子が漂っていました。

「ごめんください」と旅人は言いました。「お金を払いますので、スープを一杯ください。それから、あの庭の中の小屋の隅で今晩寝かせてもらえませんか?お金は払いますよ」

「あなたは何者ですか?」と主人は尋ねました。

男は答えました。「ビュイ・モアソンから来ました。一日中歩き続けて、12里歩きました。どうでしょうか、お金は払いますよ」

「私は」と農夫は言いました、「確かにお金を払ってくれる人なら泊めるのを断ることはありません。でも、なぜあなたは宿屋に行かないのですか?」

「宿屋に部屋がありません」

「何、そんなことがあるものですか。今日は市の日でもないし、バーゲンの日でもありません。ラバールの家に行ってみましたか?」

「行きました」

「それで?」

旅人は困惑した様子で答えました。「なぜか分かりませんが、泊めてくれません」


「それならシャフォー通りのあの家に行きましたか?」

男はますます困惑してきました。彼はつぶやきました。

「そこでも泊めてもらえませんか。」

農夫の顔には疑惑の表情が浮かびました。彼はその新しく来た男を頭から足の先までじっと見つめました。そして突然、身を震わせて叫びました。

「あなたは例の男ではないですよね……」

彼は男をじっと見つめ、後ろに三歩下がり、テーブルの上にランプを置き、壁から銃を取り下ろしました。

その間に、「あなたは例の男ではないですよね……」という農夫の声を聞いて、女も立ち上がり、二人の子供を両腕に抱き、急いで夫の背後に隠れ、驚いた目つきでその見知らぬ男を恐る恐る見つめながら、低く「泥棒」とつぶやきました。

それらのことは、想像もつかないほど短い時間で行われました。主人はまるで毒蛇を見るようにその男をしばらくじっと見つめていましたが、やがて戸のところへ行き、言いました。

「出て行け。」

「どうぞ」と男は言いました。「水を一杯。」

「撃つぞ!」と農夫は言いました。

それから彼は荒々しく戸を閉じました。そして大きな二つの閂の音が聞こえました。一瞬後には雨戸も閉じられ、鉄の横木の音が外まで聞こえました。

夜が徐々に訪れてきました。アルプスの颪が冷たく吹いていました。日が落ちかけた明るさの中で、見知らぬ男は通りに面した庭の中に、芝生で作られたように見える小屋を見つけました。彼は思い切って木製の柵を越えて庭に入りました。

小屋に近づいてみると、入り口は非常に低く狭く、道路工事の作業員が道端に作る仮設の建物に似ていました。彼はそれが実際に道路工事の作業員の住居だと思いました。寒さと飢えに苦しんでいました。

飢えはもう我慢していましたが、少なくともここなら寒さから逃れられると思いました。その種の住居には普通、夜は誰もいません。彼はうつ伏せになって小屋の中に入り込みました。中は暖かく、かなり良い藁の寝床が一つありました。彼はしばらくその寝床の上に横になっていました。

すっかり疲れ果てて身を動かすこともできませんでした。それから背中のリュックが邪魔になり、それが枕代わりになるので、リュックの留め金と眼鏡を外し始めました。その時、恐ろしい唸り声が聞こえました。彼は目を上げてみました。大きな番犬の頭が、小屋の入り口の暗闇の中に浮かんでいました。

それは犬小屋だったのです。

彼自身も力強く恐ろしい男でした。彼は杖を持って身構え、リュックを盾にし、うまく犬小屋から出ることができました。もちろん、そのために服の破れはさらに大きくなりました。

彼は再びその庭から外に出ました。しかし犬を近づけないために後ずさりしながら、剣術でいうところの隠れ薙ぎという方で杖を振り回さなければなりませんでした。

やっとのことで木製の柵を越えて通りに出ましたが、彼はもはやただ一人で、宿るべき場所もなく、身を隠す屋根もなく、藁の寝床と哀れな犬小屋からさえも追い出されてしまいました。彼はある石の上に、腰を下ろすというより倒れ込みました。そこを通る人がいたら、彼の叫び声を聞いたでしょう。「俺は犬にも劣るのか!」

やがて彼は再び立ち上がって歩き始めました。街から出て行きました。野原の中に何か木々や藁の山を見つけて、そこに身を隠そうと思ったのです。

彼はうなだれながらしばらく歩きました。人々の住む場所から遠く離れたところで、彼は目を上げて周囲を見回しました。彼は野原に来ていました。前方には短く刈り取られた切り株が覆う低い丘が一つあり、収穫後のその様子は刈り込まれた頭のようでした。

地平線は真っ暗になっていました。それはただ夜の闇だけでなく、低く垂れた雲のせいでもありました。雲は丘の上に立ち込めているようで、徐々に昇り、空を覆おうとしていました。しかし、月がまさに出ようとする時、そしてまだ中空に残る明るさが漂っている時、雲は高く空中に一種の淡白な円形の屋根を形成し、そこから明るさが地上に落ちていました。

そのため地上は空よりも明るく、奇妙に気味の悪い光景で、貧弱で荒涼とした丘の輪郭は暗い地平線の上に青白くぼんやりと浮かび上がっていました。すべての様子が醜く卑しい、悲しげでまた窮屈でした。野原にも丘の上にも何もなく、ただ数歩先に曲がりくねった無様な木が一本立っているだけでした。

この旅人はもとより、物事の神秘的な光景を深く感じるほどの知識や精神の微妙な習慣を全く持っていませんでした。しかし、今見るその空、その丘、その平野、その木々、それらには何か深い悲しさが含まれていたので、彼は少し立ち止まって思いにふけりましたが、突然踵を回しました。自然さえも、敵意を持つように思える瞬間があるものです。

彼は再び戻ってきました。ディーニュの市門はもう閉じられていました。ディーニュ市は、宗教戦争の時に長い間包囲された場所で、後に破壊されましたが、1815年にはまだその周囲に、四角い塔がついた古い城壁がありました。彼はその城壁の破れ目を通って再び街の中に入りました。

もうおそらく夜の八時頃だったでしょう。彼は街の様子を知らないので、再びただ闇の中を歩き始めました。

そのようにして彼は県庁の所に来て、それから神学校の所まで来ました。大会堂の広場を通る時には、彼は大会堂に向かって拳を振り上げました。


その広場の角に印刷屋がありました。エルバ島から持ち帰られ、ナポレオン自身の口述による皇帝の宣言と親衛隊に対する宣言が初めて印刷されたのは、そこでした。

全く疲れ果ててもはや何の希望もなく、彼はただ、その印刷所の門口にあった石のベンチの上に身を横たえました。

その時、一人の年老いた女性が大会堂から姿を現しました。彼女は闇の中に横たわっているその男を見つけました。「あなたはそこで何をしていますか?」と彼女は言いました。

彼は荒々しく、そして怒って答えました。「親切なお上さんだな、私はご覧の通り寝ているんですよ。」実際、彼女は親切なお上さんにふさわしい、R侯爵夫人でした。

「このベンチの上で?」と彼女は言いました。

「私は19年間、木の寝床で寝起きしていました」と男は言いました。「今日は石の寝床の上で寝るんです。」

「あなたは軍人だったのですか?」

「そうですよ、軍人です。」

「なぜ宿屋に行かないのですか?」

「お金がないからです。」

「困りましたね」と、R夫人は優しく言いました。「私は今、四スーしか持ち合わせていませんが。」

「それでいいです。それをください。」

男は四スーを受け取りました。R夫人は続けて言いました。「それだけでは宿屋には泊まれませんね。でも、あなたは宿屋に尋ねてみましたか?そんな風に一晩を過ごすことはできませんよ。きっと寒くて、お腹もすいているでしょう。慈善心から一晩泊めてくれる人もいるでしょうに。」

「どの家も尋ねてみました。」

「それで?」

「どこからも追い出されました。」

その「親切なお上さん」は男の腕をつかみ、広場の向こう側にある司教館と並んだ小さな低い家を指差しました。

「あなたは」と彼女は言いました、「どの家も尋ねてみたのですか?」

「はい。」

「あの家を尋ねましたか?」

「いいえ。」

「尋ねてみてください。」


2.知恵に対して用心の勧告

その晩、ディーニュの司教は街を散歩した後、かなり遅くまで自分の部屋に閉じこもっていましたが、彼は義務に関する大著述に取り組んでいました。この著述は残念ながら未完成のままです。司教は教父や博士たちがその重要な問題について述べたものを注意深く調査していました。

彼の著述は二部に分かれており、第一部ではすべての人の義務、第二部では各人の義務を自分が属する階級に応じて詳述しています。すべての人の義務は大きな義務で、それには四つの種類があります。使徒マタイはそれを挙げています。

神に対する義務(マタイ伝第六章)
自己に対する義務(同第五章二十九、三十節)
隣人に対する義務(同第七章十二節)
万物に対する義務(同第六章二十、二十五節)
他のさまざまな義務については、司教はそれが示され、述べられているものを見つけました。君主および臣下の義務はローマ書に、役人や妻や母や若者のそれはペテロ書に、夫や父や子供や召使いのそれはエペソ書に、信者のそれはヘブライ書に、処女のそれはコリント書にあります。司教はすべてこれらの教えからよく調和した全体を作ろうと努力し、それを人々に示そうと思っていました。

彼は8時まで仕事に取り組んでいて、膝の上に大きな書物を広げ、小さな四角の紙片に骨を押して物を書いていました。その時、マグロアールはいつも通り、寝台のそばの戸棚から銀の食器を取りに入ってきました。やがて司教は、食卓が整い、おそらく妹が自分を待っていると思い、書物を閉じ、机から立ち上がり、食堂に入ってきました。

食堂は暖炉のある長方形の部屋で、戸口は街路に開き、窓は庭に向いていました。マグロアールは果たして食卓を整えてしまっていました。用を足しながら、彼女はバティスティーヌ嬢と話をしていました。

ランプが一つテーブルの上に置かれていました。テーブルは暖炉の近くにありました。暖炉にはかなり勢いよく火が燃えていました。

この60歳を超えた二人の女性は簡単に描写できます。マグロアールは背が低く、ぽっちゃりとした活発な女性です。一方、バティスティーヌ嬢は穏やかで、細長い体型をしており、兄よりも少し背が高いです。彼女は茶色がかった絹のロングドレスを着ています。それは1806年に流行った色で、その頃パリで買ってからずっと着続けているものです。

一言で言えば、マグロアールは田舎っぽさを持ち、バティスティーヌ嬢は貴婦人の風格を持っています。マグロアールは白い帽子をかぶり、頭には家の中で唯一の女性の装飾品である金の十字架をつけています。彼女は大きな短い袖の黒いウールのロングドレスを着ており、その下から真っ白な襟巻きが覗いています。また、赤と緑のチェック柄の木綿のエプロンを青い紐で腰に結び、同じ布の胸当てを上の両端で二本のピンで留めています。足元にはマルセイユの女性のように大きな靴と黄色い靴下を履いています。

バティスティーヌ嬢のロングドレスは1806年のスタイルで、ウエストが短く、裾が細く、肩にはプリーツのある袖がついています。また、紐とボタンがついています。灰色の髪は、子供のカツラと呼ばれる縮れたカツラで隠されています。

マグロアールは賢く、活発で、善良な雰囲気を持っています。一方で、彼女の口元と下唇より大きい上唇は、少し気難しく、勝気な雰囲気を示しています。閣下が黙っている間は、彼女は尊敬と自由さを交えたはっきりとした調子で話しかけますが、閣下が一度口を開くと、前に言った通り、彼女はバティスティーヌ嬢と同様に穏やかにその言葉に従います。

バティスティーヌ嬢は自分から話すことはほとんどありません。彼女はただ彼の言葉を聞き、彼の気分を害さないように努めています。若い頃でも彼女は美人ではありませんでした。目立つ大きな青い目と長い鼻を持っていました。しかし、その全体の顔つきと全体の人柄は、初めに言った通り、言葉にできないほどの温かさを示しています。彼女はいつも穏やかであることを心掛けています。

しかし、信仰、慈悲、希望という三つの美徳は、静かに人の魂を暖め、彼女の中でもその温かさは次第に神聖な領域へと高まっていきました。自然は彼女をただの羊に作りましたが、宗教は彼女を天使にしました。ああ、可哀想な聖なる女性よ!消え去ってしまった楽しい思い出よ!

バティスティーヌ嬢はその晩、司教の家で起こったことを何度も繰り返し話していたので、その詳細を思い出すことができる人は今でもたくさんいます。

さて、司教が食堂に入ってきたとき、マグロアールは元気に話をしていました。彼女がよく老嬢に話す話題で、司教にも馴染みのあるものでした。それは入り口の扉の閉まり具合についてのことでした。

夕食のために何か買い物に行ったとき、マグロアールは周囲で話されていることを聞いてきたようです。悪い顔つきの風来坊の噂が色々と囁かれていました。怪しげな浮浪者がやってきた。街のどこかにいるに違いありません。今晩遅く家に帰ろうとする人がいれば、その男に出会って悪いことが起こるかもしれません。

その上、県知事と市長が反目して何か事件を起こそうとしているため、警察の働きも非常に悪い。だから賢い人は自分で警察の仕事をし、自分で警戒すべきです。そして、しっかりと扉を閉め、かんぬきを差し、横木を入れておかなければならない、しっかりと扉を閉ざしておかなければならない。

マグロアールはその結びの言葉に力を入れました。しかし、司教は寒さを感じていた自分の部屋から出てきて、暖炉の前に座り、暖まった後、何か他のことを考えていたため、マグロアールの言葉を特に心に留めていませんでした。

マグロアールはそれを再び繰り返しました。その時、バティスティーヌ嬢は、兄の気を悪くしないように、しかもマグロアールを満足させようと思って、おずおずと言ってみました。

「お兄さん、マグロアールが言っていることを聞かれましたか?」

「何かぼんやりと耳にしたようだが。」と司教は答えました。それから半分椅子を回して、両手を膝の上に置き、何となく楽しげな親しげな顔を老婢の方へ向けました。火が下からその顔を照らしていました。「ええ、何だい?何かあるのか?何か恐ろしい危険でもあるというのか?」

するとマグロアールは、またその話をすっかりやり直して、自分でも気づかないうちに少し誇張して話しました。一人の放浪者が、一人の非人が、ある危険な乞食が、今ちょうど街に来ているらしい。その男はジャカン・ラバールの家に泊まろうとしたが、宿屋に泊まることができなかった。

その男がガッサンディの大通りから街に入ってきて、薄暗い通りをうろついているところを、見かけた人がいる。背嚢と縄を持っている恐ろしい顔つきの男だ。

「本当かね。」と司教は言いました。

司教がそのように問いかけたことでマグロアールは力を得ました。彼女は司教が少し心配していると感じました。彼女は得意げに話し続けました。

「本当です。今晩、街で何か不幸なことが起こるかもしれません。皆がそう言っています。そして、警察の対応が不十分であるとも(彼女はうまくそのことを繰り返しました)。山間部なのに、街には夜に明かりもありません! 出かけるとします。暗闇ばかりです。それで私は言うのです、そしてまた、お嬢様まで私のように言われて……。」

「私?」と妹はそれを遮った。「私は何も言っていませんよ。お兄様のすることは全て良いのですから。」

マグロアールはその異議も聞かないように言葉を続けました。

「私たちは、この家が非常に無防備であると考えています。もし許されるなら、錠前屋のポーラン・ミューズボアのところへ行って、以前つけていたかんぬきを再び扉に取り付けてもらうように頼みましょう。かんぬきはあの家にありますので、すぐにできます。せめて今晩だけでもかんぬきをつけなければなりません。

誰でも通りがかりの人がドアノブを回して外から開けることができるような扉は、何よりも恐ろしいものではありませんか。それに旦那様はいつでも「どうぞ入ってください」と言われます。その上夜中でも、「どうぞ入ってください」という許可がなくても入れるのですから……。」

その時、誰かがかなり強く扉を叩きました。

「どうぞ入ってください。」と司教は言いました。


3.雄々しき服従

扉は開きました。それは急に大きく開き、まるで誰かが力を入れて決然と押し開いたようでした。一人の男が入ってきました。この男は私たちが既に知っている、泊まり場所を探しながら先ほどうろついていた旅人です。

彼は入ってきて一歩進み、後ろの扉を開けたまま立ち止まりました。肩に背嚢を背負い、手に杖を持ち、目には荒々しい大胆さ、疲れ、そして激しさが見えました。暖炉の火が彼を照らしていました。彼の姿は嫌悪感を抱かせるもので、まるで気味の悪い化け物のように見えました。

マグロアールは声を出す力さえもありませんでした。彼女は身震いをして茫然と立ちつくしていました。バティスティーヌ嬢は振り向いて男を見つめました。そして驚いて半ば身を起こしましたが、それから静かに暖炉の方へ頭を向けて、兄を見ました。そして彼女の顔は深い静けさと朗らかさに戻りました。

司教は穏やかな目でその男を見つめていました。彼がその新来の男に何しに来たのかを尋ねるために口を開いたとき、男は一度に両手を杖の上に置いて、老人と二人の女性を交互に見回し、そして司教が口を開くのを待たずに大声で言いました。

「お聞きください。私はジャン・ヴァルジャンという者です。私は懲役囚です。私は徒刑場で19年間過ごしました。私は4日前に釈放されて、ポンタルリエへ行くために旅に出ました。ツーロンから4日間歩いたのです。今日は12里歩きました。夕方この街に着いて宿屋に行ったのですが、追い出されました。

市役所に黄色い通行券を見せたからです。見せなければならなかったのです。もう一軒の宿屋にも行ってみましたが、出て行けと言われました。どちらでも同じです。誰も私を受け入れてくれません。監獄に行けば、門番が門を開けてくれません。犬小屋にも入りましたが、犬も人間のように私を噛みついて追い出してしまいました。

私がどういう者であるか、犬も知っていたのでしょう。私は野原に出て行って、星の下で野宿をしようと思いました。ところが星も出ていません。雨が降りそうでした。雨の降りを止めてくれる神様もいないのかと私は思いました。そして私は、扉の陰でも見つけようと思って再び街に入ってきました。

そして向こうの広場のところで石の上に寝ようとしていました。するとある親切な方があなたの家を指さして、あそこを尋ねてみなさいと言ってくれました。それで尋ねてきたのです。ここは一体何という場所ですか。あなたは宿屋の主人ですか?私はお金を持っています。それは、徒刑場で19年間働いて得た109フラン15スーです。お金は必ず払います。それが何でしょう。お金は持っているんですから。私はとても疲れています、12里歩いたのです、とてもお腹が空いています。泊めていただけますか?」

「マグロアール、」と司教は言いました。「もう一人分だけ食器の用意をしておいて。」
男は三歩進んで、食卓の上にあったランプに近づきました。そして少し混乱した様子で言いました。「いや、そんなことではないんです。理解しましたか。私は懲役囚ですよ。囚人ですよ。監獄から出てきた者ですよ。」

彼はポケットから大きな黄色い紙片を取り出して広げました。「これが私の通行券です。ご覧の通り黄色です。このために私はどこへ行っても追い出されるんです。読みませんか。私も読むことはできます。徒刑場で学んだのです。志望者のために学校があるんです。

いいですか、通行券にこう書いてあります。『ジャン・ヴァルジャン、放免囚徒、出身地……――これはどうでもいいことだ、――徒刑場に19年間いたる者なり。家宅破壊窃盗のため5年。四回脱獄を企てたるため14年。至って危険なる人物なり。』この通りです! 誰でも私を追い払うんです。

それをあなたは泊めようというんですか。ここは宿屋ですか。食事と寝床を私にくれると言うのですか。あなたのところに馬小屋でもあるのですか。」

「マグロアール、」と司教は言いました。「寝台に白い敷布を敷いておいて。」
二人の女性がどのように司教に服従しているかは、前に説明したところです。マグロアールはその命令を実行するために部屋を出て行きました。

司教は男の方へ向いた。


「さあ、あなた、座って、そして火に当たってください。すぐに食事をします。そして食事をしている間に寝床の用意もできるでしょう。」

そこで男はようやく理解したようでした。その時まで沈んでいて堅苦しかった顔の表情には、疑惑と喜び、そして茫然自失の様子が浮かび、異様な雰囲気を醸し出しました。彼は何か気違いのようにつぶやき始めました。
「あなたは宿屋の主人ですか。」と男は言った。「いいえ、」と司教は答えた。「私はこの街の司教です。」
男はふりかえって、戸口に立っていたマグロアールを見ました。そしてまた司教を見つめ、大声で言いました。「あなたが司教なのですか?」
「はい。」
「司教様、」と男は言った、「神の恵みに感謝します。」そして彼はその場にひざまずきました。

「本当ですか。私を泊めてくださるんですか? 私を追い出さないんですね! 囚人を!私のことをあなたとお呼びになる。お前とは言わないんですね!畜生、出て行けといつも言われていました。あなたも私を追い出すと思っていました。だから私はすぐに自分の素性を言ったのです。ああ、ここを私に教えてくれたあの親切な方は何と素晴らしい人だろう! 食事をする! 寝床! 布団と敷布団のある寝床! 世間の人と同じように!

もう19年間、私は寝床で寝たことがないのです! あなたは本当に私を追い出さないんですね! あなたは立派な方です! もちろん私はお金を持っています。お支払いします。

すみません、ご主人、お名前は何とおっしゃるのですか。お望み通りお金は払います。あなたは素晴らしい方です。あなたは宿屋の主人ですよね、そうではないんですか。」

「私は、」と司教は言いました、「ここに住んでいる一人の牧師です。」

「牧師!」と男は言いました。「素晴らしい牧師さん! それならあなたは私にお金を求めないんですね。神父さん、そうではないんですか、あの大きな教会の神父さんでは? ああ、そうだ、私はばかだった! 私はあなたの丸い帽子に気がつかなかったのです!」

話しながら彼は片隅に背嚢と杖を置き、通行券をポケットにしまい、腰掛けました。バティスティーヌ嬢は穏やかな目つきで彼を見つめていました。彼は続けて言いました。

「神父さん、あなたは本当に情け深い。あなたは軽蔑ということをしない。素晴らしい神父さんというものは本当にありがたいものだ。それならあなたは私にお金を払わせないんですね。」

「いいですよ。」と司教は言いました。「お金は取っておいてください。いくら持っていますか。109フランと言いましたね。」

「それと15スー。」と男は付け加えました。

「109フラン15スー。そしてそれを得るのにどれだけ時間がかかりましたか!」

「19年。」

「19年!」

司教は深くため息をつきました。

男は改めて言いました。「私はまだそのお金を全て持っています。四日間で、私は荷物を車から降ろす手伝いをしてもらった二十五スーを使い切らなかったのです。あなたが牧師さんなので、私は言いますが、刑務所にも一人の教誨師がいました。それからまたある日、私は司教を見ました。皆が閣下と呼んでいました。

それはマルセイユのマジョールの司教でした。多くの司祭の上に立つ司祭なんです。私にはうまく言えません。その方面のことは私にとっては全く縁遠いです。――あなた方には当然のことでしょうが。――その司教は刑務所の真ん中で祭壇の上でミサを唱えました。

頭の上に金でできた尖ったものをかぶっていました。真昼間の光でそれは輝いていました。私たちは三方に並んでいました。私たちの前には、大砲と点火された火縄が置かれていました。よく見えませんでした。何か話をされましたが、遠すぎて私たちのところまでは聞こえませんでした。司教というのはそういうものです。

彼が話している間に、司教は立ち上がって開け放たれた扉を閉めました。

マグロアールは戻ってきました。彼女は一人分の食器を持ってきてそれを食卓の上に置きました。

「マグロアール、」と司教は言いました、「その食器をできるだけ暖炉の近くに置いてください。」そして彼は客人に向かって振り向きました。「アルプスの夜風はとても厳しいです。あなたはきっと寒いでしょう。」

司教がその「あなた」という言葉を、優しく重みのある、非常に上品な声で言うたびに、男の顔は輝きました。囚人に対する「あなた」という言葉は、メデューズ号の難破者に対する一杯の水のようなものです。恥ずかしめられた者は他人の尊敬に飢えています。

「このランプは、」と司教は言いました、「あまり明るくないですね。」

マグロアールはその意味を理解しました。そして閣下の寝室の暖炉の上から二つの銀の燭台を取ってきて、それにしっかりと火をつけて食卓の上に置きました。

「司祭さん、」と男は言った、「あなたは良い方です。あなたは私を軽蔑しません。私を家に入れてくださいます。私のために蝋燭を灯してくださいます。私がどこから来たかや、惨めなことを隠さずにいるのに。」

司教は彼のそばに腰を掛けて、静かに彼の手に触れました。「あなたはあなたが誰であるかを私に言わなくてもよかったのです。ここは私の家ではなく、イエス・キリストの家なのです。この家の扉は入ってくる人に向かって、その名前を尋ねません。ただ心に悲しみがあるかどうかを尋ねます。あなたが苦しんでいて、飢えと渇きを感じているなら、あなたは歓迎されます。

そして私に礼を言ってはいけません。私があなたを自分の家に迎え入れたのだと言ってはいけません。誰も、安息所を求める人を除いては誰も、ここは自分の家ではありません。私は通りすがりのあなたに向かってもそれを言います。ここは私の家というよりもむしろあなたの家です。

すべてここにあるものはあなたのものです。何で私があなたの名前を知る必要がありましょう。それにまた、あなたが言わない前から私はあなたの一つの名前を知っています。」

男は驚いた目を見開きました。

「本当ですか。あなたは私が何という名前か知っていましたか。」

「そうです。」と司教は答えました。「あなたの名前は私の兄弟というのです。」

「司祭さん、」と男は叫びました、「ここに入ってきた時、私はとてもお腹が空いていました。でもあなたがとても親切なので、今ではもうどうなのかわからなくなりました。そんなことは過ぎ去ってしまったんです。」

司教は彼を見守り、そして言いました。

「あなたは大変苦しんだのですね。」

「おお! 赤い服や、足の鉄の輪や、板の寝床や、暑さ、寒さ、労働、囚人の群れ、打撃! 何でもないことで二重の鎖に縛られるのです。ちょっと一言間違えばすぐに監禁です。寝ている病人にまで鎖がつけられているんです。犬、そう、犬の方がまだ幸せです! それが十九年間! 私は今四十六歳です。そして今度は黄色い通行券! そういうわけです。」

「なるほど、」と司教は言った。「あなたは悲しみの場所から出てきました。でも聞いてください。百人の正しい人々の白衣に対してよりも、悔い改めた一人の罪人の涙にぬれた顔に対して、天にはより多くの喜びがあるでしょう。

もしあなたがその痛ましい場所から、人間に対する憎悪と憤怒の思想を持って出てきたならば、あなたは哀れな人です。しかし、もしそこから好意と穏やかさ、平和の思想を持って出てきたならば、あなたは私たちの誰よりも優れた人です。」

その間にマグロアールは夕食を整えました。水と油とパン、塩で作ったスープに、少しの豚の脂肉、一片の羊肉、無花果、新しいチーズ、そして裸麦の大きなパンを用意しました。彼女はまた、自分で司教の普通の食物に加え、モーヴの古いぶどう酒一本を用意しました。

司教の顔には急に、人を歓待する性質の人に特有な快活な表情が浮かびました。「どうか食卓に!」と彼は元気よく言いました。いつも他人と食事を共にする時のように、彼は男を自分の右に座らせました。バティスティーヌ嬢は全く穏やかに、そして自然に、彼の左の席につきました。

司教はいつものように、祝祷を捧げてから自分でスープをついだ。男はむさぼるように食べ始めました。

突然、司教は言いました。「何か食卓に足りないようだね。」

マグロアールは実際そこに必要だった三人分の食器を揃えただけでした。しかしながら、司教が誰かと食事を共にする場合には、無邪気な見栄ではあるものの、テーブルクロスの上に六組の銀の食器をすっかり置いておくのが家の習慣でした。その優しい贅沢の見栄は、貧しさをも一つの品位に昇華させているこの穏やかな厳格の家の中にあって、一種の子供らしい愛嬌でした。

マグロアールは司教の注意の意味を理解し、何も言わずに部屋を出ました。そして間もなく、司教の言った余分の三組の食器は、食卓の三人のそれぞれの前にきちんと並べられ、テーブルクロスの上に輝きました。

 

4.ポンタルリエのチーズ製造所の話

バティスティーヌ嬢がボアシュヴロン夫人に送った手紙の一部を引用して、食卓で何が起こったかをお伝えします。その手紙には、囚人と司教の会話が詳細に記述されています。

その男は誰の目も気にせず、飢えた獣のように食事を貪りました。しかし、スープの後で彼は言いました。
「ありがたい神様の司祭さん、このような食事は私にとって贅沢すぎます。でも、私と一緒に食事をさせてくれなかったあの馭者たちは、あなたよりもっと贅沢をしています。」

私にはその言葉を聞いて、少し不快に感じました。兄は答えました。
「彼らは私よりもずっと疲れているのです。」

「いえ、」と男は言いました。「彼らはもっとお金を持っています。あなたは貧乏だ。私にもそれがよくわかります。あなたはたぶん司祭でもないんでしょう。それとも司祭ではあるんですか。ああ、本当に、神様が公平であれば、あなたは確かに司祭になっているはずです。」

「神様はこの上もなく公平ですよ。」と私の兄は答えました。

しばらくして兄はまた言いました。
ジャン・ヴァルジャンさん、あなたがこれから行かれるのはポンタルリエですね。そして旅程もちゃんと定められているのです。」

私はその男が答えたのは確かにそのようにであったと覚えています。それから彼は続けて言いました。
「明日私は夜明けに出発しなければなりません。旅は辛いものです。夜は寒く、昼は暑いです。」

「あなたが行く街はいい所です。」と私の兄は言いました。「革命の時に私の家は零落して、私は最初フランシュ・コンテに逃げて、そこでしばらく働いて生活していました。私は揺るぎない意志を持っていました。仕事はたくさんあり、自由に何かを選ぶだけでした。

製紙工場、製革工場、蒸留工場、製油工場、時計工場、製鋼工場、製銅工場、その他少なくも二十余りの鉄工場があり、そのうち、ロオ、シャーティヨン、オーダンクール、ブールの四カ所にある四つは大規模なものでした……。」

私は間違いなく聞いていて、兄が挙げた地名は正確だと思います。兄は話を切り上げ、私に話を向けました。
「ねえ、あの街に親類はいなかったかね。」

私は答えました。

「ええいます。その中でも、革命前にポンタルリエの門衛長であったリュスネーさんがいます。」
「そうそう。」と兄は言いました。「しかし、一七九三年には、もう親類なんて存在しないも同然でした。ただ自分の腕だけが頼りだったのです。私は働いたのです。

ヴァルジャンさん、あなたが向かおうとしているポンタルリエには、とても素朴で楽しい仕事が一つあります。それはフリエイティエールと呼ばれるチーズ製造所です。」

その時、私の兄は男に食事をさせながら、ポンタルリエのチーズ製造所がどのようなものであるか詳しく説明しました。兄の言葉によれば大まかには次のようなものです。それには二つの種類があります。大納屋というのは金持ちに属するもので、🍚しご十頭の雌牛があり、一夏ごとに六、七千斤のチーズができます。

また組合製造所という方は貧しい人たちに属するもので、彼らは山地の農民で、共同で雌牛を飼い、その産物を分配します。彼らはグリュランと呼ばれるチーズ製造人を雇います。グリュランは日に三度組合の牛乳を受け取り、その量を競売に記録します。チーズ製造の仕事が始まるのは四月の末ごろで、チーズ製造人たちがその雌牛を山中に追いやるのは六月中旬だそうです。

男は食事をしながら元気を取り戻してきました。兄は彼にモーヴの良いワインを飲ませました。それは高価なもので、兄自身は飲まなかったものです。兄は皆さんがご存知の通り、気軽な快活な調子で、そして時々私の方へも優しく言葉を向けながら、男に右の詳細な話を聞かせました。

兄は何度もそのグリュランの面白い様子を繰り返し、それがその男のための逃げ場所であることを、直接に無遠慮に説明せずに自然に理解させようと願っているようでした。

それから、一つ心を動かされた出来事があります。その男は、前に述べた通りの人物でした。しかし、私の兄は彼が入ってきた時にキリストについて二・三のことを述べましたが、食事中やその夜中も、その男に自分が誰であるかを思い出させるようなことは一言も言わなかったのです。

少し考えれば、説教をしたり、司教の威を示して、その通りすがりの印象を深める良い機会だったと思われます。また、その不幸な男を家に招いたことで、身体だけでなく心も養い、罪を責めつつ訓戒や忠告を与え、将来の善行を勧めながら慈悲を施すのに、ちょうど良い場合だったとも思われます。

しかし、兄は彼がどこから来たのかを尋ねもせず、その経歴を尋ねもしませんでした。それも彼の経歴には罪があったからで、兄は彼にそれを思い出させるような話を一切避けていました。一度、兄はポンタルリエの山地の人々のことを話し、彼らが天に近く穏やかな仕事をしていると述べ、彼らが心が清らかだから幸せだと付け加えました。しかし、その言葉が男の心を傷つけるのではないかと恐れ、突然口をつぐんでしまいました。


色々と考えてみると、兄の心の中にあった考えが何かは私にも理解できるように思います。そのジャン・ヴァルジャンという男は自分の惨めさをはっきりと感じていたので、そのことを忘れさせ、普通の待遇をして、たとえ一時でも他の人と同じような人間であると信じさせることが、兄の考えた最良の策だったに違いありません。

実際、それこそが真の慈悲というものをよく理解した方法ではないでしょうか。説教や訓戒や皮肉などを一切せずに、その思いやりの深い態度こそが、本当に伝道的な何かを持っているのではないでしょうか。そして、人が心の痛みを持つ時には、それに触れないことが、最も良い慈悲なのではないでしょうか。

兄の内心の考えもそこにあったに違いないと私には思われます。しかし、どちらにせよ、私がここで断言できることは、たとえ兄がそういう考えを持っていたとしても、兄は私に対してさえその態度を少しも見せなかったことです。

兄は、どこまでもいつもの夜と同じように振る舞っていました。そして、牧師会長のジェデオン氏や教区のある司祭と会食する時と全く同じような態度と方法で、ジャン・ヴァルジャンと食事を共にしました。

食事の終わりに無花果を食べていた時、誰かがドアをノックしました。それはジェルボーおばさんで、子供を抱いてきました。兄は子供の額にキスをし、それからジェルボーおばさんに渡すために、私が持っていた15スーを借りました。

その間、その男は特に注意を払っていませんでした。一言も口を開かず、とても疲れているように見えました。哀れなジェルボーおばさんは立ち去りました。

兄は食後の祈りをし、それから男の方へ向いて、「きっともう寝たいんでしょう」と言いました。マグロアールは急いで食器を片付けました。

旅人を静かに眠らせるために部屋を退くべきだと私は思い、マグロアールと二人で二階の部屋へ上がりました。しかしすぐその後で、私はマグロアールに、私の部屋にあったフォレー・ノアールの鹿の皮を男の寝床に持って行ってやるように頼みました。

夜は凍えるほど寒いですが、それで少しは暖まるでしょう。ただ残念なことには、その皮はもう古くて毛がすっかりなくなっています。それは、兄がダニューブ川の水源近くのドイツのトットリンゲンにいた頃、私が食卓で使っている象牙の柄の小さなナイフと一緒に、買ってきてくれたものでした。

マグロアールはすぐに再び二階へ戻ってきました。私たちは、洗濯物を広げる部屋で神を祈り始めました。それから二人とも一言も交わさずにそれぞれ自分の部屋に退きました。


5.静穏

ビヤンヴニュ司教は妹に晩の別れを告げた後、テーブルの上の二つの銀の燭台の一つを自分の手に取り、もう一つを客に渡しました。「では、どうぞゆっくりお休みください。」男は彼の後ろに従いました。

上に述べた通り、その家の構造は、寝所のある礼拝所に行くため、またはそこから出てくるためには、司教の寝台を通らなければならないようになっていました。

彼らがその寝室を通る時、マグロアールは寝床の枕元にある戸棚に銀の食器をしまっていました。これは彼女が毎晩寝る前にする最後の仕事でした。

司教は客を礼拝所の寝所に導きました。新しく白い寝床が用意されていました。男は小卓の上に燭台を置きました。「明日の朝、出かける前に、家の牛から取れる牛乳を一杯温めて差し上げましょう」と司教は言いました。「ありがとうございます」と男は答えました。

その穏やかな言葉を発したかと思うと、彼は突如として異様な身振りを見せました。もし二人の聖なる女性がそれを見たなら、おそらく驚いて身を縮めたでしょう。その時、男がどういう感情に駆られたのかは、今も私たちにはよくわかりません。

何かを知らせようとしたのか、それとも脅そうとしたのか?彼自身にも理解できない本能的な衝動に従ったのかもしれません。とにかく彼は、突然老司教の方へ向き直り、両腕を組み、荒々しい目つきで見つめながら、しわがれた声で叫びました。

「ああなるほど! こんなふうにあなたのすぐそばに私を泊めるのですね!」彼はふと口をつぐみ、何か恐ろしいものを含んだ笑いを浮かべながら付け加えました。「よく考えてみましたか? 私が人殺しではないというようなことを誰かが言いましたか?」司教は天井の方へ目を上げて答えました。「それは神の知るところです。」

それから、祈りを捧げる人のように唇を動かしながら、司教は右手の二本の指を上げて男に祝福を祈りました。しかし、男は頭を下げませんでした。そして、後ろを振り返ることもなく、頭を回すこともなく、寝室に入りました。

寝室に人が泊まる時には、礼拝所の中に大きなカーテンが一方から他方へ張り巡らされて祭壇を隠すことになっていました。司教はそのカーテンの前を通る時に膝をついて、短い祈りを捧げました。

その後すぐに彼は庭に出ました。歩きながら、夢想にふけり、観想に沈み、夜間に神が示す、あの偉大な神秘なものに心も頭もすっかり投じてしまいました。

男の方は、完全に疲れ切っていたので、立派な白い敷物さえ何が何だかわからなかった。囚人のように鼻息で蝋燭を吹き消し、着物を着たまま寝床の上に身を投げ出して、すぐにぐっすりと眠ってしまいました。

司教が庭から自分の部屋に戻ってきた時、十二時が打ちました。

数分後、その小さな家の中は静まり返っていました。

 

6.ジャン・ヴァルジャン

真夜中ごろに、ジャン・ヴァルジャンは目を覚ましました。

ジャン・ヴァルジャンは、ブリーの貧しい農家に生まれました。幼い頃に彼は両親を失ってしまいました。成人してからファヴロール村で樹木の枝切り人となりました。母はジャンヌ・マティーユーと言い、父はジャン・ヴァルジャンと言い、あるいはたぶん語を縮めた、ボアラ・ジャン(ジャンの野郎)のあだ名としてヴラジャンとも言いました。

ジャン・ヴァルジャンは陰気ではないが、考え込んだ性質の男でした。それは情の深い性質の特徴でした。

けれども全体として少なくとも外見上、ジャン・ヴァルジャンにはかなり無精なやくざな様子がありました。彼はごく早くに両親を失いました。母は産褥熱の手当てが不十分であったために死に、父は彼と同じく枝切り職であったが木から落ちて亡くなりました。

ジャン・ヴァルジャンに残ったものは、七人の男女の子供を抱えた寡婦になっているずっと年上の姉だけでした。その姉がジャン・ヴァルジャンを育てたのは、夫のある間は若い弟の彼を自分の家に引き取って養っていました。やがて、夫は亡くなりました。七人の子供のうち一番上が八歳で、一番下は一歳でした。

ジャン・ヴァルジャンの方は二十五歳になったところでした。彼はその家の父の代わりになり、今度は自分を育ててくれた姉を養いました。それはあたかも義務のようにただ単純にそうなりましたので、どちらかといえばジャン・ヴァルジャンの方ではあまりおもしろくもなかったです。

そのようにして彼の青年時代は、骨は折れるが、金はあまりもらえない労働のうちに費やされました。彼がその地方で「美しい女友だち」などを持っているのを見かけた者はかつてなかったです。彼には恋をする時間すらありませんでした。

夕方、疲れ果てて帰ると、黙って夕飯を食べました。姉は、よく彼の食べているそばから、牛肉や豚肉の切れ端、キャベツの芯などを彼の皿から取り、自分の子供に与えていました。

彼はいつも食卓に身をかがめ、ほとんど顔をスープの中につけるようにして、長い髪を鉢のまわりにたらし、自分の目を隠しながら、何にも見ないようなふうをして姉のするままにさしておいました。

ファヴロール村には、ヴァルジャンの藁家から遠くない所に、道路の向こう側に、マリー・クロードという百姓の女がいました。ヴァルジャンの子供たちはいつも腹をすかしていて、時々母の名前を言ってはマリー・クロードの所へ牛乳を一杯借りに出かけて行って、それを生垣のうしろや小路の角で互いにつぼを奪い合いながら飲みました。

そのため、小さな子供たちはよく乳を前掛けや胸の中にこぼしてしまいました。もし彼らの母がその騙かたりを知ったら、罪人らをきびしく罰したであろうです。けれども性急でむっつりやのジャン・ヴァルジャンは、母に知らせずにマリー・クロードへ牛乳の代を払ってやりましたので、子供たちはいつも罰せられないですんだ。

彼は樹木の枝切りの時期には日に二十四スー得ることができた。それからまた、刈り入れ人や、人夫や、農場の牛飼い小僧や、耕作人などとして雇われていった。彼はできるだけのことは何でもやった。姉も彼について働いたが、七人の幼児を抱えてはどうにも仕方がなかった。

それはしだいに貧困に包まれて衰えてゆく悲惨な一群であった。そのうちある厳しい冬がやってきた。ジャンは仕事がなかった。一家にはパンがなかった。一片のパンもなかったのである、文字どおりに。それに七人の子供。

 

ある日曜の晩、ファヴロールの教会堂の広場に面したパン屋のモーベル・イザボーという男が、これから寝ようと思っているとき、格子(こうし)とガラスで締めた店先に当たって激しい物音がするのを聞きつけた。来てみると、ちょうど格子とガラスを一度にたたき破った穴から一本の手が出ているのを見つけた。

その手は一片のパンをつかんで持っていった。イザボーは急いで表に飛び出した。盗人は足に任せて逃げ出した。イザボーはその後を追いかけて取り押さえた。盗人はパンを早くも投げ捨てていたが、手には血が流れていた。その男こそ、ジャン・ヴァルジャンだったのである。

それは、一七九五年のことであった。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間家宅を破壊して窃盗を働きし廉により、」時の裁判官の前に連れて行かれた。

彼は前から小銃を一挺持っていて、誰よりも上手で、少しは密猟もやっていた。それが彼には、非常に不利な状況があった。密猟者に対しては、一般的に悪い感情を持たれている。密猟者は密輸入者とともに、きわめて盗賊に近いものである。

けれども、ついでに一言すれば、これらの人々と憎悪すべき都会の殺人者との間にはなお大なる相違がある。密猟者は森林中に住み、密輸入者は山中もしくは海上に住む。

都会は腐敗した人を作るがゆえにまた猛悪なる人を作る。山や海や森は野性の人を作る。それらは人の荒々しい側面を助長するが、それでも人間らしさを失わせることはない。

ジャン・ヴァルジャンは有罪と宣告された。法典の規定は明確であった。私たちの文明にも恐ろしい時期がある。処刑が一つの破滅を宣告する時期がそれである。社会が完全に遠ざかり、一個の精神を持つ人が再び回復できないまでに完全に棄却されるその時期は、どれほど恐ろしい時期であろうか! ジャン・ヴァルジャンは5年の懲役に処せられた。

1796年4月22日、執政官政府が500人議会に提出した革命第4年花月2日の通牒には、ブォナパルトと呼ばれる、イタリア軍総司令官によって得られたモンテノッテの勝利が、パリに伝えられた。

ちょうどその日に、多くの囚人がビセートルで鎖につながれた。ジャン・ヴァルジャンもその一人だった。今ではもう90歳に近い当時の監獄の古い看守は、中庭の北端の第4列の一端につながれていたその一人の不幸な囚人を、今日でもよく思い出すだろう。

彼も他の者たちと同じく地面に座っていた。彼は、ただ恐ろしいものであるということを除けば、自分の地位が何であるかほとんど知らなかったようだった。しかし、完全に無知な可哀想な曖昧な考えの中にも、何かしら過度に厳しいものの存在を、おそらく感じていたであろう。

頭の後ろで、鉄の首輪のネジが金槌で荒々しく打ち付けられるとき、彼は泣いた。涙で喉が詰まり、声も出なかった。ただ時々、かろうじて言うことができた。「私はファヴロールの枝切り人です。」

それからすすり泣きしながら、右手を上げて、それを7度に徐々にまた下げた。まるで高さの違う7つの頭を順次なでるようだった。彼が何かをしたこと、そしてそれも7人の小さな子供に服を着せ食事を与えるためにしたことが、その身振りによって見る人にうなずかれた。

彼はツーロン港へ送られた。首に鉄の鎖をつけられ、荷車に乗せられて、27日間の旅の後にそこに到着した。ツーロンで彼は赤い獄衣を着せられた。過去の生涯は全く消え去り、名前さえもなくなった。彼はもはやジャン・ヴァルジャンでさえもなかった。

彼は24601号であった。姉はどうなったのであろうか? 7人の子供はどうなったのであろうか? 誰がそんなことに気を使うであろうか。若い一本の木が根元から切り倒されるとき、その一つかみの葉はどうなるのであろうか。

 

ある日曜の晩、ファヴロールの教会堂の広場に面したパン屋のモーベル・イザボーという男が、これから寝ようと思っているとき、格子(こうし)とガラスで締めた店先に当たって激しい物音がするのを聞きつけた。来てみると、ちょうど格子とガラスを一度にたたき破った穴から一本の手が出ているのを見つけた。

その手は一片のパンをつかんで持っていった。イザボーは急いで表に飛び出した。盗人は足に任せて逃げ出した。イザボーはその後を追いかけて取り押さえた。盗人はパンを早くも投げ捨てていたが、手には血が流れていた。その男こそ、ジャン・ヴァルジャンだったのである。

それは、一七九五年のことであった。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間家宅を破壊して窃盗を働きし廉により、」時の裁判官の前に連れて行かれた。

彼は前から小銃を一挺持っていて、誰よりも上手で、少しは密猟もやっていた。それが彼には、非常に不利な状況があった。密猟者に対しては、一般的に悪い感情を持たれている。密猟者は密輸入者とともに、きわめて盗賊に近いものである。

けれども、ついでに一言すれば、これらの人々と憎悪すべき都会の殺人者との間にはなお大なる相違がある。密猟者は森林中に住み、密輸入者は山中もしくは海上に住む。

都会は腐敗した人を作るがゆえにまた猛悪なる人を作る。山や海や森は野性の人を作る。それらは人の荒々しい側面を助長するが、それでも人間らしさを失わせることはない。

ジャン・ヴァルジャンは有罪と宣告された。法典の規定は明確であった。私たちの文明にも恐ろしい時期がある。処刑が一つの破滅を宣告する時期がそれである。社会が完全に遠ざかり、一個の精神を持つ人が再び回復できないまでに完全に棄却されるその時期は、どれほど恐ろしい時期であろうか! ジャン・ヴァルジャンは5年の懲役に処せられた。

1796年4月22日、執政官政府が500人議会に提出した革命第4年花月2日の通牒には、ブォナパルトと呼ばれる、イタリア軍総司令官によって得られたモンテノッテの勝利が、パリに伝えられた。

ちょうどその日に、多くの囚人がビセートルで鎖につながれた。ジャン・ヴァルジャンもその一人だった。今ではもう90歳に近い当時の監獄の古い看守は、中庭の北端の第4列の一端につながれていたその一人の不幸な囚人を、今日でもよく思い出すだろう。

彼も他の者たちと同じく地面に座っていた。彼は、ただ恐ろしいものであるということを除けば、自分の地位が何であるかほとんど知らなかったようだった。しかし、完全に無知な可哀想な曖昧な考えの中にも、何かしら過度に厳しいものの存在を、おそらく感じていたであろう。

頭の後ろで、鉄の首輪のネジが金槌で荒々しく打ち付けられるとき、彼は泣いた。涙で喉が詰まり、声も出なかった。ただ時々、かろうじて言うことができた。「私はファヴロールの枝切り人です。」

それからすすり泣きしながら、右手を上げて、それを7度に徐々にまた下げた。まるで高さの違う7つの頭を順次なでるようだった。彼が何かをしたこと、そしてそれも7人の小さな子供に服を着せ食事を与えるためにしたことが、その身振りによって見る人にうなずかれた。

彼はツーロン港へ送られた。首に鉄の鎖をつけられ、荷車に乗せられて、27日間の旅の後にそこに到着した。ツーロンで彼は赤い獄衣を着せられた。過去の生涯は全く消え去り、名前さえもなくなった。彼はもはやジャン・ヴァルジャンでさえもなかった。

彼は24601号であった。姉はどうなったのであろうか? 7人の子供はどうなったのであろうか? 誰がそんなことに気を使うであろうか。若い一本の木が根元から切り倒されるとき、その一つかみの葉はどうなるのであろうか。


それはいつも変わらない現実です。それらの可哀想な人々、神の子である人々は、以来、助ける人もなく、導く人もなく、隠れる場所もなく、ただ風のままに散らばった、おそらくそれぞれが別々に。

そして徐々に、孤独な運命の人々を飲み込むあの冷たい霧の中に、人類の暗淡な進行の中に、多くの不幸な人々が次々と消え失せるあの悲惨な暗闇の中に、沈み込んでいきました。

彼らはその土地を去りました。彼らが住んでいた村の鐘楼も、彼らを忘れました。彼らがいた田畑も、彼らを忘れました。ジャン・ヴァルジャンさえも、獄裏の数年後には彼らを忘れました。かつて傷を負っていた彼の心の中には、もはや傷跡しかありませんでした。

それはただ一度のことでした。ツーロンにいた間に、彼は姉のことを聞いたことがありました。それはおそらく囚われの4年目の末頃だったでしょう。その噂がどうして彼のところまで伝わったのかはわかりません。

ただ彼らを国内で知っているある人が、姉を見かけたというのです。彼女はパリにいました。サン・スュルピスの近くの貧しい通り、ギャンドル街に住んでいました。手元には一人の子供、末の小さい男の子だけがいました。

他の6人の子供はどこにいたのでしょうか?

彼女自身もおそらくそれを知らなかったでしょう。毎朝、彼女はサボー街3番地のある印刷所に出かけ、そこで紙を折ったり製本したりして働いていました。朝の6時、冬には夜が明ける前に、そこへ行かなければなりませんでした。

印刷所と同じ建物の中に一つの学校があり、彼女は当時7歳になる自分の子供をそこに連れて行きました。彼女は6時に印刷所に入りました。学校は7時に始まるため、子供は中庭で1時間待つことになりました。

冬には外でまだ暗い夜の1時間です。印刷所では子供を中に入れませんでした。子供は邪魔になるからだそうです。朝、職人たちは、その可憐な小さな子供が眠そうに舗石の上に座り、またしばしば自分の道具袋の上に小さくなって薄暗い中で眠っているのを、通りがかりによく見かけました。

雨が降る時などは、門番のおばさんが気の毒に思って、その小屋の中に入れてくれました。そこには一つの粗末な寝床と一つの糸取り車、二つの木の椅子しかありませんでした。そして子供はその隅で、なるべく寒くないように猫のそばに身を寄せて眠りました。

7時に学校が始まって子供はそこに入って行きました。ジャン・ヴァルジャンが聞いたのはそれだけのことでした。ある日彼はその話を聞かされましたが、それはほんの一瞬の間、電光の間にすぎませんでした。愛する人たちの運命に関して、突然一つの窓が開かれましたが、またそれはすっかり閉じられてしまいました。

彼はもうその後は何も聞かなかった、永遠に。彼らの消息はもう何も彼のところに伝わらなかった。彼は再び彼らを見かけることも、彼らに出会うこともありませんでした。そしてこの悲しい物語の中にも再び彼らは出てこないでしょう。

その4年目の終わり頃に、ジャン・ヴァルジャンの脱獄の機会が訪れました。彼の仲間は、その悲惨な場所でよく行われるように彼を助けました。彼は刑務所を脱出しました。2日間、野を自由に彷徨いました、もしそれが自由と言えるならば。後を追われ、絶えず後ろを振り返り、少しの物音にも飛び上がり、すべてのものに恐怖を感じました。

煙が立ち上る屋根にも、通り過ぎる人にも、犬の吠えるにも、馬の走るにも、時計の鳴るにも、昼は物が見えるので、夜は物が見えないので、街道にも小道にも、茂みにも、また眠るにも、すべてに恐怖を感じました。


そして2日目の夕方、彼は再び捕まりました。36時間、何も食べず、一睡もしなかったのです。海事法廷はその罪によって彼を3年の延刑にしました。それで彼の刑期は8年になりました。6年目にまた脱獄の機会がありました。彼はそれを逃さなかったが、結局、逃走に成功することはできませんでした。

彼は点呼の時にいなかったのです。大砲が鳴り響きました。その夜、巡回の人々は、彼が建造中の船の竜骨の下に隠れているのを見つけました。彼は、自分を捕えに来た守衛に対して抵抗しました。脱獄と抵抗。特別法に規定されていたその事実は、5年の増刑とそのうち2年の二重鉄鎖の刑によって罰せられました。

計13年。10年目にまた機会が訪れ、そして彼はそれに乗じましたが、やはりうまくいきませんでした。しかしその新しい未遂犯のために3年。計16年。結局、13年目の終わりに彼は最後の挑戦をしましたが、4時間しか身を隠せず、再び捕まってしまいました。

その4時間のためにまた3年。計19年。1815年10月に、彼は釈放されました。彼は窓ガラスを割り、パンの一片に手を伸ばしたがために、1796年にそこに入ったのでした。

ここで少し余談を挟みたいと思います。本書の著者が刑法問題ならびに法律上の処刑判決について研究中、一片のパンの窃盗が一人の運命の破滅の出発点となった例に接するのは、これが二回目です。

クロード・グウという男も一片のパンを盗みました。ジャン・ヴァルジャンも一片のパンを盗みました。英国のある統計によれば、ロンドンで行われた窃盗のうち、5件のうち4件はその直接の原因が飢えにあることを証明しています。

ジャン・ヴァルジャンはすすり泣きしながら震えながら刑務所に入り、そしてまったく無感情になってそこから出てきました。彼は絶望を抱えてそこに入り、沈鬱を抱えて出てきました。

彼の魂の中で何が起こったのでしょうか?


7.絶望の底

さて、彼の心の中で何が起こったかを説明しましょう。

これらの事象を引き起こしたのは社会であるから、社会はそれを直視すべきです。

前述の通り、この男は無知でしたが、鈍感ではありませんでした。

自然の光は彼の中にも灯されていました。不幸はそれ自体が光を持ち、この男の精神の中にあったわずかな明るさをさらに際立たせました。鞭の下、鎖の下、牢獄の中、疲労の間、徒刑場の炎上するような太陽の下、囚人の板の寝床の上で、彼は自分の心を見つめ、考えにふけりました。

彼は、自らを法官の立場に置いてみました。

彼は、自分自身と自分の体を裁き始めました。

彼は自分が無実の罪で罰せられた無実の者だとは思いませんでした。罰せられるべき恐ろしい行為を犯したことを自分自身が認めました。もし求めて手を差し出したなら、あのパンはおそらく拒否されなかったでしょう。いずれにせよ、人々の慈悲に頼るか、自分で働いてパンを得るまで待つべきだったでしょう。

飢えている時に待てるかどうかは、確固たる理由にはなりません。まず、文字通りに飢え死にすることは非常に稀であり、次に、幸いか不幸か、人間は精神的および肉体的な苦痛を生きながら長く、そして多く耐えることができるように作られています。

だからこそ、耐え忍ぶことが必要だったのです。あの小さな可哀想な子どもたちにとっても、それが最善だったに違いありません。社会に対して荒々しく手を伸ばし、窃盗によって困窮から脱出しようと考えることは、自分にとって愚かな行為でした。いずれにせよ、汚名に入る門は困窮から脱出するための良い門ではありませんでした。要するに、自分は間違っていました。

それから、彼は再び自分自身に問いました。

この不幸な事件の中で、間違っているのは自分だけだったのでしょうか。

まず、労働者である自分に仕事がなく、勤勉な自分にパンがないことは、重大なことではなかったでしょうか。

次に、罪は犯され、自白されましたが、刑罰は重すぎて過酷ではなかったでしょうか。

犯人に過ちや欠点があったとしても、法律には刑罰のさらなる欠点があったのではないでしょうか。

秤の一方、贖罪が盛られる皿の一方に、過度の重さがなかったでしょうか。

刑罰の過重は罪を決して消さなかったのではないでしょうか。そして、状況を変え、犯罪の過失に代わって抑圧の過失を持ち、罪人を犠牲者にし、債務者を債務者に、法権を破る者に法権を与える結果になったのではないでしょうか。

脱獄の試みのために、次々と加重されたその刑罰は、最終的には弱者に対する強者の暴行となったのではないでしょうか、個人に対する社会の罪、日々新たに課される罪、19年間続いた罪、となったのではないでしょうか。


彼は自分自身に問いました。「果たして人間社会は、その不合理な無視や無慈悲な警戒を、すべての人に等しく受けさせる権利を持つのでしょうか? そして、欠乏と過重の間、仕事の欠乏と罰の過重の間で、哀れな人々を捕らえる権利を持つのでしょうか。」

もし社会が、偶然による財産の分配に最も少なく参加する人々、つまり最も寛大であるべき人々を、まさにこのように扱うとすれば、それは不法ではないでしょうか。」

これらの疑問が提出され、答えられました。彼は社会を裁き、その罪を見出しました。

彼は社会を罰するために、自分の憎しみを使いました。

彼は自分が受けた運命について、社会にその責任があるとし、将来、その責任を問うことをためらうことなく考えました。彼は自分が被った損害と、人々が彼に与えた損害との間にはバランスが欠けていると自己宣言しました。彼が受けた罰は、実際には不正ではなくとも、確かに不公平だと結論しました。

怒りは愚かで、不法なこともあります。人は不当に怒ることもあります。しかし、人は、どこか心の中に道理があるときだけに憤慨します。ジャン・ヴァルジャンは憤慨の感情を覚えました。

また、人間社会が彼に与えたものは、悪だけでした。彼はかつて社会について、社会が自分の正義と称して打撃を与えようとする者に示す、あの恐ろしい顔しか見たことがありませんでした。全ての人々は、ただ彼を非難するためだけに彼に接触しました。人々との接触は、彼にとっては全て打撃でした。

今まで、子供の頃、母の膝元にいた時や姉に育てられた時を除き、彼は親しい言葉や優しい眼差しに出会ったことがありませんでした。苦しみから苦しみへと過ぎるうちに、彼は徐々に一つの信念に辿り着き、人生は戦いであり、その戦いで自分は敗者であると思うようになりました。

彼はその憎しみを除いては他に武器を持っていませんでした。彼は刑務所でその唯一の武器を磨き、刑務所を出るときにそれを持って行くことを決心しました。

ツーロンには、囚人のためにインニョランタン派の信者たちが運営する学校がありました。不幸な囚人たちの中で意志のある者に、最も必要な事柄が教えられました。彼はその意志のある者の一人でした。

40歳でその学校に行き、読み書きと計算を学びました。彼は自分の知識を強化することは、自分の憎しみを強化することのように感じました。ある場合には、教育と明るさが、悪を助長する助けとなることがあります。

口にするのも悲しいことですが、彼は自分の不幸を作り出した社会を裁いた後、社会を作った天をも裁きました。

彼はまた、天に対しても罪があると断じました。

そして、彼の魂は苦悩と労働の19年間で、同時に上昇し、また落ちました。一方からは光が入り、他方からは暗闇が入ってきました。

前に言ったように、ジャン・ヴァルジャンはその性質が悪いわけではありませんでした。彼が刑務所に入ったときでさえ、彼はまだ善良でした。しかし、彼はそこで社会を非難し、自分自身が悪意ある者になったことを感じました。彼はそこで天を非難し、自分自身が不信者になったことを感じました。

ここで少し考える時間を必要とします。


人間の性質は、このようにして根本から完全に変化することができるでしょうか。神によって善良に創造された人間が、人によって悪化することができるでしょうか。人の魂が運命によって完全に改造され、運命の悪さのために魂も悪くなることがあるでしょうか。天井が低すぎて人の背骨が曲がるように、人の心も過重な不幸の圧力の下で形が歪み、不治の醜さと不具に陥ることがあるでしょうか。

ある本来の閃き、この世で腐敗しない、彼の世で不死の聖なる要素、善によって発展させられ、煽られ、点火され、燃え立たせられ、燦然と輝かせるもの、悪によっても決して完全に消されることのないものが、すべての人の心の中に存在しないでしょうか、そして特にジャン・ヴァルジャンの心の中にそれが存在しなかったでしょうか。

それは重大で困難な問題です。そして、この最終的な問題に対しては、すべての生理学者がおそらく否と答えたでしょう。特に、ツーロンで休息時間に彼を見たなら、躊躇することなく否と答えたでしょう。

その休息時間はジャン・ヴァルジャンにとって夢想の時間でした。彼は両腕を組んで、轆轤の柄に腰をかけ、地面に引きずらないように鎖の一端をポケットにねじ込んでいました。

憤怒をもって人間を見つめる法律によって街民に落とされ、厳格に天を見つめる文明によって呪われたその囚人は、引き締まった顔で沈黙にふけっていました。

確かに、私たちもそれを隠そうとは思いませんが、観察者である生理学者はそこに治療不可能な悲惨さを認めたでしょう。おそらく彼は法律によって作られたその患者を哀れんだでしょうが、しかし彼は治療を試みようとはしなかったでしょう。

その男の魂の中にほのかに見える洞窟から彼は目をそらしたでしょう。そして、地獄の入り口でダンテのように、彼はその男の生涯からあの一語を消したでしょう。神の指によって、まだすべての人の額に書かれているその一語、希望の語を。

私たちが今解剖を試みたこの魂の状態は、読者に私たちが伝えようとした程度だけでも、ジャン・ヴァルジャンにはっきりわかっていたでしょうか。ジャン・ヴァルジャンは自分の精神的な惨さを形成しているすべての要素を、その形成の後にはっきり認識していたでしょうか、または形成されるにつれてはっきり認識してきたでしょうか。

この荒々しい無学な男は、次々に起こったその思想を自分自身がはっきり意識していたでしょうか。その一連の思想によって彼は、すでに多くの年月の間彼の精神の内部であったその悲しむべき光景にまで、徐々に上りまた下ったのではあったが。彼は彼の中で起こったすべてのこと、彼の中で動いたすべてのものについて、はっきり自覚していたでしょうか。

それは私たちがあえて言い得ないところです。私たちが信じないところでさえあります。ジャン・ヴァルジャンの中にはあまりに多くの無知があったので、多くの不幸の後でも、彼の中には多くの空虚なものが残っていました。時として、自分が感じていることさえもはっきり自分自身で知っていなかった。彼は暗闇の中にいました。

暗闇の中で苦しんだ、暗闇の中で憎んだ。言わば自分自身の前方を憎んだのです。彼は常にその影の中で生きていました。盲人のように、また夢見る人のように手探りしながら。ただ時々、怒りの衝動が、過度の苦痛が、そして彼の魂の奥深くまでを照らす青白い急速な光が、彼自身からかまたは外からか突然に襲ってきました。

そしてその恐ろしい光の輝きで、急に彼の前にも後ろにもそしてその周囲全体に、自分の運命の呪われた絶壁と暗澹たる光景が現れてきました。

確かに、閃光はすぐに去り、夜が再び訪れました。そして彼は自分がどこにいるのか、もはや自分でもわからなくなりました。

無慈悲な刑罰は、人を愚かにするものを最も多く含み、一種の混乱した変容によって徐々に人を野獣に変えていく特徴を持っています。時には人を猛獣にさえ変えます。

ジャン・ヴァルジャンが次々に行った執拗な脱獄の計画は、人の魂に対して法律が行うその不思議な働きを証明するに十分でしょう。ジャン・ヴァルジャンは、その計画が全く無益で愚かであるとしても、機会がある限り必ずそれを繰り返したでしょう。

そして彼はその結果については少しも考えず、また既に行われた経験についても少しも考えなかったでしょう。彼は、檻が開いているのを見た狼のように、無我夢中で逃げようとしました。

本能が彼に「逃げろ!」と促しました。理性は「止まれ!」と言ったでしょう。しかし、そのような強烈な誘惑の前では、理性は影を潜めてしまいました。そこにはもはや本能しかなかったのです。

ただ獣性だけが活動していました。再び捕らえられた際に科せられた厳しい罰は、彼をますます荒れ狂わせるだけでした。

ここで言及すべき一点は、彼が強大な体力を持っていて、刑務所の中の誰も彼に及ばなかったことです。労働において、錨鎖をねじりまたは轆轤を巻くのに、彼は四人分の価値がありました。

時には莫大な重量のものを持ち上げて背中に支え、場合によっては起重機の代わりをしました。ついでに言うと、この起重機は、昔はオルグイュ(傲慢)と呼ばれ、パリの市場の近くのモントルグイュ街は、それから名前を取ったのです。

ジャン・ヴァルジャンの仲間たちは彼を「起重機のジャン」とあだ名していました。かつてツーロンの市庁のバルコニーが修繕されたとき、そのバルコニーを支えているピュゼーの有名な人像柱の一つがゆるんで倒れかかったことがありました。ちょうどそこにいたジャン・ヴァルジャンは、その人像柱を肩に支えて職人が来るまでの時間を保ちました。

彼の身軽さはまたその強さにも勝っていました。ある囚人たちは常に脱獄を夢見て、ついに体力と技術を結合して一種の立派な学問を作り出しました。それは筋肉の学問です。

不思議な力学のあらゆる方法が、永遠に蠅や鳥を羨む彼ら囚人たちによって日々適用されました。垂直の壁をよじ登り、ほとんど突起も見つけられないような場所に足場を得ることは、ジャン・ヴァルジャンにとっては何でもないことでした。

壁の一角を与えられれば、背中と両脛の緊張と、石の凹みにかけた両肘と両かかとを使って、まるで魔法を使うように四階まで上ることができました。時には刑務所の屋根までそうして上ることがありました。

彼はあまり口を開かず、笑うこともありませんでした。ただ年に一度か二度、極度の興奮を覚えるときに、悪魔の笑いの反響に似た囚人特有の沈痛な笑いを、ふともらすことがあるだけでした。見たところ彼は、何か恐ろしいものを絶えず見つめているようでした。

彼は実際に何かに心を奪われていました。

不完全な性格と圧倒された知力との病的な知覚を通して、彼は何か怪奇なものが自分の上にかぶさっているのを漠然と感じていました。

そのほの暗い青白い影の中で回りながら、首を回すたびに、そして目を上げるたびに、種々の事物や法律や偏見や人物や事実などが、その輪郭は視界を逸し恐ろしいほど重なって、互いに積み重なり、堆積し、恐ろしい断崖を形成しながら、上方、目の届かない所まで高くそびえているのを、彼は憤激の情に交じった恐怖をもって認識しました。

その集団は彼を絶えず脅かしました。そしてその巨大な三角塔こそが、私たちが呼んで文明と称するものに他ならなかったのです。

その混乱する異様な全体の中で、ここ、彼処、あるいは身の近くに、あるいは遠く、手の届かない高所に、ある群れを、強く照らし出されたある細部を、彼は認識することができました。こちらには看守とその棒があり、あちらには憲兵とその剣があり、彼方には冠を戴いた大司教があり、はるか高くには太陽のように輝く中に、帝冠を戴き眩しく輝く皇帝がいました。


その遠く輝く人々は、夜の闇を散らすどころか、むしろそれを一層痛ましく、一層暗くするように、彼には思えました。すべてのもの、法律や偏見、事実、人物、事物などは、神が文明に与えた複雑で不可思議な運動によって彼の上を行き来し、残酷さの中に隠れた言い難い静けさと、無関心の中に隠れた言い難い冷酷さをもって、彼の上を踏みつけ、彼を踏みつぶしました。

あり得るほどの不幸のどん底に陥った魂、誰ももう覗こうともしない地獄の最も深い所に落ちた不幸な人々、法律によって見捨てられた人々は、自分の頭の上に人類社会の全重量が、その外部にいる者には非常に強大で、その下にいる者には非常に恐ろしい人類社会の全重量が、押し付けられてくるのを感じるのです。

このような境遇にあって、ジャン・ヴァルジャンは考えにふけっていました。そして、彼のその夢想は、どのような性質のものだったでしょうか。

もし粟粒が挽臼の下にあって考えることができるなら、それは疑いもなくジャン・ヴァルジャンが考えていたことと同じことを考えるでしょう。

すべてのこと、幻影に満ちた現実と現実に満ちた夢幻は、ついにほとんど名状しがたい内的状態を彼に造り出しました。

時として彼は徒刑場の労働の合間に手を休め、考え始めました。以前よりもさらに深まり、同時にさらに混乱した彼の理性は、いきり立っていました。到来したすべてのことが彼には不条理に思われました。

周囲のすべてのことが、あり得ないことのように思われました。彼は自分で言いました。「これは夢だ」と。彼は数歩向こうに立っている看守を見ました。看守は彼には幻影のように見えました。そして突然、その幻影は彼に棒の一撃を加えました。

目に見える自然も、彼にとってはほとんど存在していませんでした。太陽も、夏の美しい日々も、輝く空も、4月の爽やかな黎明も、ジャン・ヴァルジャンのためにはほとんど存在しなかったと言っても過言ではないでしょう。風や窓からのほのかな明るさが、いつも彼の魂を輝かせていました。

最後に、私たちが今まで指摘してきたすべてのことについて、確かな結論を言い換える限りのものをまとめて言うために、私たちは、ただこれだけを述べるにとどめましょう。すなわち、ファヴロールの正直な枝切り人であり、ツーロンの恐ろしい囚人であるジャン・ヴァルジャンは、19年間にわたり、徒刑場の加工を受けた結果、二種類の悪事を行うことができるようになりました。

第一には、自分が受けた悪に対する一種の報復として、急速で無思慮な忘我的な全く本能的な悪行であり、第二には、このような不幸が与える誤った思想を持ち、心の中で討議し熟考した重大で真剣な悪行です。

彼の行為前の考えは次々に三段階を経ました。それは、ある種の素質を持つ者だけが経験する三段階であり、理屈と意欲と執拗さです。彼の行為の動力としては、絶えざる憤激、内心の憂鬱、自分が受けた不公平についての深い感情、そして反動、もしあれば、善なるもの、無垢なるもの、正しいものに対する反動などがありました。

彼のあらゆる思想の発端は、その帰結と同じく、人間の法律に対する憎悪でした。その憎悪の念は、その発展の途中で何か天意の出来事によって止められない場合、やがては社会に対する憎悪となり、次には人類に対する憎悪となり、次には天地万物に対する憎悪となり、最後には、どんな者であれ、生きている者ならばそれを害しようとする、漠然としたやむことのない獣性の願望となって現れるものです。――これを見れば、通行証にジャン・ヴァルジャンを非常に危険な人物と称したのは理由がないわけではありません。

年々彼の魂は、徐々にしかし決定的に乾燥していきました。心が乾くとき、目も乾きます。徒刑場を行き来する間、19年間、彼は実に一滴の涙も流しませんでした。

 

8.海洋と闇やみ夜

海中に一人の男がいます!
それが何なのでしょう!船は止まることをしません。風は荒れ狂います。暗い船は進むべき道を持ち、航行を続けます。船は通り過ぎていきます。

男の姿は消え、次にまた現れます。彼は波間に沈み、また水面に上がります。彼は必死に助けを求め、腕を差し出します。しかし誰もその声を聞きません。船は暴風雨の下で揺れながら、自分の運転に集中し、船員と乗客の目にはもはや溺れる男の姿は見えません。彼の哀れな頭は、広大な波間にあってただの一点にすぎません。

彼は深海の中で絶望の叫びを投げます。去りゆく船の帆はどんな幻でしょう!彼はそれを見つめ、狂乱したように凝視します。帆は遠ざかり、ぼんやりとなり、徐々に小さくなります。彼は先刻までその船にいたのです。

彼は船員の一員でした。他の者とともに甲板を行き来し、空気と日光とを共有し、生きている一人の者でした。しかし今、何が起こったのでしょう。彼はただ足を滑らせ、落下した。それで全てが終わったのです。

彼は大海の中にいます。足元には逆巻く水だけです。風に砕け散る波は不気味に彼を取り巻き、深海のうねりは彼を運び去り、あらゆる水しぶきは彼の頭の周りでざわめき、無数の波は彼の上に打ちつけ、乱れる水の間に彼は半ば沈みます。下に沈むたびに、彼は暗黒の深淵が広がるのを見つめます。

恐ろしい名も知れぬ海草が彼を捕え、足に絡みつき、彼を引き寄せます。彼は自分が深淵に飲み込まれていくのを感じます。彼は水しぶきの一部となり、波に翻弄されながら、苦痛を飲み込みます。大洋は彼を溺れさせようとして、ゆっくりとまたは急に襲いかかり、その広大さは彼の苦痛をもてあそびます。それらすべての水はまるで憎悪のようです。

それでも彼は戦います。彼は身を守ろうと努め、身を支えようと努め、努力し、泳ぎます。直ちに消耗するその哀れな力をもって、彼は尽きることのないものに対して戦います。

船はどこにあるのか。ここにある。水平線のぼんやりとした闇の中にかろうじて姿が見える。

風は吹き続ける。あらゆる水しぶきが彼の上から降り注ぐ。彼は目を上げるが、見えるものはただ鉛色の雲ばかり。苦痛にもがきながら彼は、海の広大な狂暴さを目の当たりにする。彼はその狂乱によって責められる。彼は人間が聞き慣れない異様な音を聞く。まるで陸地の遥か彼方から、人間に知られていない恐ろしい外界から、伝わってくるかのようだ。

雲の高いところで鳥が舞うように、人間の苦難を超えた向こうに天使がいる。しかし、その天使たちも彼のために何をすることができるだろうか。彼らは飛び回り、歌い、そして彼は息を切らしている。

彼は二つの無限によって同時に埋葬されたように感じる。すなわち、大洋と天である。一つは墓であり、もう一つは天蓋である。

夜が訪れる。彼はすでに数時間泳いでいた。彼の力は尽きかけている。あの船、人々がいたあの遠いものは、姿を消した。彼はただ一人、恐ろしい薄暮の深淵の中にいる。彼は沈みゆき、身を固くし、身をもだえさせる。身の下には目に見えないものの怪奇な波動を感じる。彼は叫ぶ。

人はもはやいない。神はどこにいるのか。

彼は叫ぶ。「おい!おい!」彼は叫び続ける。

水平線には何もない。空には何もない。

彼は願う、大海や波、海草、岩礁に向かって。しかし、それらは耳を貸さない。彼は暴風に向かって懇願する。しかし、冷静な暴風はただ無限のものの命令に従うだけだ。

彼の周囲には、暗闇と、霧と、孤独と、強烈で無意識な騒動と、怒れる波の不定な高低がある。波の中には、恐怖と疲労。彼の下には、奈落の底。身を預ける一点もない。彼は暗闇の中で盲目的な冒険を思い描く。

底なしの寒さが彼を麻痺させる。彼の両手は痙攣し、握りしめられ、そして虚無をつかむ。風、雲、旋風、疾風、無用の星!どうすればいいのだろう。絶望した者は身を投げ出し、疲弊した者は死を選ぶ。彼は身を任せ、運ばれ、努力を放棄する。そして今、彼は、飲み込む痛ましい深淵の中に永遠に転がり込む。

ああ、人類社会の厳しい歩み!進行の途中で多くの人々と魂が失われる!法律が投げ捨てるすべてのものが落ちる大洋!救助の悲しい消滅!ああ、精神的な死!

海、それは社会的な冷酷な夜に刑罰を受けた者が投げられる。海、それは無限の悲惨さだ。

人の魂は、この深淵に流れ込むとき、死体となる。誰がそれを蘇らせるだろうか。

 

9.新たな被害

徒刑場から出る時が来たとき、ジャン・ヴァルジャンが「あなたは自由の身になった」という不思議な言葉を耳にしたとき、その瞬間は嘘のようで異常なものに思えました。

強い光、生きている者の真の光が、突然彼の中に入ってきました。しかし、その光はすぐに消えました。ジャン・ヴァルジャンは自由のことを考えて目がくらみました。彼は新しい生活を信じていました。しかし、すぐに彼は、黄色い通行証を持つ自由がどのようなものかを理解しました。

それに伴い、多くの不快感もありました。彼は徒刑場にいた間に積み立てた金が百七十一フランになると考えていました。日曜日と祝日の定められた休業は十九年間に約二十四フランの減少をもたらしたことを、彼が計算に入れるのを忘れたのは、ここに付け加えておかなければなりません。

しかしそれはそれとして、積立金はさまざまな引き出しによって百九フラン十五スーに減少していました。それが彼の出獄の際に渡されました。

彼はそれらのことが少しもわからなかった、そして損害を被ったと思いました。はっきり言えば、盗まれたのです。

釈放された翌日、グラスで、彼は人々が車から荷物を降ろしているのを見たオレンジの花の蒸留所の前で。彼はその手伝いをしたいと申し出ました。仕事は急ぎのものだったので、働くことが許されました。

彼はすぐに仕事に取りかかりました。彼は賢明で、頑丈かつ巧みな働きぶりを見せました。できる限り精を出しました。主人は満足そうに見えました。しかし彼が働いている間に、一人の憲兵が通りかかって彼を認め、彼に身元証明を求めました。

そこで、黄色い通行証を見せなければなりませんでした。それをした後、ジャン・ヴァルジャンは再び仕事に取り掛かりました。それより少し前に彼は、そこで働いている者の一人に向かって、その仕事で一日いくらになるかと尋ねました。

その男は三十スーだと答えました。彼は翌朝にはまた道を進まなければならなかったのでその夕方、蒸留所の主人の前に出て、金を払ってくれるように頼みました。主人は一言も口を開かず、ただ二十五スー渡しました。

彼は不足を訴えました。「あなたにはそれで十分だ」と答えられました。彼はしつこく言い張りました。主人は彼をじっと見つめて、そして言いました。「監獄に気をつけろと言われました!」

そこでまた彼は盗まれたと考えました。

社会も、国家も、彼の積立金を減らしながら、彼を大きく盗みました。今や彼を小さく盗むのは個人でした。

釈放は本当の解放ではないのです。人は徒刑場から出ますが、処刑からは出られません。

グラスで彼に起こったことは上記の通りです。ディーニュで彼がどのように扱われたかは前に述べたところです。

 

10.目を覚ました男

大会堂の大時計が午前二時を打ったとき、ジャン・ヴァルジャンは目を覚ました。彼が目を覚ましたのは、寝床があまりにも良すぎたからだ。なんと二十年近く、彼は寝床で寝ることがなかった。そして、彼は着物を脱いではいなかったが、その感覚は非常に新鮮で、眠りを妨げた。

彼はそれまで約四時間眠っていた。疲れは消えていた。彼は休息に多くの時間を費やすことには決して慣れていなかった。

彼は目を開いた。しばらく周囲の闇を見つめたが、次にまた目を閉じて再び眠ろうとした。

多くの種々な感情が一日のうちに起こったとき、頭が雑多なことで満たされているとき、人は眠ることはあっても二度と寝つくことはない。眠りは再び来るときよりも初めに来るときの方が安らかだ。ジャン・ヴァルジャンに起こったのはまさにそれだった。彼は再び眠ることができず、考え始めた。

彼はちょうど自分の頭の中に抱えている思想が混沌としているような状況にあった。彼の脳裏には、暗い雑踏のような思考が渦巻いていた。昔の思い出や近い現在の記憶などが雑然と浮かび、入り乱れて混乱し、形を失い、ばかげて広がり、それから突然姿を消して、まるで泥が乱れる水の中にでも入ってしまったかのようだった。多くの考えが彼の中に湧き上がってきたが、絶えず姿を現わして他の考えを追い払う一つのものがあった。その考え、それをここにすぐ述べておこう――彼は、マグロアールが食卓の上に置いた六組みの銀の食器と大きな一つのスプーンに目をつけたのだ。

それらの六組みの銀の食器が彼の頭から離れなかった。それは向こうにあった。数歩先だ。彼が今いる部屋に来るために隣の部屋を通ってきたとき、ちょうど年配の召使いがそれを寝台の枕元の小さな戸棚にしまっていた。彼はその戸棚をよく見ておいた。食堂から入ってきて右手の方だ。厚みのある品で、古銀の品だ。大きなスプーンと一緒にすれば、少なくも二百フランにはなりそうだ。それは彼が十九年間で得たものの二倍にも当たる。もちろん、政府が盗みさえしなければ、彼はもっと得ていたであろう。

彼の心は、多少抵抗しながらも、あれかこれかと一時間もの間迷っていた。三時が鳴った。彼は目を開き、突然半身を起こし、手を伸ばして、寝所の隅に投げ捨ててあった背嚢に触ってみた。それから両足を寝台からぶら下げて足先を床につけ、ほとんど自分でも知らないうちにそこに腰掛けてしまった。

彼はしばらく、その姿勢のままぼんやりと考え込んでいた。寝静まった家の中で、ただ一人目を覚まして闇の中にいる彼の姿は、もし見る人がいたら確かに不気味に思ったでしょう。突然、彼は身をかがめて靴を脱ぎ、それを寝台のそばの敷物の上にそっと置きました。それから再び考えに沈む姿勢に戻り、じっと動かなくなりました。

その凶悪な瞑想の中で、私たちが先に述べた考えが絶えず彼の頭に浮かび、混乱を引き起こし、一種の圧迫を加えていました。それから彼はまた、自分でも何故かわからないが、機械的に執拗な夢想を続けて、徒刑場で知ったブルヴェーという囚人のことを考えていました。その男のズボンはただ一本の木綿の編みひものズボンつりで留められているだけでした。そのズボンつりの碁盤目の縞が絶えず彼の頭に浮かんできました。

彼はその状態のまま、じっとしていました。そしてもし大時計が一つ、十五分もしくは三十分を打たなかったなら、おそらく夜明けまでそのままでいたでしょう。しかし彼にはその時計の一つの音が、「いざ!」と言うように聞こえたようでした。

彼は立ち上がり、一瞬間躊躇して、耳を澄ませました。家の中はすべて静かでした。そこで彼はほのかに見える窓の方へ、小刻みに歩いていきました。夜は真っ暗ではありませんでした。ちょうど満月で、風に追われる大きな雲の塊がその面を流れていました。そのため外は影と光が混ざり合い、時に暗く、時に明るくなり、そして家の中には薄らと明るみが満ちていました。


雲によって明滅するその薄明かりは、足元を照らすのに十分で、行き来する人影を隠すような暗い窓から落ちる青白い光にも似ていました。窓のところに来て、ジャン・ヴァルジャンはそれを調べてみました。窓には格子はなく、庭に向かっていて、その地方の風習に従い、小さな楔で閉じられているだけでした。彼はその窓を開けました。しかし激しい寒風が急に部屋の中に吹き込んだので、すぐにそれを閉じました。

彼はただ眺めるのではなく、むしろ研究するような注意深い目で庭を見ました。庭はわけなく乗り越えられるほどのかなり低い白壁で囲まれていました。庭の奥の向こうに、彼は一定の間隔を置いた樹木の梢を認めました。それによれば、壁はある大通りか、樹木が植えられた裏街と庭との境界になっているようでした。

その一瞥を与えた後、彼は決意を固めたように行動を取りました。彼は寝所へ歩み寄り、背嚢を手に取ると、それを開いて中を探り、何かを取り出して寝床の上に置きました。靴をポケットに押し込み、全体を締め直し、背嚢を肩にかけ、帽子をかぶり、そのつばを目の上に深く引き下げました。

手探りで杖を探し、それを窓の隅に置き、それから寝床のところに戻ってきて、そこに置いてあるものを決然と手に取りました。それは短い鉄の棒のようなもので、一端が猟用の槍のように尖っていました。

その鉄の一片が何のために作られたものかは、暗闇の中では見分けることができませんでした。おそらくそれはレバーだったのか、棍棒だったのかもしれません。

しかし、昼間であれば、それが坑夫用の燭台であることがよくわかったでしょう。当時、囚人たちは時々、ツーロンを囲む高い丘から岩を切り出すために使われていました。そして、彼らが坑夫用の道具を自由に使っていたのは珍しいことではありませんでした。坑夫が使う燭台は分厚い鉄でできており、下端が尖って岩の中に突き立てられるようになっています。

彼はその燭台を右手に取り、息を殺し、足音を静かにしながら、隣室の扉の方へ向かいました。それは既にわかっている通り、司教の部屋でした。その扉のところに行ってみると、彼はそれが少し開いていることを見つけました。司教はそれを閉じておかなかったのです。

 

11.彼の所業

ジャン・ヴァルジャンは耳を澄ませた。何の音もしない。彼は扉を指の先で軽く押した。入ろうとする猫のように、静かで慎重な動きで。扉は音もなく、静かに少しずつ大きく開いた。彼は一瞬待った。それから再び、今度は少しく大胆に扉を押した。扉はやはり音もなく押されるまま動いた。そしてもう彼が通れるくらいにはじゅうぶん開いた。しかし扉のそばに一つの小さなテーブルがあって、それが扉と具合悪い角度をなして入り口をふさいでいた。

ジャン・ヴァルジャンは困難を見て取った。どうあってももっと扉を大きく開かなければならなかった。彼は心を決して、前よりもいっそう力を入れて三度扉を押した。ところが今度は、肘金が油がきれていたので、突然闇の中にかすれた音がきしって長くあとを引いた。

ジャン・ヴァルジャンは身を震わした。その肘金の音は、最後の審判のラッパのように激しく大きく彼の耳に響いた。最初の瞬間には、それが奇怪に誇大されて感じられた。肘金が生き上って突然恐ろしい生命を授かり、すべての人に変を告げ眠った人々をさますために犬のようにほえていると、彼はほとんど思ったほどであった。

彼は胆きもをつぶして震えながら立ち止まり、爪立つ足の踵をおろした。動脈は両のこめかみに、鍛冶屋の槌のように激しく脈打っているのが聞こえ、胸から出る息は洞穴の風のような音を立てているように思えた。その苛立った肘金の恐ろしい響きは、地震のように全家を揺り動かさないではおかなかったろうと彼には思えた。

扉は彼に押されて、変を告げて人を呼んだ。老人はまさに起きようとしている。二人の老婦人はまさに声を立てようとしている。彼らを助けに人々がやって来るだろう。十五分とたたないうちに全街は沸き返り、憲兵は動き出すだろう。一瞬、彼はもう身の破滅だと思った。

彼はその場に立ちつくした。塑像のように固まってあえて身動きもなし得なかった。

数分が過ぎた。扉はすっかり大きく開いていた。彼はふと部屋の中を覗き込んだ。何も動いてはいなかった。彼は耳を澄ました。家の中には何も物音もなかった。さびついた肘金の音は誰の眠りも覚まさなかったのである。

その最初の危険は過ぎ去ったが、なお彼の心には恐ろしい不安があった。けれども彼はもう後には退かなかった。もはや身の破滅だと思った時でさえ、彼は退かなかったのである。彼はもうただ早くやり遂げようということしか考えなかった。彼は一歩踏み出して、部屋の中に入った。

部屋の中はまったく静まり返っていた。あちこちに雑然とした漠然とした形が認められた。それは昼間見れば、テーブルの上に散らばった紙や、開かれたままの二折本や、台の上に積み重ねられた書籍や、着物の置いてある肘掛け椅子や、祈祷台などだとわかるが、その時にはただ暗い隅やほの白い場所などを作っているだけだった。ジャン・ヴァルジャンは物にぶつからないようにしながら慎重に足を進めた。部屋の奥に、寝ている司教の静かな規則的な呼吸の音が聞こえていた。

彼は突然足を止めた。司教の寝台のそばに来ていた。自分でも思いがけないほど早くそこまで来ていたのである。

自然は時として、我々に考慮させようと欲するかのように、それとなく巧みなタイミングを図って、その効果と光景を我々の行動に絡ませるものである。約三十分ほど前から大きな雲の塊が空を覆っていた。しかしジャン・ヴァルジャンが寝台の前に立ち止まった瞬間に、その雲は心あってかのように裂けて、月の光が長い窓から射し込んで司教の青白い寝顔を突然照らした。

司教は穏やかに眠っていた。下アルプの寒夜のために床の中でもほとんど着物を着ていて、褐色の毛織りの上着は腕から手首までを包んでいた。頭は枕の上にもたせられて、まったく休息の中に投げ出されたような様子だった。多くの慈善や聖なる行いをなすその手は、牧師の指輪をはめて寝台の外に垂れていた。


その全体の顔つきは、満足と希望と至福との漠然とした表情に輝いていた。それは微笑以上の輝きを持っていた。額の上には、目に見えない光明の言い知れぬ反射があった。睡眠中の正しい人々の魂は、ある神秘なる天を見つめているものである。

その天の反映が司教の上にあった。それは同時に光に満ちた透明さでもあった。何となれば、その天は彼の内部にあったからだ。その天は、彼の本心そのものであった。月の光が、言わば司教のその内部の輝きの上にさしかかった時、眠っている彼の姿は栄光の中にあるかのように見えた。

しかし、それは言葉に表し難い薄ら明りに包まれて穏やかだった。空にあるあの月、まどろんでいるあの自然、小揺らぎもないあの庭、静まり返ったその家。その時、その瞬間、その沈黙は、この聖者の尊い休息の姿に壮厳な趣を添え、そして、その白髪、その閉じた目、すべて希望と信頼のみなるその顔、その年老いた頭と子供のような眠りを、一種のおごそかで朗らかな後光で包んでいた。

知らず知らずのうちに、尊厳なる彼の中には、ほとんど神聖なるものが感じられた。ジャン・ヴァルジャンは影の中にいた。彼は鉄の燭台を手に持ち、その輝いている老人の姿に驚いて身動きもせずに立っていた。かつて彼はそういうものを見たことがなかった。その信頼しきった様子は、彼を恐れさせた。精神の世界において、最も壮大なる光景は、まさに悪事をせんとしながらも正しき人の睡眠を見つめている、乱れた不安な人の心である。

孤独の中でのその眠り、そして彼がそばにいるというその眠りは、何かしら厳かなものを持っていた。彼はそれを漠然と、しかし強く感じた。彼の中で何が起こったのか、それは誰にも言えないだろう、そして彼自身でも。それを推測するためには、まず最も穏やかなものと最も暴れん坊なものとの対立を想像してみるべきだ。

彼の顔の上にさえ、確かに認められるものは何もなかったであろう。それは一種の野性の驚愕であった。彼はそれをじっと見ていた。それだけである。しかし彼の考えは何であったか。それを推察するのは不可能だろう。ただ明らかなのは、彼が感動し混乱していたことである。しかしその感激はいかなる性質のものであったか。

彼の目は老人から離れなかった。彼の態度とその顔つきに明らかに浮かんでいたただ一つのことは、異様な不決断であった。まるで一つは自身を破滅させ、もう一つは自身を救う二つの深淵の間で躊躇しているかのようだ。その眼前の頭脳を打ち砕くか、あるいはその手に唇をつけるか、どちらかをしようとしているようだった。

数分後、彼の左手はゆっくりと額に上げられた。彼は帽子を脱いだ。それから手は同じくゆっくりと、再び下ろされた。そしてジャン・ヴァルジャンは再びじっと見つめ始めた。帽子を左手に持ち、棒を右手に持ち、荒々しい頭の上に髪の毛を逆立てて。

司教はその恐ろしい凝視の下でも、なお深い平和の中で眠っていた。月の光の反射は、暖炉の上に十字架像の姿をぼんやりと見せていた。それは両手を広げて、一人には祝福を与え、もう一人には赦しを与えるために、その二人を抱きしめようとしているかのようだった。

突然、ジャン・ヴァルジャンは額に帽子をかぶった。それから、司教の方を見ずに寝台に沿って足を早めながら、その枕元に見えている戸棚の方へまっすぐに進んだ。彼は錠前をこじ開けようとするかのように鉄の燭台を高く掲げた。しかし、そこには鍵がついていた。彼はそれを開けた。

最初に彼の目に入ったものは、銀の食器が入っている籠だった。彼はそれを取り、もう何の用心もせず、足音にも気をつけずに大股で部屋を通り抜け、扉の所に到着し、礼拝所に入り、窓を開き、杖を取り、窓枠をまたぎ、背嚢に銀の食器をしまい、籠を投げ捨て、庭を通り抜け、虎のように壁を飛び越え、そして姿を消した。

 

12.司教の働き

次の朝、日が昇る頃、ビヤンヴニュ閣下は庭を歩いていました。マグロアールは混乱しながら彼のところへ駆けてきました。

「旦那様、旦那様、」と彼女は叫びました。「銀の器の籠はどこにあるかご存知ですか。」

「知っていますよ。」と司教は答えました。

「まあ、ありがたい!」と彼女は答えました。「私はまた、どうなったのかと思っていました。」

司教は花壇の中でその籠を拾ったところでした。彼はそれをマグロアールに差し出しました。

「ここにありますよ。」

「え?」と彼女は言いました。「中には何もないじゃないですか。銀の器は?」

「ああ、そうですね、」と司教は言いました。「あなたが心配しているのは銀の器だったのですね。それはどこにあるか私も知りません。」

「まあ、何ということでしょう! 盗まれたのです。昨晩のあの男が盗んだに違いありません。」

すぐに、元気な老婦人マグロアールは勢いよく礼拝所へ駆けて行き、寝室に入り、そしてまた司教のところへ戻ってきました。司教は身をかがめ、籠が花壇に落ちた際に折れたギーヨンのコクレアリアを、嘆息しながら眺めていました。彼はマグロアールの声に身を起こしました。

「旦那様! あの男は逃げてしまいました。銀の器は盗まれたのです。」と彼女が叫びながら、庭の隅に目を落としました。そこには壁を乗り越えた跡が見えていました。壁の屋根の梁が取れていました。

「あそこから逃げたのです。コシュフィレ街に飛び越えました。まあ、悪い奴。銀の器を盗んだのですよ。」と彼女は言いました。

司教は少し黙っていました。それから、真剣な目を上げて、穏やかにマグロアールに言いました。

「まず第一に、あの銀の食器は私たちのものだったのでしょうか。」

マグロアールは茫然としてしまいました。しばらく沈黙が続いて、それから司教は言いました。

「マグロアール、私は誤って長い間あの銀の器を私物化していました。あれは貧しい人たちのものなんです。ところであの男は何だったでしょう。明らかに一人の貧しい人だったじゃないですか。」

「まあ、なんてことを言うのですか!」とマグロアールは言いました。「それは私や嬢様のためではありません。私たちにはどうでもいいのです。でもそれは旦那様のためなのです。これから旦那様は何でお食事をなさいます?」

司教は驚いたような様子で彼女を見ました。

「ああ、そういうことなら、錫の器がありますよ。」

マグロアールは肩をすくめました。

「錫は臭いがします。」

「では鉄の器は?」

マグロアールは意味深く顔をしかめました。

「鉄には変な味がします。」

「それなら、」と司教は言いました。「木の器がいい。」

数分後、彼は前夜ジャン・ヴァルジャンが座っていたその食卓で朝食をとりました。食事をしながらビヤンヴニュ閣下は、何も言わない妹と、何かぶつぶつ不平を言っているマグロアールに、パンの切れ端を牛乳につけるためには、スプーンもフォークもいらなければ、また木で作ったそんなものもいらないということを、快活に述べました。

「まあ、何という考えでしょう!」とマグロアールは行ったり来たりしながらつぶやきました。「あんな男を家に入れるなんて! そしてそれを自分の近くに寝かせるなんて! まあ、盗まれただけで済んだのが幸運だというものです! 本当に考えてみると身震いがします!」

兄妹が食卓から立ち上がろうとしたその時、誰かが戸を叩きました。

「お入りください。」と司教は言いました。

戸が開かれました。異様な荒々しい一団が入り口に現れました。その中の三人が一人の男の首筋を掴んでいました。三人は憲兵で、一人の男はジャン・ヴァルジャンでした。

その一団を率いているらしい憲兵班長が戸の近くに立っていました。彼は入ってきて、軍隊式の敬礼をしながら司教の方へ進んできました。

「閣下……」と彼は言いました。

 

その言葉を聞いて、黙り込んで落ち込んでいたジャン・ヴァルジャンは、驚いた様子で頭を上げました。

「閣下!」と彼はつぶやきました。「ではこの人は司祭じゃないんだな……。」

「黙ってろ!」と一人の憲兵が言いました。「この方は司教閣下だよ。」

その間にビヤンヴニュ閣下は、老年にもかかわらずできるだけ早く進み出てきました。

「ああ、よく来てくれた!」と彼はジャン・ヴァルジャンを見ながら叫びました。「私はあなたに会えて嬉しい。ところで、どうしたの? 私はあなたに燭台も渡したのだが。あれもやっぱり銀で、二百フランぐらいにはなるでしょう。なぜあれも食器と一緒に持って行かなかったの?」

ジャン・ヴァルジャンは目を開いて、尊敬すべき司教を見つめました。その表情はいかなる言葉をもってしても、おそらく伝えることはできなかったでしょう。

「閣下、」と憲兵班長は言いました。「それではこの男の言ったことは本当ですか。私たちはこの男に出会いました。逃げるようにして歩いていました。つかまえて調べてみました。すると、この銀の食器類を持っていました……。」

「そうしてこう言ったのでしょう、」と司教は微笑みながらその言葉をさえぎりました。「一晩泊めてもらった年寄りの牧師からもらったのだと。よくわかっています。そしてあなたは彼をここまで連れてきたのでしょう。それは誤解でした。」

「そういうわけでしたら、」と班長は言いました。「このまま放免しますが。」

「ええ、もちろんです。」と司教は答えました。

憲兵たちはジャン・ヴァルジャンを放しました。ジャン・ヴァルジャンは後ろに下がりました。

「本当に私は許されたのでしょうか?」と彼は、ほとんど舌も回らないような声で、まるで夢の中にでもいるような様子で言いました。

「そうだ、許されたんだ。それがわからないのか。」と一人の憲兵が言いました。

「さあ、出かける前に、」と司教は言いました。「ここにあなたの燭台がある。それも持って行きなさい。」

彼は暖炉のところへ行って、銀の二つの燭台を取り、それをジャン・ヴァルジャンのところへ持ってきました。二人の女性は、何の言葉も発せず、何の身振りもせず、邪魔になるような目つきもせずに、彼のするままをじっと見ていました。

ジャン・ヴァルジャンは全身を震わせていました。彼はぼんやりした表情で、無意識のうちに二つの燭台を取りました。

「それでは、」と司教は言いました。「平和な道を進んでください。――ついでに言っておきますが、次に来る時には、庭の方から回ってこないでください。いつでも表の戸口から出入りしてください。戸口は昼夜とも鍵で閉めてあるだけですから。」

それから彼は憲兵の方へ向き直りました。

「皆さん、もうどうかお引き取りください。」

憲兵たちは立ち去りました。ジャン・ヴァルジャンは気を失いそうな様子でした。

司教は彼に近づき、低い声で言いました。

「忘れてはいけません、決して忘れてはいけません。この銀の器は正直な人間になるために使うのだと、あなたが私に約束したことを。」

何も約束した覚えのないジャン・ヴァルジャンはただ茫然としていました。司教はその言葉を発するのに強く力を込めました。彼は一種の厳かさをもって再び言いました。

ジャン・ヴァルジャンさん、あなたはもう悪のものではない、善のものです。私が贖うのはあなたの魂です。私はあなたの魂を暗黒な思想や破滅の精神から引き出し、そしてそれを神に捧げます。」

 

13.、プティー・ジェルヴェー

ジャン・ヴァルジャンは、街を逃げるように出て行った。彼は急いで野を進み、前に現れる街道や小道を無秩序に進んでいき、絶えず後戻りをしていることに気づかなかった。そうして一日中さまよい続け、何も食べず、空腹も感じなかった。彼はまったく新しい感情の囚人となっていた。一種の怒りを内に抱いていたが、誰に対してか自分でもわからなかった。感動したのか、または屈辱を感じたのか、自分にもわからなかった。

時々、異様な感傷を覚え、それと戦い、そしてそれに対抗するために、最近20年間に得た頑固な心を使った。その状態は彼を疲れさせていた。彼はまた、不正な不幸によって与えられた一種の恐ろしい落ち着きが、心の中で揺れ動くのを見て不安を覚えた。その恐ろしい落ち着きに代わろうとしているものは何か、自分で尋ねてみた。

時々、彼は憲兵に連れられて牢獄に投げ込まれた方が本当に良かったと思い、事件がこんな風にならなかった方が良かったと思った。その方が彼の心を乱すことは少なかっただろう。季節はかなり進んでいたが、まだここかしこの生垣の中には遅咲きの花が残っていて、通りすがりにその香りが、彼に幼い頃のことを思い出させた。それらの思い出は彼にとってほとんど耐え難いものだった、もう長い間そういう思い出が浮かんできたことはかつてなかったからだ。

言葉に言い表せない考えが、終日彼の中に集まってきた。太陽が傾いて沈みかける時、小石さえその影を地上に長く引く頃、ジャン・ヴァルジャンは全く荒涼とした霜枯れ色の荒野の中に、一叢の藪の後ろに座った。地平線にはアルプス連山がそびえ立っているだけだった。遠く村の鐘楼の影さえ見えなかった。ジャン・ヴァルジャンはディーニュからおそらく3里くらい来ていた。平野を横切っている一筋の小道が、藪から数歩の所に走っていた。

彼は考えに沈んでいた。その様子は、出会う人の目に彼のまとったぼろを、いっそう恐ろしく映し出させたであろう。その時、彼の耳に楽しげな響きが届いてきた。彼は首を回して、そして10歳ばかりのサヴォア生まれの少年が歌を歌いながら小道を歩いて来るのを見た。絞弦琴を脇に抱え、モルモットの箱を背負っていた。地方から地方へと渡り歩いて、ズボンの破れ目から膝頭を覗かせている、そのおとなしい快活な少年の一人だった。

歌を歌いながら、少年は時々歩みを止めて、手に持っている数枚の貨幣を手玉に取って遊んでいた。おそらくそれは彼の全財産だったろう。その貨幣の中には一つの四十スー銀貨が含まれていた。

少年はジャン・ヴァルジャンに気づかず、藪のそばに立ち止まり、一握りの貨幣を放り上げた。それまで彼は巧みにそのすべてを手の甲に受け止めていた。

しかし、この時は、四十スーの銀貨が手から滑り落ち、藪の方へ転がってジャン・ヴァルジャンのところまで来た。ジャン・ヴァルジャンはその上に足を置いた。しかし、少年はその貨幣を見つめていて、彼がそうするのを見て取った。

少年は驚くことなく、彼の方へと向かってきた。それは非常に寂しい場所だった。目の届く限り、野にも道にも誰もいなかった。非常に高く空を飛んでいく渡り鳥の一群のかすかな鳴き声だけが聞こえた。子供は背を太陽に向けていて、髪の中には金色の光が流れていた。そして、ジャン・ヴァルジャンの荒々しい顔は真っ赤な光で照らされていた。

 

「おじさん、」とサヴォア出身の少年は、無知と無邪気から生まれた子供らしい信頼感で言った。「私のお金をください。」

「お前の名前は何だ?」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。

「プティー・ジェルヴェーです。」

「去れ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。

「おじさん、」と少年は再び言った。「私のお金を返してください。」

ジャン・ヴァルジャンは頭を垂れて、答えなかった。少年は再び話し始めた。

「私のお金を、おじさん。」

ジャン・ヴァルジャンの目はじっと地面を見つめていた。

「私のお金をください!」と少年は叫んだ。「私の白いお金を、私の銀貨を!」

ジャン・ヴァルジャンはそれを全く耳に入れなかったかのようだった。少年は彼の上着の襟を掴んで、彼を揺さぶった。同時に、自分の貨幣の上に置かれている鉄の靴を動かそうとした。

「私のお金をください!四十スー銀貨を!」

少年は泣いていた。ジャン・ヴァルジャンは頭を上げた。しかし、彼はまだ座っていた。彼の目は乱れ、驚きに満ちていた。彼は杖の方へ手を伸ばし、恐ろしい声で叫んだ。

「誰だ、お前は?」

「私です、おじさん。」と少年は答えた。「プティー・ジェルヴェーです。私ですよ、私ですよ。どうか四十スー銀貨を返してください。ねえ、おじさん、足をどけてください!」

それから、少年は少し苛立ってきて、ほとんど脅かすような様子になった。

「さあ、足をどけてくれますか。足をどけて、さあ!」

「ああ、まだお前がいたのか!」とジャン・ヴァルジャンは言った。そして、やはり貨幣の上に足を置いたまま、突然立ち上がって、付け加えた。「失せろ!」

少年は驚いて彼を見つめた。そして、頭から足の先まで震え上がり、少し茫然としていた後、振り返ることもなく、声も立てずに一目散に逃げ出した。

しかし、しばらく走ると息が続かなくなり、彼は立ち止まった。そして、ジャン・ヴァルジャンは、ぼんやりと何かを考え込んでいる間にも、少年のすすり泣く声を聞いた。

やがて、少年の姿は見えなくなった。

太陽は沈んでいた。

ジャン・ヴァルジャンの周りには影が迫ってきた。彼はその日何も食べていなかった。少し熱もあったようだ。

彼は少年が逃げ出した時のまま立ちすくんでいた。胸は長い不規則な間隔で呼吸をしていた。彼の目は十一、二歩先の地面に固定され、草の中に落ちている青い陶器の古い破片の形を注意深く見ているようだった。突然、彼は身震いした。夕方の冷気を感じたのだった。

彼は再び帽子を深く額に引き下げ、機械的に手探りで上着の前を合わせボタンを留め、一歩前に出て、地面から杖を取り上げるために身をかがめた。

その時、四十スー銀貨が彼の目に止まった。足で半ば地面に押し込まれ、小石の間に光っていた。

まるで電気が走ったかのようだった。「これは何だ?」と彼は口の中で言った。彼は三歩後退した。しかし、一瞬前まで足で踏みつけていたその場所から目を離すことができず、立ち止まった。闇の中に光っているそのものを、見開いて自分を見つめている何かの目のように感じたかのようだった。

しばらくしてから、彼は痙攣的にその銀貨の方へ進み、それをつかみ、身を起こしながら遠くの平野を見渡し始めた。脅かされた野獣が隠れ場を求めるかのように、立ち尽くしながら身を震わせ、地平線の向こうを同時に見回した。

彼の目には何も入らなかった。夜の闇が落ちかけて、平原は寒く広大で、大きな紫の霞が夕暮れの中に立ち昇っていた。

彼は「ああ!」と嘆息を漏らして、ある方向へ、少年の姿が消えた方へ急いで歩き出した。百歩ほど歩いた後に、彼は立ち止まり、周りを見渡したが、何も見えなかった。

すると彼は全力で叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」

彼は口を閉じて、待った。

何の返事もなかった。

 

野は荒涼として陰鬱だった。彼は広大な空間に囲まれていた。周りにあるものはただ、見通せない闇と静寂だけだった。

凍るような北風が吹き、彼の周りのすべてに悲愴な気持ちをもたらしていた。周りの灌木は言葉にできないほどの狂暴さでその細い小枝を振り動かしていた。まるで誰かを脅かし、追いかけているかのようだった。

彼は再び歩き出し、そして走り出した。そして時々立ち止まっては、最も恐ろしいまた最も悲しげな声を絞り出して寂寞の中に叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」

もし少年がそれを聞いたとしても、必ず恐れて姿を現さなかったであろう。しかし、少年はおそらくすでに遠くへ行っているに違いない。

ジャン・ヴァルジャンは馬に乗った一人の牧師に出会った。そのそばへ行って言った。

「司祭さん、あなたは子供が一人通るのを見かけませんでしたか?」

「いいえ。」と牧師は答えた。

「プティー・ジェルヴェーという名前ですが。」

「私は誰にも会いませんでしたよ。」

彼は財布から五フランの貨幣を二つ取り出して、それを牧師に渡した。

「司祭さん、これは貧しい人たちに施してください。――司祭さん、十歳ほどの小さい子供です。たしか一匹のモルモットと絞弦琴を持っています。向こうへ行きました。サヴォアの者です。ご存知ありませんか?」

「私はその子に会いませんよ。」

「プティー・ジェルヴェーに? この辺の村の者ではありませんか? どうでしょうか。」

「あなたが言うとおりなら、それはこの辺の子供ではありません。この地方をそんな人たちが通ることはありますが、どこの者だか誰も知りませんよ。」

ジャン・ヴァルジャンは荒々しく五フランの貨幣をもう二つ取り出して、それを牧師に与えた。

「貧しい人たちにやってください。」と彼は言った。

それから彼は心を乱しながら付け加えた。

「司祭さん、私を捕縛してください。私は泥棒です。」

牧師はひどく驚いて、馬に拍車をかけて逃げ出した。

ジャン・ヴァルジャンは最初に向かっていた方向に再び走り出した。

彼は見回しながら、叫び続けてかなりの間行ったが、結局誰にも出会うことはなかった。二三度彼は、何か人の横たわっているようにもまたうずくまっているようにも見えるものの方へ、野の中を駆けて行った。しかし、それはただ荊棘だったり、地面に出ている岩だったりするだけだった。最後に、三つの小道が交差している所に出て、彼は立ち止まった。

月が出ていた。彼は遠くに目をやって、最後にも一度叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」

その叫びは霞の中に消え去り、反響も返ってこなかった。彼はなおつぶやいた。「プティー・ジェルヴェー!」

しかし、その声は弱々しくてほとんど舌が回らないかのようだった。それは彼の最後の努力であった。彼の膝は突然立っているのに耐えられなくなった。まるで何か目に見えない力によって悪心の重みで突然押しつぶされたかのようだった。彼はある大きな石の上にがっくりと身を落として、両手で髪の毛をつかみ、顔を膝に押しあて、そして叫んだ。「ああ、私は惨めな男だ!」

その時彼は胸がいっぱいになって、泣き出した。十九年ぶりに涙を流したのはそれが初めてであった。

ジャン・ヴァルジャンが司教の家から出てきた時、前に述べた通り、これまでの考えから全く外れていた。彼は自分の中で起こったことを自分自身で理解することができなかった。彼はその老人の天使のような行動や優しい言葉に反抗して心を固くした。


「あなたは正直な人間になることを私に約束した。私はあなたの魂を贖うのです。私はあなたの魂を邪悪の精神から引き出し、それを善良なる神に捧げます。」そのことが絶えず彼の心に戻ってきた。彼は、その神のような寛容に対抗するために、我々の心の中にある悪の要塞である傲慢を使った。

彼は漠然と感じていた。その司教の寛容は、自分に対する最も大きな攻撃であり、最も恐ろしい打撃であると。そのため、彼はまだ揺り動かされているのだ。もしその寛容に抵抗できれば、自分の頑固な心は、最終的に動かされないものになるだろう。

もしそれに譲歩するならば、多くの年月の間、他人の行為によって自分の心の中に満たされた、あの憎悪の感情を、捨てなければならないだろう。これからは勝つか負けるかのどちらかだ。そして戦いは、決定的な大戦は、自分自身の悪意とあの老人の仁慈との間で行われているのだ。

それらの明確な意識を持って、彼は酔っ払った人のように立ち去った。そうして荒々しい目つきで歩いている間、ディーニュのその事件から自分に対してどのような結果が起こるのか、彼ははっきりと理解していたのだろうか。生涯のある瞬間において、人の精神を戒めるか悩ますかのあの神秘的なざわめきを、彼は聞き取っていたのだろうか。

ある声が次のことを彼の耳にささやいたのだろうか。すなわち、彼は自分の運命の重大な瞬間を通り過ぎてきたこと、もはや彼にとっては中間は存在しないこと、もし今後最善の人とならないとすれば、最悪の人となるであろうということ。言い換えれば、司教よりも高く昇るか、囚人よりもさらに低く落ちるか、どちらかを選ばなければならない状況であること。もし善良になろうと思えば天使にならなければならないし、邪悪に留まろうと思えば怪物にならなければならないこと。

ここで再び、他の場所で既に提起した疑問を繰り返さなければならない。すなわち、彼はこれらすべてのことの何かの影を雑然と思考の中に取り入れていたのだろうか。確かに、前に述べた通り、不幸は人の知力を育てるものである。

しかし、我々が右に指摘したすべてを弁別するだけの状態にジャン・ヴァルジャンがいたかどうかは疑わしい。たとえそれらの観念が彼の頭に浮かんだとしても、彼はそれをよく見たというよりもむしろ一瞥したに過ぎなかった。そしてそれはただ彼を耐えがたい混乱に投げ込むに終わったのみであった。

徒刑場と呼ばれる醜い暗黒から出た彼の魂に、司教は苦痛を与えたのである。まるであまりに強い光が暗闇から出る彼の目を傷つけるかのように。未来の生涯、今後可能なものとして彼の前に提示された純粋な輝きを放つ生涯は、彼を全く戦慄させ、不安にさせた。

彼はもはや自分がどこにいるのかを知らなかった。突然太陽が出るのを見たフクロウのように、囚人である彼は徳に眩惑され、盲目にされてしまっていた。

ただ確かであったこと、彼も自ら疑わなかったことは、彼がもはや以前と同じ人間ではなく、彼の内部がすべて変化していたということである。司教が彼に語り、彼の心に触れたということを拒む力はもはや彼にはなかった。

そういう精神状態にあって、彼はプティー・ジェルヴェーに出会い、そしてその四十スーを盗んだ。なぜなのか?彼自身も確かにそれを説明することはできなかっただろう。それは彼が徒刑場から持ち出した悪意の最後の働き、言わば最上の努力であったのか。衝動の名残り、力学における慣性の結果であったのか。そうであったろう、そしておそらくそれよりもさらに小さなものであったろう。

簡単に言えば、盗みをしたのは、彼ではなかった。彼の人間性ではなかった。知力が多くの異常な新奇なものに纏綿とされてもがいている間に、習慣と本能によって貨幣の上にただ茫然と足を置いた獣性であった。知力が目覚めてその獣的な行為を見た時に、ジャン・ヴァルジャンは苦悶して後ろに退き、そして恐怖の叫びを発した。

なぜなら、それは不思議な現象で、彼があったような状態においてのみ可能なことで、その少年から金を奪いながら、彼はもはや自分自身が達成できないところのことを達成したのであったから。


それはとにかく、その最後の悪事が彼に決定的な影響を及ぼした。その一つの行為は、彼の知力の中の混沌を突然貫き、それを消散させ、一方に濃い暗闇と他方に明るさを分け、その時の彼の魂の状態に作用した。まるで、ある化学反応が混沌とした混合物の上で作用し、一つの元素を沈殿させ、他の元素を清澄化するような効果を及ぼしたのだ。

彼はまず第一に、自分をよく見つめて深く考える前に、逃げる者のように無意識に金を返すため、少年を見つけ出そうと努めた。それから、それが無駄なことであり、またそれができないことを知ったとき、絶望して立ち止まった。ああ、私は惨めな男だ!と叫んだとき、彼は自分のありのままの姿を認めていた。そして彼は、自分自身がもはや一つの幻であるように思われたほど、すでに自己を否定した地点にいた。肉と骨を持った醜い囚人ジャン・ヴァルジャンは、手に杖を握り、作業服を着て、盗品でいっぱいの背嚢を背負い、決然としながらも憂鬱な顔をして、恐ろしい陰謀を抱いて、彼の前に立っていたのだ。

過度の不幸は、前に述べた通り、彼を一種の幻覚者にさせていた。そして、このことも一つの幻影に似ていた。彼は本当に自分の前に、ジャン・ヴァルジャンを、その恐ろしい顔を見た。その瞬間、彼はその男が誰であるか、自分自身で疑い、その男に嫌悪の感情を抱いた。

彼の頭は、幻想が非常に深刻で現実を飲み込もうとする、あの激しいが静かな瞬間の一つにあった。そのような時、人は周囲の物事に目を向けず、自分の精神の中にある像を外にあるかのように見てしまう。

そして彼は、まるで自分自身を直視し、同時にその幻覚を通じてある神秘的な深みに一種の光明を見た。彼は最初、それをたいまつの炎のようにも思った。しかし、自分の心の中に現れてきたその光明をより注意深く見ていると、それが人間の形を持っていることを知り、そしてその炎が司教であることを理解した。

彼の心は、自分自身の前に置かれた二人の者、司教とジャン・ヴァルジャンとを交互に見つめた。後者を打ち砕くためには前者でなければならなかった。その幻想が続くにつれて、この種の幻惑の特性によって、司教の姿は徐々に大きくなり、彼の目に輝き渡り、ジャン・ヴァルジャンの姿は徐々に小さくなり、消えていった。やがてそれは一つの影にすぎなくなり、突然消え失せた。そして司教一人が残った。

その姿は、この惨めな者の魂を隅々まで燦然たる光明で満たした。

ジャン・ヴァルジャンは長い間泣いた。女よりも弱々しく、子供よりも怖がり、熱い涙を流して嗚咽を上げた。

泣いている間に、彼の脳裏には徐々に明るみがさしてきた。異常な明るみ、喜ばしいが同時に恐ろしい明るみだった。彼の過去の生涯、彼の最初の過ち、彼の長い贖罪、彼の外部の鈍さ、彼の内部の冷酷、あれほど多くの復讐の計画を楽しんだ彼の釈放、司教の家で彼に起こったこと、彼が犯した最後の一つ、少年から四十スーを盗んだこと、司教の寛容の後に行われただけに一層卑劣で凶悪であったその罪、すべてそれらのことが、明らかに、かつてなかったほどの明るさで、彼の心に蘇って現れてきた。彼は自分の生涯を見つめた、そしてそれは彼の目に嫌悪すべきもののように映った。

彼は自分の魂を見つめた、そしてそれは彼の目に恐怖すべきもののように映った。しかし穏やかな明るみがその生涯とその魂との上に射していた。天国の光明によって悪魔を見たように彼には思えた。

そうしてしばらくの間、彼は泣いていた。泣いた後に彼は何をしたのか。どこへ彼は行ったのか。誰もそれを少しも知らなかった。ただ一つ確かめられたことは、その同じ夜、当時グルノーブル通いをしていた馬車屋が、朝の三時頃ディーニュに着いて、司教邸のある通りを通って行く時に、一人の男がビヤンヴニュ司教の家の前で、祈るような姿をして闇の中に舗石の上にひざまずいているのを見かけたということである。

 

 

第一部 ファンティーヌ  第三編 一八一七年のこと


1.一八一七年

一八一七年は、ルイ十八世が幾分矜持をほこらかにし、厳しい面持ちで彼の治世の第二十二年と称した年である。それはブリュギエール・ド・ソルソン氏が世に高名であった年でもある。あらゆる理髪屋の店は、髪粉の流行と王鳥式の髪の再流行を望んで、青く塗られ、百合の花で飾られていた。それはまさに天真爛漫な時期であり、ちょうどランク伯爵が上院議員の服装をし、綬章をつけ、長い鼻を持ち、赫々たる行ないをなした人にふさわしい厳しい顔立ちで、サン・ジェルマン・デ・プレ会堂の定めの席に理事として日曜ごとに臨んでいた時であった。ランク氏の赫々たる行ないとは、ボルドーの市長として、少し早めに一八一四年三月十二日に、その市をアングーレーム公爵に与えてしまったことである。そのため彼は上院議員となったのだ。

一八一七年には、四歳から六歳くらいの子供たちが、エスキモー人の帽子に似た耳当て付きの粒皮の大きな帽子をすっぽりとかぶることが流行していた。フランス軍隊はオーストリア風の白い服を着ており、連隊の鎮台では、連隊番号の代わりにその県の名前がつけられていた。ナポレオンはセント・ヘレナの島にいたが、イギリスは彼に青ラシャを許さなかったため、彼は古い服を裏返して着ていた。一八一七年には、ペルグリニが歌い、ビゴティニ嬢が踊っていた。ポティエが名声を得ていた一方、オドリーはまだ世に出ていなかった。サキー夫人はフォリオゾの後を継いでいた。フランスにはなおプロシア人がいた。ドゥラロー氏が頭角を現わしており、プレーニエやカルボンノー、トレロンの手を切り、次に首を切ることで正統王位の権は堅固となっていた。侍従長タレーラン公と大蔵大臣に就任したルイは、互いに顔を見合って占考官のような微笑みを交わしていた。二人は一七九〇年七月十四日に練兵場で同盟大会フェデラシオンの弥撒祭をあげたが、タレーランは司教として弥撒をとなえ、ルイは補祭としてその役割を果たしたのだった。

一八一七年、その同じ練兵場の側道には、鷲と蜂の模様の金箔が剥がれ落ち、青く塗られた大きな木の円筒が、幾つも雨に打たれ雑草の中に朽ちているのが見られた。それは二年前には閲兵式の際に皇帝の席を支えていた円柱であった。グロス・カイヨーの近くに宿営していたオーストリア軍の陣営の焚火のため、所々が黒くすすけていた。そのうちのいくつかは陣営の中で燃やされ、オーストリア兵士の大きな手を暖めていた。その閲兵式は、六月の練兵場で開かれたため、注目を集めた。一八一七年には二つのことが世間に評判だった。それはトゥーケのヴォルテール本とシャルトの煙草入れであった。新しくパリ市民の視聴を惹きつけたのは、マルシェ・オー・フルールの池に自分の兄弟の首を投げ入れたドウトンの罪であった。海軍省では、ショーマレーに不名誉を与え、ジェリコーの名をあげさせた不幸な二等艦メデューズ号について調査を始めた。セルヴ大佐はソリマン総督になるためにエジプトに赴いた。アルブ街のテルムの邸宅は桶屋の店となり、クリュニーの邸の八角塔の平屋根の上には、ルイ十六世の時の海軍の天文学者であるメシエが観象台に使った板囲いの小屋が、まだ残って見えていた。

デューラー公爵夫人は、青い繻子を張ったX脚の床几が備えてある自分の化粧室で、禁止されたウーリカを三、四人の友人に読んできかせていた。ルーヴルの美術館では、ナポレオンの頭字「N」はすべてのものから消されていた。オーステルリッツ橋はその名が廃せられ、ジャルダン・デュ・ロア橋となっていた。それはオーステルリッツ橋とジャルダン・デ・プラント園を同時に隠す二重の隠語であった。ルイ十八世はつま先でホラチウスの書に線を引いて読みながら、自ら皇帝となる英雄や自ら皇帝の後継となる賤民について考えつつ、二つの心配を抱えていた。すなわちナポレオンとマチュラン・ブリュノーであった。フランスのアカデミーは、その懸賞課題に研学によって得られる幸福について出していた。ベラール氏はまったく堂々たる雄弁であり、ポール・ルイ・クーリエの譏刺を思わせる未来のブローの検事として育ちつつあった。マルシャンジーと呼ばれる似而非のシャトーブリアンがいた一方、アルランクールという似而非のマルシャンジーも出かかっていた。クレール・ダルブとマレ・カデルの二つの書物は傑作であり、コタン夫人は当時の第一流の作家だといわれていた。学士院会はその帳簿からアカデミー会員ナポレオン・ボナパルトの名前を抹殺していた。勅令によってアングーレームは海軍兵学校の所在地とされていた。アングーレーム公爵は偉大な海軍提督であり、したがってアングーレームの町は海港としてのすべての資格を備えていた。もしそうでなければ、王政の大綱は破綻をきたしていたであろう。内閣会議では、フランコニ曲馬団の広告の周りに書かれた街の子供たちを集める綱渡りの芸を現わした模様の絵を許すべきかどうかが問題となっていた。アグネーズの作者で、頬に一つ疣のある四角い顔の好人物であるパエル氏は、ヴィル・レヴェーク街のサスネー侯爵夫人の催しにかかる親しい間柄だけの小さな演奏会を指導していた。


若い娘たちエドモン・ジェローの歌詞である「サン・タヴェルの隠士」を歌っていた。骨牌カルタのナーン・ジョーヌはミロワールに代えられていた。ランブランの珈琲店は、皇帝派を支持し、ブールボン派を支持しているヴァロア珈琲店と対抗していた。シシリーの王女と、まだ幼いながらルーヴェルに認められていたベリー公爵が結婚したばかりだった。マダム・ド・スタールが死んで、すでに一年が経っていた。親衛兵たちはマルス嬢の舞台を妨害していた。大新聞も皆、紙面が小さかった。形は制限されていたが、記事の自由は大きかった。コンスティチュシオンネル紙は立憲派であった。ミネルヴ紙はシャトーブリアンを「Chateaubriant」と書いていた。シャトーブリアンには気の毒だが、その「T」を市民は大変おかしがっていた。買収された紙上で、節を二にした記者たちは、一八一五年に追放を受けた者たちを侮辱した。曰く、ダヴィッドももはや才能を持たず、アルノーももはや機才を持たず、カルノーももはや誠実を持たず、スールトももはや戦勝をもたらさず、ナポレオンももはや天下を持たないのは事実であると。郵便で追放者に宛てられた手紙は、警察によって忠実に途中で押さえられ、届くことは極めてまれであることを、誰も知らないわけではなかった。その事実は新しいものではなく、追放されたデカルトもそれを嘆いていた。ところで、ダヴィッドは自分宛ての手紙が届かないことについてベルギーの新聞に不平を言ったが、それは当時追放された者たちをあざけっていた王党の新聞にとって愉快なことだった。弑逆者と呼ばれたり、投票者と呼ばれたり、敵と呼ばれたり同盟者と呼ばれたり、ナポレオンと呼ばれたりブォナパルトと呼ばれたりすることは、二者の間を深淵よりもなおはなはだしく隔てることだった。物事をよく理解している人々は皆、「憲章の不朽なる作者」と称されたルイ十八世によって、革命時代は永久に閉じられてしまったと認めていた。ホン・ヌーフの土手には、アンリ四世の銅像がやがて据えられることになっている台の上に、「レディヴィヴ・ス(甦よみがえれる)」という語が彫られていた。ピエー氏は、王政を強固にするための集会をテレーズ街四番地に立てていた。右党の領袖方は、重大な問題のたびごとに言った、「バコーに書き送らなければならない。」カニュエル、オマオニー、ド・シャブドレーヌの三氏は、多少王弟の許しを得て、後に「海辺の陰謀」となったものの芽を作っていた。エパングル・ノアール一派もまた、その方で陰謀をめぐらしていた。ドラヴェルドリーはトロゴフと接するに至った。ある程度の自由主義の精神を持っているドカーズ氏が勢力を持っていた。シャトーブリアンは、襞付きズボンをつけ、上靴を履き、その半白の髪にマドラス織りの帽をかぶり、鏡を見つめ、歯科医の道具の揃った鞄を前に置き、痛んでいる歯を自ら治療しながら、憲章による王政の種々の異本の差異を秘書のピロルジュ氏に書き取らせつつ、サン・ドミニク街二十七番地の自分の家の窓ぎわに毎朝立っていた。重なった批評はタルマよりもラフォンをほめていた。ド・フェレズ氏は「A」と署名し、ホフマン氏は「Z」と署名していた。シャール・ノディエはテレーズ・オーベルを書いていた。離婚は廃止されていた。リセーは皆コレージュと呼ばれていた。コレージュ(高等中学校)の生徒たちは襟に金の百合の花をつけ、ローマの王(ナポレオン一世の子の称号)の問題について互いに争論していた。宮廷の監察官は妃殿下に、どこにでも出ているオルレアン公の肖像のことを告げていた。その像は軽騎兵司令官の制服をつけたもので、竜騎兵司令官の制服をつけたベリー公よりも立派であった。それは大きな不都合だった。パリー市は市の金で廃兵院の丸屋根の金を塗り直していた。まじめな人たちは、かくかくの場合にはド・トランクラーグ氏はどういうふうになさるだろうかと考えていた。クローゼル・ド・モンタル氏は、種々の点でクローゼル・ド・クーセルグ氏と離反していた。ド・サラベリー氏は不平をいだいていた。モリエールさえ入ることができなかったアカデミーの一員である喜劇作者ピカールは、オデオン座で二人のフィリベールを上演させていた。同座の破風からは女皇座の文字がぬき取られていたが、その跡がまだ残って見えていた。キュネー・ド・モンタルロに対して賛否の論がされていた。ファブヴィエは乱を好む徒であり、パヴーは革命家であった。ペリシエ社はフランス・アカデミー会員たるヴォルテール集という題で、ヴォルテールの作品の出版をした。その無邪気な出版屋は「それは売れますよ」と言っていた。一般の意見によれば、シャール・ロアゾン氏は本世紀を通じての天才であるとされていた。しかし、うらやむ人々は彼を誹謗し始めていた。それも光栄の一つの兆しである。そして彼について次のような句ができていた。


いかにロアゾン飛ぶとも、足があることを人は知っている。

枢機官フェーシュが辞職を拒んだため、アマジー大司教ド・パン氏はリオンの管轄区を統治していた。ダップ渓谷の争議は、後に将軍となるデュフール大尉の覚書によって、スイスとフランスとの間に始まっていた。世にまだ知られていなかったサン・シモンは、その壮大な夢想を築きかけていた。アカデミー・デ・シヤンスには、有名であるが、後世に忘れられてしまうようなフーリエがいた。そして、どこかの陋屋の中にも、まだ世に知られないが、将来忘れられることのないフーリエがいた。バイロン卿が世に現れ始めていた。ミルボアのある詩の注には次のような言葉で彼をフランスに紹介していた。「あるバイロン卿とかいう者。」ダヴィッド・ダンジェは熱心に大理石を弄んでいた。カロン師は、フイヤンティーヌの袋町の神学校生徒の小さな集会で、後にラムネーとなったが、当時まだ世に知られていなかった一牧師フェリシテ・ロベールのことを非常に称賛して話した。泳いでいる犬のような音を出し、セーヌ河上に煙を吐き、蠢いている一つの物が、チュイルリー宮殿の窓下をロワイヤル橋からルイ十五世橋まで往来していた。それはつまらない機械であり、玩具であり、妄想の発明家の夢であり、空想であった。パリの人々は無関心の態度でそのばかな物を眺めていた。断行と規定と多数の任命によって学士院会を改革した著名なヴォーブラン氏は、それらのことをした後、自らはアカデミー会員となることができなかった。サン・ジェルマン街とマルサン村は、その警察長にドラヴォー氏を望んでいた。それは彼の熱誠のためであった。デュビュイトランとレカミエは、イエス・キリストの神性について、医学校の階段教室で互いに論争してなぐり合うほどだった。一方の目で創世記を見、他方の目で自然を見ているキュヴィエは、化石を創世記の原文と比べてみたり、象鼻動物をしてモーゼのことをほめ称えたりしながら、妄信的な反動に媚びを呈していた。パルマンティエの記録のほむべき研究家であるフランソワ・ド・ヌーシャトー氏は、ポンム・ド・テール(馬鈴薯)をパルマンティエールと一般に言わせようとして、大層な努力をしていたが、それには成功しなかった。グレゴアール師は、もと司教であり、もと民約議会員であり、もと元老院議員であったが、王党の論戦において「破廉恥なるグレゴアール」の状態に陥っていた。ここで私たちが使った「の状態に陥る」という表現は、ロワイヤル・コラール氏によって新語法として指摘されていた。イエナ橋の第三の橋弧の下には、ブリューヘルが橋を爆発させんために穿った火薬坑を二年前にふさいだ新しい石を、その白さでなお見分けることができていた。法廷は一人の男を白州に引き立てた。その男はアルトア伯爵がノートル・ダーム寺院に入ってゆくのを見て、声高く言った。「ああ、ボナパルトとタルマとが互いに腕を組んで練兵場に入ってゆくのを見られた時代が懐かしい。」それは挑発的な言葉だった。彼は六カ月間牢に入れられた。反逆者たちはボタンを外して何も隠さなかった。戦いの前日、敵に通じた者たちは、受けた報酬を少しも隠さず、卑しい財宝と位階に包まれて白日の下をはばかり気もなくのさばり歩いていた。リニーやカトル・ブラの脱走兵たちは、その卑劣な報酬を受けて、王に対する彼らの忠誠を臆面もなく見せかけていた。彼らは皆、イギリスの共同便所の内側の壁に書かれていることを忘れていた。「出る前に服装を整えられたし。」

以上の雑多なことは、今日はもう忘れられているが、一八一七年から雑然と浮き出てくるものである。歴史はこれらの特殊な事がらをほとんどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないことである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細を些事と呼ぶのは誤りであって――人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末な葉はない――それは皆有用なことである。時代の容貌が形造られるのは、その年々の姿によってである。

さて、この一八一七年に、四人の若いパリっ子が「おもしろい狂言」を仕組んだ。


2.二重の四部合奏

それらの四人のパリっ子のうち、一人はツールーズの者で、次はリモージュの者、第三はカオールの者、そして第四はモントーバンの者であった。しかし彼らは皆、学生であった。学生というのはパリっ子と同じであり、パリで学ぶことはパリで生まれるのと同じである。

四人の青年たちは、特筆すべき点もなく、至ってありふれた人物だった。どこにでもいる型であり、善でも悪でもなく、学問があるでもなく無知でもなく、天才でも愚か者でもなかったが、二十歳という楽しい青春の真っ盛りだった。それはある四人のオスカールであった。この時代にはまだアーサー式の人物はいなかったのだから。物語は言う、「彼のためにアラビアの香料を焚け。オスカール来る。オスカール、余はまさに彼を見む。」人々はちょうどオシアン物語から出てきたところで、典雅といえば皆スカンディナヴィア風かカレドニア風であった。純粋なイギリス風はずっと後になってから流行した。そしてアーサー式の第一者たるウェリントンは、まだようやくワーテルローで勝利を得たばかりの時だった。

その四人のオスカールのうち、ツールーズのはフェリックス・トロミエスといい、カオールのはリストリエ、リモージュのはファムイュ、そして最後のモントーバンのはブラシュヴェルといった。もちろん、皆それぞれ自分の情婦を持っていた。ブラシュヴェルは、イギリスに行っていたことがあるので、ファヴォリットと英語風に呼ばれている女を愛していた。リストリエは、花の名をあだ名としているダーリアという女を鍾愛していた。ファムイュは、ジョゼフィーヌを短縮してゼフィーヌと呼ぶ女をこの上ない者と思い込んでいた。トロミエスは、美しい金髪のためにブロンドと呼ばれるファンティーヌという女を持っていた。

ファヴォリット、ダーリア、ゼフィーヌ、ファンティーヌ、その四人は香水の香りを散らしたきらびやかな娘盛りだった。針の臭みからぬけきらないで多少女工風の所もあり、また情事に濁らされてもいたが、しかしその顔にはなお労働の朗らかな影が残っており、その心の中には、最初の堕落にもなお女性のうちに残る誠実の花を留めていた。四人のうちの一人は一番年下なので「若い娘」と呼ばれ、そのうちの一人は「年増」と呼ばれていた。その年増は二十三歳であった。正直に言えば、初めの三人は、最初の楽しみにあるブロンドのファンティーヌよりも、経験も多く積み、いっそう放縦で世慣れていた。

ダーリアとゼフィーヌ、特にファヴォリットは、ファンティーヌと同じ土俵では論じられなかった。彼女たちの物語はようやく始まったばかりなのに、すでにいくつものエピソードがあった。そして相手の男の名も、その第一章にはアドルフというかと思えば、第二章にはアルフォンス、第三章にはギュスターヴとなっていた。貧苦と嬌艶は悪い相談役である。一方は不平を言い、他方は媚びる。そして下層の美しい娘たちはそれを二つとも持っていて、両方から耳に低くささやかれる。守りの弱い彼女たちの魂はそれに耳を傾ける。そこから彼女たちは堕落し、人に石を投げられるに至る。そして彼女たちは、もはや自らの及ばぬ清らかなものの輝きに圧倒される。ああ、もしユングフラウにして飢えていたとしたら!

ファヴォリットはイギリスに行ったことがあるため、ゼフィーヌとダーリアから尊敬されていた。彼女は早くから自分の家を持っていた。父は乱暴で法螺吹きの数学教師で、結婚したことがなく、老年にもかかわらず家庭教師に出歩いていた。この数学の教師は、若い頃に暖炉の灰除けにかかっていた女中の着物を見て、そのためにその女を思うようになった。ファヴォリットはその間に生まれたのである。彼女は時々自分の父に出会ったが、父は彼女に丁寧な態度をとった。ある朝、信仰深そうな年寄りの女が彼女の家に入ってきて、彼女に言った。「あんたは私がわかりませんか?」 「わかりません。」 「私はあんたの母親だよ。」それからその老婦人は、戸棚をあけて飲み食いし、自分の布団を持ち込み、そこに腰を据えてしまった。その口やかましい信仰深い母親は、決してファヴォリットには口をきかず、一言も言わないで数時間じっと座っていて、朝と昼と晩の三度の食事を驚くほどたくさん食べ込み、そして門番のところへ話しに降りてゆき、そこで娘のことを悪口するのを常とした。


ダーリアがリストリエの方へなびき、またおそらく他のさまざまな男の方へなびいて、なまけてしまったのは、あまりにも美しすぎる薔薇色の爪を持っていたからである。どうしてその美しい爪で働こうというのか。貞節を守ろうと欲する者は、自らの手をあわれてはいけない。ゼフィーヌの方は、「そうよ、あんた」と言う言葉が少し無遠慮な愛くるしさを持っていたので、ファムイュの心を得たのだった。

その若い男たちは仲間同士であり、その若い女たちも友だち同士であった。このような恋愛は、いつも友誼と一緒になるものである。

賢いことと分別があることは別である。その証拠に、その貧しい乱れた生活を斟酌してやるとすれば、ファヴォリットとゼフィーヌとダーリアは分別のある女であったが、ファンティーヌは賢い女であった。

賢い? それともトロミエスを思うのか? と人は反問するだろう。しかし、愛は知恵の一部なりとソロモンは答えるであろう。吾人はただこう言うに止めておこう、すなわち、ファンティーヌの愛は、最初の愛であり、唯一の愛であり、誠実な愛であったと。

四人の女のうちで、唯一人の男からだけ「お前」と呼ばれていたのは、彼女だけだった。

ファンティーヌは、いわば民衆の奥底から花を開き出した者の一人であった。社会の測るべからざる濃い闇の底から出てきたので、彼女は額に無名で不明の印を押されていた。彼女はモントルイユ・スュール・メールで生まれた。どういう親からか? 誰がそれを言い得よう。彼女の父も母も少しもわからなかった。彼女はファンティーヌという名だった。なぜファンティーヌというか? 他の名前がわからなかったからである。彼女の出生は、まだ執政内閣のある時分だった。彼女には姓もなかった、家族がなかったから。洗礼名もなかった。その地にはもう教会がなかったから。まだ小さい時に通りを裸足で歩いていると、通りがかりの人が「いい名だ」と言ってつけてくれた名をもらった。雨の降る時に雲から落ちてくる水のしたたりを額に受けるように、彼女はその名前をもらった。そして小さなファンティーヌと呼ばれた。誰も彼女のことをそれ以上に知っている者はいなかった。この一個の人間はそのようにして人の世にやってきたのである。十歳の時に、ファンティーヌはその街を去り、近くの農家に雇われて行った。十五の時に「金儲けに」パリに出てきた。ファンティーヌはきれいで、できるだけ長く純潔を守っていた。美しい歯を持つかわいらしい金髪の娘だった。彼女は結婚のための黄金と真珠を持っていたのである。しかし黄金は頭の上にあり、真珠は口の中にあるのだった。

彼女は生活のために働いた。そして、心もまた飢えるものだから、彼女は愛した。彼女はトロミエスを愛した。

男の方には情欲があり、女の方には熱情があった。学生や遊女たちが蟻のように群がっているカルティエ・ラタンの小路が、二人の夢の初まりの場所だった。ファンティーヌは、多くの情事が結ばれ解けるあのパンテオンの丘の迷路で、長い間トロミエスを避けながら、しかしいつもまた彼に出会うようにした。隠れ方が、探すようなものである。要するに、牧歌の恋が芽生えたのである。

ブラシュヴェルとリストリエとファムイュは一種の党を形成し、トロミエスはその首領であった。機知に富んでいるのは彼だったのである。

トロミエスは年老いた古書生だった。金持ちで、年に四千フランの収入があった。年に四千フランといえば、サント・ジュヌヴィエーヴの山では素敵な評判のものだった。トロミエスは三十歳の道楽者で、身体は衰えていた。しわがより、歯が抜けていた。頭がそろそろ禿げかかっていたが、彼は平気で自ら言っていた。「三十歳にして禿げ、四十歳にして腰が立たず。」消化が悪く、一方の目には涙がにじんでいた。けれども、若さがなくなるに従ってますます元気になった。歯の無い所は洒落で補い、禿げた所は快活さで、健康の悪いのは皮肉で補った。そして、涙のにじんでいる目は絶えず笑っていた。身体はくずれていたが、なお花を咲かせていた。彼の青春は、年齢よりも早く逃げ出しながら、うまく退却の太鼓を鳴らし、笑いくずれていて、人の目には活気しか入らなかった。ヴォードヴィル座に作品を送って拒絶されたこともあった。時々は何か歌をも作った。その上、彼は何事にも頭から疑惑を抱いていたが、弱い者たちの目にはそれが強大な力に見えた。それで、皮肉であり頭は禿げていたが、皆の上に立っていた。iron というのは英語で鉄の意味である、そこからironie(皮肉)の語はきたのであろうか。

ある日、トロミエスは他の三人の者をわきに呼んで、神託でも授けるような身振りで彼らに言った。

「もう一年前からファンティーヌとダーリアとゼフィーヌとファヴォリットは、驚くようなことをしてほしいと言っている。われわれはそれを立派に約束している。女たちはいつもそのことを言っているし、特に僕にはひどい。ちょうどナポリの年寄りの女たちが、一月の護神に向かって叫ぶようだ。『黄色い顔の神様、奇跡を施してください!』 われわれの美人たちは絶えず僕に言ってくる、『トロミエス、いつ驚くようなことをしでかすの?』 同時に、親父たちからはうるさい手紙が届く。両方からの繰言だ。僕はもう時機がやってきたと思う。いっしょに相談しよう。」

そこでトロミエスは声を低くして、何やら秘密にささやいた。よほど面白いことだったようで、同時に四人の口から、大きな感動に耐えたような冷笑が漏れた。そしてブラシュヴェルは叫んだ。「それは、うまい考えだ!」

煙草の煙の立ちこめたある喫煙珈琲店エスタミネが前にあった。彼らはそこへ入って行った。その後の彼らの相談は物影に消えてしまった。

人に知られぬその相談の結果は、四人の青年が四人の若い女を招いて、次の日曜に催した有頂天の遊楽となった。

 

3.四人に四人

四十五年前の学生や浮気な女工らの野遊びの様子は、今日では想像することすら困難である。パリは今やその頃の郊外を持たない。パリの周囲の生活の姿は、半世紀の間にまったく変わってしまった。昔は馬車が走っていた場所には今は鉄道があり、小舟が浮かんでいた場所には汽船がある。昔はサン・クルーのことを、今日フェカンの話をするように語ったものである。現今、一八六二年のパリは、フランス全体を郊外とする都市となっている(訳者注 本書は一八六二年に出版されたものであることを記憶してほしい)。

さて、四組の男女は、当時できる限りの郊外での騒ぎを本気で楽しんだ。ちょうど夏休みの時期で、暑く晴れた日であった。前日、唯一文字を知っているファヴォリットは、四人の名でトロミエスに次のように書いて送った。「早くから出かけるのが楽しみですわ。」それで彼らは朝の五時に起き上がり、馬車でサン・クルーへ向かった。水の涸れた滝を見て叫んだ。「水があったら、さぞきれいだろう!」まだ毒殺者カスタンがやって来る前のことで、テート・ノアールの茶屋で朝食を済ませ、大池のそばの五点形の輪遊び場で一勝負し、ディオゼーヌの塔に上って、セーヴル橋でお菓子を賭けて球を転がし、プュトウで花を摘み、ヌイイーで芦笛を買い、いたるところでリンゴ菓子を食べ、そして楽しいひとときを過ごした。

若い女性たちは、籠から出た小鳥のように騒ぎ回り、さえずり続けた。彼女たちはすっかり夢中になっていた。時々、男たちを軽くたたいていた。「人生の朝の酔いである! 愛すべき青春の年である! 蜻蛉の翼は震える。おお、いかなる人にも思い出があるはずである。藪の中を歩きながら、後からついてくる愛しい人の顔にかからないようにと、木の枝を押し開いたことを。愛する女性と一緒に、雨に濡れた坂道を笑いながら滑り降りたことを。その時、彼女は君の手につかまって叫んだであろう。「ああ、真新しい半靴なのに、こんなになってしまった!」

ところが、その愉快な邪魔物の夕立ちは、この上なく機嫌の良い一行には降らなかった。ただし、ファヴォリットは出がけに、もっともらしい年長者らしい調子で、「蛞蝓(なめくじ)が道に這っている、雨の降る兆しだわ。」と言ったのだった。

四人とも非常に美しかった。当時有名なクラシックの老詩人で、一人のエレオノールを持った好人物、ラブーイスの騎士という男が、その日サン・クルーのマロニエの木の下を散歩していると、朝の十時ごろ、彼らが通るのを見かけ、三女神カリテスのことを思い出して叫んだ。「一人多すぎる。」ブラシュヴェルの情婦で二十三歳の年増としまのファヴォリットは、緑の大きな枝の下にかけ入り、溝を飛び越え、むやみに茂みをまたぎ、若い野の女神のようにはしゃぎながら、一行の浮かれた心を引き立てた。ゼフィーヌとダーリアは、互いにその美しさを輝かせる人柄で、友情からというよりもむしろ魅力の本能から、決して離れずに寄り合って、イギリス風の態度を取っていた。イギリス年刊文学集が出だした頃のことで、後にバイロン風が男を風靡したように、憂鬱が女の流行となり始め、女性の髪は悲しげに装うことが始まっていた。ゼフィーヌとダーリアは、巻き髪であった。リストリエとファムイュは教師のことを論じ合い、デルヴァンクール氏とブロンドー氏との違いを、ファンティーヌに説明して聞かせていた。

ブラシュヴェルは、ファヴォリットのテルノー製の片方縁飾りのショールを、日曜日ごとに腕にかけて持ち歩くために、特に天から創られたかのようであった。

トロミエスは後に続き、その一群を支配していた。彼はとても快活だった。しかし、誰もが彼の中に皆を支配する力があるのを感じていた。彼の陽気さの中には、執政権が含まれていた。その重なり合った身の飾りは、南京木綿で象脚形に仕立てたズボンと、それに付いている銅色の打ちひものズボン止めであった。手には二百フランもする丈夫な籐の杖を持っており、何事でもやってみるつもりだったので、口には葉巻き煙草という変わったものをくわえていた。彼にとっては何もありがたいものはなく、平気でそれをくゆらしていた。

「トロミエスは実に素晴らしい。」と他の者たちは尊敬の言葉を口にした。「あのズボンはどうだ! あの元気はどうだ!」


ファンティーヌに至っては、見るも喜ばしい女性であった。その見事な歯並びは、明らかに神から一つの職分、すなわち笑いを授かっていた。長い白いひもがついた麦わらの小さな帽子を、頭に被るよりも、むしろ手に持つことを好んでいた。そのふさふさした金髪は、波打って容易に解けやすいので、絶えず押さえ止めなければならなかった。そして、柳の木の下を逃げてゆくガラテア姫にもふさわしく思われた。その薔薇色の唇は、人を惑わす魅力を持ちながら、無邪気に話しかけていた。その口の両端は、エリゴーネの古代面におけるように肉感的に持ち上がっていて、男の元気を励ますように見えた。しかし、影深い長い睫毛は、顔の下部の華やかさの上に、それを静めるためででもあるかのように、しとやかに下がっていた。その全体の服装は、歌うように燃える、何とも言えない美しさだった。葵色の薄ものの長衣をつけ、海老茶色の小さな役者靴を履いていた。靴のリボンは、真っ白な繊細な透き靴足袋の上にX形に綾取られていた。それからモスリンの一種の胴着をつけていた。それはマルセイユで初めて作られたもので、カヌズーという名前のものであるが、その名は、キャンズ・ウー(八月十五日)という語をカヌビエール地方でなまってできたもので、上天気、暑気、正午、などの意味を有するのである。他の三人は、既に述べたとおり、それほど内気ではなく、すっかり首筋を露わにしていた。それは夏には、花を一面につけた帽子を被ると、非常に優美で、男の心を苛立たせるのである。しかし、それらの大胆な装いの傍にあって、金髪のファンティーヌのカヌズーは、同時に肌を隠すようでも現すようでもある、透明な不謹慎かつ控えめな様を呈して、人の心をそそる珍しい上品さを備えていた。そして、あの海のように青い目をしたセット子爵夫人が主宰していた有名な恋愛会は、しとやかさを目指したこのカヌズーに妖艶の賞を与えたことであろう。最も素朴なものは、時として最も賢いものである。往々そういうものがある。

顔は燃えるようで、顔立ちは優美で、ごく青い目、大きいまぶた、甲高の小さい足、かっこうのよい手首と足首、所々に血管の青い筋を見せている真っ白い肌、あどけない瑞々しい頬、エジナ島で見い出されたジュノーの像のように丈夫な首、しっかりしてまたしなやかな首筋、クーストーが彫刻したかと思われるようで、真ん中にモスリンを透かして肉感的なくぼみが見えている両の肩、夢想で和らげられている快活さ、彫刻のようで美妙な姿、そういうのが即ちファンティーヌであった。そしてその衣装の下には一つの立像があり、その立像の中には一つの魂があることが見えていた。

ファンティーヌは、自ら知らぬうちに美しかった。世に稀な夢想家たち、何物をもひそかに完成に比較する美の不思議な司祭たちは、この小さな女工のうちに、パリ婦人の透明な美を通して、古代の聖なる階調を見い出したであろう。この下層の娘は、その美の血統を持っていた。彼女は風姿と調子との二つの種類において美しかった。風姿は理想の形体であり、調子はその運動である。

われわれはファンティーヌを快楽そのもののように言った。が、ファンティーヌはまた貞淑そのものであった。

彼女をよく注意して見る時には、その年齢と季節と愛情との酔いを通して彼女から浮かび上がって来るものは、内気と謙譲とのうちに消し難い表情であった。彼女は少し驚いた様子を見せていた。その潔い驚きこそは、サイキーをヴィーナスと異なる色合いである。彼女の真っ白な長い細い指は、金の留め金で聖火の灰をかきまわすという貞節を守る巫女のそれのようだった。後で明らかにわかるとおり、彼女はトロミエスに対しては何事も拒まなかったけれども、その穏やかな平時の顔はまったく処女のようだった。まじめな、そしてほとんどいかめしい一種の威厳が時々突如として現れた。そして快活さが急に消え失せて、何ら推移の影を見せないで直ちに沈思の趣に変わってゆく様子は、まったく不思議な驚くべきことだった。その突然の、そして時としては厳しく際立って見えるまじめさは、女神の軽蔑に似ていた。額と鼻とあごとは、割合の平衡とはまったく異なる線の平衡を示していた。そしてそれによって顔立ちの調和が取れていた。また鼻の下と上唇との間のごく目につきやすい間隔のうちには、見えるか見えないかの魅力的なしわがあった。それは貞節の神秘な兆しで、バルバロッサをしてイコニオムの発掘の中に見い出されたディアナに恋せしめたものである。

 

4.トロミエス上機嫌にてスペインの歌を歌う

その日は、始めから終わりまで、まるで夜明けのようだった。自然もすべて休日のように、笑い楽しんでいるように見えた。サン・クルーの花壇は香りを散らし、セーヌの河風はそよそよと木の葉を揺らし、木々の枝は風のままに動き、蜜蜂はジャスミンの花に集まり、蝶の群れはクローバーやのこぎり草や野生の燕麦の間を飛び回り、ロア・ド・フランスの壮大な園には鳥の群れがいた。

四組の楽しい男女は、太陽や野や花や木に交じって光り輝いていた。そしてこの楽園の一群は、饒舌にしゃべり、歌い、駆け、踊り、蝶を追い、昼顔を摘み、高い草の中にその薔薇色の透き編みの靴足袋を濡らし、生き生きとして、狂気のごとく、何らの意地悪げもなく、あちこちで皆互いに接吻し合っていた。ただ一人ファンティーヌだけは、夢見心地で心の中に恋を抱えて、ぼんやりと閉じこもっていた。「あんたは」とファヴォリットは彼女に言った。「あんたはいつも妙なふうをしてるわね。」

そこに快楽がある。それらの楽しい男女の遊山は、人生と自然への深い呼びかけであり、すべてのものから愛撫と輝きを誘い出すのである。かつて一人の魔女がいて、恋する者たちのために野と森を作った。それで恋人たちの永遠の野遊びの学校が始まった。それは絶えず開かれており、木々の茂みと学生とがある限り続くであろう。それで思想家の間に春が名高くなった。貴族も大道の研屋も、華族も平民も、殿上人も町人も、皆その魔女の臣下である。人は笑い楽しみ、互いに探し求め、賛美の光輝が空中に漂う。愛することはいかに万物の姿を変えるか! 公証人書記も神となる。そして、かわいい叫び、草の中の追いっくら、急な抱擁、かえって音楽のように響く言葉のなまり、一言のうちにほとばしるその情愛、口から口へ移し合う桜ん坊、それらは皆燃え上がり、天国の栄光の中に包まれる。美しい娘たちは楽しくその美を浪費する。永久に終わらないもののようである。哲学者も詩人も画家も、ただその恍惚たる様を眺めるのみで、なすところを知らない。それほど彼らも眩惑されるのだ。シテール島(訳者注 愛の恍惚の島)への出発とワットーは叫び、平民の画家ランクレーは蒼空に翔かけ上る市民らを見つめ、ディドローはそれらの情愛をとらえんと手を伸ばし、デュルフェーはそれにゴールの祭司を支えさせた。

昼食の後、四組の男女は、当時王の花壇と呼ばれていた所に、インドから新たに来た植物を見に行った。今ちょっとその名は忘れたが、当時それはサン・クルーにパリ中の人を引きつけたものであった。幹の高い不思議で面白い灌木で、無数の細かな枝が糸のように乱れ、葉はなく、たくさんの小さな白い花で覆われていた。そのため木は一面に花の咲いた毛髪のような観を呈していた。いつもそれを嘆賞している大勢の人がいた。

その灌木を見た後、トロミエスは叫んだ。「驢馬に乗せてあげよう!」驢馬屋に賃金を決めて、彼らはヴァンヴとイッシーとの道から戻ってきた。ところがイッシーで面白いことがあった。当時、陸軍御用商人ブウルガンの所有であったその公園ビヤン・ナシオナルは、偶然にもすっかり開かれていた。彼らは門を入って、洞窟の中のばかの隠者を見、有名な鏡の間の不思議な働きを試しに行った。そこは、ある半羊神が百万の富者になり、卑しいチュルカレーがプリアプ神になったという話にふさわしい、淫猥な陥穽だった。また彼らはベルニス修道院長が祝福した二本の栗の木に結びつけられた大きな綱のぶらんこを激しく揺すった。トロミエスが美人連を代わる代わるぶらんこに乗せて揺らすと、ちょうどグルーズの好んで描いた絵のようにその裾がまくれるので、皆ははやし立てた。そしてツウルーズはスペインのトロサと関係があるので、ツウルーズ生まれで多少スペインと縁のあるトロミエスは、愁うるわしい調子で古いスペインの小唄ガレガを歌った。おそらく二本の木の間の綱の上に勢い込めて揺られている美しい娘から感興を得たのであろう。

わたしの生まれはバダホース。
恋というのがわたしの名。
わたしの心は
みんなわたしの目の中に、
ほんにかわいい
お前の足が出てるから。

ただファンティーヌだけはぶらんこに乗らなかった。「あんな風に気取っているのが、私は大嫌い。」とファヴォリットはかなり手酷くつぶやいた。

驢馬を捨てても、やはり楽しさは変わらなかった。彼らは船でセーヌ河を渡り、パッシーから歩いてエトワール市門まで行った。読者も覚えているかもしれないが、彼らは朝の五時から起きていた。けれども、「日曜は疲れることなんてないわ。」とファヴォリットは言った。「日曜には疲れもお休みだわ。」そして三時ごろに、楽しみに夢中になっている四組の男女は、ロシアの山を駆け下りた。ロシアの山というのは、当時ボージョンの高地に立っていた奇妙な建造物で、シャン・ゼリゼーの並木の上にその波状をなした線が見えていたものである。

時々ファヴォリットは叫んだ。「そしてびっくりするようなものというのは! あたしそれを早く知りたいわ。」

「まあ待っといでよ。」とトロミエスは答えた。

 

5.ボンバルダ料理店

ロシアの山を遊び尽くして、彼らは夕食のことを考え始めた。そしてその愉快な八人組も、ついに少し疲れを覚えて、ボンバルダ料理店へ引き上げた。それは当時デロルム路地の側にリヴォリ街に看板を出していたあの有名な料理屋のボンバルダが、シャン・ゼリゼーに出している支店であった。

奥に寝所と寝台のある大きな部屋で、汚れていた(日曜で客の多い時だったので、そんな所でも我慢しなければならなかったのである)。二つの窓があり、窓からは楡の木立ちを透かして河岸と川とを見渡すことができた。八月のうららかな日光が窓に軽く当たっていた。二つのテーブルがあって、その一つには男女の帽子に交じって花環が山のように積まれ、他のテーブルには大皿と小皿や杯や瓶などが楽しげに並べられ、その周りに四組の男女が座っていた。ビールの瓶はぶどう酒の瓶と入れ交じっていた。食卓の上にはほとんど秩序がなく、その下にも乱雑があった。

彼らはテーブルの下に音を立て、足を触れ合うおぞましき音を。

モリエールは言っている。

以上が、朝の五時に始まった遊山の午後四時半ごろの有様であった。日は傾き、彼らの食欲も満たされた。

シャン・ゼリゼーは日の光と群衆に満ち、輝きと塵に包まれていた。その二つこそ、光栄を形作るものである。マルリーの嘶く大理石の馬は黄金の雲の中に舞い上がっていた。四輪馬車が行き来していた。華やかな親衛騎兵の一隊は、先頭にラッパを鳴らしてヌイイーの大通りを下っていった。夕日にやや薔薇色に染まった白い旗が、チュイルリー宮殿の丸屋根の上にひるがえっていた。当時再びルイ十五世広場と呼ばれていたコンコルドの広場は、満足げな散歩の人々で満たされていた。多くの者は、銀色の百合の花を波形模様の白リボンに下げて身につけていた。それは一八一七年にもなおボタンの穴につけられている昔の名残である。所々に、丸く集まって喝采している通行人の真ん中に、輪舞の娘たちが当時名高かったブールボン派の歌を歌っていた。その歌はナポレオン再挙の百日をのろうために作られたもので、次のような複唱の句を持っていた。

われらにガンの父を返せ、

われらにわれらの父を返せ。


郭外の大勢の人々は日曜の晴れ着を着て、時折郭内の者のように百合の花をつけて、マリーニーの大小の広場に散らかり、輪遊びをしたり、木馬に乗って回ったりしていた。ある者は酒を飲んでいた。活版屋の小僧らは紙の帽子をかぶっている者もいた。人々の笑い興ずる声は遠くまで聞こえていた。すべてが喜びに輝いていた。揺るぎない平和と王党の安定した時代であった。警視総監アングレーがパリ郭外に関する秘密の特別報告を王に提出した時代であった。「陛下、すべてを考察するにこれらの人民には何ら恐るべきものなし。彼らは無頓着で怠慢であり、それはまるで猫のようだ。地方の下層の人民は不安なれども、パリのそれはしからず。彼らは皆小人どものみなり。陛下、陛下の精兵一人を作らんがためには彼ら二人を接合するを要すべし。首府の賤民につきては少しも恐るるに足らず。五十年以来彼らの身長なお減じたるは著しきことにして、パリ郭外の者らは革命前よりもいっそう矮小となった。更に危険なることなし。要するに、そは愛すべき細民なり。」

猫が獅子に変わり得ることもあるとは、警察の長官らは信じない。けれどもそれは可能で、そこにパリ民衆の奇蹟がある。そのうえ猫は、アングレー伯爵からはかくも軽蔑せられたが、古い共和制を尊んでいた。そのために彼らの目には自由の姿が刻み込まれていた。そしてピレウスにある無翼のミネルヴァの像と相対立せしめんがためかのように、コラントの広場には猫の青銅の巨像が立っていた。王政復古の正直な警察は、パリの人民をあまりに「立派」に見た。が、それは人が信ずるほど「愛すべき細民」では決してない。パリ人のフランス人におけるは、アテネ人のギリシャ人におけるがごときものである。彼らほどよく眠る者はなく、彼らほど公然と軽佻で怠惰なる者はなく、彼らほど忘却の風を多く有する者はない。けれどもそれを当てにしてはならない。いかなる無頓着をも現わすが、しかし名誉に関する場合には、あらゆる熱狂を示す。槍を与うれば八月十日(訳者注 一七九三年の)の事件を起こし、銃を与うればアウステルリッツの勝利を得る。彼らはナポレオンの支柱であり、ダントンの根拠である。祖国のためには軍籍に入り、自由のためには舗石をもあげて戦う。注意が必要だ! 怒りに満ちた彼らの頭髪は叙事詩的であり、彼らの上着は古ギリシャの外套にも似る。注意せよ。グルネタのあらゆる街路は、彼らの手によって恐ろしき刃の関所となるであろう。一度時機がきたらば、その郭外の住民は大きくなり、その矮小なる男は立ち上がり、恐ろしき目をもってにらみ、吐く息は暴風となり、その狭いあわれなる胸からは、アルプス連山の起伏をも動かすほどの風が出るであろう。フランス革命が、軍隊の力をも借りはしたが、欧州を席巻したのは、パリ郭外の人民の力によってである。彼らは歌う、それが彼らの楽しみである。彼らの歌をしてその天性に応ぜしめよ、しからばわかるであろう。その複唱句としてカルマニョールをのみ与うれば、彼らはただルイ十六世をくつがえすのみ。マルセイエーズを歌わしむれば、彼らは世界を解放せん。

アングレーの報告の余白に以上のことを付記して、われわれはまたわが四組の男女のことに帰ろう。前に言ったとおり、晩餐は既に終わりかけていた。

 

6.うぬぼれの一章

食卓の雑話、恋のさざめき。いずれ劣らぬ捕え難いものである。恋のさざめきは雲であり、食卓の雑話は煙である。

ファムイュとダーリアは鼻歌を歌っていた。トロミエスは酒を飲んでいた。ゼフィーヌは笑い、ファンティーヌはほほえんでいた。リストリエはサン・クルーで買った木のラッパを吹いていた。ファヴォリットは優しくブラシュヴェルを見つめて言った。

「ブラシュヴェル、あたしあんたをほんとに愛してよ。」

その言葉がブラシュヴェルの質問を引き起こした。

「もし僕がお前を愛さなくなったら、ファヴォリット、お前はどうするんだい。」

「あたし!」とファヴォリットは叫んだ。「ああ、そんなことおよしなさいよ、冗談にも! もしあんたがあたしを愛さなくなったら、あたし追いかけて、しがみついて、捕まえて、水をぶっかけてやるわ、警察に捕まえてもらうわ。」

ブラシュヴェルは自負心に媚びられた者のように嬉しげににやりと笑った。ファヴォリットはまた言った。

「ええ、あたし警察にどなり込んでやる。それこそほんとに困まっちまうわ。憎らしい!」

ブラシュヴェルはうっとりとして、椅子にぐっと身を反らせ、得意げに両の目を閉じた。

ダーリアは食事をしながら、その騒ぎの中で声を潜めてファヴォリットに言った。

「それじゃあんたはほんとにあの人を大事に思ってるの、ブラシュヴェルを?」

「あたし、あの人は大嫌い。」とファヴォリットはフォークを取り上げながら同じ低い声で答えた。「それはケチでね。それよりかあたし、家の向こうにいるかわいい男が好きなのよ。若い男だが、それはりっぱよ。あんた知ってて? 見たところ何だか役者のようだわ。あたし役者が大好き。その男が帰って来ると、そのお母さんが言うのよ、ああああ、煩うるさいことだ、また喚わめき立てるんだろう、頭がわれそうだって。鼠の這うようなきたない家なのよ、真っ暗な小さな家よ、それは高い上階でね。その家の中で、歌ったり読誦したりするんだが、何だかわかりゃしない、ただ下からその声が聞こえるだけよ。代言人の所へ通って裁判のことを書くんで、今では日に二十スーとかもらうんだって。サン・ジャック・デュ・オー・パのもとの歌い手の息子なのよ。ほんとにそれは素敵よ。あたしに夢中なの。ある日なんかパンケーキの粉をねってるあたしを見て言うのよ、嬢さん、あなたの手袋でお菓子をこしらえたら私が食べてあげますよって。そんなふうには芸術家でなくちゃ言えやしないわ。ああそれは好いい男よ。どうやらあたしも夢中になりそうだわ。でもどうだっていい、あたしブラシュヴェルに、あんたに惚れてるって言っておくの。あたし嘘をつくのはうまいでしょう、ねえ、上手でしょう!」

ファヴォリットはちょっと言葉を切って、そしてまた続けた。

「ダーリア、ねえあたしつまんないわ。夏中雨ばかりだし、いやな風が吹くし、風は何の足しにもならないし、ブラシュヴェルは大変ケチだしさ。市場には豌豆もあまりないので、何を食べていいかわかりゃしない。イギリス人が言うように憂鬱を感じるわ。バターが大変高いしね。それからまあ御覧なさいよ、何という所でしょう。寝台のある所で食事をしてるんじゃないの。ほんとに世の中が嫌いやになっちまうわ。」

 

7.トロミエスの知恵

さて、ある者は歌い、ある者はやかましく饒舌にしゃべっていて、時々皆がいっしょになって、非常に騒がしかった。トロミエスは皆をさえぎった。

「そうやたらに饒舌にしゃべったり、あまり早口をきいたりするなよ。」と彼は叫んだ。「本当に楽しもうと思うなら、少し考えなくちゃいけない。あまり即興なことばかりやっていると、変に頭を空にしてしまうものだ。流れるビールは泡を立てない。諸君、急がないでほしい。御ちそうには荘重さを加えなければいけない。よく考えて食べ、ゆるゆると味わおうじゃないか。あわてないがいい。春を見たまえ。春も急げば失敗し、すなわち凍る。あまり熱心なのは、桃や杏を害する。あまり熱心なのは、立派な饗宴の美と楽しみとを殺す。熱中するな、諸君。食通グリモー・ド・ラ・レーニエールもタレーランの意見に賛成しているではないか。」

反対のささやきが仲間のうちに聞こえた。

「トロミエス、われわれの邪魔をするな。」とブラシュヴェルは言った。

「圧制者を倒せ!」とファムイュは言った。

「ボンバルダに暴食に暴飲だ!」とリストリエは叫んだ。

「まだ日曜のうちだ。」とファムイュはまた言った。

「われわれは簡潔だ。」とリストリエがつけ加えた。

「トロミエス、」とブラシュヴェルは言った、「モン・カルム(僕の落ち着いてる様)を見ろ。」

「なるほど君は侯爵だ。」とトロミエスは答えた。

その駄洒落は、水たまりに石を投げ込んだようなものだった。モンカルム侯爵といえば当時名高い王党の一人だったのである。蛙どもは皆声をしずめた。

「諸君、」とトロミエスは再び帝国を掌握した者のような声で叫んだ、「落ち着くべしだ。天から落ちたこの洒落にあまり感心しすぎてはいけない。天から落ちたもの必ずしも感心し尊敬すべきもののみではない。洒落は飛び去る精神の糞である。冗談はどこへでも落ちる。そして精神は無駄口を産み落とした後、蒼空にかけ上る。白い糞は岩の上にへたばるとも、なお禿鷹は空に翔かけることをやめない。予の目前にて洒落を侮辱するなかれ! 僕はその価値相当に洒落を尊重する。ただそれだけだ。人類のうちにおいて、そしておそらく人類以外においても、最も厳いかめしき者、最も崇高なる者、最も美しき者、みな多少言葉の遊戯をしている。イエス・キリストは聖ペテロについて、モーゼはイザヤについて、アイスキロスはポリニセスについて、クレオパトラはオクタヴィアについて、洒落を言った。このクレオパトラの洒落はアクチオムの戦いの前に言われたことで、もし彼女がいなかったら誰も、ギリシャ語で鍋匙という意味のトリネの町のことを思い出す者はなかったろう。がそれはそれとしておいて、僕はまた僕の勧告に立ち戻ろう。諸君、繰り返して言うが、熱中するな、混乱するな、度を過ごすな。たとい才気や快活や楽しみや洒落においてもそれはいけない。聞きたまえ、僕はアンフィアラウスの慎重とシーザーの禿頭を持っているんだ。限度というものがなければならない。洒落においてもそうだ。すべてのことに程度ありだ。限度がなければならない。食事においてもそうだ。婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子にも才能と技術とを要する。大食はそれをなす者を害する。大食漢を罰す。消化不良は神の命を受けて胃袋に訓戒をたれる。そしてよろしいか、われわれの各感情は、恋でさえ、一つの胃袋を持っている。それにあまりいっぱい詰め込んではいけない。すべてのことに適当な時期においてフィニスの文字を刻まなければいけない。自らを制しなければいけない。もし危急の場合には、欲望の上に錠をおろし、感興を拘束し、自らおのれを監視しなければいけない。賢者とは、一定の時機におのれを制する道を知る者をいうのである。まあ僕の言うことを信じたまえ。僕はいくらか法律を、その試験を受けたんだから、やったわけである。僕は既定問題と未定問題との差異を知っている。ローマにおいてムナチウス・デメンスが大虐罪の審問掛かりであった頃いかなる拷問を与えたかについて、僕はラテン語の論文を書いたことがある。あるいは僕は博士になるかも知れない。だから必然に僕が愚か者だということは言えないだろう。で僕は諸君に、欲望の節制を勧める。

僕がフェリックス・トロミエスという名であることが真実であるように、僕はまったく本当のことを言うんだ。時機至った時に勇ましき決心の臍を固め、シルラもしくはオリゲネスのごとく後ろを顧みざる者は、幸福なるかな!

ファヴォリットは深い注意を払ってそれを聞いていた。

「フェリックス、」と彼女は言った、「何といい言葉でしょう。あたしそういう名前が好きよ。ラテン語だわね。繁昌という意味でしょう。」

トロミエスは言い続けた。

「市民よ、紳士よ、騎士よ、わが友よ! 諸君は、何らの刺激をも感ずることを欲せず、婚姻の床にもはいらず、恋をないがしろにせんと欲するか。それよりたやすいことはない。ここにその処方がある。曰く、レモン水、過度の運動、労役、疲労、石曳き、不眠、徹夜、硝酸水および睡蓮の煎じ薬の飲用、罌粟および馬鞭草の乳剤の摂取、それに加うるに厳重なる断食をもって腹を空にし、その上になお冷水浴、草の帯、鉛板着用、鉛酸液の洗浄、酸水剤の温蒸。」

「僕はそれよりも女を選ぶ。」とリストリエが言った。

「女!」とトロミエスは言った。「女を信じるな。女の変わりやすい心に身を投げ出す者は不幸である。女は不実にして邪曲である。女は商売敵の感情で蛇をきらうのだ。蛇は女と向かい合いの店だ。」

「トロミエス、」とブラシュヴェルは叫んだ、「君は酔っている!」

「なあに!」とトロミエスは言った。

「それではもっと愉快にしろ。」とブラシュヴェルは言った。

「賛成。」とトロミエスは答えた。

そして杯に酒を満たしながら、彼は立ち上がった。

「酒に光栄あれ! バッカスよ、われ今汝を頌えん! ごめん、婦人諸君、これはスペイン式だ。ところで、その証拠はここにある。曰く、この人民にしてこの樽あり。カスティーユの樽アローブは十六リットルであり、アリカントの樽カンクロは十二リットル、カナリーの樽アルムユードは二十五リットル、バレアールの樽キュアルタンは二十六リットル、ピーター大帝の樽ボットは三十リットルである。偉大なりし大帝万歳、しかして更にいっそう偉大なりし彼の樽ボット万歳だ。婦人諸君、これは友人としての忠告だ。よろしくば互いに隣人を欺け。恋の特性は流転にある。愛情は膝に胼胝を作るイギリスの女中のように、ただ座ってぼんやりするためのものではない。そのためではないのだ。愛情は楽しさに満ちてさまよう。楽しき愛情よ! 迷いは人間的であると人は言う。が僕は言いたい、迷いは恋愛的であると。婦人諸君、僕は諸君を皆崇拝する。おおゼフィーヌ、おおジョゼフィーヌ、愛嬌のある顔よ、歪んでさえいなければ素晴らしい。うっかり腰をかけられてつぶされたようなかわいい顔つきをしている。ファヴォリットに至っては、ニンフにしてミューズの神だ。ある日ブラシュヴェルがゲラン・ボアソー街の溝どぶの所を通っていると、白い靴を引き上げ脛を露わにした美しい娘を見た。その初対面が彼の気に入って、彼は恋に落ちた。その彼の恋人がファヴォリットなのだ、おおファヴォリットよ! 汝の脣はイオニア式だ。エウフォリオンというギリシャの画家が居たが、脣の画家と綽名されていた。そのギリシャ人一人のみが汝の脣を画くに足る。聞いてほしい、汝以前にはかつてその名に値する人間はいなかったのだ。汝はヴィーナスのように林檎をもらい、イヴのように林檎を食うために作られている。美は汝より始まる。


僕は今イヴのことを言ったが、イヴを作ったのはそれは君だ。君は美人発明の特許権を得てもいいのだ。おおファヴォリット、今度は君と呼ぶのをやめ、詩から散文の世界へ移ろう。君は先刻僕の名のことを言ったね。それは僕の心を動かした。しかしわれわれが何であろうとも、われわれは名前に疑問をいだこうではないか。名前も誤ることがある。僕はフェリックス(訳者注:繁昌、幸福の意)という名だが、少しも幸福ではない。言葉は嘘をつくものである。言葉がわれわれにさし示すことを無条件に受け入れてはならない。栓を買わんためにリエージュ(訳者注:キルク栓の意)の街に手紙を書き、手袋を得んためにポー(訳者注:革の意)の街に手紙を出すのは誤りである(訳者注:ファヴォリットの名は寵愛の意を有することを記憶せられたい)。ダーリア嬢よ、僕がもし君であったら、ローザと名乗りたい。花には良い香りが必要であり、婦人には才覚が求められる(訳者注:ローザとは薔薇の意で、薔薇にはダリアと違って芳香がある)。

僕はファンティーヌについて一言も費やさなかったが、ファンティーヌこそは、夢想的で瞑想的な沈思的な敏感な女である。ニンフの姿と尼僧の貞節とをそなえた幻影であり、誤ってうわ気女工の生活のうちに迷い込んだが、しかし幻のうちに逃げ込み、歌を歌い、祈りをし、何を見何をしているかを自ら知らずして蒼空をうちながめ、小鳥の多い空想の庭の中を空を仰ぎながらさまよう女である。おおファンティーヌよ、このことを知ってほしい、私はトロミエス、一つの幻にすぎない。しかし彼女はこの言葉を耳にも入れない、空想の金髪の娘よ! 要するに彼女のうちにあるものは、新鮮、爽快、青春、朝の穏やかな光である。おおファンティーヌよ、汝はマルグリット(菊)もしくはペルル(真珠)の名にふさわしい娘で、最も光輝美しい女である。さて婦人諸君、ここに第二の忠告がある。曰く、決して結婚するなかれ。結婚は一つの接ぎ木のようなものである。うまくもゆけば、まずくもゆく。そういう危険は避けるがよい。

しかし、つまらぬことを僕は言い出したものだ。言葉をむだにするばかりだ。結婚については、娘たちは救われない。われわれ賢者がいかに言葉を費やしても、チョッキを仕立て半靴を縫う娘たちまでが、やはりダイヤモンドを飾った夫を夢みるのだ。それもよし。ただ美人諸君、よく心に入れたまえ、諸君はあまりに多く砂糖を食いすぎる。婦人諸君、君たちはただ一つの欠点を持っている、すなわち、砂糖を蚕食することだ。おお齧歯類の婦人よ、君たちの美しい小さな白い歯は砂糖を崇拝する。がよく聞かれよ、砂糖は一種の塩である。塩はすべて物を乾燥せしむる。中にも砂糖はあらゆる塩のうちで最も乾燥力が強い。それは血管を通して血液の水分を吸い取る。それ故血液の凝結と次にその固結をきたす。そのために肺に結核を生じ、次いで死をきたす。

糖尿病と肺病とが隣するはこのゆえである。それで、砂糖をかじらなければ君たちは万々歳だ! 次に男子諸君に言う。諸君、よろしく婦人を獲得すべしだ。何ら悔いの念なく互いに恋人を奪い合うべしだ。恋には友人も存しない。美人ある所には至る所に対抗がはじまる。仮借なき決戦! 美人はカジュス・ベリ(戦囚)であり、美人は一つの現行犯である。歴史上のすべての侵入は女の腰巻きによって決定せられた。婦人は男子の権利物である。ロムルスはサビネの女らを奪い、ウィリアムはサクソンの女らを奪い、シーザーはローマの女らを奪った。愛されない男は、禿鷹のように他人の恋人の上を飛び回る。僕はひとり者の不幸な男らに、ボナパルトがイタリー軍になした崇高なる宣言を投げ与える、曰く、兵士らよ、汝らは何物をも有せず、敵はすべてそれらを持てり。

トロミエスはちょっとやめた。

 

「少し息をつけ、トロミエス。」とブラシュヴェルは言った。

同時にブラシュヴェルはリストリエとファムイュとにつけられて、哀歌の節で歌を歌い出した。それはでたらめの言葉を並べた工場の小唄の一つで、むちゃに韻を踏み、木の身振りや風の音と同じく、何ら意味もなく、煙草の煙とともに生まれ、その煙とともに散り失せ飛び去っていく歌の一つであった。トロミエスの長談義に答えて皆が歌ったその歌は次のようなものだった。

ばかな長老さんたちは、

代理の者に金をくれて、

クレルモン・トンネールさんを、

サン・ジャンの法皇に骨折った。

クレルモンは牧師でないゆえ、

法皇になることできんかった。

代理の者は腹立てて、

その金持って戻ってきた。

それはトロミエスの即席演説を静めはしなかった。彼は杯を飲み干し、再び酒を注いで、話を始めた。

「知恵をうち仆たおせ! 僕が言ったことはすべて忘れるがいい。貞淑であるなかれ、小心であるなかれ、廉直であるなかれ。僕は愉悦に向かって祝杯を捧げる。よろしく快活なれ! わが法律の講座を補うにばか騒ぎと御ちそうとをもってすべし。不消化と法律全書。ジュスティニアンは男性にしてリパイユは女性たるべし! 深淵のうちにおける快楽よ! 生きよ、おお天地万物よ! 世界は大なるダイヤモンドなるかな! 僕は愉快だ。小鳥は驚くべき存在だ。ここはお祭りのようだ! 鶯は無料で聞けるエルヴィウーだ。夏よ、われは汝を祝する。おおリュクサンブール、おおマダム街の民謡よ! おおオブセルヴァトアールの通路の民謡! おお夢みる兵士ら! 子供を守りしながらその姿を描いて楽しむかわいい婢なら! オデオンの拱廊がなければ、僕はアメリカの草原を喜ぶ。わが魂は人跡いたらぬ森林と広漠たる草原とに飛ぶ。万物はすべて美しい。蠅は光のうちを飛び、太陽に蜂雀はさえずる。わが輩を抱け、ファンティーヌ!」

そして彼はまちがえてファヴォリットを抱いた。

 

8.馬の死

「ボンバルダよりエドンの方がうまいものを食べさせるわ。」とゼフィーヌが叫んだ。

「僕はエドンよりボンバルダの方が好きだ。」とブラシュヴェルは言った。「こっちの方がよほど上等だ。よほどアジア風だ。下の部屋を見てみたまえ。壁にはグラス(鏡)がかかっている。」

「グラス(氷)ならお皿の中の方がいいわ。」とファヴォリットは言った。

ブラシュヴェルは言い張った。

「ナイフを見たまえ。ボンバルダでは柄が銀だが、エドンでは骨だ。銀の方が骨よりも高いんだ。」

「そう、銀髯の腮を持ってる人を除いてはね。」とトロミエスが言った。

彼はその時、ボンバルダの窓から見える廃兵院の丸屋根を見ていた。それからちょっと言葉が絶えた。

「おい、トロミエス。」とファムイュは叫んだ。「先程、リストリエと僕が議論をしたんだが。」

「議論は結構だ。」とトロミエスは答えた。「喧嘩ならなおいい。」

「哲学を論じ合ったんだ。」

「なるほど。」

デカルトスピノザと君はどっちが好きなんだ。」

「デゾージエ(訳者注 当時歌謡の作者)が好きだ。」とトロミエスは言った。

そうくいとめておいて、彼は一杯飲んで、そして言った。

「わが輩は生きるに賛成だ。地上には何物も終滅していない、何となれば人はなおばかを言い得るからだ。僕はそれを不死の神々に感謝する。人は嘘をつく、しかし人は笑う。人は確言する、しかし人は疑う。三段論法から意外なことが飛び出す。それがおもしろいのだ。逆説のびっくり箱を愉快に開けたり閉めたりできる人間が、なおこの世にはいる。だが婦人諸君、君たちが安心しきったように飲んでるこのぶどう酒はマデール産だ。よろしいか。海抜三百十七尋の所にあるクーラル・ダス・フレイラスの生きぶどう酒だ。飲むうちにも注意するがいい! 三百十七尋だぞ! そしてこのりっぱな料理屋のボンバルダ氏は、その三百十七尋を四フラン五十スーで諸君にくれるのだ。」

ファムイュはまたそれをさえぎった。

「トロミエス、君の意見は法則となるんだ。君の好きな作者はだれだ!」

「ベル……。」

「ベル……カンか。」

「いや。……シューだ。」(訳者注 ベルシューは「美食法」という詩の作者)

そしてトロミエスはしゃべり続けた。

「ボンバルダに栄光あれ! エジプト舞妓の一人を加うれば、エレファンタのムノフィス料理店にも肩を並べ、ギリシャ売笑婦の一人を加うれば、ケロネのティジェリオン料理店とも肩を並べるだろう。何となれば、婦人諸君、ギリシャにもエジプトにも、ボンバルダというのがあったのである。アプレウスの書物に出ている。ただ悲しいかな、世事は常に同一にして何ら新しきことなし。創造主の創造のうちにはもはや何ら未刊のものなし! ソロモンは言う、天が下に新しきものなし! ヴィルギリウスは言う、恋は世の人すべてのものなり! 今日、学生が女学生と共にサン・クルーの川舟に乗るのは、昔アスパジアがペリクレスと共にサモスの流れに浮かんだのと同じである。なお最後に一言を許せ。婦人諸君、君たちはアスパジアがいかなる女であったかを知っているか。彼女は女なる者が未だ魂を持たなかった時代にいたのであるが、彼女のみは一個の魂であった。薔薇色と緋色との色合いをした魂で、火よりもいっそう熱く、曙よりもいっそう新鮮であった。アスパジアは女の両極を同時に持つ女性であった。娼婦にして女神であった。ソクラテスに加うるにマノン・レスコーであった。アスパジアは実に、プロメシュースに女が必要である場合には、その用をなすために作られたようなものであった。」

トロミエスは一度口を開けば容易に止まらなかったのであるが、その時ちょうど河岸で一頭の馬が倒れた。その事件のために、荷車と弁士とはにわかに止まった。それはボース産の牝馬で、年老いてやせて屠殺所に行くに相当したものだったが、きわめて重い荷車をひいていた。ボンバルダの家の前まで来ると、力つきて疲憊した馬は、もうそれ以上進もうとしなかった。そのためまわりに大勢の人が集まった。ののしり怒った馬車屋が、その時にふさわしい力をこめて断然たる「畜生!」という言葉を発しながら、鞭をもって強く一打ち食わせるか食わせないうちに、やせ馬は倒れてしまって、また再び起きなかったのである。通行人らの騒ぎに、トロミエスの愉快な聴衆もふり向いてながめた。そしてその間にトロミエスは、次の愁うるわしい一節を歌っておしゃべりの幕を閉じた。


辻馬車と四輪の馬車と同じ運命の

浮き世にありてまた駑馬なりければ、

ああ、畜生の一種なる駑馬のように

この世を彼女は生きぬ。

「かわいそうな馬」とファンティーヌはため息をもらした。

ダーリアは叫んだ。

「そらファンティーヌが馬のことを悲しみ出したわ!どうしてそんな馬鹿な気持ちになれるんだろう!」

その時、ファヴォリットは両腕を組み、頭を後ろに投げ、じっとトロミエスを見つめて言った。

「さあ!びっくりするようなことは?」

「そうだ。ちょうど時がきた。」とトロミエスは答えた。

「諸君、この婦人たちをびっくりさせる時がやってきたんだ。婦人諸君、しばらくわれわれを待っていてくれたまえ。」

「まずキスで始まるんだ。」とブラシュヴェルが言った。

「額にだよ。」とトロミエスはつけ加えた。

皆それぞれ荘重に自分の女性の額にキスをした。それから口に指をあてながら、四人とも相続いて扉の方へ行った。

ファヴォリットは彼らが出て行くのを見て手を拍たたいた。

「そろそろおもしろくなってきたわ。」と彼女は言った。

「あまり長くかかっては困るわ。」とファンティーヌは口の中で言った。「みんな待っているから。」

 

9. 歓楽のおもしろき終局

若い娘たちは、後に残った時、二人ずついっしょになって窓の手すりにもたれ、首をかがめ窓から窓へ言葉をかわして、なおしゃべっていた。

彼女たちは四人の青年が互いに腕を組んでボンバルダ料理店から出て行くのを見た。彼らは振り返って、笑いながら女たちに合い図をし、毎週一回シャン・ゼリゼーにいっぱいになるそのほこりだらけの日曜の雑沓のうちに姿を消した。

「長くかかってはいやよ!」とファンティーヌが叫んだ。

「何を持ってきてくれるのかしら。」とゼフィーヌは言った。

「きっときれいなものよ。」とダーリアは言った。

「あたし、」とファヴォリットは言った、「黄金のものがいいわ。」

だが彼女たちは間もなく、川縁のどよめきに気を取られてしまった。大きな木立の枝の間からはっきり見えて、大変おもしろかったのである。ちょうど郵便馬車駅馬車が出かける時だった。南と西へ行くたいていの馬車は、当時シャン・ゼリゼーを通っていったものである。その多くは河岸に沿って、パッシーの市門から出て行くのを常としていた。黄色や黒に塗られ、重々しく荷を積まれ、多くの馬にひかれ、行李や桐油紙包みや鞄などのため変な形になり、客をいっぱいのみこんでる馬車が、絶えまなく通って、道路をふみ鳴らし、舗石に火を発し、鍛冶場のような火花を散らし、ほこりの煙をまき上げ、恐ろしい有様をして、群集の間を走っていった。その騒ぎが若い娘たちを喜ばせた。ファヴォリットは叫んだ。

「何という騒ぎでしょう! 鎖の山が飛んでゆくようだわ。」

ところが一度、楡の茂みの中にわずかに見えていた一つの馬車が、ちょっと止まり、再びかけ出した。ファンティーヌはそれにびっくりした。

「変だわ!」と彼女は言った。「駅馬車は途中で止まるものでないと思っていたのに。」

ファヴォリットは肩をそびやかした。

「ファンティーヌはほんとに人をびっくりさせるよ。おかしな人だね。ごくつまらないことにも目を見張るんだから。かりにね、あたしが旅をするとするでしょう。駅馬車にこう言っておくとする、先に行ってるから通りがかりに河岸の所で乗せておくれって。するとその駅馬車が通りかかって、あたしを見て、止まって、乗せてくれるわ。毎日あることよ。あんたは世間を知らないのね。」

そんなことをしているうちにしばらく時がたった。とにわかにファヴォリットは、目をさましたとでもいうような身振りをした。

「ところで、」と彼女は言った、「びっくりすることはまだかしら。」

「そうそう、」とダーリアは言った、「例のびっくりすることだったわね。」

「あの人たちは大変長いわね!」とファンティーヌは言った。

ファンティーヌがため息をもらした時、食事の時についていたボーイが入ってきた。何か手紙らしいものを手に持っていた。

「それなあに?」とファヴォリットが尋ねた。

ボーイは答えた。

「皆様へと言って旦那方が置いてゆかれた書き付けです。」

「なぜすぐに持って来なかったの。」

「旦那方が、」とボーイは言った、「一時間後にしか渡してはいけないとおっしゃったものですから。」

ファヴォリットはボーイの手からその書き付けを引ったくった。それは果して一通の手紙であった。

「おや!」と彼女は言った、「あて名がないわ、だがこう上に書いてある。」

これがびっくりすることなのだ。

彼女は急いで封を切り、それを披ひらき、そして読み下した。(彼女は字が読めるのだった。)


愛する皆さんへ!

われわれに両親のあることは御承知であろう。両親、皆さんはそれがいかなるものであるかよくご存じないでしょう。幼稚な正直な民法では、それを父と母と呼んでいる。ところで、両親は悲嘆にくれ、老人たちはわれわれに哀願し、善良なる男女はわれわれを放蕩息子と呼び、われわれの帰国を希ねがい、われわれのために犢を殺してごちそうをしようと言っている。われわれは徳義心が深いので、彼らの言葉に従うことにした。皆さんがこれを読まれる頃には、五頭の勢いよき馬はわれわれを父母のもとへ運んでいるであろう。ボシュエが言ったようにわれわれは営を撤する。われわれは出発する、いやもう出発したのである。

われわれはラフィットの腕に抱かれカイヤールの翼に乗って逃れるのである。ツウルーズの駅馬車はわれわれを深淵から引き上げる。そして深淵というのは、皆さん、おおわが美しき少女らである。われわれは社会の中で、義務と秩序の中に、一時間三里を行く馬の疾走で戻るのだ。県知事、一家の父、野の番人、国の顧問、その他すべて世間の人のごとくに、われわれの存在もまた祖国に必要である。われわれを尊重せられよ。われわれはおのれを犠牲にするのである。急いでわれわれのことを泣いて、早くわれわれの代わりの男を求めてほしい。もしこの手紙が皆さんの胸をはり裂けさせるならば、またこの手紙をも裂かれよ。さらば。

およそ二カ年の間、われわれは皆さんを幸福ならしめた。それについてわれわれに恨みをいだきたもうなかれ。

署名

ブラシュヴェル

ファムイュ

リストリエ

フェリックス・トロミエス

追白、食事の払いは済んでいる。

四人の若い娘は互いに顔を見合った。

ファヴォリットが第一にその沈黙を破った。

「なるほど、」と彼女は叫んだ、「とにかくおもしろい狂言だわ。」

「おかしなことだわ。」とゼフィーヌは言った。

「こんなことを考えついたのはブラシュヴェルに違いない。」とファヴォリットは言った。「そう思うとあの男が好きになったわ。いなくなったら恋しくなる。まあ万事そうしたものね。」

「いいえ、」とダーリアは言った、「これはトロミエスの考えたことだわ。受け合いだわ。」

「そうだったら、」とファヴォリットは言った、「ブラシュヴェルだめ、そしてトロミエス万歳だわ。」

「トロミエス万歳!」とダーリアとゼフィーヌは叫んだ。

そして彼女たちは笑いこけた。

ファンティーヌも他の者と同じく笑った。

一時間後、自分の部屋に帰った時、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任せていた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。

 



第一部   ファンティーヌ  第四編   委託は時に放棄となる

 

1.母と母との出会い

パリーの近くのモンフェルメイユというところに、今ではもう無くなったが、十九世紀の初めに一軒の飲食店のようなものがあった。テナルディエという夫婦が営んでいたもので、ブーランジェーの小路に位置していた。戸口の上の方には、壁に平らに釘付けにされている一枚の板が見られた。その板には、一人の男が他の一人の男を背負っているように見える絵が描かれてあった。背中の男は、大きな銀の星がついている将官の太い金モールの肩章をつけていた。血を示す赤い斑点がいくつもついていた。画面の他の部分は、一面に煙が立ち込め、たぶん戦争を示したものであろう。下の方には次の銘が読まれた、「ワーテルローの軍曹へ。」

旅籠屋の入口には箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、その壊れた馬車は、いかにも大きくて、もし画家でも通りかかったらきっとその注意を引くだろうと思われるほどだった。

それは森林地方で厚板や丸太を運ぶのに使われる荷馬車の前車まであった。その前車は、大きな鉄の心棒と、それに嵌め込んである重々しい梶棒と、またその心棒を支えるばかに大きな二つの車輪でできていた。その全体はいかにもでっぷりとしていて、重々しく、またぶかっこうだった。ちょうど大きな大砲をのせる砲車のようだった。車輪や箍や轂や心棒や梶棒などは厚く道路の泥をかぶって、大会堂を塗るにもふさわしい変な黄色がかった胡粉を被せたようだった。木の部分は泥に隠れ、鉄の部分は錆に隠れていた。心棒の下には、凶猛な巨人ゴライアスを縛るのに良さそうな太い鎖が、綱を渡したようにつるされていた。その鎖は、大きな木材を運ぶためのものというより、むしろつながれているように見えた太古の巨獣マストドンやマンモスを思い起こさせた。それはまるで牢獄のような感じだった。それは巨人のような、超人間的な牢獄であった。そして何かある怪物から解き放たれているかのようだった。ホメロスはそれを持ってポリフェモスを縛り、シェークスピアはそれを持ってカリバンを縛ったことであろう。

なぜそんな荷馬車の前車がそこに置かれているかというと、第一には往来をふさぐためで、第二には錆びさせてしまうためだった。昔の社会には種々の制度があって、そんなふうに風雨にさらして通行の邪魔をするものがいくらもあった、そしてそれも他には何らの理由もないのである。

さてその鎖の真ん中は心棒の下に地面近くまで垂れ下がっていた。そしてそのたるんだところにちょうどぶらんこの綱にでも乗ったようにして、その夕方、二人の小さな女の子が腰を掛けて嬉しそうに寄り添っていた。一人は二歳半ぐらいで、もう一人の子は一歳半ぐらいで、小さい方の子は大きい方の子の腕に抱かれていた。うまくハンカチを結びつけ、二人が鎖から落ちないようにしてあった。母親がその恐ろしい鎖を見て、「まあ、私の子供にちょうどいい遊び道具だ」と言ってそうさしたのだった。


二人の子供は、それでもきれいな、そしていくらか念入りな服装をさせられて、生き生きとしていた。ちょうど錆びついた鉄の中に咲いた二つの薔薇のようだった。その目は、大きくて立派な睫毛を持っているようだった。その瑞々しい頬には笑いが浮かんでいた。一人は栗色の髪で、一人は褐色の髪をしていた。その無邪気な顔は、驚きに満ちていた。通り過ぎる人たちに漂ってくる傍らの草むらの花の香りも、その子供たちから発せられているかのように思われた。一歳半の方の子供は、かわいらしい腹部を露わに見せていたが、その不作法さもかえって幼児の潔らかさであった。その幸福と輝きに浸っている二人の優しい頭の上や周りには、荒々しい曲線と角度がもつれ合い、錆で黒くなったほとんど恐ろしい巨大な前車が、洞穴の入り口のように横たわっていた。そこから数歩離れて、宿屋の敷居の所にうずくまって、あまり人好きのしない顔立ちではあるがその時はちょいとよく見えていた母親が、鎖につけた長いひもで二人の子供を揺すりながら、母性に特有な動物的で同時に天使的な表情を浮かべて、何か危険なことが起こりはしないかと気を使って見守っていた。鎖の揺れるたびごとに、その気味悪い鉄輪は、怒りの叫び声にも似た鋭い音を立てたが、子供たちは大喜びで、夕日までがその喜びに交じって輝いていた。巨人の鎖を天使のぶらんこにしたその偶然の思いつきほど人の心をひくものはなかった。

二人の子供を揺すりながら、母親は当時名高い恋歌を調子はずれの声で低く歌っていた。

余儀なし、と勇士は言いぬ……

歌を歌いまた子供たちを見守っていたために、彼女には往来で起こっていることが聞こえも見えもしなかった。けれども、彼女がその恋歌の初めの一連を始めた時には、だれかが彼女のそばにきていた。そして突然彼女は自分の耳のすぐそばに人の声を聞いた。「まあ、かわいいお児さんたちでございますね。」

美しく優しきイモジーヌへ。

と母親はなお歌い続けながらその声に答えて、それからふり向いてみた。一人の女がすぐ数歩前の所にいた。その女もまた一人の子供を腕に抱いていた。女はなおその外に、重そうに見えるかなり大きな手鞄を持っていた。その女の子供は、おそらくこの世で見られる最も聖なる姿をしたものの一つであった。二歳か三歳の女の子だった。服装の美しさは前の二人の子供に劣らなかった。上等のリンネルの帽子をかぶり、着物にはリボンをつけ、帽子にはヴァランシエーヌ製のレースをつけていた。裳ものの襞が高くまくられているので、ふとった丈夫そうな白い腿が見えていた。美しい薔薇色の顔をして健康そうだった。頬は林檎のようで、くいつきたいほどだった。その目は、大きくて立派な睫毛を持っているようだった。子供は眠っていたのである。

子供はその年齢特有の絶対的な信頼を込めた眠りに入っていた。母親の腕は柔和であり、子供はその中に深く眠るものである。母親の方は、見た目が貧しそうで悲しげだった。またもとの百姓女に返ろうとでもしているような女工らしい服装をしていた。まだ年は若かった。あるいはきれいな女であったかもしれないが、その服装ではそうは見えなかった。ほつれて下がっている一房の金髪を見ると、髪はかなり濃いように見えるが、あごに結びつけた汚い固い小さな尼さんのような帽子のために、すっかり隠されていた。美しい歯があれば笑うたびに見えるのだが、その女は全く笑わなかった。目は、すでに長い間涙が乾く暇もなかったように見えていた。顔は青ざめていた。疲れきって病気であるかのような様子をしていた。腕の中に眠っている女の子を、子供を育てたことのある母親に独特な一種の顔付きでのぞき込んでいた。廃兵が持つような大きな青いハンカチを襟にたたみつけ、肩が重苦しそうに覆われていた。手は日に焼けて茶褐色の斑点が浮き出していて、食指は固くなって針を持った傷がついていた。褐色の荒い手織りのマントを着、麻の長衣をつけ、粗末な靴をはいていた。それがファンティーヌであった。


まさにファンティーヌであった。が、ちょっと中々そうとは思えなかった。けれどよく注意してみれば、彼女はなお、その美貌を持っていた。少し皮肉らしさのある、愁うるわしげなしわが右の頬に寄っていた。彼女の化粧は、快楽とばか騒ぎと音楽とでできているかのようで、鈴を数多くつけ、ライラックの香気をくゆらしたあのモスリンとリボンとの軽快な化粧は、金剛石かと思われるほど、日の光に輝く美しい霜のように、はかなく消え失せてしまったのだった。美しい霜は解けて、黒い木の枝のみが残る。

あの「おもしろい狂言」から十カ月過ぎ去ったのである。その十カ月の間にどんなことが起こったか?それは想像するに難くない。

捨てられた後には苦境。ファンティーヌはすぐにファヴォリットやゼフィーヌやダーリアをも見失ってしまった。男たちの方からの綱が切れれば、女たちの方からの結び目も解ける。もし半月も過ぎてから、お前たちは互いに友だちであったと言われたら、彼女らはびっくりすることだろう。もはや友だちであるなどという理由はなくなったのである。ファンティーヌはただ一人になってしまった。彼女の子供の父はもう立ち去ってしまった――悲しくもそういう分離は再び元にかえすことのできないものである――彼女は全然孤独になってしまった。それに労働の習慣は薄らぎ、快楽への嗜好が増していたが、トロミエスとの関係に引きずられ、自分のできるつまらぬ職業を軽蔑するようになったので、彼女は世の中への出口を閑却していた。そしてその出口はまったく閉ざされてしまった。金を得る途がなかった。彼女はどうかこうか字は読めたが、書くことはできなかった。子供の時に名を書くことを教わっただけだった。彼女は代書人に頼んでトロミエスに手紙を書いてもらった。それからまた第二、第三と手紙を書いてもらった。が、トロミエスはそのどれにも返事をくれなかった。

ある日、ファンティーヌは、おしゃべりな女たちが彼女の女の子を見て言っているのを聞いた。「あんな子供をだれが本気にするものか。あんな子供にはだれだって肩をすくめるだけだ!」そこでファンティーヌは、自分の子供に肩をすくめてその罪ない児を本気に取ろうとしないトロミエスのことを思った。そして彼女の心はその男のことで暗くなった。それにしても、どう心を決めたらいいか?彼女はもはやだれに訴えん術すべもなかった。彼女は過ちを犯したのだった。しかし読者が知るとおり、彼女の心底は純潔で貞淑だった。彼女は漠然と、破滅のうちに陥りかけていること、いっそう悪い境涯にすべり込みかけていることを感じた。勇気が必要だった。彼女は勇気を持ち、意地を張った。生まれ故郷のモントルイユ・スュール・メールの街に帰ってみようという考えがふと浮かんだ。そこへ行けば、たぶん誰かが自分を知っていて、仕事を与えてくれるかもしれない。そうだ。けれども自分の過ちを隠さなければならない。そして彼女は、第一のより更につらい別れをなさなければならないであろうと、ぼんやり感じた。胸がつまったが、決心を固めた。これからわかることであるが、ファンティーヌは生活の手荒い元気を持っていた。

彼女はすでに勇ましくも華美を捨て、自分は麻の着物を着て、あらゆる絹物や飾り、リボン、レースを女の子に着せてやった。それは彼女に残っていた唯一の見栄であって、それも聖なる見栄だった。彼女は自分のものをすべて売り払い、その結果、二百フランを得た。けれど細々こまごました負債を払ってしまうと、八十フランばかりしか残らなかった。二十二歳で、春のある美しく晴れた朝、彼女は背中に子供を負ってパリを出立した。そうして子供と二人で歩いてゆくのを見た者があったら、きっと二人をあわれに思ったであろう。その女は世の中にその子供のほか何も持たなかった、そしてその子供は、世の中にその女のほか何も持たなかった。ファンティーヌはその女の子に自分で乳を与えてきた。それは彼女の胸部を疲らしていた。彼女は少し咳をしていた。


フェリックス・トロミエス君のことを語る機会はもう再びないだろう。で、ただちょっと、ここに言っておこう。二十年後、ルイ・フィリップ王の世に、彼は地方の有力で富裕な堂々たる代言人となっており、また賢い選挙人、いたって厳格な陪審員となっていた。けれど相変わらず遊び好きであった。

ファンティーヌは身体を疲れさせないために、一里四スーの割で、当時パリ近郊の小馬車と呼ばれていた馬車に時々乗った。そのため、その日の正午ごろには、モンフェルメイユのブーランジェーの小路に着いていた。

テナルディエ飲食店の前を通りかかった時、あの二人の女の子が気味悪いぶらんこに乗って喜んでいるのを見て、彼女は心を打たれ、その喜びの様に見とれて立ち止まったのだった。

人の心を引きつけるものはいくらでもある。二人の女の子は、母なるファンティーヌにとってその心を引くものの一つであった。

彼女は心を動かされ、二人の女の子を見守った。天使のいるのは楽園の近きを示す。彼女はその飲食店の上に、神に書かれた不思議なこの場所という文字を見るような気がした。二人の女の子は、実に幸福そうだった。彼女はその二人を見守り、その二人に見とれ、しみじみとした気持ちになったので、その母親が歌の二句の間に息をついた時、彼女の口からは前に言った次の言葉が自然に出てきた。

「まあかわいいお児さんたちでございますね。」

いかに猛々しい動物でも、自分の子をかわいがると穏やかになるものだ。母親は頭をあげて礼を言った。そして自分は敷居の上に腰掛けていたので、その通りがかりの女を戸口の腰掛けに座らせた。二人の女は話した。

「私はテナルディエの家内なんです。」と二人の子供の母親は言った。「私どもは、この飲食店をやっているんです。」

それからまた、例の恋歌に返って、彼女は口の中で歌った。

余儀なし、われは騎士なれば、

パレスティナへ出いで立たん。

そのテナルディエの家内というのは、ふとった角ばった赤毛の女だった。そのぶかっこうな様は、ちょうど女兵隊という型だった。そして変なことには、小説を耽読したためか妙に容態ぶっていた。愛嬌を作った男のような女だった。古い小説が飲食店の主婦の想像の上に絡みついたので、そんなふうになったのだった。まだ若くて、ようやく三十になるかならない程度だった。もし彼女がうずくまっていないで直立していたら、その背の高い身体と市場でうろついていそうな大きな肩幅は、おそらく初めから旅の女を驚かせ、その信用を失わせ、われわれがこれから語るようなことは起こらなかったであろう。一人の女が立っていないで座っていた、ただそれくらいのことが運命の糸を絡ませるのだ。

旅の女は少し手加減をして身の上を語った。

女工であったこと、夫が死んだこと、パリで仕事がなくなったこと、他の土地へ仕事を探しに出かけること、自分の故郷へ行くこと、その日の朝徒歩でパリを発ったこと、子供を背負っていたので疲れを覚えると、幸いにもヴィルノンブル行きの馬車に出会って乗ったこと、ヴィルノンブルから歩いてモンフェルメイユまでやってきたこと、子供は少しは歩けるがまだ年もゆかないので多くは歩けぬこと、それで抱き上げなければならず、子供は眠ってしまったこと。


そう言って彼女は子供に熱いキッスをしたので、子供は目をさました。子供は目を開いた。母親のような青い大きな目であった。そしてながめた。何を?何物も、またすべてを、小さな子供に特有なまじめなまた時としてきつい眼眸まなざしで。それはわれわれ大人の堕落しかけた徳義に対して子供の光り輝く清浄無垢が有する神秘である。まるで彼らが自ら天使であることを感じ、私たち大人が人間であることを知っているかのようだった。それからその女の子は笑い出した。そしていくら母親が引きとめても、走り出さんとする子供を抑えることのできない力で、地面に滑り降りてしまった。と突然、その子はぶらんこに乗っている他の二人の子供を見て、急に立ち止まって、感じ入ったように口を開いて舌を出した。

テナルディエの上さんは二人の子を解き放し、ぶらんこからおろしてやり、そして言った。「三人でお遊びよ。」

そのくらいの年頃にはすぐに仲良くなるものだ。間もなくテナルディエの二人の子は新しく来た子供といっしょに地面に穴を掘って遊んだ。限りない楽しみのように見えた。

新来の子供は非常に快活だった。母親の温良さはその児の快活さのうちにあらわれる。子供は木の一片を拾ってそれをシャベルにして、蠅のはいるくらいの小さな穴を元気そうに掘った。墓掘りのようなことも、子供がすれば可愛らしくなる。

二人の婦人は話し続けていた。「あなたのお子さんの名は?」

「コゼットといいます。」

コゼットというもウューフラジーが本名である。女の子の名はウューフラジーだった。しかし母親はウューフラジーをコゼットにしてしまった。それはジョゼファをペピタに変え、フランソワーズをシエットに変える、母親や民衆の柔和な優しい本能からである。それは一種の転化語であって、実に語源学を乱し困らせるものである。われわれはテオドールをグノンというのに首尾よく変えてしまった一人の祖母のことを知っている。

「おいくつですか?」

「じきに三つになります。」

「うちの上の子と同じですね。」

そのうちに三人の女の子はいっしょに集まって、ひどく気をひかれてうっとりしているような様子だった。一事件が起こったのである。大きなみみずが一匹地の下から出てきたので、それに見とれているのだった。

彼らの輝いた額は相接していた。まるで一つの後光の中にある三つの頭のようだった。

「子供はほんとにすぐに仲よくなるものですね。」とテナルディエの上さんは叫んだ。「あんなふうにしていると、まるで三人の姉妹のようですね。」

その言葉は、おそらくも一人の母親が待ち受けていた火花であった。彼女はお上さんの手を執り、その顔をじっと見守って、そして言った。「私の子供を預かっていただけませんか。」

テナルディエの上さんは、承知とも不承知ともつかないびっくりした様子を示した。

コゼットの母親は続けて言った。「ねえ、私は娘を国へつれてゆくことができませんのです。そうしては仕事ができません。子供連れでは仕事の口が見つかりません。あちらの人はほんとに変なんです。私がお店の前を通りかかったのは神様のお引き合わせでございます。私はお子さんたちのあんなにかわいくきれいで楽しそうなところを見まして、ほんとに心を取られてしまいました。ああいいお母さんだ、そうだ、三人で姉妹のように見えるだろう、と思いました。それに私はじきに帰って参ります。子供を預かっていただけませんでしょうか。」

「考えてみましてから。」とテナルディエの上さんは言った。


「月に六フランずつ差し上げますから。」

その時、店の奥から男の声が響いた。

「七フランより少なくてはいかん。そして六カ月分前払いでなければ。」

「六七、四十に。」とテナルディエの上さんは言った。

「それを差し上げますから。」と母親は言った。

「そのほかに支度金として十五フラン。」と男の声は付け加えた。

「合計で五十七フラン。」とテナルディエの上さんは言った。そしてその数字とともに、彼女はまた何とはなしに歌い出した。

仕方なく、と勇士は言った。

「差し上げますとも」と母親は言った。「八十フラン持っていますから。それで国へ行けるだけは残ります。歩いてさえ行けば。あちらへ行ったらお金をもうけまして、少しでもできたら子供を連れにまた帰ってきます。」

男の声がまた響いた。

「その子は着物は持ってるね。」

「あれは私の亭主ですよ。」とテナルディエの上さんは言った。

「ええ、着物はありますとも。大事な子ですもの。私はあなたの御亭主だとわかっていました。それも上等な着物なんです。ずいぶん贅沢なのです。皆ダースになっています。それからりっぱな奥様が着るような絹の長衣もあります。みんな私の手鞄の中にあります。」

「それを渡しておかなければならないよ。」と男の声がした。

「ええ、上げますとも!」と母親は言った。「子供を裸で置いていくなんて、そんな無茶なことができるでしょうか。」

主人の顔がそこに現れた。

「それでよろしい。」と彼は言った。

取り引きは決まった。母親はその一晩を宿屋で過ごし、金を渡して、子供を残し、子供の衣類を出して軽くなった手鞄の口を閉め、翌朝、間もなく戻るつもりで出発した。そういう出発は静かになされるが、その心は絶望である。

テナルディエの近所の一人の女が、立ち去ってゆくその母親に出会った、そして帰ってきて言った。

「通りで泣いている女を見ましたが、かわいそうでたまらなかった。」

コゼットの母親が出発してしまった時、亭主は女房に言った。

「これで明日が期限になってる百十フランの手形が払える。五十フランだけ不足だったんだ。執達吏と拒絶証書とを差し向けられるところだった。うまくお前は子供どもで罠をかけたもんだね。」

「別にそういうつもりでもなしにさ。」と女は言った。

 

2.怪しき二人に関する初稿

 捕えられた鼠(ねずみ)はきわめて弱々しかった。しかし猫(ねこ)はやせた鼠をも喜ぶ。
 一体そのテナルディエ夫婦はいかなる人物であったか?
 ここでまずそれについて一言費やしておこう。そして後になってこの稿を完まっとうすることにしよう。
 この二人は、成り上がりの下層の人々と零落した知識人たちから成り立っている不純な階級に属するものであって、そういう階級の人々は、いわゆる中流社会といわゆる下層社会との中間に位し、後者の欠点の多少を有するとともにまた前者のほとんどすべての欠点を持ち、労働者の寛大な発情もなければ中流民の正直な秩序も知らないのである。
 彼ら二人は、もしある焔が偶然その心を温めることがあるとしても、またたやすく凶悪になるような下賤な性質の者であった。女の中には野獣のような性根があり、男の中には乞食のような素質があった。二人とも、悪事に関してはどんなひどいことでもやりかねない性質を持っていた。世の中には、蟹のように後退する者もいる。常に暗やみの方へ退き、人生において前に進むというよりもむしろ後ろに退き、自分の不具をますます大ならしめることに経験を用い、絶えず悪くなってゆき、しだいにますます濃い暗黒に染まってゆく。二人は男女とも、そういう魂の者であった。

 亭主のテナルディエは特に、人相占い師にとって厄介な人物であった。ちょっと見てもすぐにこいつは用心しなければいけないと思えるような人がいるものである。彼らの両端は暗く、後方には不安を引きずり、前方には威嚇を帯びている。彼らのうちには不可知なるものがある。将来何をなすかわからないように、また過去に何をしてきたかもわからない。その目付きのうちにある影で、それとわかるのである。彼らが一言発するのを聞き、一つの身振りを見るだけで、その過去の暗い秘密と未来の暗い機密を察知することができる。

 このテナルディエは、その言うところを信ずるならば、兵士であった。自分では軍曹だったと言っていた。たぶん一八一五年の戦争に出て、相当勇ましく戦ったらしい。果たしてどうであったかは、後に述べることにしよう。飲食店の看板はその軍功の一つを示したものであった。彼は自分でそれを書いたのである。何でもちょっとはやることができた、もとより上手ではなかったが。
 ちょうど古いクラシックの小説が、クレリーの後にロドイスカとなってしまい、まだ高尚ではあったがしだいに卑俗になり、ド・スキュデリー嬢からバルテルミー・アドー夫人に堕ち、ド・ラファイエット夫人からブールノン・マラルム夫人へ堕ち、そしてパリーの饒舌なおしゃべりな女の恋情を焼き立て、なお多少郊外の方までも荒した時代であった。テナルディエの上さんは、ちょうどその種の書物を読むくらいの知識を持っていた。彼女はそれを自分の心の糧とした。貧しい頭脳をすっかりそれにおぼらした。そのため、まだ若かった時はなおさら、少し年取ってからも、亭主のそばで変に沈思的な態度を取るようになった。

亭主の方がまた、かなり食えない奴で、ようやく文法を学んだくらいの賤やしい男で、野卑でありながらまた同時に狡猾で、しかもピゴー・ルブランの猥褻(わいせつ)な小説をよみながら、感情の方面のことやまた彼が気取って言うように「すべて性に関すること」においては、まじり気のないまったくの無骨者であった。上さんは彼よりも十四、五歳若かった。その後、愁うるわしげにほつれさした髪にも白いのが交じるようになり、令嬢パミーラから憎悪の神メゲラが解放される頃の年になると、彼女はもう下等な小説を味わった卑しい意地悪い女にすぎなかった。いったいばかなものを読めばきっとその害を受ける。彼女もまたその結果、自分の長女をエポニーヌと名づけた。あわれな小さな次女の方はギュルナールと名付けられるはずだったが、デュクレー・デュミニルの小説から何かしらまねてきて、アゼルマとしか呼ばれなかった。

しかし、洗礼名の混乱時代とも称し得るこの珍しい時代においては、何事も笑うべき下らないものではない。われわれが指摘してきた空想的な要素の傍らには、社会的風潮がある。今日、下流の小僧にアルチュールとかアルフレッドとかアルフォンズという、しかつめらしい名前をつけ、子爵などが――なお子爵などというものがあるとすれば――トーマとかピエールとかジャックといった砕けた名前をつけることは珍しくない。平民に優雅な名前を与え、貴族には田舎者の名前をつけるという逆転現象は、平等の一つの潮流に過ぎない。新風潮の不可抗力の侵入は、他の場面と同様にここにも存在する。その表面的な不調和の背後には、重大かつ深い一事が潜んでいる。それはすなわち、フランス大革命である。

 

4.アルーエット

繁昌するには悪人であるだけでは足りない。この飲食店も上手くいかなかった。旅の女から巻き上げた五十七フランのおかげで、テナルディエは拒絶証書を避けることができ、契約を履行することができた。しかし、翌月にはまた金が必要になり、上さんはコゼットの衣類をパリに持って行き、モン・ド・ピエテに質入れして六十フランを工面した。その金が無くなると、テナルディエ夫婦は、その小さな女の子を慈善のために置いてやっているという気になり、扱いもそれに従って変わってしまった。彼女にはもう衣類が無くなったため、テナルディエ夫婦は自分の子供たちの古い裾着やシャツを着せたが、もとよりそれは襤褸であった。食物といえば、皆の食べ残しを与えられ、犬や猫と同じような扱いを受けていた。その上、猫と犬はいつも彼女の食事仲間だった。彼女は犬や猫と同じような木の皿で、彼らと一緒に食卓の下で食事をした。

母親は、後にまた述べるが、モントルイユ・スュール・メールに落ち着いて、子供の消息を知らんがために、毎月手紙を書いた。いや、いっそう正確に言えば、手紙を書いてもらった。テナルディエ夫婦はそれにいつも決まってこう答えた。「コゼットはすばらしくしている。」初めの六カ月が過ぎた時、母親は七カ月目の七フランを送り、かなり正確に月々の義務を果たした。一カ年もたたないうちにテナルディエは言った。「ありがたい仕合わせだ! 七フランばかりでどうしろというんだい。」そして彼は手紙をやって十二フランを請求した。子供は仕合わせで「うまくいっている」と言われたので、母親はその要求を受け入れ、十二フランずつ送ってよこした。

 

一方を愛すれば必ず他方を憎むような性質の人がいる。テナルディエの上さんは、自分の二人の女の子をひどくかわいがった。そのために他人の子を憎んだ。母親の愛にも醜い側面があることは、考えると非常に悲しいことである。コゼットはその家ではごく少しの場所を占めていたが、テナルディエの上さんにとっては、それだけ自分の子供らの地位が奪われ、また自分の子供らの呼吸する空気が減らされたかのように思われた。彼女はそのような多くの女性と同様、日々一定量の愛情を与え、また一定量の叩くことと罵倒をしなければ気が済まなかった。もしコゼットがいなかったなら、二人の子供はいかに鍾愛せられようとも、きっとまたすべてを受けたであろう。しかし、他人の子は、彼女らの代わりに打擲を受けてやった。二人の子供はただ愛情ばかりを受けた。コゼットは何をしても必ず不当な激しい苛責を頭上に浴びた。世間のことも神のことも知らない、その弱々しく優しい子供は、同じような二人の小さな子供が曙の光の中で生きているのを見ながら、絶えず罰せられ、叱責され、虐待され、打擲されていた。

テナルディエの上さんがコゼットにつらく当たっていたので、エポニーヌとアゼルマも意地が悪かった。その年齢の子供らは母親の雛形にすぎない。単に小さいだけの存在である。一年過ぎ去った、そしてまた一年。

村ではこんなことが言われていた。「あのテナルディエ夫婦は豪気だ。金持ちでもないのに、家に捨ててゆかれたあわれな子供を育ててやっている。」コゼットは母親に捨てられたのだと思われていた。しかし、テナルディエは、どういう方面から探ったのかわからないが、子供はたぶん私生児であって、母親はそれを公にすることができないのを知って、「餓鬼」も大きくなって「たくさん食う」ようになったからと言って、月に十五フランを要求し、もし応じなければ子供を送り返すと言って脅かした。彼は叫んだ。「女に勝手にされてたまるものか。隠していやがるところへ子供をたたきつけてやるばかりだ。もう少し金を出させなければ置かない。」で母親は十五フランずつを払った。

年々に子供は大きくなっていった、そしてその苦しみもまた増していった。コゼットは小さい頃、他の二人の子供の苦しみを代わりに背負っていた。少し大きくなってくると、言い換えれば五つにもならないうちに、彼女は女中となってしまった。五つで、そんなことがあるものか、と言う人があるかもしれない。しかし、悲しいかな、それは事実である。世の中の苦しみは、幾歳からでも始まる。孤児で泥棒になったデュモーラルという者の裁判が最近にあったではないか。法廷の記録によれば、はや五歳の時から彼は世の中にただひとり者であって、「生活のために働き、そして窃盗をなしていた。」

コゼットは言いつけられて、使い歩きをし、室や庭や往来を掃除し、皿を洗い、荷物を運びまでした。テナルディエ夫婦は、やはりモントルイユ・スュール・メールにいる母親からの支払いが思わしくなくなり始めたので、またいっそうそんなふうに扱うのを至当と考えた。

数カ月間金が滞ったりした。もしその母親が、それらの三カ年の後にモンフェルメイユに帰ってきたとしても、もう自分の子供を見分けることはできなかったろう。その家に到着した時には、あれほどかわいく生き生きとしていたコゼットは、今はやせ衰えて青ざめていた。何ともいえない不安な様子をしていた。「陰険な子だ!」とテナルディエ夫婦は言っていた。不正は彼女をひねくれた性質にし、不幸は彼女を醜くした。以前の面影とてはただ美しい目が残っているのみだったが、それはかえって痛ましい思いを人に与えた。大きい目だったので、いっそう多くの悲しみがそのうちに見えるようだった。

冬の寒さの中、そのあわれな子供の姿はまったく痛ましかった。まだ六つにも満たないのに、穴だらけの古い襤褸を着て震えていた。赤くかじかんだ小さな手に大きな箒を持ち、大きな目に涙を浮かべ、日の出前に往来を掃除していた。

その土地では彼女をアルーエット(ひばりの意)と呼んでいた。綽名を好む世人は、その名をこの小さな子につけて喜んだ。小鳥ほどの大きさで、震え、恐れ、おののきながら、毎朝その家でも村でも一番に起き上がり、いつも夜の明けないうちに往来や畑に出ていた。

しかし、あわれなアルーエットは、決して歌うことはなかった。

 

 

第一部 ファンティーヌ  第五編   下降

 

1.黒飾玉の製法改良の話

モンフェルメイュで子供を捨てたと噂されている間、その母親はどのように過ごしていたのか、どこにいたのか、何をしていたのか。

テナルディエの家に小さなコゼットを預けてから、彼女は旅を続け、モントルイュ・スュール・メールに到着した。

それは、読者の記憶にあるように、一八一八年の出来事だった。

ファンティーヌはもう十年も前にその故郷を出たのであった。モントルイュ・スュール・メールはその間にすっかり様子が違っていた。ファンティーヌがしだいに困窮から困窮へと陥っていった間に、その故郷の街は栄えていった。

約二年ばかり前から、その田舎では工業分野において、大きな事件が起こっていた。

その詳細は重要であり、少し述べる価値がある。いや、おそらく圏点を施してもいいことと思う。

いつの頃よりか昔から、モントルイュ・スュール・メールには、イギリスの模造黒玉やドイツの黒ガラス玉を模して製造する特殊な工業が存在していたが、原料が高く、賃金もあまり出せなかったため、いつも思うようには進まなかった。しかしファンティーヌがその地に帰っていった頃には、異常な変化が『黒い装飾品』の製法に起こっていた。一八一五年の末に、一人の他郷の男がやってきて、その街に住み、その製造法をふと思いつき、樹脂の代わりに漆を用い、特に腕輪にははんだ付けした鉄環の代わりに、単に嵌め込む鉄環を使った。ただそれだけの変化であったが、それがほぼ革命的な変化をもたらした。

ただそれだけの変化ではあったが、それは実際、原料の価をいちじるしく低下させた。そのため、第一には賃金を高くしてその地方の利益となり、第二にはその製造法を改善して購買者の得となり、第三には多くもうけながらもなお安く売ることができて製造者側の利得ともなった。

かくてただ一つの考案から三つの結果が生じた。

三年もたたないうちに、その方法の発明者は結構なことには金持ちになり、そしてなお結構なことには周囲の人々をも金持ちにした。彼はその地方の人方ではなかった。誰も彼の出身国を知る者はおらず、やってきた当初もあまり人々の注目を集めなかった。

人の噂によれば、彼は高々数百フランくらいのはした金を持って街にやってきたという。

彼はそのわずかな金を巧みに考案を実施するために使い、次第に注意深くそれを増やし、ついには一財産を築き上げ、またその地方全体を豊かにしたのだった。

モントルイュ・スュール・メールにやってきたときには、彼はただ一個の労働者然たる服装と様子と言葉つきをしているのみだった。

たしか、十二月のある夕方、背に背嚢を背負い、手に粗い杖をついて彼がこっそりとモントルイュ・スュール・メールの小さな街に入ってきた時、ちょうど大火が町の役所に起こった。その男は炎の中に飛び込んで、身の危険をも顧みず二人の子供を助け出した。それは憲兵の隊長の子供だった。そのため彼の通行券を調べてみようとする人もなかった。そのことがあってから彼の名前は人々に知られた。それはマドレーヌさんというのだった。

 

2.マドレーヌ

その男は約五十歳ばかりで、何かに気を取られているような様子で、また親切でもあった。彼について言えることは、それだけだった。

彼がうまく改良してくれたその工業の急速な進歩のお陰で、モントルイュ・スュール・メールは著名な産業の中心地となった。擬まがいの黒玉を多く消費するスペインからは、毎年莫大な注文があった。その取り引きにおいて、モントルイュ・スュール・メールはほとんどロンドンやベルリンと肩を並べるまでになった。マドレーヌさんの利益は非常に大きく、二年目には男女それぞれのために広い仕事場を備えた大きな工場を建てるまでになった。飢えた者がいれば、その工場に行けば必ず仕事と食べ物を得られた。マドレーヌさんは、男には善良な意志、女には純潔な風儀、そしてすべての人に誠実であることを求めた。彼は男女を分け、娘たちに純潔を保たせるために、仕事場を二つに分けていた。その点においては彼は一歩も曲げなかった。彼がいくらか厳酷であったのは、ただその点に関してだけだった。モントルイュ・スュール・メールは兵営のある街で、風俗が乱れる機会が非常に多かったため、なおさら彼は厳格であった。とにかく彼がそこに来たことは一つの恩恵であり、彼がそこにいることは天の賜物であった。マドレーヌさんが来る前までは、その地方はすべてが萎靡していたが、今ではすべてが労働の聖なる生命に生き上がっていた。盛んな活動がすべてのものをあたため、またいたる所に流れ込んでいた。仕事の欠乏や困窮はもう知られなかった。いかなる粗末な蟇口の中にも金のないことはなく、いかなるあわれな住家にも何らかの喜びのないことはなかった。

マドレーヌさんはいかなる人をも使った。彼はただ一つのことを要求した、それは正直な人であれ!正直な娘たれ!

前に述べたとおり、マドレーヌは自らその原動力であり中心であった活動の中で、財産を作った。しかし単なる商人としてはかなり妙なことであるが、何だか金を得ることが彼の主な意図であるようには見えなかった。他人のことを多く考えて自分のことはあまり考えないようだった。一八二〇年には、ラフィット銀行へ自分の名前で六十三万フランの金額を預けていたそうである。しかし六十三万フランを貯蓄する前に、彼は既に街のためや貧しい人々のために百万フラン以上を使っていたのである。

街の病院は設備がはなはだ不十分だったので、彼はそこに十個の寝台を寄付した。モントルイュ・スュール・メールの街は山の手と下町とに分かれていた。彼が住んでいた下町にはただ一つの学校しかなく、それも壊れかけたひどいあばら屋だった。そこで彼は二つの学校を建てた。一つは女の子のために、もう一つは男の子のために。そして彼はその両方の教師に、官から支給される薄給の二倍を自分の金で支払った。そのことを驚いているある人に向かって彼が言ったことがある。「国家の最も重要な職業は、保母と教師の二つである。」自分の金で彼はまた、当時ほとんどフランスに知られていなかった幼稚園を建て、また老衰している労働者や身体のきかない労働者のために救済基金を出した。彼の製作所は一つの中心をなしていたので、多くの貧困な家族が住む新しい街区がまわりににわかにできてきた。彼はそこにまた無料の薬局を建ててやった。

初めのうちは、彼が仕事を始めるのを見た人々は言った。


「金もうけをたくらんでる豪気な男だな。」ところが自分で金をためる前にその地方を富ましてやってるのを見て、彼らはまた言った。「ははあ、野心家だな。」そのことがある程度当たっているように思われたのは、彼が宗教を信じており、当時良いとされていた教義をある程度守っていたからである。彼は日曜日には必ず低唱弥撒を聞きに教会へ出かけて行った。いたる所に競争心を持つその地方の代議士は、やがて彼の信仰に不安を覚え始めた。その代議士はもと帝政時代に立法部の一員であり、彼がその子分であり友だちであったオトラント公、すなわちフーシェという名前で世に知られているオラトアール派の一長老と、宗教上の意見を同じくしていた。内々で彼は神のことをそれとなく笑っていた。しかし金持ちの工場主マドレーヌが七時の低唱弥撒に行くのを見て、自分の競争者が現われたように思い、マドレーヌに打ち勝とうと決心した。彼はゼジュイット派の牧師を懺悔聴聞者に選び、大弥撒や夕の祈祷などに出かけて行った。当時の野心なるものは文字どおりに鐘楼への競争であった。そういう警戒から、貧しい人たちも神と同じく利益を得た。というのも、その立派な代議士もまた病院に二つの寝台を寄付したからだ。それで寄付の寝台は十二になったわけである。

そのうち一八一九年に、ある朝、一つの噂が街中に広まった。マドレーヌさんが、知事の推挙とその地方に施した功績によって、国王からモントルイュ・スュール・メールの市長に任命されるということであった。新来の彼を野心家だなどと言った人たちは、喜んでその望みどおりの機会をとらえて言った。「それみたことか、俺たちは何と初めに言ったか。」モントルイュ・スュール・メールの街中はどよめいた。噂は果して事実であった。数日後には、その任命が官報に出た。がその翌日、マドレーヌさんは辞退した。

その同じ一八一九年に、マドレーヌの発明した新製造法による製品は工業博覧会に出て人目をひいた。審査員の報告によって、国王はその発明者にレジオン・ドンヌールのシュヴァリエ章を付与した。小さな街の人たちはまた一騒ぎした。「なるほど、彼が望んでいたのは勲章だな!」けれどもマドレーヌさんはその勲章を辞して受けなかった。

まさしくその男は一つの謎であった。無邪気な人々は、かろうじてこんな苦しいことを口にした。「つまり彼は一種の山師だ。」


前に述べたとおり、その地方は多く彼のお陰を被っており、貧しい人々はすべてにおいて彼のお陰を被っていた。彼はかく世に有用な人だったので、ついに人々は彼を尊敬するようになり、また彼はひどく穏やかな人物だったので、人々はついに彼を愛するようになった。特に彼に使われている職工たちは彼を崇拝し、彼はその崇拝を受け入れるにあたって、一種の憂鬱で重々しい態度を見せた。彼が金持ちだということが一般に知れ渡ると、「社交界の人々」は彼に頭を下げ、街では彼をマドレーヌ氏と呼んだ。しかし彼の職工や子供たちはやはりマドレーヌさんと呼んでいた。そして彼はその呼び方の方を喜んでいた。彼の地位が高まるにつれて、招待は降るがようにやってきた。「社交界」は彼を引き入れようとした。モントルイュ・スュール・メールの気取った小客間は、初めのうちは言うまでもなくこの職人には閉ざされていたが、今ではその分限者に向かって大きく開かれた。その他百千の申し出があった。しかし彼はそれをみな断った。

そういうことになっても、人の陰口はやまなかった。「彼は無学であまり教育のない男だ。いったいどこからやってきた奴かわかりもしない。上流社会に出ても作法も知らないのだろう。字が読めるということの証拠さえないじゃないか。」

彼が金をもうけるのを見たとき、人々は言った。「彼奴は商人だ。」彼が金をまき散らすのを見ては人々は言った。「彼奴は野心家だ。」彼が名誉を辞退するのを見ては人々は言った。「彼奴は山師だ。」また彼が社交界を断るのを見ては人々は言った。「彼奴は下等な人間だ。」

彼がモントルイュ・スュール・メールにやってきて五年目、すなわち一八二〇年、その地方における彼の功績は著しいものであり、衆人の意見も一致していたため、国王は再び彼を市長に任命した。彼はこのたびもまた辞退した。しかし知事はその辞退を受け入れず、知名な人々は彼のもとに懇願しに来た。一般の人たちは大道で彼に哀願し、それらの強請がいかにも激しくなったので、彼もついに職を受けることになった。特に彼がそう決心させられたのは、卑しい一人の年配の婦人が、ほとんど怒ったような調子で彼に投げかけた言葉だったということだ。その女は門口の所で強く叫びかけた。「いい市長さんがあるのは大事なことです。人間は自分にできる良いことをしないで済むのでしょうか。」

かくてそれは彼の立身の第三段であった。マドレーヌさんはマドレーヌ氏となり、マドレーヌ氏は市長殿となったのである。

 

3.ラフィット銀行への預金額

けれども彼はなお初めの頃と同じように、質素だった。灰色の髪、まじめな目つき、労働者のように日に焼けた顔色、哲学者のように考え深い顔つき。いつも縁広の帽子と、えりまでボタンをかけた粗末なラシャの長いフロックコート。市長としての職務を尽くしたが、それ以外には孤独な生活を送っていた。人にもあまり言葉をかけなかった。丁重な仕方をすべて避け、簡単なあいさつにとどめ、さっさと行ってしまい、話をするよりもむしろただほほえみ、ほほえむよりもむしろ金を与えた。女たちは彼のことを言った。「何という人の良い世間ぎらいだろう!」彼の楽しみは、野外を散歩することだった。

彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。よく精選された少しの書籍を持っていた。書物を愛していた。書物は冷たいが、完璧な友である。財産ができるにつれて、彼は自分の精神を啓発するためにその時間を使ったようだった。モントルイュ・スュール・メールに来て以来、一年一年といちじるしく彼の言葉は丁寧になり、上品になり、優しくなっていった。

彼は散歩のとき、好んで小銃を持って出かけたが、それを使うことは稀だった。たまたまそれを使うような時には、その射撃は当たらないということがなく、人を恐れさせるほどだった。かつて彼は無害な動物を殺さなかった。またかつて彼は小鳥を撃たなかった。

もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえているということだった。必要な者には手助けをしてやって、たおれた馬を起こしてやったり、泥濘でいねいにはまった車を押してやったり、逃げ出した牡牛の角をつかんで引き止めてやったりした。家を出かける時はいつもポケットに金をいっぱい入れていたが、帰って来る時にはみな無くなっていた。彼が村を通る時には、襤褸を着た子供たちが喜ばしそうに彼の後を追いかけてき、蠅の群れのように彼を取り巻いた。

彼は以前、田舎に住んでいたに違いないと考えられていた。なぜなら、あらゆる有益な秘訣を知っていて、それを百姓どもに教えてやったからである。麦の虫を撲滅するために、普通の塩水を穀倉に撒布し、また床板の裂け目に流し込んでおくことを教えたり、穀象虫を駆除するために、壁や屋根やかき根や家の中などすべてにオリヴィオの花をつるしておくことを教えたりした。空穂草や黒穂草や鳩豆など、すべて麦を害する有害な雑草を畑から根絶させるための種々な「処方」を知っていた。また養兎場に天竺鼠を置いてそのにおいで野鼠の来るのを防がせていた。

ある日彼は、その地方の人々が一生懸命に蕁麻いらぐさを抜き取っているのを見かけた。その草が抜き取られて、うずたかく積まれながらかわき切っているのを眺めて、彼は言った。「もう枯れてしまっている。だがその使い道を心得ておくのはいいことだ。この蕁麻いらぐさはその若い時には、葉がりっぱな野菜となる。時がたつと、苧からむしや麻のように繊維や筋がたくさんできる。蕁麻の織物は麻の布と同じようだ。また細かく切れば家禽の食物にいい。搗き砕けば角のある動物にいい。その種を秣に混ぜて使えば動物の毛並みをよくする。根は塩と交ぜれば黄色い美しい絵具となる。そのうえ蕁麻はりっぱな秣で二度も刈り取ることができる。作るにしても何の手数もいらない。少しの地面さえあれば、手入れも不要で、耕す必要もない。ただその種子は熟すにつれて地に落ちるので、収穫には少し困難が伴う。ただそれだけのことだ。ちょっと手をかけてやれば、蕁麻いらぐさはごく益に立つんだが、うっちゃっておけば害になる。害になるようになって人はそれを枯らしてしまう。人間にも、まったく蕁麻に似たものがたくさんある!」それからちょっと黙って彼はまたつけ加えた。「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。」


子供たちはいっそう彼が好きであった。麦藁や椰子の実でちょっとした面白い玩具をこしらえてくれたからである。

教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこに入って行った。ちょうど人々が洗礼式を探すように、彼は埋葬を求めた。また、優しい心を持っていたので、寡婦暮らしやもめ暮らし、他人の不幸に彼は心を惹かれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族、柩の周りに悲しんでいる牧師たちに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えを委ねているようだった。目を天に向け、無限の神秘に対する一種の憧れを持って、彼は死の暗い深淵の縁に立ち、歌う悲しい声に耳を傾けた。

彼は多くの善行を行ったが、悪事をする際には人が身を隠すように、ひそかに行った。彼は人知れず夕方、多くの家に入り込み、そっとはしごを上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰ると、不在中に戸が開いているのを見つける。それも時には無理にこじあけられているのである。彼は叫ぶ、「ああ、どんな悪者が来たんだろう!」しかるに家に入って最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられている金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。

彼は慇懃でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢ではなく、幸福であっても満足の様子を見せていない。」

ある人々は、彼を不可思議な人物と見なし、決して誰も入ったことのない彼の部屋には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わされた脛骨や死人の頭蓋骨などが飾られていて、いかにも隠者の洞窟のようだと言った。その噂は町中に広まり、ついにはモントルイュ・スュール・メールの立派な若い婦人たちが、意地の悪い者たちとともに四、五人集まって、ある日彼の家を訪れた。彼女たちは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ、十二スーの壁紙が張られている部屋にすぎなかった。そして彼女たちの目に止まったものは、ただ暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな街に住んでいる者にふさわしい注意である。

それでも、彼の部屋には誰も入った者がなく、それは隠者の洞窟、穴倉、穴、墓穴と言われていた。

また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際には、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。

 

4.喪服のマドレーヌ氏

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下と綽名をつけられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳で聖者のように永眠したというのである。
 新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年間盲目であった。そして妹がそばにいてくれるので、彼はその盲目に満足していたのだった。
 ついでに言う。盲目でありながら愛されていることは、何も完全なもののないこの世において、実に最も美しい幸福の一つである。自分の傍らに絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要としており、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるように、自分もまた彼女になくてはならない存在であることを理解する。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言うには、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。

彼女の顔は見えないが、その思いを感じる。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人、彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦きぬずれの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分が、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思い知る。各瞬間ごとに、彼女が自分に心牽ひかれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒の中で、また暗黒によって、自ら太陽となり、その周りにはこの天使が回転している。かくのごときはほとんど類たぐいまれなる幸福というべきである。

人生最上の幸福は、愛されているという確信にある。直接自分自身が愛される、いや、むしろ自分自身の如何にかかわらず愛されるという確信にある。そういう確信は盲者にして初めて有し得る。惨いたましき盲目のうちにおいては、世話を受けることはすなわち愛撫を受けることにほかならない。彼にはその他に何かが不足するであろうか。いや。愛を有する以上、光明を失ったものではない。しかもその愛はいかなる愛であるか。まったく徳操をもって作られた愛である。確実なる信念があるところに失明なるものは存しない。魂は手探りに魂をさがし、それを見いだす。しかもその見いだされとらえられた魂は、一個の婦人である。
汝をささえてくれる手、それは彼女の手である。汝の額に触れてくれる唇、それは彼女の唇である。汝はすぐそばに呼吸の音をきく、それは彼女である。その崇拝から憐憫に至るまで、彼女のすべてを抱きしめる。決してそばを離れられることがない。その弱々しい優しさで助けられる。その心確かな蘆のごとき弱き女性に身をささえる。直接おのれの手をもって神の摂理にふれ、おのれの腕のうちにそれを、肌に感じ得る神をいだく。これ実にいかなる喜悦であろうぞ! その心は、その人知れぬ聖きよき花は、神秘のうちにひらく。それはあらゆる光明を超えた影である。天使の魂がそこにある、常にある。
もしそれが立ち去ることあっても、また再び帰りきたらんがためにである。それは夢のごとくに姿を消し、現実のごとくに再び現われる。暖かいものの近づくのを感ずる時には、もはやそれがそこにある。清朗と喜悦と恍惚に人は満たされる。暗黒の中における輝きである。そして数々の細かな心尽し。些細なものもその空虚の中では巨大となる。得も言えぬ女声の音調は汝を揺籃に揺すり、汝のために消え失せし世界を補う。魂をもって愛撫せらるるのである。何物も見えないが、しかし鍾愛せられているのを感ずる。それは実に暗黒の楽園である。


ビヤンヴニュ閣下は、かくのごとき楽園より他の天国へと逝ったのであった。

彼の死の報はモントルイュ・スュール・メールの地方新聞にも掲載された。マドレーヌ氏はその翌日から、黒の喪服をつけ、帽子に黒紗を巻いた。

街の人々はその喪装に目を止め、いろいろと噂をし合っていた。そのことはマドレーヌ氏の生い立ちについて一つの光を投げかけるものと思われた。人々は彼があの尊い司教と何らかの関係があると推測した。


「彼はディーニュの司教のために黒紗をつけた」と街の社交界で噂に上った。そのことは大いにマドレーヌ氏の地位を高め、にわかにモントルイュ・スュール・メールの貴族社会で重きをなすようになった。その小都市のサン・ジェルマンとも称される地区の人々は、おそらく司教の身寄りであるマドレーヌ氏の四旬節の勤めを止めさせようとしていた。マドレーヌ氏はまた、年取った女たちの敬意と年若い婦人たちの微笑みが増したことを見て、自分の地位が上がったことを認めた。ある晩、その小都市の交際社会の中心的存在とも言える一人の老婦人が、好奇心から彼に尋ねたことがあった。「市長さんはきっと亡くなったディーニュの司教の御親戚でございましょうね。」

彼はいった。「そうではありません。」

「しかし、その老婦人は言った。「あなたは司教のために喪服をつけているではありませんか。」

彼は答えた。「それはただ、若い頃に司教の家に使えていたからです。」

なおも一つ、人々の注意を引いたのは、地方を回って煙突の掃除をしているサヴォア生まれの少年が街にやって来るたびに、市長はその少年を呼び、名前を尋ねて金を与えた。サヴォア生まれの少年たちはそのことをよく語り合い、わざわざやってきて金をもらっていく者も多かった。

 

5.地平にほのめく閃光

次第に、時間が経つにつれて、反対はすべてなくなってしまった。立身した人々が常に受けることになる中傷や誹謗などは、初めマドレーヌ氏に対してもかなりなされたが、やがてそれらは単なる悪口になり、次には単なる陰口になり、ついにはまったくなくなってしまった。全市挙げて丁重に彼を尊敬し、一八二一年ごろには、モントルイュ・スュール・メールにおいて『市長どの』という言葉は、一八一五年ディーニュにおいて『司教閣下』と言われた言葉とまったく同じ調子で口にされるようになった。その付近では、十里も隔たった所からマドレーヌ氏に相談に来る者もあった。彼は論争を終わらせ、訴訟を取りやめさせ、敵同士を和解させてやった。誰もみな彼を裁判官として奉じた、そしてそれも正当であった。彼は自然法則の書籍を心の拠り所としているようだった。あたかも伝染するかのように、彼に対する尊敬の念は、六、七年の間にじわじわとその地方全体に広がっていった。

しかるに、街や地方を通じて、その尊敬の感染を絶対に受けない者がただ一人いた。マドレーヌ氏がいかなることをなそうとも、彼はいつもそれに敵意を持ち、あたかも一種の動かすことのできない本能によって、さまされ警められているかのようだった。実際、一部の人々には、あらゆる本能と同じく、一つの動物的で純粋な真の本能がなお存在しているらしい。その本能は反感や同感を引き起こし、一つの性格の者と他の性格の者を全く分け隔てる。さらに、自ら少しも躊躇することなく、惑うことなく、黙することなく、自らを欺くことなく、自らの愚かさの中で揺るがず、知力のあらゆる勧告や理性のあらゆる訴えにも、決して撓むことなく、厳として軟化せず、運命がいかなる状態にあろうとも、ひそかに犬人に戒めるために猫人の存在をもってし、狐人に戒めるために獅子人の存在をもってする。

マドレーヌ氏が愛情を含んだ穏やかな様子で、万人の祝福に囲まれながら街を通るとき、しばしば鉄鼠色のフロックを着て、大きなステッキを手にし、縁を引き下げた帽子をかぶった背の高い一人の男が、突然彼の後ろから振り向き、見えなくなるまで後姿を見送っていることがあった。そんな時、その男は腕を組み、軽く頭を振り、下唇と上唇をいっしょに鼻の下まで突き出して、一種の意味ありげなしかめ顔をするのだった。その顔つきを翻訳してみれば、たぶんこんなことになるらしかった。「いったいあの男は何者だろう?……確かにどこかで見たようだが。……いずれにしても俺はあんな奴にだまされはしないぞ。」

その男はほとんど人を脅威するほどの重々しい様子をしていて、ちょっと見ただけで人の心を引く者の一人だった。彼はジャヴェルと言って、警察に出ている男であった。彼はモントルイュ・スュール・メールで、困難ではあるが有用な方面監察の役目を担っていた。彼はマドレーヌのきた当時のことを知らなかったのである。国務大臣で当時のパリーの警視総監をしていたアングレー伯の秘書官シャブーイエ氏の引き立てで、現在の地位を得たのだった。彼がモントルイュ・スュール・メールに来た時には、その大製造業者の財産は既にでき上がり、マドレーヌ氏はマドレーヌ氏となっていた。


警察のある種の役人は、陋劣と権威が交じった複雑な特別な相貌を備えているものである。ジャヴェルは陋劣の方を欠いた特別な相貌を持っていた。

私たちが確信するところによれば、もし人の魂が目に見えるものであったなら、人間の各個人は、さまざまな動物の何かに相当するという不思議な真実を、人は明らかに知るだろう。そして、蠣から鷲に至るまで、また豚から虎に至るまで、すべての動物が人間の中に存在し、各動物が各個人の中に存在しているという、思想家がかろうじて瞥見する真理を、人はたやすく認めるだろう。時としてはまた、数匹の動物が一人の人間の中に共存することもあるということを。

動物は皆、われわれの善徳や悪徳の象徴であり、われわれの眼前に彷徨い、われわれの魂の目に見える幻影にほかならない。神はわれわれにそれを示すことで反省させようとしている。ただし、動物は影に過ぎないがゆえに、神は厳密な意味において教育し得るがようには動物を作らなかったのみである。教育が何の役に立つのだろうか?これに反してわれわれの魂は現実であり、自己本来の目的を持っているからこそ、神はそれに知力を与えた。換言すれば、教育の可能性を与えたのである。ゆえによく成された社会的教育は、いかなる魂にもせよ、魂の中からそれが有する効用を引き出すことができる。

こう言うのは、表面に現れた地上の生活に限られる見地においてであって、人間以外の生物の先天的および後天的性格に関する深い問題を考えてのことではない。目に見える自己のために内部の自己を否定することは、いかなる意味においても思想家には許されないのである。それだけの制限をしてから先に進もう。

今しばらく、あらゆる人の中には各種の動物のいずれか一つが存在しているということが許されるならば、ここで警官ジャヴェルの中にはいかなるものがいるかを述べるのは、非常に容易なことである。

アスチェリーの農民たちの間では、次のことが信じられている。狼の子の中には必ず一匹の犬の子が交じっているが、それは母狼によって殺されてしまう。そうしなければ、その犬の子は大きくなって他の狼の子を食いつくしてしまうからである。

その狼の子に人間の顔を与えれば、それがすなわちジャヴェルである。

ジャヴェルは骨牌占いの女から、牢獄の中で生まれた。女の夫は徒刑場に入っていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会の中に帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた。すなわち、社会を攻撃する人々と、社会を護る人々である。彼はその二つのいずれかを選ぶほかはなかった。同時にまた、彼は厳格、規律、清廉などの一種の根が自分の中にあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察に入隊した。

彼はその分野で成功を収めた。四十歳の時には警視になっていた。彼は青年時代には南部地方の監獄に雇われていたこともあった。


ジャヴェルの顔は、平べったい鼻と深い二つの鼻孔、さらに鼻孔の方へ頬を上っている大きなひげで構成されていた。その二つのひげと小鼻の洞穴を見た者は、初めは誰もが不安を感じた。ジャヴェルは笑うことがごくまれであったが、その笑いは恐ろしく、薄い唇が開き、ただに歯のみならず歯茎までも見せ、野獣の鼻面にあるような平たい荒々しいしわが鼻のまわりに刻まれた。まじめな顔をしている時はブルドッグのようであり、笑う時は虎のようだった。その上、頭が小さく、あごが大きく、髪の毛は額を覆い眉毛の上まで垂れ、両眼の間のまん中には絶えず憤怒の兆のようなしかめた線があり、目付きは薄気味が悪く、口は緊きっと引きしまって恐ろしく、その様子には強烈な威力があった。

この男は、きわめて単純で比較的善良ではあるが、誇張されるためにほとんど悪くなっている二つの感情でできていた。すなわち、主権への尊敬と反逆への憎悪である。そして彼の目には、窃盗、殺害、すべての罪悪は、ただ反逆の変形に過ぎなかった。上は総理大臣から下は田野の番人に至るまで、国家に職務を有する者を皆、盲目的な深い一種の信用の中に包み込んで見ていた。一度法を犯して罪悪の方に踏み込んだ者を皆、軽蔑と反感と嫌悪をもって見ていた。彼は絶対的で、いっさいの例外を認めなかった。一方では彼は言った、「職務を帯びている者は誤ることはない、役人は決して不正を行わない者だ。」他方ではまた彼は言った、「こいつらはもう救済の途はない、何らの善もなし得ない者だ。」世には極端な考えを持つ人がいて、刑罰を与える権利、あるいは言い換えれば刑罰を定める権利を人間の作った法則が持っていると信じ、社会の底に地獄の川スティックスを認める者がいる。ジャヴェルもまたそういう意見を持っていた。

彼は禁欲主義者で、真面目で厳格であり、憂鬱な夢想家でもあった。彼の目は錐のように冷たく、鋭かった。彼の一生は二つの言葉に集約される、監視と取り締まりであった。彼は世間の曲がりくねった中に直線をもたらした。彼は自己の有用をもって良心となし、自己の職務をもって宗教となしていた。彼の探偵としてのあり方は、あたかも牧師のようであった。彼の手中に落ちた者は不幸である。彼は父がもし脱獄したならば父を捕縛し、母がもし禁令を犯したならば母をも告発したであろう。そして徳行によって得られるごとき一種の内心の満足をもってそれをなしたであろう。その上に、貧しい生活や孤独、克己、純潔をもって、何らの遊びにもふけることはなかった。彼は厳格なる義務それ自身であり、あたかもスパルタ人がスパルタに身をささげたかのように献身的な警官であり、無慈悲な間諜であり、恐るべき正直さを持ち、冷酷な探偵であり、名探偵ヴィドックのうちに住むブルツスであった。

ジャヴェルの全身は、物をうかがい、身を潜める男そのものであった。当時のいわゆる急進派新聞に高遠な宇宙形成論の色をつけていたジョゼフ・ド・メーストルを頭とする神秘派は、必ずやジャヴェルを一つの象徴であると称賛したであろう。彼の額は帽子の下に隠れて見えず、彼の目は眉毛に覆われて見えず、そのあごはえり飾りの中に埋まって見えず、その両手は袖の中に引っ込んで見えず、その杖はフロックの下に隠されて見えなかった。しかしながら一度時機が至れば、角張った狭い額、毒々しい目付き、脅かすようなあご、大きな手、および恐ろしい太い杖などが、その陰の中から突然伏兵のように現れてくるのであった。

暇とてはめったになかったが、もし暇があれば彼は、書物はきらいではあったが、それでもなお何か読んでいた。してみれば、彼はまったくの無学ではなかったらしい。それは彼の言葉の中に一種の大げさな調子でも見て取れることだった。


彼は悪徳を持たないことは、前にも述べたとおりである。自ら満足に感じているときには、一服の煙草を吸うことにしていた。そこだけが彼の普通の人間らしいところだった。

たやすく察せられるように、ジャヴェルは司法省の統計年鑑に無頼漢と朱書されている一種の階級から非常に恐れられていた。ジャヴェルという名は彼らを狼狽させた。ジャヴェルの顔は彼らを縮み上がらせた。

この恐ろしい男は上述のとおりの者であった。ジャヴェルは絶えずマドレーヌ氏の上に据えられているかのような目の存在だった。疑念と憶測に満ちた目だった。マドレーヌ氏もついにそれに気づくようになった。しかし、彼は特に気にしていないようだった。ジャヴェルに一言も問いをかけず、またジャヴェルの姿を探すことも避けることもなく、その気味悪い圧迫感のある目付きをじっと受けながら、特に気に留めていないようだった。彼はジャヴェルを他のすべての人と同じように、平然と温和に扱っていた。

ジャヴェルの口から漏れた二、三の言葉から察するに、彼は仲間特有の、意志と本能から生まれる一種の好奇心を持って、マドレーヌさんが他の所に残してきた前半生の足跡を秘密に探っていたらしい。ある行方不明の一家族に関して、ある地方で多少の消息を得ている者がいることを、彼は知っているようだった。また、時としては暗にそれを言葉に現すこともあった。ある時、彼はふとこう独り言を言った。「彼奴の尻尾を押さえたようだ!」それから彼は三日間、一言も口をきかずに考え込んでいた。そして、つかんだと思った糸も切れてしまったようだった。

しかし、一般的に言えば、これはある言葉があまりに絶対的な意味を持つかもしれないということに対する必要な緩和であるが、人間の中には真に確実なものはあり得ないものである。また、本能の特質は乱され、惑わされ、迷わされるものである。もしそうでなければ、本能は知力に勝り、動物は人間よりも優れた光明を持つことになるだろう。

ジャヴェルは明らかに、マドレーヌ氏のまったくの自然さと落ち着きによって、やや心を惑わされたのであった。けれどもある日、彼の不思議な態度はマドレーヌ氏に印象を与えたらしかった。いかなる場合であったかは次に述べよう。

 

6.フォーシュルヴァンじいさん

ある朝、マドレーヌ氏は、モントルイユ・スュール・メールの敷石のない小さな通りを通っていた。その時、彼は騒ぎを聞き、少し向こうに一群の人々を認めた。彼はそこに行ってみた。フォーシュルヴァンじいさんと呼ばれる老人が、馬が倒れたために馬車の下に落ちていた。

このフォーシュルヴァンは、当時マドレーヌ氏の数少ない敵の一人であった。マドレーヌがこの地にやってきた当時、以前は公証人をしていて田舎者としてはかなり教育のあるフォーシュルヴァンは、商売をしていたが、それが次第にうまくいかなくなり始めていた。彼はその職人が次第に富裕になっていくのを見、また自分が人から先生と呼ばれていたのに、次第に零落していくのを見た。それは彼に嫉妬の念を燃やさせた。そして彼はマドレーヌを害そうと、機会あるごとにできるだけのことをした。そのうちに彼は破産してしまった。そして年を取っており、もはや自分のものとしては荷車と馬だけであり、その上、家族も子供もなくなったため、食べるために荷馬車屋になったのだった。

さて、馬は両脚を折ってしまったため、立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。車にはかなり重い荷が積まれていた。フォーシュルヴァンじいさんは悲しげなうめき声を上げていた。人々は彼を引き出そうと試みたが、うまくいかなかった。無茶なことをしたり、まずい手出しをしたり、下手に動かしたりしようものなら、彼を殺すだけだった。下から車を持ち上げるのでなければ、彼を引き出すことは不可能だった。ちょうどその出来事が起こったときに出くわしたジャヴェルは、起重機を取りに行っていた。

マドレーヌ氏がそこにやってきた。人々は敬意を表して道を譲った。
「助けてくれ!」とフォーシュルヴァン老人は叫んだ。
「この年寄りを助けてくれる者はいないか?」

マドレーヌ氏はそこにいる人々の方へ振り向いた。
「起重機はありませんか?」
「取りに行っています。」と一人の農夫が答えた。
「どれくらいかかりますか?」
「一番近い所、フラショーへ行っています。そこに鉄工場があります。しかし、それでも十五分くらいは十分かかるでしょう。」
「十五分!」とマドレーヌは叫んだ。

前の日、雨が降って地面は湿って柔らかになっていた。車は刻一刻と地面に食い込み、次第に老荷馬車屋の胸を押しつけていった。五分とたたないうちに、彼は肋骨が砕かれることはわかりきっていた。
「十五分も待てはしない。」とマドレーヌはその場にいる農夫たちに言った。
「仕方がありません!」
「しかしそれではもう間に合うまい。車はだんだん食い込んでいくじゃないか。」
「だとしても!」
「いいか、」とマドレーヌは言った。「まだ車の下には入り込んで、背中でそれを持ち上げる余地は十分にある。ちょっとの間だ。そしたらこの哀れな老人を引き出せるんだ。誰か腰のしっかりした勇気のある者はいないか。ルイ金貨(訳者注 二十フランの金貨)を五枚あげる。」
一群の中で動く者は誰もいなかった。
「十ルイ出す。」とマドレーヌは言った。
そこにいる者たちは皆、目を伏せた。その中の一人はつぶやいた。「滅法に強くなくちゃだめだ。その上、自分でつぶされてしまうかもしれないんだ。」
「さあ!」マドレーヌはまた言った。「二十ルイだ!」
やはり誰も黙っていた。

「やる意志がみんなにないのではないか」と誰かが言った。

マドレーヌ氏は振り返った。そして、ジャヴェルがそこにいるのを知った。彼は来た時にジャヴェルの存在に気がつかなかったのである。

ジャヴェルは続けて言った。「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」

それから彼はマドレーヌ氏をじっと見つめ、一語一語に力を入れて言った。「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」

マドレーヌは慄然とした。

ジャヴェルは無頓着なふうであったが、やはりマドレーヌから目を離さずに付け加えた。「その男は囚人でした。」

「え!」とマドレーヌは言った。

ツーロンの徒刑場の。」

マドレーヌは青くなった。

そのうち、荷車はやはり徐々に食い込んでいっていた。フォーシュルヴァンは息を切らしながら叫んだ。「息が切れる!胸の骨が折れそうだ!起重機を!何かを!ああ!」

マドレーヌはあたりを見回した。「二十ルイもらって、この老人の命を助けようと思う者はいないのか?」

誰も身を動かさなかった。ジャヴェルはまた言った。「起重機の代わりをつとめる者はただ一人きり私は知りません。あの囚人です。」

「ああ、もう私は潰れる!」と老人は叫んだ。

マドレーヌは頭を上げ、見つめるジャヴェルの鷹のような目に出会い、じっと動かない農夫たちを見つめ、淋しげに微笑んだ。そして一言も発しないで、膝を屈かがめ、人々があッと叫ぶ間もなく車の下にはいってしまった。

期待と沈黙が交錯する恐ろしい一瞬が続いた。

マドレーヌがその恐ろしい重荷の下にほとんど腹這ばいになって、二度両肘と両膝を一つ所に持ってこようとしてもうまくいかなかったのが見て取られた。周囲の人々は叫んだ。「マドレーヌさん!出ておいでなさい!」フォーシュルヴァン老人自身も言った。「マドレーヌさん、およしなさい!私はどうせ死ぬ身です、このとおり!私のことはかまわないで下さい!あなたまで潰れます!」しかし、マドレーヌは答えなかった。

そこにいる人々は息を詰めていた。車輪はやはり続いて食い込んでいた。そして、もうマドレーヌが車の下から出ることはほとんどできなくなった。

突然、人々の目にその大きな車が動き出し、だんだんと持ち上がって、車輪は半ば轍から出てきた。息を切らした叫び声が聞こえた。「早く!手伝って!」マドレーヌが最後の努力をなしたのだった。

人々は突き進んだ。一人の人の献身がすべての者に力と勇気を与えた。荷馬車は多数の腕で引き上げられた。フォーシュルヴァン老人は救われた。

マドレーヌは立ち上がった。汗が流れていたが、青い顔をしていた。服は破れ泥にまみれていた。一同は涙を流した。その老人は彼の膝に唇をつけ、神様と呼んだ。彼は幸福な聖なる苦難の言い難い表情を顔に浮かべていた、そしてジャヴェルの上に静かな目付きを向けた。ジャヴェルはなお彼を見つめていた。

 

7.パリーにてフォーシュルヴァン庭番となる

フォーシュルヴァンは荷馬車から落ちるとき、膝蓋骨を外したのだった。マドレーヌさんは彼を病院に運ばせた。その病院は工場と同じ建物の中に、労働者のために彼が設けたもので、慈恵院の看護婦である二人の修道女がすべての用をしていた。翌朝、老人は寝台の脇にある小卓の上に千フランの手形を見つけた。手形とともに、「私は貴方の荷車と馬を買い取ります」とマドレーヌさんが書いた紙片があった。荷車は壊れ、馬は死んでいたのである。フォーシュルヴァンは全快したが、膝の関節は不随になったままだった。マドレーヌ氏は修道女たちと司祭の推薦を得て、パリのサン・タントアーヌ街区の女修道院で、その老人の世話をした。

その後しばらくして、マドレーヌ氏は市長に任ぜられたのである。全市に対して全権を有する市長の飾り帯をマドレーヌ氏が身に着けているのを初めて見たとき、ジャヴェルは主人の衣の下に狼の匂いを嗅ぎ取った犬のような一種の戦慄を感じた。その時以来、彼はできるだけマドレーヌを避けるようにした。ただ職務上やむを得ず他に方法がなくて市長と顔を合わせなければならないような時には、深い敬意を表しながら口をきいていた。

マドレーヌさんによって持ち込まれたモントルイュ・スュール・メールの繁栄は、前に述べた種々の外見上の徴候でもわかるが、なお他にも一つの証拠があった。それはちょっと目にはつかないものであるが、等しく意義深いものであり、常に誤りのないものである。人民が苦しんでいるとき、仕事が不足しているとき、商売が不振であるときには、納税者は困窮のために課税を拒み、または納期を過ぎ、政府の方では強制し徴収するために多くの金を浪費する。けれども、仕事が多く一般に幸福で富んでいるときには、税金はわけもなく納入され、政府の費用は少なくなる。すなわち、民衆の貧富は常に正確な寒暖計、つまり租税徴収の費用を示している。ところで、モントルイュ・スュール・メールの郡においては、七年間に租税徴収の費用はその四分の三を減じた。それで、時の大蔵大臣ド・ヴィレール氏から特にこの郡を模範としてしばしば挙げられたほどであった。

ファンティーヌが戻ってきたとき、その地方はこのような状況であったが、誰ももう彼女を覚えていなかった。幸いにも、マドレーヌ氏の工場の扉は彼女を親しく迎えてくれた。彼女はそこへ行って、女工の仕事場に入ることを許された。その仕事はファンティーヌには新しく、上手にやることができなかった。終日働いても大して金にならなかった。しかしそれでも、事は足りた。問題は解決された。彼女は自分の手で生活をしていった。

 

8.ヴィクチュルニヤン夫人三十五フランをもって貞操を探る

ファンティーヌは自分で暮らしていけるのを見て、一瞬、非常に喜びを感じた。自分で働いて正直に暮らしていくということは、何という天の恵みであろう! 労働の喜びが本当に彼女に戻ってきた。彼女は鏡を一つ買い、自分の若さや立派な髪、美しい歯などを映して楽しみ、多くのことを忘れてしまい、コゼットのことや未来の希望のことしか考えなくなった。そして、ほとんど幸福であった。小さな部屋を一つ借り、これから働いて家賃を払うために、さまざまな道具を揃えた。それだけは以前のだらしない習慣の名残りだった。

彼女は結婚したことがあると言いかねて、以前に少し触れておいたとおり、自分の小さな娘のことについては何も言わないように努めていた。

初めのうちは、前に述べたとおり、彼女はきちょうめんにテナルディエの所へ金を送っていた。けれど彼女はただ自分の名が書けるだけだったから、テナルディエの所へ手紙をやるには代書人に書いてもらわなければならなかった。

彼女はたびたび手紙を出した。それが人目をひいた。ファンティーヌは「よく手紙を書いてる」とか「気取ってる」とかいう低い噂が女工の部屋に立ちはじめた。

一般に、人の行為は、それに関係のない者が最もその秘密を知りたがるものである。――なぜあの人はいつも夕方にしかこないんだろう。誰それさんはなぜ木曜日にはきっと出かけるんだろう。なぜあの人はいつも裏通りばかり歩くんだろう。なぜあの夫人はいつも家よりずっと手前で馬車からおりるんだろう。なぜあの奥さんは家にたくさんあるのにペーパーを買いにやるんだろう。云々――世にはそういう人がいるものである。彼らはもとより自分には何ら関係のないそれらの謎の鍵を得んがために、多くの善事をなし得てあまりあるほどの金と時間と労力とを費やす。そしてそれもただいたずらに自分の楽しみのためにするのであって、好奇心をもって好奇心をつぐのうばかりである。彼らは何日間も男や女の後をつけたり、町角や木戸口に寒い雨の降る晩に数時間立って待ったり、小僧に金を握らせたり、辻馬車屋や徒僕を煽ったり、女中を買収したり、門番を取り入れたりする。それもなぜであるか。何の理由もない。ただ見たい知りたい探りたいがためのみである。ただ種々なことを言いふらしてみたいがためのみである。そして往々にして、それらの秘密が知られ、それらの不思議が公にされ、それらの謎が白日の光に照らされる時には、災難、決闘、失脚、家庭の没落、生涯の破滅などをきたし、それがまた、何らの利害関係もなく単なる本能から「すべてを発見した」彼らの大なる喜びとなるのである。まことに痛むべきことである。

ある人は単に噂をしたい心から悪者となることがある。彼らの会話、客間での世間話、控え室での饒舌は、すみやかに薪まきを燃やしつくす炉のごときものである。彼らには多くの燃料がいる。そしてその燃料はすなわち近所の人々である。

かててファンティーヌは人から目をつけられた。その上に、彼女の金髪と白い歯をうらやむ者も一人ならずいた。

ファンティーヌがしばしば人中でそっとわきを向いて涙をふくことが、工場の中で見て取られた。それは彼女が子供のことを、そしておそらくはまたかつて愛した男のことを考えている時なのだった。


過去の悲しい絆を断ち切ることは、辛い仕事である。ファンティーヌは少なくとも月に二回、いつも同じ宛名で、配達料を払って手紙を出していたことが確かになった。ついには、モンフェルメイュ旅館主・テナルディエ様という宛名まで知られてしまった。人々は酒場で代書人に話させたのだった。代書人は人の良い老人だったが、秘密の袋を開けずには良い酒で胃袋を満たすことができなかった。要するに、人々はファンティーヌが子供を持っていることを知った。「どうしても普通の娘ではない。」ある一人の饒舌な女は、モンフェルメイュまで出かけて行き、テナルディエ夫婦と話をして、帰ってきて言った。「三十五フラン使ってやっとわかった。子供も見てきました!」

そういうことをしたその饒舌家は、ヴィクチュルニヤンという恐ろしい女で、すべての人の徳操の番人で門番だった。ヴィクチュルニヤン夫人は五十六歳で、顔が醜いうえに年を取っていた。震え声で移り気だった。こんな婆さんにも不思議と一度は若い時があったのである。その若いころ、一七九三年の騒動最中に、革命の赤帽をかぶって修道院から逃げ出しベルナール宗派から過激民主派へ変節した一人の修道士と、結婚したことがあった。彼女は冷酷で、ひねくれて、頑固で、理屈っぽく、気難しく、まるで毒のような女性だった。しかも、自分を押さえつけて意のままにしていたもとの夫の修道士のことをいつも思い出していた。彼女はまるで僧衣に押しつぶされた蕁麻疹のようだった。王政復古の時期に、彼女は信者となり、非常に熱心だったため、教会は彼女に亡くなった夫の修道士の罪を許してくれた。少しの財産があったが、彼女はそれを声を大にしてある宗教的組合に遺贈していた。アラスの司教区では彼女はきわめて敬意を払われていた。そのヴィクチュルニヤン夫人が、モンフェルメイュに行って「子供も見てきました」と言いながら帰ってきた。

それまでになるにはかなり時間がかかった。ファンティーヌは工場に来てから、もう一年以上が経っていた。ところがある日の朝、仕事場の監督が市長殿からと言って彼女に五十フランを渡して、もう彼女は仕事場の者ではないと言い添え、この地方から立ち去るようにと市長殿の名をもって言い渡した。

それはちょうど、テナルディエが六フランから十二フランを要求した後、さらに今度は十五フランを要求してきたその月のことだった。

ファンティーヌは途方にくれた。彼女はその地を去ることができなかった。部屋代や道具の代価などがたまっていた。それらの負債を返すには五十フランでは足りなかった。彼女は二三言口ごもりながら哀願したが、監督はすぐ仕事場を立ち去るようにと言うのだった。それにファンティーヌは下手な女工にすぎなかったのである。絶望というよりも、恥ずかしさでいっぱいになり、彼女は仕事場を去り、自分の部屋に帰った。彼女の過去のあやまちは、今ではもう皆の知るところとなっていたのである!

彼女はもう一言を発するだけの力も自分に感じなかった。市長さんに会ってみるがいいと勧める人もあったが、それもしかねた。市長は親切であればこそ五十フランもくれたのである。そして彼は正しい人であればこそ自分を解雇したのである。彼女はその裁きに服した。

 

9.ヴィクチュルニヤン夫人の成功

こうして、修道士の未亡人も何らかの役に立ったということになる。しかし、マドレーヌ氏はそれらのことについて何も知っていなかった。人生においては、たいてい事件はこういうふうに結ばれてゆくものである。マドレーヌ氏は女工の仕事場にはほとんど入らないことにしていた。その仕事場の頭として、彼は司祭から紹介された一人の独身の老女を据えて置いた。そして、その監督にすべてを任せた。実際、それは尊敬すべき、確実で公平かつ清廉な女性であった。施与をする方の慈悲心に非常に富んでいた。ただ人の心を理解し、人を受け入れるという面での慈悲心は、それほど多く持っていなかった。マドレーヌ氏はすべて彼女に信頼していた。最善の人々は往々、自分の権力を他に譲らなければならなくなることがあるものである。こうして、その監督が訴えを聞き、裁き、ファンティーヌの罪を認めて処罰したのも、まさに自分の握っている権力を持って行ったことであり、善をなすという確信を持っていたのであった。

また五十フランというのは、マドレーヌ氏から女工への施与や補助として託されている金から割いて与えたものであった。彼女はその金の計算報告はいつもしないでよかったのである。

ファンティーヌはその地で女中奉公をしようと思い、家から家へと訪ね歩いた。しかし、誰も彼女を望まなかった。彼女はそれでも町を去ることができなかった。彼女に道具を、しかも非常にひどい道具を売りつけた古物商は、彼女にこう言っていた。「もしお前が逃げ出したら、泥棒だとして捕まえてもらうだけだ。」室代がたまっている家主は彼女に言っていた。「お前は若くてきれいだ、払えないことがあるものか。」ファンティーヌは五十フランを家主と古物商に分け与え、さらに古物商には道具の四分の三を戻し、必要なものだけを残すことにした。そして彼女は仕事もなく、籍もなく、ただわずかに寝るところがあるだけで、なお百フランほどの借りがある身となった。

彼女は衛戌兵の粗末なシャツを縫い始め、日に十二スーだけ得ることになった。しかし、娘の方へだけでも十スーずつはやらねばならなかった。彼女がテナルディエへ送金を遅らせ始めたのはこの時だった。

けれども、晩に家に帰ってくると、いつも灯火をつけてくれる年取った一人の婆さんが、彼女に貧困の中で暮らしてゆく方法を教えてくれた。わずかの金で暮らしてゆくその先には、また一文なしで暮らしてゆくということがある。それは引き続いた二つの室で、第一のは薄暗く、第二のは真っ暗である。


この時分に彼女はある近所の女に言った。「なあに私はこう思っていますわ。五時間だけ眠って、あとの時間に針仕事をしていったら、どうにかパンだけは得られるでしょう。それに悲しい時には少ししか食べませんもの。苦しみや気遣い、一方に少しのパンと一方に心配、それでどうにか生きていけますでしょう。」

こんな辛い状況の中で、自分の小さな娘がそばにいたらどんなに幸せだっただろう。彼女は娘を呼び寄せようと考えた。しかし、その後どうするつもりなのか? 娘に困窮を分かち与えようというのか。それからテナルディエにも負債になっている。どうして払われよう。そしてまた旅。その費用は?

彼女に貧乏生活の教えとでもいうべきものを与えてくれた婆さんは、マルグリットという聖なる独身者で、立派な信仰を持ち、貧乏ではあるが、貧しい者だけでなく金持ちに対しても恵み深く、マルゲリトと署名するだけのことは立派に知っており、また学問としては神を信じることを知っていた。

かかる有徳の人が下界にも多くいる。他日彼らは天国に至るであろう。かかる生命は未来を有しているものである。

初めのうちファンティーヌは、非常に恥ずかしがってなるべく外にも出なかった。通りに出ると、彼女は皆が後ろから振り返り、自分を指さしているのに気づいていた。皆が彼女を眺めていくが、挨拶する者は一人もなかった。通り過ぎる人々の冷ややかな鋭い軽蔑は、朔風のように彼女の肉を通し、心を貫いた。

小街においては、一人の不幸な女がいる時、その女はすべての人のあざけりと好奇心の下に裸にされるしかないようである。パリにおいては、少なくとも誰も顔を知った者がいない。その暗黒は身を覆う一つの衣となる。おお、ファンティーヌはどれほどパリに行きたかったことか! しかし、それは不可能だった。

貧乏に慣れていく一方で、彼女は軽蔑にも耐えざるを得なかった。次第に彼女はそれをあきらめていった。二、三カ月後には、恥ずかしさなどは振り捨ててしまって、何事もなかったかのように外出し始めた。「どうだってかまうものか」と彼女は言った。彼女は頭を上げ、苦い微笑を浮かべながら往来を歩いた。そして、自分がずいぶん厚かましくなったように感じた。

ヴィクチュルニヤン夫人は時折、彼女が通るのを窓から見かけた。そして、自分のおかげで「本来の地位に戻されたあの女」の困窮を見て取って自ら祝した。心の悪い人々はさすがに暗黒な幸福を有しているものである。

過度の労働はファンティーヌを疲れさせ、普段からの軽い咳も次第にひどくなってきた。彼女は時折、隣のマルグリットにこう言った。「触ってごらんなさい、私の手の熱いこと。」

けれども朝に、壊れた古櫛で素絹のように流れるきれいな髪をとかす時には、おめかしをする一瞬を楽しんでいた。

 

10.成功の続き

ファンティーヌが解雇されたのは冬の末だった。そして夏が過ぎ、冬は再びきた。日は短く、仕事は少ない。冬は暖かさも光もなく、昼もなく、夕方はすぐに朝と接し、霧が立ちこめ、薄明かりの中、窓は灰色で、物の姿もおぼろである。空は風窓のようで、一日はあなぐらの中のようで、太陽も貧しい様子をしている。恐ろしい季節! 冬は空の水を石にし、人の心をも石に変える。その上、ファンティーヌは債権者らに悩まされていた。

彼女の稼ぎはあまりにも少なかった。負債は大きくなっていた。金がこないので、テナルディエの所からは始終手紙がよこされた。彼女はその手紙の内容に脅え、郵便代に懐が痛んだ。ある日の手紙によると、小さなコゼットはこの冬の寒さに服も着ていない、どうしても毛織の裾着がいるので、少なくともそのために十フラン送ってくれということだった。ファンティーヌはその手紙を受け取って、終日それを手に握りしめていた。その晩、彼女は通りの片隅にある理髪店に入り、櫛を抜き取った。美しい金髪は腰のところまでたれ下がっていた。

「みごとな髪ですね。」と理髪師は叫んだ。

「いかほどなら買えますか。」と彼女は言った。

「十フランなら。」

「では切ってください。」

彼女はその金で毛糸編みの裾着を買って、それをテナルディエの所へ送った。その裾着はテナルディエ夫婦を怒らせた。彼らが求めていたのは金だった。彼らはその裾着をエポニーヌに与えた。あわれなアルーエットは相変わらず寒さに震えていた。

ファンティーヌは考えた。「私の子供はもう寒くないだろう、私の髪を着せてあげたのだから。」そして彼女は小さな丸い帽子をかぶって毛の短くなった頭を隠していたが、それでもなおきれいに見えた。

ファンティーヌの心の中には、ある暗い変化が起こっていた。もはや髪を束ねることもできないのを知った時、周囲の者すべてを憎み始めた。彼女は長い間皆の人とともにマドレーヌさんを尊敬していた。しかし、自分を追い払ったのは彼であり、自分の不幸の原因は彼であると、幾度も考えているうちに、彼をもまた、そして特に彼を憎むようになった。職工らが工場の門から出てくる頃、その前を通る時、彼女はわざと笑い、歌ってみせた。

そんなふうにしてある時、彼女が笑い歌うのを見た一人の年配の女工は言った。「あの娘も終わりはよくないだろう。」

ファンティーヌは情夫を作った。手当たり次第に捕まえた男で、愛するからではなく、ただ傲慢と内心の憤激から作り出したのだった。やくざな男で、一種の乞食音楽者で、浮浪の暇人で、彼女を打擲し、彼女が彼とでき合った時のように嫌悪の情に満たされて、彼女を捨てて行ってしまった。

ファンティーヌは自分の娘だけは大事に思っていた。


彼女が堕落してゆけばゆくほど、彼女の周囲が暗黒になればなるほど、そのやさしい小さな天使はいっそう彼女の魂の奥に光り輝いてきた。彼女はよく言っていた、「お金ができたら私コゼットといっしょに住もう。」そして笑った。咳はなおも収まらず、背中に汗をかいていた。

ある日、彼女はテナルディエの所から次のような手紙を受け取った。「コゼットは土地に流行している病気にかかっている。粟粒疹熱(つぶはしか)と俗に言う病だ。高い薬がいる。そのため金がなくなって薬代がもう払えない。一週間以内に四十フラン送らなければ、子供は死ぬかもしれない。」

ファンティーヌは大声で笑い出し、隣の婆さんに言った。「まあおめでたい人たちだわ。四十フランですとさ。ねえ、ナポレオン金貨二つだわ。どうして私にそんなお金ができると思ってるんでしょう。ばかなものね、この田舎の人たち。」

それでも彼女は軒窓の近くへ階段を上っていって、手紙を読み返した。それから彼女は階段を降り、笑いながら跳ねるように出て行った。

出会った人が彼女に言った。「何でそんなにはしゃいでるの?」

彼女は答えた。「田舎の人たちがあまりにも馬鹿なことを書いてくるのですもの。四十フラン送れですとさ。ばかにしてるわ。」

彼女が広場を通りかかった時、そこには大勢の人がいて、おかしな形の馬車を取り囲んでいた。馬車の平屋根の上には、赤い着物を着た一人の男が立って何か弁じ立てていた。それは方々を渡り歩く香具師やしの歯医者で、総入れ歯や歯みがき粉や散薬や強壮剤などを売りつけていた。

ファンティーヌはその群衆の中に交じり、卑しい俗語や上品な言葉が交じった長い談義を聞き、他の人たちと一緒に笑い始めた。歯医者はそこに笑っている美しい彼女を見つけて、突然叫び出した。「そこに笑っていなさる娘さん、あんたの歯はまったくきれいだ。お前さんのその羽子板を二枚売ってくれるなら、一枚につきナポレオン金貨一つずつを上げるがな。」

「何ですよ、私の羽子板というのは。」とファンティーヌは尋ねた。

「羽子板ですか?」と歯医者は言った。「なにそれは前歯のことですよ、上の二枚の歯ですよ。」

「まあ恐ろしい!」とファンティーヌは叫んだ。

「ナポレオン金貨二つ!」とそこにいた歯の抜けた婆さんがつぶやいた。「なんて幸せな娘さんでしょう。」

ファンティーヌは逃げ出し、男の嗄れた声を聞かないように耳を押さえた。男は叫んでいた。「考えてみなさい、別嬪さん! ナポレオン金貨二つですぜ。ずいぶん役に立つね。もし気があったら、今晩ティヤック・ダルジャンの宿屋においでな、私はそこにいるから。」

ファンティーヌは家に帰った。怒りがこみ上げていた。そして、そのことを親切な隣のマルグリット婆さんに話した。「いったいそんなことがあるものでしょうか。恐ろしい男じゃありませんか。どうしてあんな奴をこの辺に放っておくんでしょう。私の前歯二本を抜けなんて、ほんとに恐ろしいわ。髪の毛ならまた生えもしようが、歯はね。ああ、畜生! そんなことをするくらいなら、六階の上から真っ逆さまに舗石の上に飛び降りた方がいいわ。今晩ティヤック・ダルジャンの宿屋に待っていると言ったわ。」

「そしていくら出すと言いました。」とマルグリットは尋ねた。


「ナポレオン金貨二つだって。」

「では四十フランですね。」

「ええ、四十フランになるのよ。」とファンティーヌは言った。

彼女は考え込み、仕事に取り掛かった。やがて十五分もたつと、縫い物をやめて、階段の上へ行ってテナルディエの所からきた手紙をまた読んでみた。

室に帰ってから彼女は、そばで仕事をしていたマルグリットに言った。「何でしょう、粟粒疹熱(つぶはしか)って知っていますか?」

「ええ、」と婆さんは答えた。「ひどい病気ですよ。」

「では薬がたくさんいるでしょうか。」

「そうですとも、大変な薬が。」

「どうしてそんな病気にかかるんでしょう。」

「すぐにとっつく病気ですよ。」

「では子供にもあるんですね。」

「主に子供です。」

「その病気で死ぬことがあるんでしょうか。」

「ずいぶんありますよ。」とマルグリットは言った。

ファンティーヌは室を出て行って、もう一度階段の上で手紙を読んだ。

その晩、彼女は出かけて行き、宿屋の多いパリの街へと歩いて行くのが見えた。

翌朝、マルグリットは夜明け前にファンティーヌの室へはいって行った。彼女らはいつもいっしょに仕事をして、二人で一本の蝋燭で済ましていたのである。見ると、ファンティーヌは青ざめ、氷のように冷たい寝床の上に座っていた。彼女は一晩中寝ていなかった。帽子は膝の上に落ちていた。一晩中ともされていた蝋燭は、ほとんど燃え尽きていた。

マルグリットはその大変取り乱れた光景にあきれて、敷居の上に立ち止まり、そして叫んだ。「おお! 蝋燭が燃えてしまっている。何か起こったに違いない!」

それから彼女は、髪のない頭をこちらに向けているファンティーヌを眺めた。

ファンティーヌは一夜のうちに十歳も老けてしまっていた。

「まあ!」とマルグリットは言った。「お前さんどうしたの。」

「何でもないわ。」とファンティーヌは答えた。「それどころか、恐ろしい病気にかかっている私の子供も、助けがなくて死ぬようなことはないでしょう。これで安心だわ。」

そう言いながら彼女は、テーブルの上に光っているナポレオン金貨二つを婆さんに指さし示した。

「あらまあ!」とマルグリットは言った。「大変なお金! どこからそんな金貨を手に入れたの。」

「手にはいったのよ。」とファンティーヌは答えた。

と同時に彼女はほほえんだ。蝋燭の光は彼女の顔を照らしていた。それは血まみれの微笑だった。赤い唾液が唇の端に付いていて、口の中には暗い穴があいていた。

二枚の歯は抜かれていた。

彼女はその四十フランをモンフェルメイユに送った。

がそれは、金を手に入れるためのテナルディエ夫婦の策略だったのである。コゼットは病気ではなかった。

ファンティーヌは鏡を窓から投げ捨てた。ずっと前から彼女は三階の部屋から、ただかきがねで締まっただけの屋根裏の部屋に移っていた。天井と床が角度をなしていて、絶えず頭をぶつけそうな屋根裏だった。そこに住む者は、その部屋の奥に行くにはまるで自分の運命のどん底へ向かうかのように、徐々に身をかがめなければならなかった。ファンティーヌは寝台も持たなくなっていた。ただ残っていたのは、掛け布団と自ら言っていた襤褸と、床に広げた一枚の敷き布団、藁のはみ出た一脚の椅子だけだった。小さな薔薇の鉢植えはあったが、それも忘れられて部屋の片隅に枯れしぼんでいた。他の片隅にはバター用の壺があって水が入っていたが、冬にはその水が凍り、氷の丸い輪で幾度も水のさされた跡が長く見えていた。彼女は前から羞恥心を失っていたが、さらに身だしなみへの心も失っていた。

そうなってはもうおしまいである。彼女はよごれた帽子をかぶって外に出かけた。暇がないのか、あるいは平気になったのか、下着を繕うこともなかった。靴下は踵が切れるにつれて、靴の中に引き下げて履いていた。縦にしわが寄っているので、そうしているのが外からでもよくわかった。

コルセットが古くなってすり切れると、すぐに裂けそうなキャラコの布でつぎを当てた。貸しのある人々は彼女をいじめ続け、少しの休息も与えなかった。彼女はそうした者たちに往来でも出会い、家の階段でもまた出会った。彼女は幾晩も、泣き明かしまた考え明かした。目は妙に輝き、肩には左の肩胛骨の上あたりに始終痛みを覚えた。咳も多くなった。彼女は深くマドレーヌさんを憎んだが、少しも不平をもらすことはなかった。日に十七時間縫い物をした。しかし、監獄の仕事請負人が、安く女囚徒らに仕事をさせたので、にわかにその仕事の賃金が少なくなり、普通の工女の一日分の賃金は九スーになってしまった。日に十七時間働いて、しかも九スー! 債権者たちはますます苛酷になった。古道具屋はほとんどすべての道具を取り戻したのだったが、なお絶えず言った。

「いつになったら払おうというんだ、太ふてえ女。」いったい彼らは彼女をどうしようというのか! 彼女はいつも追いまわされているような気がした。そしてしだいに彼女のうちには野獣のような何かが芽を出してきた。その頃またテナルディエから手紙がきた。今まではあまりに気をよくして待っていたが、今度はすぐ百フラン送るよう、さもなければ、あの大病から病み上がりの小さなコゼットをこの寒空に往来に追い出すばかりだ、そしたらどうとでもなるがいい、勝手にくたばってしまうがいい。「百フラン」とファンティーヌは考えた。「だが、日に百スーでももうけられる仕事がどこにあろう?」

「いいわ!」と彼女は言った。「身に残っている一つのものを売ることにしよう。」

 

11.キリストわれらを救いたもう

このファンティーヌの物語は、そもそも何を意味するのか。それは、社会が一人の女性の奴隷を買い入れたということである。そして、誰からか?悲惨からである。飢渇、寒気、孤独、放棄、困苦からである。悲しい取り引き、一片のパンと一つの魂との交換であり、悲惨は売り物に出され、社会はそれを買う。

イエス・キリストの聖なる法則は、わが文明を支配する。しかしながらなお、それは文明の底まで徹してはいない。奴隷制度は欧州の文明から消滅したと言われている。しかし、それは誤りである。なお、それは存在している。ただ、もはや婦人の上にのみ残っているというだけである。そしてその名を売淫という。

それは婦人の上、換言すれば、優しいもの、弱いもの、美しいもの、母なるものの上に、かぶさっている。このことは、男子にとって少なからぬ恥辱であるべきだ。

われわれが見てきたこの痛ましい物語も、ここに及んではファンティーヌにはもはや昔の面影は何も残っていない。彼女は泥のようによごれ、冷たく大理石のようになっている。彼女に触れる者は皆、その冷ややかさを感じる。彼女は流れ歩き、男を受け入れ、その男が誰であるかを知らない。彼女の顔は屈辱と冷酷のそれである。人生と社会の秩序とは、彼女に最後の別れを告げた。来るべきすべてのものは彼女に来た。彼女はすべてを感じ、すべてを受け、すべてを経験し、すべてを悩み、すべてを失い、すべてを泣いた。あたかも死が眠りに似ているように、無関心に似たあきらめを彼女はあきらめた。彼女はもはや何物をも避けない。もはや何物をも恐れない。雲霧が落ちてきたらば来たれ、大海が襲い来たらば来たれ。それが何ぞや! もはや水に浸された終わった海綿である。

少なくとも彼女自身はそう信じていた。しかしながら、もはや運命を知り尽くし、いっさいの事のどん底に落ちたと思うことは、一つの誤りである。

ああ、かくのごとく無茶苦茶に狩り立てられたこれらの運命は何を意味するか?それはどこへ行くか?何ゆえにかくのごとくなったのであるか?それを知る者は、いっさいの暗き所をも見通す者である。それはただ一人。それを神という。

 

12.バマタボア氏の遊惰

すべての小都市、特にモントルイユ・スュール・メールには、一種の若者たちがいた。彼らはその同輩がパリにおいて年に二十万フランを消費するのと同じように、地方において年に千五百フランの定収入を浪費している。彼らは中性的な存在に属している。去勢者、寄食者、無能力者ともいうべきもので、わずかな土地と無分別さ、そしてちょっとした機才を持っている。社交界に出ては田舎者でありながら、居酒屋では一角の紳士だと自惚れている。「僕の牧場、僕の森林、僕の小作人」などと言う。芝居の女優を喝采しては自らの趣味を示し、兵営の将校と争論しては自らの勇者であることを誇示し、狩猟をし、煙草をふかし、欠伸をし、酒を飲み、嗅煙草を嗅ぎ、撞球をし、駅馬車から降りる旅人に目をつけ、カフェに入りびたり、飲食店で食事をする。食卓の下では連れている犬に骨をしゃぶらせ、その上では情婦にごちそうをする。一スーを憎み、流行を競い、悲劇を賞賛し、婦人を軽蔑し、古靴をすり減らし、パリを介してロンドンの風をまね、ポン・タ・ムーソンを介してパリの風をまね、年を取るとともに愚かになり、何の仕事もせず、何の役にも立たず、また大した害にもならないのである。

フェリックス・トロミエス君も、田舎にいてパリを知らなかったなら、この種の人間になったことであろう。もし彼らがいくらか金持ちであれば、しゃれ者と言われ、もしいくらか貧乏であれば、なまけ者と言われるところであるが、みな単に閑人である。それらの閑人のうちには、厄介者もあり、退屈している者もあり、夢想家もいれば、変わった男もいる。

その頃、しゃれ者といえば、高いカラーをつけ、大きなえり飾りをつけ、金ぴかの時計を持ち、色の違った三枚のチョッキを青や赤を下にして重ねて着、胴が短く後が魚の尾のようになっているオリーブ色の上衣をつけ、たくさん密に並んだ二列の銀ボタンを肩の所までつけ、ズボンはそれよりやや明るいオリーブ色で、両方の縫い目には幾つかの筋飾りをつけていて、その数は一から十一までの間できまっていなかったが、必ず奇数で、また十一を限度としたものだった。それに加えるに、踵に小さな鉄のついた半靴に、縁の狭い高帽、長い髪の毛、大きなステッキ、ポアティエもどきの洒落を交じえた会話。とりわけ、拍車と口髭。当時、口髭は市民のしるしであり、拍車は徒歩の人のしるしであった。

田舎のしゃれ者は特に長い拍車をつけ、特に勢いよい口髭をのばしていた。それはちょうど、南米の諸共和国がスペイン国王と争っていた折で、ボリヴァル(訳者注 南米の将軍)とモリロ(訳者注 スペインの将軍)とが争闘していた頃だった。縁の狭い帽子を被っているのは王党でモリロ派と称し、自由党の方は広い縁の帽子をかぶってボリヴァル派と称していた。


さて、前述の事件から八か月か十か月ほど後、1823年の正月の初め、雪の降ったある晩、この種のしゃれ者の一人であり、閑人の一人であり、モリロ派の帽をかぶっているので「正統派」と呼ばれている男が、寒中の流行の一つである大きなマントに暖かく身を包んで、士官らの集まるカフェの窓の前をうろついて、一人の女をからかっておもしろがっていた。女は夜会服を着て、首筋を露わにし、頭には花を飾っていた。そして彼は煙草をふかしていた。なぜなら、煙草をふかすのがまさしく時の流行であったから。

女が前を通るたびに、彼は葉巻きの煙とともに悪態を投げつけていた。彼は自分ではその悪口を巧みなおもしろいものと思っていたが、まずこんなものに過ぎなかった。「やあ、まずい顔だね!……いい加減に身を隠したがいいね!……歯がないんだね!……云々。」その男の名はバマタボア氏といった。女は雪の上を行き来している、化粧を施した陰気な幽霊のような姿で、彼に返事もしなければ振り向きもしなかった。そしてやはり黙ったまま陰鬱に規則的にそこを歩き回って、笞刑を受ける兵士のように五分間ごとに男の嘲罵の的となっていた。嘲罵に対する反応があまりないため、閑人はひどく機嫌を損ねてしまったに違いない。

彼は女が向こうへ通りすぎた機会をねらって、笑いをこらえながら抜き足で女の後ろに進んでいって、身をかがめて舗石の上から一握りの雪を取り、不意にそれを女の露わな両肩の間の背中に押し込んだ。女は叫び声を上げ、振り返り、豹のようにおどり上がり、男に飛びついた。そのあらん限りの卑しい恐ろしい悪態とともに、男の顔に爪を突き立てた。ブランデーのために声のかれたその罵詈は、なるほど前歯の二本なくなっている口から醜くほとばしり出ていた。女はファンティーヌであった。

その騒ぎに、士官らはいっしょにカフェから出てき、通行人は足を止め、大きな円を作って群集は笑いののしりまた喝采した。そのまん中に二人は旋風のように取り組み合っていた。それが男と女であることも見分け難いほどだった。男は帽子を地に落としたまま、身をもがいていた。女は帽子もなく前歯も髪の毛もなく、憤怒に青くなって恐ろしい様子でわめき立てながら、なぐりつけ蹴りつけていた。

と突然、背の高い一人の男が、群集の中から飛び出して、女の泥にまみれた繻子の胴着をつかんで言った。「ちょっとこい!」女は頭を上げた。その狂気のようなわめき声は急に止まった。目はどんよりとし、青白かった顔色は真っ青になり、恐怖にぶるぶる身を震わせた。彼女はジャヴェルを見て取ったのだった。しゃれ者はその間に逃げてしまった。

 

13.市内警察の若干問題の解決

ジャヴェルは見物人を押しのけ、群集の輪を破り、後ろにその惨めな女を従えて、広場の一端にある警察署の方へ、大股で歩き出した。女はただ機械的に扱われるままになっていた。二人とも一言も口をきかなかった。多くの見物人はひどくおもしろがって、ひやかし半分について行った。極端な悲惨は卑猥な心の的となる。

警察は天井の低い室で、暖炉がたかれ、番兵が控え、鉄格子にガラスのはまった戸が往来の方にあった。そこに着くと、ジャヴェルはその戸を開き、ファンティーヌとともに中にはいって、後ろに戸をしめてしまった。やじ馬はいたく失望したが、中を見ようとして、爪立ちながら警察署のよごれたガラス戸の前に首を伸ばした。好奇心は一の貪食である。見ることはすなわち食うことである。

中にはいるとファンティーヌは、恐がっている犬のように片隅に縮こまり、身動きもしなければ口もきかなかった。署詰めの下士が蝋燭をともしてきてテーブルの上に置いた。ジャヴェルは腰を掛けて、ポケットから捺印してある一枚の紙を取り出して、何か書き始めた。

この種の女性は法律上、まったく警察の処分に任せられている。警察では何でも勝手に処置して思うままに彼女らを罰し、彼女らが自分の仕事と呼び自由と呼んでいる二つの悲しき事をも随意に取り上げてしまうのである。ジャヴェルは感情を動かさない男だった。彼のまじめくさった顔付きは何らの情緒をも示してはいなかった。けれども彼は沈重で、何か深く思いふけっていた。自由にしかも厳粛なる本心の注意を集めて、恐るべき臨機処分の権を行使している時であった。そういう時、彼は自分の警官の腰掛けを法廷であると感じていた。彼は判決をなしていた。判決をなし、そして宣告を与えていた。彼は自分の脳裏にあるすべての思想を呼び起こし、自らのなすべき大事に集中した。彼はその女の行為を調べれば調べるほど、ますます嫌悪の情を感じた。明らかに一つの罪悪が行なわれるのを目撃したのだった。あの往来において、一人の選挙権を有する土地所有者によって代表されている社会が、人の歯よわいせざる一人の女から侮辱され攻撃されているのを見たのである。一人の売春婦が一個の市民に害を加えたのである。彼ジャヴェルは、それをまさしく見たのである。彼は黙々として書き続けた。

書き終えてから彼はそれに署名した。そしてその紙をたたんで署詰めの下士に渡しながら言った。「二、三人呼んで、この女を牢に連れてってもらいましょう。」それからファンティーヌの方を向いて言った。「お前は六カ月間牢にはいるんだぞ。」

不幸な女は身を震わした。「六カ月、牢に六カ月!」と彼女は叫んだ。「日に七スーずつしか取れないで六カ月間! そしたらコゼットはどうなるだろう。娘は、ああ娘は! 私はまだテナルディエの所に百フラン余りの借りがあるんです。警視さん、考えてみて下さい。」


大勢の泥靴で汚れ、じめじめしている床の上に、彼女は身を投げた。そして立ち上がろうともせず、両手を握り合わしたまま、膝頭ではい回った。

「ジャヴェルの旦那」と彼女は言った。「どうぞお許しください。決して私が悪かったのではありませんから、初めから御覧なすっていたら、きっとおわかりになったはずです。私が悪かったのではないことを神様に誓います。知りもしないあの男の人が私の背中に雪を押し込んだんです。誰にも何にもしないで静かに歩いている時、背中に雪を押し込むなんていう法があるでしょうか。それで私は気が立ってしまったのです。私はこの通り、少し身体の具合も良くないのです。その上、前からあの人は私に無茶を言っていたんです。まずい顔だね、歯がないんだねって。歯のないことは自分でもよく知っていますわ。だから私は何にもしなかったのです。冗談言ってるんだと思ってました。私はおとなしくしていました。口もききませんでした。その時です、あの人が私に雪を入れたのは。

ジャヴェルの旦那、警視さん、初めからそこに見ていて、私の言うことが本当だと言ってくれる人は誰もいないんでしょうか。怒ったのは悪かったでしょう。が、初めは自分をおさえることのできないこともありますわ。むっとすることがあるものです。それにあんな冷たいものを、思いがけない時に背中に入れられてごらんなさい。あの人の帽子を台無しにしたのは私のせいです。けれど、なぜあの人は逃げていってしまったのでしょう。私が謝るのに。おお神様、どうか見てください。私はいつでも謝ります。だから今日の所だけはどうぞ許して下さい、ジャヴェルの旦那。ねえ、あなたはご存じないでしょうが、監獄では七スーしかもらえないのです。お上の知ったことではないでしょうが、七スーしか取れないのです。それだのに、察して下さい、私は百フランも払わなければなりません。

そうしないと娘は私の所へ返されるのです。おお神様、私は娘と一緒に住むことができないのです。私のしていることはあまり汚らわしい! 私のコゼット、聖きよい天使のような私の娘、かわいそうにあれはどうなるでしょう! こうなんです、娘を預かっているのはテナルディエといって、田舎者で宿屋をしている夫婦ですが、わけのわからない人たちです。お金ばかりほしがっているのです。どうぞ私を牢に入れないで下さい。小さい児なのに、この冬の最中に勝手にしろといって往来に放り出されるのです。ねえ、ジャヴェルの旦那、かわいそうではありませんか。もっと大きくなっていれば、どうにか食べてゆけもしましょうが、あの年ではそれもできません。私は心の底から、悪い女ではないのです。怠けたりうまいものを食べたりしたいためにこんなになったのではありません。ブランデーも飲みますけれど、それも苦しいからです。酒なんか好きではありませんが、酒を飲むと苦しみを忘れるからです。私がもっと幸福であった時には、ちょっと戸棚をあけてみただけでも、ふしだらな賤しい女でないことがわかったものです。下着などもたくさん持っていたものです。お情けにどうか、ジャヴェルの旦那!」

彼女はそういうふうに言いながら、身体を二つに曲げ、身を震わして啜り泣き、目にいっぱい涙をため、首を露わにし、両手を握り合わせ、かわいた短い咳をし、苦痛の声をしぼって静かに訴えた。大なる苦悩は聖いそして恐ろしい光で、悲惨なる者の姿を浄化する。その瞬間ファンティーヌはまた美しくなっていた。時々彼女は言葉を切って、警官のフロックの裾にやさしく唇をつけた。彼女は花崗岩のような冷ややかな心を和らげたであろう。しかし木のごとき心を和らげることはできないものである。

「よろしい」とジャヴェルは言った。「言うだけは聞いてやった。もうすんだのか。それではさあ行け。六カ月だぞ。父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ。」

父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだというそのおごそかな言葉をきいて、彼女は判決が下されたのだということを了解した。彼女はそこにくずおれて口の中で言った。


「お慈悲を!」

ジャヴェルは背中を向けた。兵士らは彼女の腕をとらえた。しばらく前からそこに一人の男が入ってきていたが、誰もそれに気づいていなかった。彼は戸をしめて、それによりかかって、ファンティーヌの絶望的な訴えをきいていた。

身を起こそうともしないあわれな女に兵士らが手を触れた時に、男は一歩進んで、物陰から出てきて言った。「どうか、しばらく!」

ジャヴェルは目をあげて、そしてマドレーヌ氏を認めた。彼は帽子を脱ぎ、不満な様子で挨拶をした。「失礼しました、市長どの……」

この市長殿という言葉は、ファンティーヌに不思議な刺激をもたらした。彼女は地面から飛び出した幽霊のように突然すっくと立ち上がった。そして両手で兵士らを払いのけ、人々が引き留める間もなく、もうマドレーヌ氏の方へまっすぐに進んでゆき、我を忘れたようにじっと彼を見つめ、そして叫んだ。「おお、市長というのはお前さんのことですか。」

それから彼女は突然笑い出して、彼の顔に唾をはきかけた。マドレーヌ氏は顔をふいて、そして言った。「ジャヴェル君、この女を放免しておやりなさい。」

ジャヴェルはその瞬間、気が狂ったかと思った。彼はその一瞬の間に、相ついで、そしてほとんどいっしょに、いまだかつて知らないほどの種々の激情を経験した。醜業婦が市長の顔に唾を吐きかけるのを見たこと、それはいかにも奇怪千万なことで、いかに恐ろしい想像をたくましくしてみても、あり得べきことだと信じることさえ、すでに冒涜であるような気がした。また他方には、この女はいったい何者で、また市長は何者であろうかと考えて、両者の間に忌むべき関係を心の底でふと立ててみた。そして女の奇怪な侮辱のうちに何かごく簡単な理由を想像してみて、慄然とした。しかしながら、市長が行政官が静かに顔をふいて、この女を放免しておやりなさいと言うのを見た時、彼はにわかに茫然としてしまった。何の考えも言葉も出てこなかった。驚愕の度が彼にはあまり大きかった。彼は口をきき得ないでぼんやり立ちつくしていた。

また、市長の言葉はファンティーヌにも同じく不思議な影響を与えた。彼女はその露わな腕を上げ、よろめく者のように暖炉の戸前につかまった。それでも彼女は自分のまわりを見回して、そして自分自身に言うかのように低い声で言い出した。「放免! 免ゆるしてやれ、六カ月牢に行かせるな! それを言ったのはだれだろう。いや、だれが言えるものか。私の聞き違いかしら。市長の奴が言うはずはない。あなた、ジャヴェルの旦那、あなたですか、私を放免してやれとおっしゃったのは。おお聞いて下さい、申し上げたらきっと私を許して下さるでしょう。このひどい市長です、元はといえば皆この市長のおいぼれのお陰です。察して下さい、ジャヴェルの旦那、この人が私を追い払ったんです。工場でいろいろなことを言いふらす乞食婆どものためにです。

あまり酷いではありませんか、正直に仕事をしてるあわれな者を追い出すなんて! それからというもの、私は十分お金が取れなかったんです、そしてこんなに不幸になったんです。まず第一に、警察の方でもぜひとも改善してほしいことがあります。監獄の請負人が貧乏人たちを苦しめないように、してもらいたいことです。説明してあげてもよござんすわ。シャツを縫って十二スー取れていたのが、九スーになってしまったんです。それではもう暮らしてはいけません。だから何にでもならなければならなくなったんです。それに私には娘のコゼットがいます。いやな商売でもしなければならなかったんです。これでおわかりでしょう、あの市長のやつがみな不運の元なんです。それから私は、あの軍人の集まるカフェーの前であの男の帽子を踏みつけました。ですがあの人は、雪で私の着物をすっかり台無しにしてしまったんです。

私どものような女は、晩に着る絹物はただ一枚きり持ちません。ねえジャヴェルの旦那、私は何もことさら悪いことをしたのではありませんわ、本当です。私よりもっと悪い女はどこにでもいます、そしてもっと楽をしています。ああジャヴェルの旦那、私を許してやれとおっしゃったのはあなたでしょう。よく調べてみて下さい。家主さんにもきいて下さい。今では家賃もちゃんと払っています。私が正直なことはだれにきいてもわかります。おや、ごめん下さい、知らずに暖炉の戸前にさわったのでけむり出して。」

マドレーヌ氏は深い注意を払って彼女の言うのを聞いていた。彼女がしゃべっている間に、彼はチョッキを探って金入れを取り出して開いてみたが、それは空からだった。彼はそれをまたポケットにしまった。彼はファンティーヌに言った。


「いくら借りがあると言ったっけね。」

ジャヴェルの方ばかり見ていたファンティーヌは、彼の方へふり向いた。「誰もお前さんに口をきいてくれません!」

そして彼女は兵士らへ言葉を向けた。「ねえ、お前さんたちも、私がこの人の顔に唾を吐きかけたのを見たでしょうか。ああ、市長の古狸め、私を脅かしにきたんでしょうが、誰がお前さんを怖がるものかね。私はジャヴェルの旦那が怖い。親切なジャヴェルの旦那が、特に怖いのです!」

そう言いながら、彼女はまた警視の方へ向いた。「ねえ、警視さん、物事は正しくしなければいけません。私はあなたが正しいことを知っていると理解しています。実際、ごく簡単なことですわ。一人の男が冗談に女の背中に少し雪を入れた。それが士官たちを笑わせた。人は何か慰みをするものです、そして私どもは人の慰みになるのです。それだけのことですわ。それからその後、あなたがいらっしゃったのです。あなたは秩序を保たなければならなかった。あなたは悪い女を拘束なさった。けれど、あなたは親切だからよく考えて、私を放免してやれとおっしゃった。それは子供のためですわね。

なぜなら、六カ月も牢にはいっていては子供を養うことができませんもの。ただ、二度とあんなことをするなとおっしゃるのでしょうか。ええ、私はもう二度とあんなことは致しません。ジャヴェルの旦那、もう今度はどんなことをされようと決して手出しは致しません。ただ今日は私、あまり大声を立てました。つらかったんですもの。あの人が雪を入れようなどとは夢にも思っていなかったのです。それにさっき申したとおり、私は身体もあまりよくないのです。咳が出て、何か熱い塊で胸が焼けるようです。用心せよってお医者さんも言いました。ちょっと、手を貸して、触ってごらんなさい。怖がらなくてもいいでしょう。ここですのよ。」

彼女はもう泣いていなかった。声は甘えるようだった。彼女は自分の白く優しい喉元に、ジャヴェルの大きく荒々しい手を当て、ほほえみながら彼を見つめた。

突然彼女は着物の乱れているのをなおし、下にこごんでいたため膝の所までまくれている着物の裾をおろし、戸の方へ歩いてゆきながら、親しげにうなずいて兵士らに低い声で言った。「皆さん、許してやれと警視さんがおっしゃったから、私行きますわ。」

彼女は※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)かきがねに手をかけた。今一歩で外に出るところだった。

ジャヴェルはその時まで立ちつくしていた。身動きもしないで、床に目を落として、位置を動かされてどこかに据えられるのを待っている立像のように、この光景のまん中に立ちつくしていた。

※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)の音は彼を覚まさました。彼は頭を上げた。顔には、主権者の権力の表情、下等なものになればなるほどいっそう恐ろしくなり、野獣においては獰猛となり、卑しい人間においては凶悪となる表情があった。

下士官」と彼は叫んだ。「そいつが出て行こうとしているのが見えないか。そいつを許せと誰が言った。」

「私です。」とマドレーヌは言った。

ファンティーヌはジャヴェルの声に震え上がって、盗賊が盗んだ品物を放すように※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)から手を放した。マドレーヌの声に彼女はふり向いた。そしてその時から、一言も発せず、息も自由につかないで、二人が口をきくにつれて、マドレーヌからジャヴェルへ、ジャヴェルからマドレーヌへ、かわるがわる目を移した。

市長がファンティーヌを許してやるように申し出た後、あえてこのように下士官を呼びかけるには、ジャヴェルはいわゆる「箍を外して」いたに違いない。そのために彼は市長がそこにいるのも気付かなかったのであろうか。または、いかなる「権力」といえどもかかる命令を与えることはできないと信じ、市長が自ら気付かずして何か取り違えてかかる言を発したのであると信じたのであろうか。もしくは、二時間前から目撃してきた暴行の前において、いよいよ最後の決断を取らなければならないと思い、小官も大官となり、一個の刑事巡査も長官となり、警官も法官となることが必要だと思い、この危急な場合においては、秩序、法律、道徳、政府、社会すべてが、おのれジャヴェル一個のうちに代表せらるべきものであると信じたのであろうか。

それはともかくとして、前のごとくマドレーヌが私ですという言葉を発した時に、警視ジャヴェルは市長の方へ向き直り、青くなり、冷たくなり、唇を紫色にし、憤激の目付きをし、全身をこまかく震わし、そして目を伏せながらしかも確乎たる声で、あえて市長に言った。「市長どの、それはなりませぬ。」

「どうしてですか。」とマドレーヌ氏は言った。


「この女は市民を侮辱しました。」

「ジャヴェル君、まあ聞いてごらん。」とマドレーヌ氏はなだめるような静かな調子で言った。「君は正直な人です。君に説明するのは難しくありません。事実はこうです。君がこの女を引き立ててゆく時、私はその広場を通り過ぎました。まだそこには大勢の人がいました。私はいろいろ聞いてみて、すべてのことがわかった。悪いのはあの男の方で、まさしく拘留すべきはあの男の方です。」

ジャヴェルは答えた。「この女は市長殿を侮辱したのです。」

「それは私一人のことです。」とマドレーヌ氏は言った。「私の受けた侮辱はおそらく私一人だけに関することでしょう。それは私が自分でどうにでもすればいいのです。」

「市長どの、お言葉ですが、女の侮辱はあなた一人だけにとどまらず、実に法を犯すものです。」

「ジャヴェル君」とマドレーヌ氏は反駁した。「最高の法律は良心です。私はこの女の言うことを聞いた。そして自分のすべきことを知っています。」

「市長どの、私は一向に了解できません。」

「それではただ私の言に従うので満足なさるがいいでしょう。」

「私は自分の義務に従うのです。私の義務は、この女が六カ月間、刑務所に入ることを要求します。」

マドレーヌ氏は穏やかに答えた。「よくお聞きなさい。この女は一日たりとも入牢させてはなりませぬ。」

その断固たる言葉をきいて、ジャヴェルはそれでもじっと市長を見つめ、深い敬意をこめながらもなお言った。「私は市長どのに反対するのを遺憾に思います。これは生涯初めてのことです。しかし、私は自分の権限内で行動しているとお許しください。お望みですから、あの一市民に関することだけに止めましょう。私は現場にいました。この女がその市民に飛びかかったのです。彼はバマタボア氏と言って、選挙資格を有し、遊歩地の角にあるバルコニーのついた石造りの立派な四階建ての家屋を所有しています。まあ、それらのことも参考にすべきです。それはとにかく、市長どの、この事件は私に関係ある道路取り締まりに関することです。私はこのファンティーヌという女を取り押さえなければなりません。」

その時、マドレーヌ氏は腕を組み、まだ街で誰も聞いたことのないほどの厳格な声で言った。「君の言う事実は市内警察に関する事柄です。刑事訴訟法第九条、第十一条、第十五条、および第六十六条の明文によって、私はその判事たるべきものです。私はこの女を放免することを命じます。」

ジャヴェルは最後の努力をなさんとした。「しかし、市長どの……」

「不法監禁に関する一七九九年十二月十三日の法律第八十一条を思い出されるがいい。」

「市長どの、どうか……。」

「一言もなりませぬ。」

「しかし……。」

「お退さがりなさい。」とマドレーヌ氏は言った。


ジャヴェルはつっ立ちながら真っ正面に、ロシア兵士のように胸のまん中にその打撃を受けた。彼は市長の前に地面まで頭を下げ、そして出ていった。

ファンティーヌは戸口から身をよけて、ジャヴェルが前を通るのを茫然とながめた。

けれども彼女もまた異常な惑乱にとらえられていた。彼女は自分が互いに反対の二人の権力者の間の何か争論の種となったのを見て取った。彼女は自分の自由、生命、魂、そして子供を手に握り、二人の人が目の前で争うのを見つめた。一人は自分を暗黒の方へ引こうとし、一人は自分を光明の方へ連れ戻そうとした。その争いは恐怖のために大きく見えて、二人が巨人のように思われた。一人は悪魔の巨人のように口をきき、一人は善良な天使の巨人のように語った。天使は悪魔に打ち勝った。そして彼女を頭の頂から爪先まで戦慄せしめたことは、その天使、その救い主は、だれあろう、自分がのろっていたその男、自分のすべての不幸の元であると長い間考えていたあの市長、あのマドレーヌその人であろうとは! しかも激しく侮辱してやったその瞬間に自分を救ってくれようとは!

 それでは自分は思い違いをしていたのか? それでは自分はまったく心を変えなければならないのでしょうか?……彼女にはいっさいわからなかった。彼女は身を震わした。彼女は前後を忘れて耳を傾け、驚いて見つめ、そしてマドレーヌの発する一言ごとに、憎悪の恐ろしい暗やみが胸から解けくずれるのを感じ、喜悦と信頼と愛情との一種言うべからざる温かきものが心のうちに生ずるのを感じた。

ジャヴェルが室を出て行った時、マドレーヌ氏は彼女の方へ向いた。そして涙を流したくない真面目な人のように、かろうじて言った。「私はあなたの言っていることを聞きました。あなたが言ったことを私は何も知らなかった。しかし、私はあなたの言ったことが事実であると信じており、また事実であると感じています。私はあなたが工場を去ったことさえ知らなかった。なぜあなたは私に訴えなかったのです。しかしそれはそれとして、私はあなたの負債を払ってあげよう。子供を呼んであげよう。あるいはあなたが子供の所へ行かれてもいい。ここにいようと、またパリへ行こうと、どこへでも随意です。

私はあなたの子供とあなたとを引き受けてあげる。いやだったらもう仕事をしなくともよろしい。いるだけの金は出してあげる。あなたは再び幸せになり、正しい道に戻ることでしょう。いやそればかりか、よくお聞きなさい、ただ今から私はあなたに向かって言います、すべてあなたが言ったとおりであるならば、そしてそれを私も疑いはしませんが、それならばあなたは決して堕落したのでもなければ、また神様の前に対して汚れた身になったのでもありません。まことに気の毒な方です!」

それはあわれなファンティーヌに取っては身に余るほどのことだった。コゼットといっしょになる! この屈辱的な生活から解放される! 自由に、豊かに、幸福に、正直に、コゼットとともに暮らす! この悲惨のただ中に突然現実の楽園が開ける! 彼女は自分に話しかけているその人を、呆然として見守った、そして「おお、おお!」と二、三のすすり泣きが出るきりだった。膝はおのずから下って、彼女はマドレーヌ氏の前にひざまずいた。マドレーヌ氏はそれを止める間もなく、自分の手が取られてそれに唇が押しあてられたのを感じた。

そしてファンティーヌは気を失った。

 



第一部 ファンティーヌ  第六編   ジャヴェル

 

1.安息のはじめ

 マドレーヌ氏は自分の住宅のうちにある病舎にファンティーヌを移し、そこの修道女たちに託した。修道女たちは彼女をベッドに休ませた。激しい熱が襲ってきていた。彼女はその夜、長く正気を失い、高い声で譫妄を続けていたが、やがて眠りに落ちてしまった。

 翌日正午ごろにファンティーヌは目を覚ました。彼女は自分の寝台のすぐそばに人の息遣いを感じた。帷を開いてみると、そこにマドレーヌ氏が立っていた。彼は彼女の頭の上の方に何かを見つめていて、目付きはあわれみと心痛に満ち、祈りの色がこもっていた。その視線を辿ると、壁に釘付けにされている十字架像に目を留めていた。

 その時以来、マドレーヌ氏の姿はファンティーヌの目には異なって映るようになった。彼女には彼が光明に包まれているように思えた。彼は一種の祈りにふけっていた。彼女は彼の心を妨げることなく、しばらく黙って見守ったが、ついにおずおずと口を開いた。

「そこに何をしていらっしゃいますの?」

 マドレーヌ氏はもう一時間もそうしていたのである。彼はファンティーヌが目を覚ますのを待っていた。彼は彼女の手を優しく取り、その脈を感じながら答えた。

「加減はどうですか?」

「よろしゅうございます。よく眠りました。」と彼女は言った。「だんだんよくなるような気がします。もう大したことではありませんわ。」

 彼はその時、ファンティーヌが最初になした問いをしか耳にしなかったかのように、それに答えた。

「私は天にある殉教者に祈りをしていました。」

 そして彼は頭の中でつけ加えた、「地上にあるこの受難者のために。」

 マドレーヌ氏は前晩とその午前中とを調査に費やしたのだった。今ではもうすべてを知っていた。ファンティーヌの痛ましい身の上を詳細に知っていた。彼は続けて言った。

「あわれな母親、あなたはずいぶん苦しんだ。不平を言ってはいけません。今や、あなたは天から選ばれた者の資格を持つようになったのです。人間はいつもそういうふうにして天使となるものです。しかしそれは人間の罪ではない、他になす術を知らないからです。あなたが出てこられたあの地獄は天国の第一歩です。まずそこから始めなければなりません。」

 彼は深いため息をついた。しかし彼女は二本の歯の欠けた崇高な微笑を彼に示した。

 ジャヴェルの方では、その晩一つの手紙を書いた。翌朝自らそれをモントルイュ・スュール・メールの郵便局に持って行った。それはパリへ送ったもので、あて名には警視総監秘書シャブーイエ殿としてあった。警察署のあの事件が盛んに噂の種となっていたこととて、その手紙が発送される前にそれを見て、あて名の文字にジャヴェルの手跡を見て取った局長や他の人々は、それがジャヴェルの辞表だと思った。

 マドレーヌ氏はまた急いでテナルディエ夫婦の所へ手紙を書いた。ファンティーヌは彼らに百二十フラン借りになっていた。彼は三百フラン送って、そのうちからすべてを差し引き、なお母親が病気で子供に会いたがっているから、すぐに子供をモントルイュ・スュール・メールに連れて来るようにと言ってやった。

 そのことはテナルディエを驚かせた。「畜生、子供を手放してたまるものか。」と彼は女房に言った。「この雲雀娘がこれから乳の出る牛になったというものだ。わかってらあね。ばか者があのおふくろに引っかかったのだ。」

 彼は五百フランとなにがしかの覚え書きをうまく整えて送ってきた。この覚え書きのうちには三百フラン余りの明らかな二つの内訳がのっていた。一つは医者の礼で、他は薬剤師の礼で、いずれもエポニーヌとアゼルマとの長い病気の手当てと薬の代であった。前に言ったとおりコゼットは病気にかかりはしなかったのである。ただ名前を変えるという些細な手数だけでよかった。テナルディエは覚え書きの下の方に三百フラン受け取り候と書きつけた。

 マドレーヌ氏はすぐにまた三百フラン送って、早くコゼットを連れてきてくれと書いてやった。

「なあに、子供を手放すものか。」とテナルディエは言った。

 そうこうするうちにもファンティーヌは回復しなかった。相変わらず病舎にいた。


**修道女たちがその「女」を受け入れ、看護したのは初めはいやいやながらだった。フランスの寺院にある浮き彫りを見た者は、賢い童貞らが不潔な娘らをながめながら、下唇をとがらせているのを思い起こすだろう。貞節な婦人の不運な女に対するこの古来の軽侮は、女性の威厳から来る最も深い本能の一つである。そしてこの修道女たちは、宗教のためになお倍加してその気持ちを経験した。しかしやがてファンティーヌは彼女たちの心をやわらげた。彼女は謙遜でやさしい言葉を持っていた。そして彼女のうちにある母性は人の心を動かした。ある日、彼女が熱に浮かされながら次のように言うのを修道女たちは耳にした。「私は罪深い女でした。けれど子供が私の所へ来るならば、それは神様が私をお許しなされたことになりますでしょう。悪い生活を送っていた間、私はコゼットをそばに呼ぶことができませんでした。私はコゼットのびっくりした悲しい目付きを見るのにたえられなかったでしょう。けれども私が悪い生活をしたのもあの児のためだったのです。だから神様は私をお許し下さるのです。コゼットがここに来る時、私は神様のお恵みを感じるでしょう。私は子供を見つめます。その罪ない子供を見ることは私のためにいいでしょう。あの児はまったく何にも知りません。ねえ皆さん、あの児は天の使いですわね。あれくらいの年では、翼はまだ決して落ちてはいませんわ。」

 マドレーヌ氏は日に二度ずつ彼女を見舞ってきた。そのたびごとに彼女は尋ねた。「じきにコゼットに会えましょうか。」

 彼は答えた。「たぶん明朝は。今に来るかと私も始終待ち受けているのです。」

 すると母親の青白い顔は輝いてきた。「ああ、そしたらどんなに私は幸せでしょう!」と彼女は言った。

 さて前に彼女は回復しなかったと言ったが、いやかえって容態は一週ごとに重くなるようだった。二つの肩胛骨の間の露あらわな肌の上に押し当てられた一握りの雪は、急に皮膚排出を抑止してしまったので、その結果数年来の病芽がにわかに激発したのだった。当時、胸部の病気の研究ならびに処置についてはラエネックのみごとな説が一般に奉じられつつあった。医者はファンティーヌを診察して頭を振った。

 マドレーヌ氏は医者に言った。「いかがでしょう。」

「会いたがっている子供でもありませんか。」と医者は尋ねた。

「あります。」

「では至急お呼びなさるがよろしいでしょう。」

 マドレーヌ氏は身を震わした。

 ファンティーヌは彼に尋ねた。「お医者様は何と言われまして?」

 マドレーヌ氏は強いてほほえんだ。「早くあなたの子供を連れて来るように頼んだ。そうすれば丈夫になるだろうと。」

「ええ、そうですとも!」と彼女は言った。「けれどもテナルディエの人たちはいったいどうしたのでしょう。私のコゼットを引き留めておくなんて。おお、娘が来るのですね!ああ、とうとう幸福が私のもとにやって来た!」

 しかしテナルディエは子供を手放そうとはしなかった。そしていろいろな口実を並べた。コゼットはまだ少し身体が悪くて冬に旅はできないとか、あるいはまた、近所にこうるさい負債が少しずつ残っていてその書き付けを集めているとか、いろいろなことを。

「私は人をやってコゼットを連れてこさせよう。」とマドレーヌ氏は言った。「もしやむを得なければ自分で行こう。」

 彼はファンティーヌの言葉どおりに次のような手紙を書き、それに彼女の署名をさした。

 テナルディエ殿
この人にコゼットを渡していただきたく存じます。
さまざまな費用はすべてお支払いします。
謹んで御挨拶申し上げます。

ファンティー

 ちょうどその間に大事件が持ち上がった。人生が形造られている不可思議なる石塊をいかによく刻まんとするもむだである。運命の黒き鉱脈は常にそこに現われて来る。

 

2.ジャン変じてシャンとなる話

ある朝、マドレーヌ氏は書斎にいて、自らモンフェルメイユに旅する際のために、市長としての緊急な二、三の事務を前もって整理していた。その時、警視のジャヴェルが何か申し上げたいことがあってきた旨が取りつがれた。その名前を聞いて、マドレーヌ氏はある不快な印象を自ら禁じることができなかった。警察署でのあの事件以来、ジャヴェルは前よりもなおいっそう彼を避けていた。そして彼はジャヴェルの姿を少しも見かけなかった。

「通しておくれ。」と彼は言った。

ジャヴェルは入ってきた。マドレーヌ氏は暖炉の近くに座り、手にペンを持って、道路取り締まり違反の調書が載っている記録を開いて何か書き入れながら、それに目を据えていた。彼はジャヴェルが来てもそれをやめなかった。彼は哀れなファンティーヌのことを考えずにはいられなかった。そして他のことに対して冷淡であるのは自然のことだった。

ジャヴェルは自分の方に背を向けている市長にうやうやしく礼をした。しかし市長は彼の方へ目を向けず、続けて記録に書き込んでいた。

ジャヴェルは室の中に二、三歩進み、その静けさを破ることなく無言のまま立ち止まった。

もし一人の人相家があって、ジャヴェルの性質に親しんでおり、この文明の奴隷のような蛮人、ローマ人やスパルタ人、僧侶、下士の混合、一の虚言をもなし得ないこの間諜、この純粋無垢な探偵を長い間研究しており、更にまたマドレーヌ氏に対する彼の昔からのひそかな反感や、ファンティーヌに関する彼と市長との争いなどを知っており、そしてこの瞬間における彼をよく見たとするならば、その人相家は「何が起こったのだろう」と思ったであろう。彼の正直で清澄でまじめで誠実で謹厳で猛烈な内心を知っている者にとっては、彼が心の中で大きな変化を経たことが明らかに見て取れただろう。ジャヴェルはいつも心にあることはすぐに顔にも現れた。彼は荒々しい気質の人のようにすぐに説を変えた。しかし、この時ほど彼の顔付きは不思議な意外な様子をしていることはかつてなかった。

室に入って来るや、何らの怨恨も憤りも軽侮も含まない目付きで、マドレーヌ氏の前に身をかがめ、それから市長の肘掛椅子の後ろ数歩の所に立ち止まったのだった。そして今彼は規律正しい態度をし、かつて柔和を知らない常に堅忍な人のような素朴な冷ややかな剛直さをもって、そこに直立していたのである。彼は一言も発せず、何らの身振りもせず、真の卑下と平静な忍耐の中で、市長が振り向くのを待っていた。そして落ち着いたまじめな様子をして、手に帽子を持ち、目を伏せ、隊長の前に出た兵士と裁判官の前に出た罪人との中間な表情を浮かべていた。彼が抱いていた感情や記憶はすっかり消え去ってしまっていた。その花崗石のごとき単純でありながら測り難い顔の上には、ただ憂鬱な悲しみのほかは何も見られなかった。彼のすべての様子は、屈従と決意と一種の雄々しい消沈を示していた。

ついに市長はペンを擱いて、半ば振り返った。

「さて、何ですか? どうかしたのですか、ジャヴェル君。」

ジャヴェルは何か考え込んでいるかのようにちょっと黙っていたが、やがてなお率直さを失わない悲しげな荘重さをもって声を立てて言った。

「はい、市長殿、有罪な行為がなされたのです。」

「どういうことです?」

「下級の一役人が重大な仕方である行政官に敬意を失しました。私は自分の義務としてその事実を報告しに来ました。」

「その役人というのはいったいだれです。」とマドレーヌ氏は尋ねた。

「私です。」とジャヴェルは言った。

「君ですって。」

「私です。」

「そしてその役人に不満なはずの行政官というのはだれです。」

「市長殿、あなたです。」


マドレーヌ氏は椅子の上に身を起こした。ジャヴェルはなお目を伏せながら真剣に続けた。

「市長殿、私の免職を当局に申し立てるようお願いしに上がったのです。」

マドレーヌ氏は驚いて何か言おうとした。ジャヴェルはそれをさえぎった。

「あなたは私に辞職すべきだと言うでしょう。しかしそれでは足りません。自ら辞職するのはまだ名誉なことです。私は失錯をしたのです。罰せられるべきです。私は放逐されなければいけないのです。」

そしてちょっと言葉を切ってまたつけ加えた。

「市長殿、あなたは先日私に対して不当にも苛酷であられました。今日は正当に苛酷であられなければいけません。」

「そしてまた何ゆえにです。」とマドレーヌ氏は叫んだ。

「どうしてそんな無茶なことを言うのですか。いったいどういう意味ですか。君は私に対してどういう有罪な行為を犯したのです? 君は私に何をしました? どんな悪い事を君は私にしました? 君は自分を責め、免職されることを望んでいるが……」

「放逐されることをです。」とジャヴェルは言った。

「放逐ですって、それもいいでしょう。しかし私にはどうも了解できない。」

「只今説明申します、市長殿。」

ジャヴェルは胸の底からため息をもらした、そしてやはり冷ややかにまた悲しげに言い出した。

「市長殿、六週間前のあの女の事件の後、私は憤慨してあなたを告発しました。」

「告発!」

「パリの警視庁へ。」

ジャヴェルと同様にあまり笑ったことのないマドレーヌ氏も笑い出した。

「警察権を侵害した市長としてですか。」

「前科者としてです。」

市長は顔色を変えた。

なお目を伏せていたジャヴェルは続けた。

「私はそれを信じていました。長い前からそういう考えをいだいていました。ある類似点、あなたがファヴロールでなされた探索、あなたの腰の力、フォーシュルヴァン老人の事件、あなたの狙撃の巧妙さ、少し引きずり加減のあなたの足、その他種々な下らないことです。そしてついに私はあなたをジャン・ヴァルジャンという男だと信じたのです。」

「え?……何という名前です。」

ジャン・ヴァルジャンというのです。それは二十年前私がツーロンで副看守をしていた時見たことのある囚人です。徒刑場を出てそのジャン・ヴァルジャンは、ある司教の家で窃盗を働いたらしいのです。それからまた、街道でサヴォアの少年を脅かして何かを強奪したらしいのです。八年前から彼は姿をくらまして、だれもその男がどうなったか知る者はなかったのですが、なお捜索は続けられていました。私は想像をめぐらして……ついにそのことをやってしまったのです。怒りに駆られたのです。私はあなたを警視庁へ告発しました。」

少し前から記録を手に握っていたマドレーヌ氏は、まったく無関心な調子で尋ねた。

「そして何という返事がきました。」

「私は気が狂っていると言われました。」

「そして?」

「そして実際、向こうの方が正当でありました。」

「君がそれを認めたのは幸いです。」

「認めざるを得なかったのです。真のジャン・ヴァルジャンが発見されたのですから。」

マドレーヌ氏は持っていた帳簿を手から落とした。彼は頭をあげてじっとジャヴェルを見つめた。そして名状し難い調子で言った。

「ほう!」

ジャヴェルは続けた。


「こういう次第です、市長殿。アイイー・ル・オー・クロシェの近くの田舎に、シャンマティユーじいさんと呼ばれる一人の老人がいたそうです。惨めな存在で、誰も注意を向ける者はなかったそうです。いったい、こういう奴らは何で生活しているのか、誰にも分かりません。ところで昨年の秋に、そのシャンマティユーじいは、酒造用の林檎を盗んだために捕えられました。誰の家でしたか……まあ、それはどうでもいいことです。とにかく窃盗を行い、塀を越え、枝を折ったのです。でシャンマティユーは捕えられました。彼はまだ手に林檎の枝を持っていました。彼は拘禁されました。ここまでは単に懲罰だけです。しかし、運命が動き出します。その牢は壊れかけていましたので、予審判事はシャンマティユーをアラスの県の監獄に移した方がいいと思ったのです。そのアラスの監獄にはブルヴェーという前科者がいました。何かのために拘禁されたのですが、行ないがよかったので牢番にされていました。ところがシャンマティユーがそこに着くや、ブルヴェーは叫びました。

『やあ、わしはこの男を知ってる。こいつはいわくつきの男だ。おい、貴様、おれを見てみろ。貴様はジャン・ヴァルジャンだな。』『ジャン・ヴァルジャン! いったいジャン・ヴァルジャンって誰の事だい。』とシャンマティユーは驚いたふうをしました。がブルヴェーは言いました。『白ばくれちゃいけねえ。貴様はジャン・ヴァルジャンだ。ツーロンの徒刑場にいたろう。二十年前の事だ。俺といっしょにいたじゃねえか。』シャンマティユーは否定しました。なにそれはありそうなことです。調査が進められました。私の方にも調べがきています。結局こういうことが発見されたのです。そのシャンマティユーは約三十年前にファヴロールを中心に各地で枝切り職をやっていた。ところがファヴロールで行方不明になった。その後久しくしてオーヴェルニュに姿を見せ、次にパリに現れた。そこで彼は車大工をやり、娘が一人あって洗濯業をやっていたと言いますが、それは証拠不十分でした。

そしてついにあの土地にやって行った。しかるに、加重情状の窃盗罪で徒刑場に入る前、ジャン・ヴァルジャンは何をしていたかといえば、枝切り職であった。そしてどこにおいてかといえば、やはりファヴロールにおいてであった。なおその上他にも事実がある。ジャン・ヴァルジャンはその洗礼名をジャンと言い、その母は姓をマティユーと言っていた。で徒刑場を出るや、彼が前身をくらますために母の姓を取ってジャン・マティユーと名乗ったという推察は、至って自然のことである。そして彼はオーヴェルニュに行った。その地方ではジャンをシャンと発音するので、彼をも自然シャン・マティユーと呼んだ。でその男はそのままシャンマティユーと変わったのである。……おわかりになりましたでしょう。それからファヴロールに調査が進められました。

ジャン・ヴァルジャンの家族の者はもはやそこにいませんでした。どこへ行ったかもうわかりません。御存じでもありましょうが、こういう階級では全家族が突然姿を消すことは往々あります。いくら探しても見つかりません。こういう奴らは泥のようであるかと思うと、また埃のように散り失せるものです。それにまた、この話の初まりは三十年も前のことですから、ファヴロールにはジャン・ヴァルジャンを知っている者もいません。ツーロンの方を調べますと、ジャン・ヴァルジャンを見たという者はブルヴェーのほか二人の囚人しかいません。それは無期徒刑囚のコシュパイユとシュニルディユーという二人です。

でその二人を徒刑場から引き出して連れてきました。そしてその自称シャンマティユーを見せると、彼らは少しの躊躇もしなかったのです。ブルヴェーと同じく彼らの目にも、その男はジャン・ヴァルジャンだったのです。同じく五十四歳で、同じ身長で同じ様子で、どうしても同一人です、彼です。ちょうどその時、私はパリの警視庁に告発状を送ったのです。その返事には、私は気が狂ったのだ、ジャン・ヴァルジャンは司法の手に捕えられてアラスにいるということでした。私は、ここでそのジャン・ヴァルジャンを捕えたと思っていた私は、いかほど驚いたかお察し下さい。私は予審判事に手紙を書きました。そして私はそこに呼ばれて、私の前にそのシャンマティユーが引き出されました……」

「すると?」とマドレーヌ氏は言葉をはさんだ。

ジャヴェルは厳格なまた悲しそうな顔をして答えた。

「市長殿、事実は事実です。残念ですが、その男はジャン・ヴァルジャンです。私もそれを認めました。」

マドレーヌ氏は低い声で言った。

「確かですか。」

ジャヴェルは深い確信から出る悲しげな笑いを立てた。

「ええ、確かです。」


彼はテーブルの上にあった吸墨用の箱から鋸屑を機械的に取り出しながら、少し考え込んでから、こう付け加えた。

「そして真のジャン・ヴァルジャンを見た今では、私はどうして他の人をそうだと信じることができたのか、自分にもわかりません。市長殿、私はあなたにお許しを願います。」

六週間前、大勢の風紀兵らの面前において自分を辱め、自分に「お退きなさい!」と言ったその人に向かって、今そのまじめな嘆願の言葉を発しながら、傲慢なるジャヴェルは、自ら知らずして素朴と威厳に満ちていた。マドレーヌ氏は彼のその嘆願に答えるに、ただ次の唐突な問いをもってした。

「そしてその男は何と言っていました。」

「いや、市長殿、事態は深刻です。彼がジャン・ヴァルジャンであるとすれば、再犯となるのです。塀を乗り越え、枝を折り、林檎を盗むくらいは、子供なら悪戯に過ぎず、大人なら軽罪ですみますが、囚人にとっては立派な犯罪です。侵入と窃盗、みな具備することになります。それはもう軽罪裁判の問題でなく重罪裁判の問題です。数日の監禁でなく、終身徒刑です。それからまたサヴォアの少年の事件もあります。それも問題になるべきです。そうなると十分に論争するだけのものはありますでしょう。そうです、ジャン・ヴァルジャンでない限り他の者ならそうするところです。しかしジャン・ヴァルジャンは狡猾な奴です。

私がにらんだのはまたその点です。他の者なら逆上するところです。きっと、わめき叫ぶでしょう。火の上に沸き立つ鍋のように、自分はジャン・ヴァルジャンではないと言って、騒ぎ出したりするはずです。ところが、彼は何もわからないようなふうをして、こう言うだけです。『わしはシャンマティユーというのだ、そのほかの者じゃない!』彼はびっくりしたふうをして、ばかをよそおっています。有効な手段です。実に巧妙です。しかし結局は同じです、証拠は十分です。四人の人から認定されたのですから、いずれ有罪になるでしょう。アラスの重罪裁判に回されています。私は証人としてそこへ行くことになっています。召喚されたのです。」

マドレーヌ氏はまた机の方を向いて、記録を手にしていた、そして何か用に追われているかのように読んだり書き入れたりして、静かにそのページをめくっていた。がやがて彼はジャヴェルの方へ振り向いた。

「わかりました、ジャヴェル君。実際それらの詳細は私にあまり関係ないことです。時間を無駄にするばかりです。そして、私たちには他に急ぎの用があります。ジャヴェル君、あのサン・ソールヴ街の角で野菜を売ってるブュゾーピエ婆さんの家へすぐに行ってくれませんか。そして車力のピエール・シェヌロンを訴え出るように言って下さい。あの男は乱暴な奴で、その婆さんと子供とを轢き殺そうとしたのです。処罰しなければいけません。

それからまたモントル・ド・シャンピニー街のシャルセレー君の家に行って下さい。隣の家の樋から雨水が流れ込んできて自分の家の土台を揺るがすと言って訴えてきたのです。次に、ギブール街のドリス未亡人とガロー・ブラン街のルネ・ル・ボセ夫人の家に警察規則違反があると言ってきていますから、それを調べて調書を作ってきて下さい。だがあまり仕事が多すぎますね。君は不在になるんでしたね。一週間か十日かすればあの事件のためにアラスに行くと先刻言いましたね。」

「そんなに遅くはありません、市長殿。」

「ではいつです。」

「明日裁判になるので私は今晩駅馬車で出かけることを、先刻申し上げたと思いますが。」

マドレーヌ氏は目につき難いほどのかすかな身振りをした。

「そしてその事件はどれくらい続きますか。」

「長くて一日ですむでしょう。遅くとも判決は明晩下されるでしょう。しかし判決はもうわかっていますから、私はそれを待っていないつもりです。自分の供述を済ましたらすぐに帰ってくるつもりです。」


「なるほど。」とマドレーヌ氏は言った。

そして彼は手振りでジャヴェルを去らせようとした。

ジャヴェルは立ち去らなかった。

「失礼ですが、市長殿。」と彼は言った。

「まだ何か用ですか。」とマドレーヌ氏は尋ねた。

「市長殿、まだ一つ思い出していただきたいことが残っています。」

「何ですか。」

「私が免職されなければならないことです。」

マドレーヌ氏は立ち上がった。

「ジャヴェル君、君は立派な人だ。私は君を尊敬しています。君は自分で自分の過失を大きく見すぎているのです。その上、このことはただ私一個に関する非礼にすぎません。ジャヴェル君、君は罰を受けるどころか昇進の価値があります。私は君に職にとどまっていてもらいたいのです。」

ジャヴェルはその誠実なる目でじっとマドレーヌ氏を眺めた。その瞳の底には、聡明ではないが、しかし厳格清廉な内心が見えるようだった。彼は平静な声で言った。

「市長殿、私はお説に従うことができません。」

「繰り返して言うが、事は私一個だけのことです。」とマドレーヌ氏は答えた。

しかしジャヴェルは自分の一つの考えにばかり心を向けて、続けて言った。

「過失を大きく見すぎていると言われますが、私は決して大きく見すぎてはいません。私の考えていることはこうであります。私はあなたを不当に疑ってしまったのです。それは大したことではありません。たとえ自分の上官を疑うのは悪いことであるとしても、疑念を抱くのは私ども仲間の権利です。しかし、証拠もないのに、一時の怒りに駆られて、復讐をするという目的で、あなたを囚人として告発したのです、尊敬すべき一人の人を、市長を、行政官を! これは重大な問題です。極めて重要です。政府の一機関たる私が、あなたにおいて政府を侮辱したのです! もし私の部下の一人が私のなしたようなことをしたならば、私は彼をもって職を汚す者として放逐するでしょう。いかがです。――市長殿、なお一言言わせて下さい。私はこれまでしばしば苛酷でありました、他人に対して。それは正当でした。

私は正しくしたのです。しかし今、もし私が自分自身に対して苛酷でないならば、私が今まで正当になしたことは皆不当になります。私は自分自身を他人よりもより多く容赦すべきでしょうか。いや、他人を罰するだけで自分を罰しない! そういうことになれば私はあさましい男となるでしょう。このジャヴェルの恥知らずめ! と言われても仕方ありません。市長殿、私はあなたが私を穏和に取り扱われることを望みません。あなたが他人に親切を向けるのを見て、私は非常に憤慨しました。そしてあなたの親切が私自身に向けられるのを欲しません。市民に対して売春婦をかばう親切、市長に対して警官をかばう親切、上長に対して下級の者をかばう親切。私はそれを指さして悪しき親切と呼びます。社会の秩序を乱すのは、かかる親切をもってしてです。

ああ、親切であることは容易いが、正当であることは難しい。もしあなたが私の初め信じていたような人であったならば、私は、私は決してあなたに親切ではなかったでしょう。おわかりになったであろうと思います。市長殿、私は他のすべての人を取り扱うように自分自身をも取り扱わなければなりません。悪人を取り押さえ、無頼漢を処罰する時、私はしばしば自分自身に向かって言いました、汝自らつまずき汝自らの現行を押さえる時、その時こそ思い知るがいい! と。今不幸にも私はつまずき、自分の現行を押さえています。さあ解雇し罷免し放逐して下さい。それが至当です。私には両の腕があります、地を耕します。結構です。市長殿、職務を立派に尽くすには実例を示すべきです。私は単に警視ジャヴェルの免職を求めます。」

それらのことは、卑下と自負と絶望と確信との調子で語られた。そして、その異常に正直な男は、何とも言えない一種のおかしな荘重さを漂わせていた。

「まあ今にどうとかなるでしょう。」とマドレーヌ氏は言った。

そして、彼は手を差し出した。

ジャヴェルは後に退いた。そして荒々しい調子で言った。

「それはご遠慮いたします。市長殿。そんなことはあり得べからざることです。市長が間諜に向かって握手を与えるなどということが。」

彼はそしてなお口の中でつけ足した。

「そうです、間諜です。警察権を濫用して以来、私はただの間諜にすぎないのです。」

それから彼は低く頭を下げて、扉の方へ進んだ。

扉の所で彼はふり向いて、なお目を伏せたまま言った。

「市長殿、私は後任が来るまで仕事は続けて致しておきます。」

彼は出て行った。そのしっかりした堅固な足音が廊下の床の上を遠ざかってゆくのを聞きながら、マドレーヌ氏は惘然と考えに沈んだ。